やっぱり人の気持ちを分かっていないんだろうなぁ……。
いや、5m走ったらしんどいとか、空が青いとか、山が綺麗とか、そういった気持ちには共感できる。心配とか大変とか悲しいとかも分かる……はず。ただ何だろうな、根本的に何かを理解していないような。
人はそれぞれ違うというし、違っていて当然で、私の感覚の人も一定数いて、別に問題ない……とかなら良いんだけどな。
人はそれぞれ違うというし、違っていて当然で、私の感覚の人も一定数いて、別に問題ない……とかなら良いんだけどな。
あなたにおすすめの小説
「愛あふれる作品」はまだ少なそう
月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
愛とは何か。私は知りません。知らない上で、書こうとしています。そして求めている。
人間と人間の愛はまぁ分かります。人間と動物の愛も分かります。もっと違う愛の形はあり得るでしょうか? 私はそれを待っているのかもしれません。
アルファポリスにもいいね機能がいずれ付くのだろうか?
月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
アルファポリスからのお知らせに「いいね機能追加」というものがあって一瞬ビックリした。けどよく見たら、公式漫画に「いいね機能」「コメント機能」を追加したというお知らせだった。なんだ。でも、公式漫画というのはよく知らないけど、まずはそこで機能をテストして、いずれこっちの一般投稿(?)にもいいね機能を付けるつもりかもしれないよなぁ。今時SNSでもサイトでもなんでも、いいねとかコメントとかフォローといった機能は大抵付いているから。
世界のせいにしていちゃダメなんだな……
月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
世界のせいだったら誰かへの個人攻撃じゃないし、自分のせいにもしなくて済む。だからお気に入りだけど、これも逃げなんだなぁ……。
一人の時間が幸せ
月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
少し前に書いた文章。連載に入れようとしていた。
ボツにしようと思ったが、せっかく整えた文章だったので、とりあえず投稿。でも心苦しいというか何というか、迷い続けている。
一人がいいだの人と話すのが苦手だの言ってみても、私は結局、人一倍寂しがりなだけで、構ってもらいたいけれど自信がないから、創作で気を引こうとしているのかもしれない。そして寂しいと言っても、話さえできれば何でもいいわけではなく、「自分自身を見てもらいたい」というような恥ずかしい欲求が強いのかもしれない。
この世界の話題の多くは、自分たち以外から発せられたものだ。ゲームとか本とか仕事とか建造物とか芸能人とか政治とか。
私もそういう、どこかで話題になるような、世界の景色の一部でありたいのか。そもそも一部などでは満足できないのか。
本当にやりたいことは何か、どう時間を使いたいのか。優柔不断で決まらないままだ。いつまでそんなことを言っているのだろう。
何も成せないまま時間が過ぎてゆく……。それが私らしい人生ということなのかもしれない。残念ながら。
誰にも読まれない小説だからこそ書ききりなさい
フゥル
エッセイ・ノンフィクション
一話目次
●小説書きに唯一必要な技術と、その三つの理由
●創作ノウハウ三つの落とし穴
●「よく読むこと」と「よく書くこと」、どちらの方がより困難か
●執筆で承認欲求は満たされない
●利他で小説を書けるか?
●「書くこと」とは、あなただけに与えられた使命である
●読まれない小説でも、書く意味はある
「小説を投稿したのに誰も読んでくれない」
「苦労して書いた小説が全く評価されない」
「誰も読んでくれない小説を書くのに意味はあるのか」
そう、問い続けて10年が経った。
いまだに多くの人に読まれる小説は書けていない。
もちろん、何十冊と創作論の本を読んできたし、可能な限りの努力はした。途方もない時間を小説執筆に捧げた。
それでもつまらない小説しか書けないということは、おそらく、才能がないのだろう。
では、才能がなければ小説を書く意味はないのか。読まれない小説に存在する意味はないのか。
私はそうは思わない。私は確固たる信念を持って「読まれない小説でも、書く意味がある」と断言する。
このエッセイでは、ただひたすら「読者がいない状態で小説を書き続ける技術」と、その必要性について語る。
※どの話から読んでもわかるように書いてあります。質問等は感想へ。
やっぱり批判を受け付けないと表現の幅が広がらないな……
月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
批判するのは好きだけどされるのは苦手。こんなアピールを続けていたら、誰も何も指摘してくれなくなるかも。いけないとは思っているけれど「批判バシバシください!!」と言う勇気はなかなか……。
世の中色々な人がいる、ということに時々疲れる。
月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
世の中色々な人がいる。ハッピーな時に聞いたら素敵な言葉だ。まだ見ぬ世界が広がっていて、これから色んな人に出会う可能性があるのだから。
でも色々な人がいるということは、色々考慮しないといけないわけで。善なのか悪なのか判断のつかないこともある。世界に善も悪もないけれど。