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女であることに納得できるか
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「私は男だ」「私は女だ」という自覚というか誇りというか、そういうの持っている人、どのくらいいるんだろう。案外みんなそこまで、自分が男とか女とか気にしていないのかもしれない。
私はある意味めちゃくちゃ気にしている。性犯罪によって男性に怯え、自分の意志に関わらず妊娠しかねない、非力な女であることに恐怖した。男性にも女性にも嫌悪したかもしれない。
男か、女か、そんなことがすべてではないと言っても、無意識でも、常識・感覚・システムの中に男とか女とかいう概念や事実がこびりついている。ジェンダーレスだジェンダーフリーだと言ったって、結局女は中出しされれば妊娠するのだから、私の心がどうだのこうだの言ったって、女であるなら気をつけ続けなければいけない。そして意見を語らなければ、心なんてものはパッと見、目に見えない。
結婚しただの恋したいだの、そんな言葉にばかり反応してしまう。みんなはちゃんとやっているのに、私ときたら。
人それぞれ。私と同じ人もいる、はず。けれどみんなの意見や感覚を聞くと、やはり自分はどこか違うのだと思う。
寂しい。心細い。悲しい。一周回ってか、怒りが沸く。責任転嫁する。責められているように感じる。
少子高齢化対策だって? 世界にある核爆弾の数は1万発以上だって。おかしいだろ、こんな世界。一生懸命働いて、身を削って子どもを育てても、子どもは地球の汚染だか第三次世界大戦だかで死ぬかもしれない。こんな狂った世界で、自分を押し殺してまで役目を果たそうなんて思わない。
私は子どもを産みたくもないし育てたくもない、だからその元となる恋を避けようとした。けれど避けきれなかった。こうなることを恐れて、働かずに引きこもりたかったのかもしれない。
昔から。性別に関わらず。私は何もかもから逃げたかったのかもしれない。
……いや、自ら積極的に行動して、けれど飽きて失敗したことも多かったから(生き物を育てようとしたけれどお世話ができず死なせた、絵の通信教育を受けたけれどあんまり活用できないまま結構な金額を支払った)、ますます逃げ癖がついたのかもしれないけど。
「AかBか?」と問われても、AもBも嫌。人生、そんなことは多い。
昔、女である自分に不安を覚え、「男だったら良かったのに」と、漠然と「男になりたい」ように思ったけれど。それは「人間が嫌だから鳥になりたい」などと、野生の過酷な現実を知らないまま言うようなもので、結局男であっても大変なのだろう。
合っているかどうか分からないが、男性は動物的本能が強そうだ。性欲、出世欲(動物にも順位とかあるよね)、縄張り意識。そして強くあらねばならないというプレッシャー。
女であることが嫌で男になったとしても、自分の本能に振り回されるかもしれない。なら似たようなものだ。
何を選んでも逃げられない。「Aが嫌だからB」なんて、そんな動機じゃ上手くいかない。
高校卒業後、就職を選んだ。働くことは怖かったけれど、同年代の性欲満々の男子も怖かったし、働くことから逃げて大学に行ったって、いつかは働かねばならないときがくるから。ズルズル逃げ回るより、働こうと思ったのだ。
けれど結局上手く働けず、働くことが嫌になった。しかし大学に行っていたって、「働きたくない」思いからは逃れられなかっただろう。
生きるのが嫌だから死にたい。でも苦しいのが怖いからやっぱり死にたくない。
自殺が怖くて生き続けても、結局苦しい最期を迎えるかもしれないという、死の恐怖からは逃れられない。生きている限り死の恐怖から逃れられない。
働きたくないと思っても、遅かれ早かれ働かなくてはならない、進路に怯えたあの頃とどこか似ている。
