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ミサンドリスト→反出生主義→微弱な希死念慮

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 思えば昔から「嫌だ」「できない」が多かった。
 自分の興味があること以外したくなかった。嫌だった。

 特に体育が苦手で、「ジャンプしろ」とか「ボールを受け止めろ」とか「逆立ちしろ」とか、全部「嫌だ、できない」とぐずった覚えがある。で、クラスメートから怒られて、「えっなんで怒られるの?」とショックを受けたり。
 今になっても分からない。できないことはできない、嫌なことは嫌、それが何故いけないのか。やりたくないことをやらされ、怒られ、踏んだり蹴ったりだ。


 あと不思議だったのが、体調不良になった途端、やたら心配され、優しくされること。
 それから、性だけは「身体は自分のものだから、嫌なことをされたら嫌だと言う」権利が認められていること。

「あれもこれもしたくない、嫌だ」は認められないのに、体調が悪かったら、しなくてOK。
「勉強したくない」「体育したくない」は認められないのに、性については「嫌なことは嫌と言う」。

「嫌」と言えることと言えないこと、やらなくても許される状況と許されない状況、何が違うの?
 障害児学級の子は多めに遊んでいていいみたいだけど。できないことが多くても許されるみたいだけど。私も遊びたいんだけど。駄目なのなんで?


 よく分からないまま大人になり、それでも「嫌だ」「できない」は大抵ダメ人間扱いである。
 勉強したくない。働きたくない。結婚できない。「できない」尽くしだと「ダメ」みたい。


 私は男女平等とか、男尊女卑とか、ジェンダーとか、そういうことにも少し関心を持ってきたけど、私の「本質」は「男女平等」といった方向性とはやや違う気がした。

(今のところ)私は「セックスしたくない」のだ。


 街中で「セックス」などと言えば非常識だ。
「非常識」だから語ってはいけない。それで有耶無耶にされている気がする。

「非常識」だから、「ヤりたい」だの「ヤりたくない」だのオープンに語れない。そういうことは、どこかプライベートな、閉ざされた空間で、恋人同士で話されているんだろう。「なぁ、いいだろう」「ダメよ」とか。知らんけど。

 街中や職場で、下ネタ以上に「性」についてなど話さない。だから情報を収集できない。
 でもそういうことに「誘う」ための儀式、手順はわりと明確にあるようだ。まずは「食事に誘う」とか。
 そして「そういうこと」が分からずノコノコついて行くと、不本意な目に遭う危険性がある。または、一緒に何度も出かけた上で告白を拒否すると、「気がないくせに弄んだ」と「非難」される。


 情報を得られないといっても、よく考えてみたら、私が情報を拾ってこなかったのかもしれない。

 私は恋バナとか恋愛ドラマに興味がない。だからそういうものを見ようとしない。そこに恋の情報があるかもしれないのに。
 また、私の好きなファンタジー映画などを見ていても、勝手に「恋」の要素が入ってくることが多いが、「また恋かよ。男と女が出会ったら、そればっかだな」と思いつつ流すばかりで、何の情報も汲み取ろうとしていなかった。「自分には関係ない」と思っていたのだ。

 だからかもしれない。「そういうこと」の予兆みたいなのが分からないのだ。
 こっちは男性と仲良くなっても、永遠に友達なものだと思っている。相手は段々と距離を詰めて、事に及ぼうとしているかもしれないのに、私はいつまでも「社会的な人付き合いの延長線上」だと思っているのだ。


 私は昔から「嫌だ」「できない」そして「分からない」ままだった。
 小学生の頃から変わっていない。「嫌だ、できない、分からない」の繰り返し。


 みんななぜ、普通にセックスをできるんだ?

 いや、そんな気軽なものじゃないかもしれないけど。すごい勇気とか嫌悪とか葛藤とか乗り越えて、覚悟して身を捧げているのかもしれないけど。それでも、なぜできるんだ?


 ドラマとか、あるいは実話でも、みんな些細なことでギャーギャー言ったり、すれ違ったりしている。
 ちっちゃい蜘蛛がいるだの。些細な一言で傷ついただの。ちょっとの汚れが気になるだの。

 そんなんで、なぜ「セックス」できるの? そんなにあれもこれも気になるのに、神経質なのに、時間を奪われたり無碍にされたりするのが嫌いなほど繊細なのに、細かいことでクヨクヨするのに。なんで「セックス」はみんなするの? 「性欲(子どもを育てたいという母性父性含む)」って、そんなに強いの?

 まぁ、性欲がそこまで強く、みんな何かに追われるようにセックスするからこそ、今日まで世界が続いているのだろうが。そうでないと人類滅亡だ。
 昔は多くの子どもが死に、また、育てられないときは口減らしした。それでも人は「セックス」し続けてきたし、世界の存続のためにはそうするしかないのだ。


 ドラマとかでも、散々すれ違ったり言い合ったりしているのに、セックスはわりとすんなりしていたり、そこの描写はショートカットされて子どもが生まれたり。
 子どもを産むのは痛いし、自分の人生に大きすぎる影響を及ぼす……多大な時間とお金がかかる……「避妊」だって完璧じゃないし、「堕ろす」となれば相当な苦痛を伴うはず……。

 なのに、なんで? 何のために?