Aか、Bか。「自分はAでもBでもない、Cだ」と主張するか。
でも新たな「C」になるには強い意思が必要。
「私は女であることが嫌。男も大変そう。つまり私は男でも女でもない」と思ったとしても。それは逃げであって、選択とか意思とか個性とか、なんかそういうのと違う気がする。
子どもを産みたい、好きな男に抱かれたい、何か女っぽい欲求の一つや二つないと、女であるとは言えないのか。
けれど自分探しなどしたところで、女である自分の肉体と人生から逃れられない。
今はなんだかんだ言って、職場の人が好き。作業が好き。
けれどどうだろう、働くことが好きなのだろうか。複雑な気持ちで、よく分からない。
大金を手にしたら、仕事をやめるのか? 仕事を続けて、みんなに会いたいのか? 好きな人たちだって、仕事を辞めていなくなるかもしれないけど? どうだろう。
働けばみんな優しくしてくれる。優しくしてくれるみんなと、優しくしてもらえる自分。今の状況が好き。
怠け、働かず、ワガママを言い続ければ嫌われる。クビになる。生きていけない。
だから働くしかない。誰に強制されたわけでもない、でも他の選択肢が見つからないなら、「働くしかない」のだ。
もし私が、セックスをするのは別に好きじゃないけど、人恋しくて寂しくて、「恋愛」という概念を利用しているのだとしたら。セックスに積極的に応じることで男性の心を繋ぎ止めようとする、依存的な心境だったとしたら。それは女らしいのだろうか。
子を産みたいか、抱かれたいか、そこだけじゃない「女らしさ」があって、私がそこに該当するならば、私は女であると言えるのか。ある種の女っぽいのか。
けれど「女はすぐ泣く」「女はよく喋る」とか、そういうイメージは人間の後付けであって、本来性別というのはオス・メスのことであるはず。
「産まずして何が女性か」とか言われたら人生が嫌になるけれど。「産みたい」のがメスであり女だとしたら。私は女ではない。女である自分が嫌だ。
かといって男になりたいわけでもない。「私は男でも女でもない」と声高に主張する気もない。発信できるようなものを何も持っていないし、そのような論争に人生を捧げる気もない。
何を叫んだところで、行動を起こさぬ限り、私の体は女だ。手術する勇気もないし、手術のためにお金を稼いで注ぎ込もうという情熱もない。
男とか女とか、そのどちらでもあるとかないとか、性別って一体何なんだ。生まれるとき勝手にどちらかになって、その概念から外れるにも細かな決まりがあるようで。
私は女であることが怖いだけで、今はもう不愉快でたまらないというほどではなく、女として性的に見られることへの恐怖も若干薄れた。ある程度女として振る舞い、女として扱われる自分を楽しんでいる。
けれど私は心底、女であることに納得しているのか?
なんて。「働かなきゃ生きていけない。みんなからも嫌われたくない」から働くのと同じように、女である自分から逃げる気力がないから、女を演じているのかもしれない。私が女であることで喜んでくれる人がいて、自分が女であることに馴染んで、警戒心を失わず、それなりに上手くやっていけるのなら。まぁ女でいいや、ということなのか。
誰からも「子どもを産め」なんて言われていない。
けれど何か、追い立てられるような不安を覚える。言い訳したくなる。自信がなくなる。
誰からもパワハラなどされていない。けれど私はなんらかのパワーに屈したのか。「社会の中で上手にやっていかないと、この先生きる道はないぞ」と。
私は心から選択した? 私は何かから逃げた? 何かに屈した?
納得しているのか? していないのか?
いいや、人は誰しも、100%の納得や幸せなんてない、だから愚痴を言うのだろう?
私は自由だ。誰からも脅されていない。何にも流されていない。
けれど「私らしく」あるのか? 人を裏切っていないのか?
人間関係を壊したくない。失いたくない。死にたくない。
私が「働きたくない」と思った理由の中に、今はまだ説明のつかない性別違和も含まれていたのだろうか。私が私として扱われない、だから一人になりたかったのだろうか。
けれど私には、一人になるという簡単そうなことさえできなかった。みんながちゃんとできていること、当たり前だと言うようなことに怯え続け、憎み続け。生きるのが下手すぎた。
働けば人間関係がある。男性も女性もいる。人を拒絶すれば上手く生きていくことはできない。人を受け入れつつ生きていかねばならない。そして自分は女であり、女として社会と関わることになる。
Aでもない、Bでもない、Cでもない、何者でもないものになるという選択肢は存在せず、私は今日も何かを選ぶ。逃げでも、積極性でも、100%の自分の意思なんてものは埋もれて消え去り、実現不可なのかもしれない。何かを目標にしようにも、どこへ行きたいのかさえ分からない。
一人は嫌だ。寂しい。
一緒にいてもらいたい。幸せだ。
満たされるのならば、選んだものが何であってもいいのか?
目的、手段……。
何から逃げよう。どこへ行こう。
取り返しがつく? つかない? もし次の選択があるならばどうしよう。
女だけれど女じゃなくなりたいのか、女の機能を使う気はなくても女であるのか、女でも男でもないのか。
結局性別云々ではなく人間を、いや、生物をやめたいと願うのか。
もし来世があるならば、来世も……?
性別への違和感? 命への違和感? 地球への違和感? 何? どこ?
出所がハッキリしない、どうしたら良いか分からない、何も選びたくない、逃げたい、そんなことばかり。
ところが何もかもから逃げたいどころか、あれもこれも握りしめて離せなくなってしまった。
女であることに怯えた自分、恋に落ちたことに恐れおののいて逃げ腰になっている自分がいる。
が、別の自分もいる。
異性を脅威だと思っていたときはあんまり表に出せなかったが、異性の心や体に興味がある。女と男の違いって何だろうとか。けっこう感覚的に一緒の部分もあるんだなとか。それは男・女というより、個性・個人差なのかもしれないけど……。
好きな人の性器を触らせてもらえるのが嬉しい。などと言うと変態っぽいが、動物と触れ合うのと似た喜びがあるのだと思う。生で触らせてもらうのは、やはりイメージや想像とはちょっと違って、新鮮だ。しかも彼の反応が可愛いもので、ありがたい。
男性に魅力を感じる。
なんだ、それなら私、普通に女じゃないか。まだこちらの快感は未開発(?)だが、そのうち感じるようにもなるかもしれない。
「子どもは欲しくないけれどセックスがしたい」、それって今時、普通なのでは。「子どもが欲しい」は口に出しやすい、口に出してもセクハラにならないから目につきやすいだけで、「子どもは欲しくないけれどセックスがしたい」人などごまんといるのでは。「子どもが欲しい」こそ正しくて、「子どもは欲しくないけれどセックスがしたい」が罪のように感じるから、言いづらいだけでは。
ずっとコミュニケーションが苦手で、友達もあまりできなかった私が、異性……それも上司の人と、ここまでの距離感になれるとは。驚きである。
うちの職場は自由に交流できる雰囲気である。とはいえ、私にとってまだまだ「上司」というのは、怖いとか逆らえないとか、仲良くなる対象ではないという「イメージ」があったのだろう。
また、憧れても手が届かない、雲の上の存在だとも思っていた。ゲームの世界で、話には出てくるけれど手には入れられない、伝説のアイテムみたいな?
けれどそれも勝手な思い込みであった。
……いや、どうなんだろう。私はまだ、捉え違いというか思い込みというか……何か間違えているのか?
まぁ、自分の心も整理がつかず、世界や彼のことも、自分の思い込みで見ているかもしれない。このような状態で関係が続いているのが地味に不思議だが、一緒にいると楽しい。不安もあるけど幸せ。
自分のことさえ正確に捉えられていないから、矛盾が多かったり、一貫性がなかったり、不本意だとか想定外だとか感じやすく、地味にパニックになるのだと思う。そしてさっきは納得して喜んでいたくせに急に不安になって、「本当は私は嫌だった」などと責任転嫁しかねない。
私は今のキャラ(?)を続けられるのだろうか。どうなりたいのだろう。「別れよう」とか「結婚しよう」とか言われたらどう思う? 嬉しい? ホッとする? 焦る?
ちゃんと覚悟できているの? 「恋愛」「付き合う」の意味分かってる?
やはりどうなるか分からない。
私はある意味めちゃくちゃ気にしている。性犯罪によって男性に怯え、自分の意志に関わらず妊娠しかねない、非力な女であることに恐怖した。男性にも女性にも嫌悪したかもしれない。
男か、女か、そんなことがすべてではないと言っても、無意識でも、常識・感覚・システムの中に男とか女とかいう概念や事実がこびりついている。ジェンダーレスだジェンダーフリーだと言ったって、結局女は中出しされれば妊娠するのだから、私の心がどうだのこうだの言ったって、女であるなら気をつけ続けなければいけない。そして意見を語らなければ、心なんてものはパッと見、目に見えない。
結婚しただの恋したいだの、そんな言葉にばかり反応してしまう。みんなはちゃんとやっているのに、私ときたら。
人それぞれ。私と同じ人もいる、はず。けれどみんなの意見や感覚を聞くと、やはり自分はどこか違うのだと思う。
寂しい。心細い。悲しい。一周回ってか、怒りが沸く。責任転嫁する。責められているように感じる。
少子高齢化対策だって? 世界にある核爆弾の数は1万発以上だって。おかしいだろ、こんな世界。一生懸命働いて、身を削って子どもを育てても、子どもは地球の汚染だか第三次世界大戦だかで死ぬかもしれない。こんな狂った世界で、自分を押し殺してまで役目を果たそうなんて思わない。
私は子どもを産みたくもないし育てたくもない、だからその元となる恋を避けようとした。けれど避けきれなかった。こうなることを恐れて、働かずに引きこもりたかったのかもしれない。
昔から。性別に関わらず。私は何もかもから逃げたかったのかもしれない。
……いや、自ら積極的に行動して、けれど飽きて失敗したことも多かったから(生き物を育てようとしたけれどお世話ができず死なせた、絵の通信教育を受けたけれどあんまり活用できないまま結構な金額を支払った)、ますます逃げ癖がついたのかもしれないけど。
「AかBか?」と問われても、AもBも嫌。人生、そんなことは多い。
昔、女である自分に不安を覚え、「男だったら良かったのに」と、漠然と「男になりたい」ように思ったけれど。それは「人間が嫌だから鳥になりたい」などと、野生の過酷な現実を知らないまま言うようなもので、結局男であっても大変なのだろう。
合っているかどうか分からないが、男性は動物的本能が強そうだ。性欲、出世欲(動物にも順位とかあるよね)、縄張り意識。そして強くあらねばならないというプレッシャー。
女であることが嫌で男になったとしても、自分の本能に振り回されるかもしれない。なら似たようなものだ。
何を選んでも逃げられない。「Aが嫌だからB」なんて、そんな動機じゃ上手くいかない。
高校卒業後、就職を選んだ。働くことは怖かったけれど、同年代の性欲満々の男子も怖かったし、働くことから逃げて大学に行ったって、いつかは働かねばならないときがくるから。ズルズル逃げ回るより、働こうと思ったのだ。
けれど結局上手く働けず、働くことが嫌になった。しかし大学に行っていたって、「働きたくない」思いからは逃れられなかっただろう。
生きるのが嫌だから死にたい。でも苦しいのが怖いからやっぱり死にたくない。
自殺が怖くて生き続けても、結局苦しい最期を迎えるかもしれないという、死の恐怖からは逃れられない。生きている限り死の恐怖から逃れられない。
働きたくないと思っても、遅かれ早かれ働かなくてはならない、進路に怯えたあの頃とどこか似ている。
Aか、Bか。「自分はAでもBでもない、Cだ」と主張するか。
でも新たな「C」になるには強い意思が必要。
「私は女であることが嫌。男も大変そう。つまり私は男でも女でもない」と思ったとしても。それは逃げであって、選択とか意思とか個性とか、なんかそういうのと違う気がする。
子どもを産みたい、好きな男に抱かれたい、何か女っぽい欲求の一つや二つないと、女であるとは言えないのか。
けれど自分探しなどしたところで、女である自分の肉体と人生から逃れられない。
今はなんだかんだ言って、職場の人が好き。作業が好き。
けれどどうだろう、働くことが好きなのだろうか。複雑な気持ちで、よく分からない。
大金を手にしたら、仕事をやめるのか? 仕事を続けて、みんなに会いたいのか? 好きな人たちだって、仕事を辞めていなくなるかもしれないけど? どうだろう。
働けばみんな優しくしてくれる。優しくしてくれるみんなと、優しくしてもらえる自分。今の状況が好き。
怠け、働かず、ワガママを言い続ければ嫌われる。クビになる。生きていけない。
だから働くしかない。誰に強制されたわけでもない、でも他の選択肢が見つからないなら、「働くしかない」のだ。
もし私が、セックスをするのは別に好きじゃないけど、人恋しくて寂しくて、「恋愛」という概念を利用しているのだとしたら。セックスに積極的に応じることで男性の心を繋ぎ止めようとする、依存的な心境だったとしたら。それは女らしいのだろうか。
子を産みたいか、抱かれたいか、そこだけじゃない「女らしさ」があって、私がそこに該当するならば、私は女であると言えるのか。ある種の女っぽいのか。
けれど「女はすぐ泣く」「女はよく喋る」とか、そういうイメージは人間の後付けであって、本来性別というのはオス・メスのことであるはず。
「産まずして何が女性か」とか言われたら人生が嫌になるけれど。「産みたい」のがメスであり女だとしたら。私は女ではない。女である自分が嫌だ。
かといって男になりたいわけでもない。「私は男でも女でもない」と声高に主張する気もない。発信できるようなものを何も持っていないし、そのような論争に人生を捧げる気もない。
何を叫んだところで、行動を起こさぬ限り、私の体は女だ。手術する勇気もないし、手術のためにお金を稼いで注ぎ込もうという情熱もない。
男とか女とか、そのどちらでもあるとかないとか、性別って一体何なんだ。生まれるとき勝手にどちらかになって、その概念から外れるにも細かな決まりがあるようで。
私は女であることが怖いだけで、今はもう不愉快でたまらないというほどではなく、女として性的に見られることへの恐怖も若干薄れた。ある程度女として振る舞い、女として扱われる自分を楽しんでいる。
けれど私は心底、女であることに納得しているのか?
なんて。「働かなきゃ生きていけない。みんなからも嫌われたくない」から働くのと同じように、女である自分から逃げる気力がないから、女を演じているのかもしれない。私が女であることで喜んでくれる人がいて、自分が女であることに馴染んで、警戒心を失わず、それなりに上手くやっていけるのなら。まぁ女でいいや、ということなのか。
誰からも「子どもを産め」なんて言われていない。
けれど何か、追い立てられるような不安を覚える。言い訳したくなる。自信がなくなる。
誰からもパワハラなどされていない。けれど私はなんらかのパワーに屈したのか。「社会の中で上手にやっていかないと、この先生きる道はないぞ」と。
私は心から選択した? 私は何かから逃げた? 何かに屈した?
納得しているのか? していないのか?
いいや、人は誰しも、100%の納得や幸せなんてない、だから愚痴を言うのだろう?
私は自由だ。誰からも脅されていない。何にも流されていない。
けれど「私らしく」あるのか? 人を裏切っていないのか?
人間関係を壊したくない。失いたくない。死にたくない。
私が「働きたくない」と思った理由の中に、今はまだ説明のつかない性別違和も含まれていたのだろうか。私が私として扱われない、だから一人になりたかったのだろうか。
けれど私には、一人になるという簡単そうなことさえできなかった。みんながちゃんとできていること、当たり前だと言うようなことに怯え続け、憎み続け。生きるのが下手すぎた。
働けば人間関係がある。男性も女性もいる。人を拒絶すれば上手く生きていくことはできない。人を受け入れつつ生きていかねばならない。そして自分は女であり、女として社会と関わることになる。
Aでもない、Bでもない、Cでもない、何者でもないものになるという選択肢は存在せず、私は今日も何かを選ぶ。逃げでも、積極性でも、100%の自分の意思なんてものは埋もれて消え去り、実現不可なのかもしれない。何かを目標にしようにも、どこへ行きたいのかさえ分からない。
一人は嫌だ。寂しい。
一緒にいてもらいたい。幸せだ。
満たされるのならば、選んだものが何であってもいいのか?
目的、手段……。
何から逃げよう。どこへ行こう。
取り返しがつく? つかない? もし次の選択があるならばどうしよう。
女だけれど女じゃなくなりたいのか、女の機能を使う気はなくても女であるのか、女でも男でもないのか。
結局性別云々ではなく人間を、いや、生物をやめたいと願うのか。
もし来世があるならば、来世も……?
性別への違和感? 命への違和感? 地球への違和感? 何? どこ?
出所がハッキリしない、どうしたら良いか分からない、何も選びたくない、逃げたい、そんなことばかり。
ところが何もかもから逃げたいどころか、あれもこれも握りしめて離せなくなってしまった。
女であることに怯えた自分、恋に落ちたことに恐れおののいて逃げ腰になっている自分がいる。
が、別の自分もいる。
異性を脅威だと思っていたときはあんまり表に出せなかったが、異性の心や体に興味がある。女と男の違いって何だろうとか。けっこう感覚的に一緒の部分もあるんだなとか。それは男・女というより、個性・個人差なのかもしれないけど……。
好きな人の性器を触らせてもらえるのが嬉しい。などと言うと変態っぽいが、動物と触れ合うのと似た喜びがあるのだと思う。生で触らせてもらうのは、やはりイメージや想像とはちょっと違って、新鮮だ。しかも彼の反応が可愛いもので、ありがたい。
男性に魅力を感じる。
なんだ、それなら私、普通に女じゃないか。まだこちらの快感は未開発(?)だが、そのうち感じるようにもなるかもしれない。
「子どもは欲しくないけれどセックスがしたい」、それって今時、普通なのでは。「子どもが欲しい」は口に出しやすい、口に出してもセクハラにならないから目につきやすいだけで、「子どもは欲しくないけれどセックスがしたい」人などごまんといるのでは。「子どもが欲しい」こそ正しくて、「子どもは欲しくないけれどセックスがしたい」が罪のように感じるから、言いづらいだけでは。
ずっとコミュニケーションが苦手で、友達もあまりできなかった私が、異性……それも上司の人と、ここまでの距離感になれるとは。驚きである。
うちの職場は自由に交流できる雰囲気である。とはいえ、私にとってまだまだ「上司」というのは、怖いとか逆らえないとか、仲良くなる対象ではないという「イメージ」があったのだろう。
また、憧れても手が届かない、雲の上の存在だとも思っていた。ゲームの世界で、話には出てくるけれど手には入れられない、伝説のアイテムみたいな?
けれどそれも勝手な思い込みであった。
……いや、どうなんだろう。私はまだ、捉え違いというか思い込みというか……何か間違えているのか?
まぁ、自分の心も整理がつかず、世界や彼のことも、自分の思い込みで見ているかもしれない。このような状態で関係が続いているのが地味に不思議だが、一緒にいると楽しい。不安もあるけど幸せ。
自分のことさえ正確に捉えられていないから、矛盾が多かったり、一貫性がなかったり、不本意だとか想定外だとか感じやすく、地味にパニックになるのだと思う。そしてさっきは納得して喜んでいたくせに急に不安になって、「本当は私は嫌だった」などと責任転嫁しかねない。
私は今のキャラ(?)を続けられるのだろうか。どうなりたいのだろう。「別れよう」とか「結婚しよう」とか言われたらどう思う? 嬉しい? ホッとする? 焦る?
ちゃんと覚悟できているの? 「恋愛」「付き合う」の意味分かってる?
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