 逆に私が「なぜ嫌なの?」とか思われるんだろうか?
 それか「社会貢献もしない非国民が!」と言われるのだろうか。

 なんで恋愛が楽しいことみたいに言われているんだろう。
 嫌だ。怖い。世界の誰にも共感できない。


 虫を見たら、殺虫剤シュー。
 男と女が出会ったら、セックス。
 なんでそんなに簡単に命を扱えるの?

「セックスしたくない女」は人生で、どう振る舞えばいいんだろう。
 どう生きたらいいの?


 こないだ道で、男性に話しかけられた。反射的に笑顔で話した。
 こんなふうに人と話せるようになるまでに、だいぶ時間がかかった。ずっとコミュニケーションが苦手だった。改善すべきだと思い、頑張った。
 成長したと思った、のに。

 男性に笑顔で接しまくっていたら、「気がある」と思わせる、または接点ができる?
 なら女性にだけ笑顔で、男性には眉間にしわ寄せて対応すればいい? 差別じゃない?
 で、見た目が男性でも、心が女性だったら? その逆は?

 そう思うと、誰にでも無愛想にした方が「セックスしよう」という流れにならないのか。
 コミュニケーションがずっと苦手で、やっと喋れるようになったのに、最初の状態に逆戻りか。
 コミュニケーションを取るための努力は何だったの? 無駄だったの?


「セックスしたくない」は表で言えないのだ。
「セックスしたい」にせよ「したくない」にせよ、そんなこと大声で主張できないのだ。

 それに「セクハラ」は認めてもらえても、「そもそもセックスしたくない」はあまり認めてもらえない気がする。
「セックスしたくない」を認めたら。そういう人が声を上げ始めるだろう。「セックスしたくない人」に名前が付くだろう。またはアセクシュアル・アロマンティックがもっと大きく取り上げられ、広まるだろう。

 セックスしなくていい空気づくりが広まったら、何らかの理由により「嫌でもセックスしなきゃいけない」という強迫観念に追われていた人たちが、「セックスしなくてもいいんだ」と解放されるだろう。そしたら、「セックスしない」ことを選ぶ人が増えていくだろう。

 そうすればどうなる? ますます滅びに向かう。


 だから、世間は認めてくれないと思う。もっともっとセックスするようにと、婚活だの恋愛だの、煽ってくるだろう。出産適齢期を延ばすための技術みたいなのを考え始めるかもしれない。
 とにかく「出産」は増やすべきであり減らすべきではない、その空気を壊さないように努めるだろう。

 世界は操作されている。


 多数派は「恋」をしようとサインを出す。
 それに気づかない我々が乗っかり、不本意なことをされ、怯える。

 無理だ。逃げ場のない密室で、もしかしたら乱暴なことをされるかもしれないのに、身を晒すなど。そしてそういう流れに、じわじわと持ち込まれるのに耐えるなど。何をどう考えても緊張と恐怖しかない。


 なんでだ? なんでこんな世界なのに、おかしいのが、悪いのがこっちなんだ?
 それでみんな、この世界を続けたいと思うから子どもを産むのか? それ以外に理由があるのか?
 愛も恋も全部性欲の仕業だと思うんだけど、そうじゃないことになっているのか? そうだと知っていて受け入れるのか? あるいは気づいていないのか?

 このしんどさ、悲しさをなんと呼ぶ? どれくらいの人数が感じている?
 同性だったら生涯の友になれたかもしれないのに。「恋愛対象か、そうでないか」しかないのか?


「生まれない方が良かった、産まない方がいい、人類は滅びた方がいい」
 このような考えを「反出生主義」と呼ぶらしい。

 私は反出生主義に向かうかもしれない。
「高齢者は集団自決……」「出生前検査……」などと言われるならば。


 けれど、他の人が「私は幸せなのに、なんで反出生主義に人生や世界を潰されなきゃならないんだ」と怒り、怯えるのなら。

 分かっている。私一人が死ねばいい話だ。「他人」や「世界」を巻き込む必要ない。


 そして、私はまだ、自殺するほど追い込まれていない。
 あと何年かすれば、女として見向きもされなくなるだろう。それに創作で稼げるようになるかもしれない。まだ諦めるには早い。

 若く美しいうちは求められ、年を取ると魅力が劣るという扱いを見ていても。また、求められても求められなくても。いずれにせよ、尊厳が無視されがちなところを見ると、世界に「愛」など存在しないと感じる。

 肉体の美しさや年齢によって左右されるものが「愛」なはずがない。「子どもは可愛くて、おじさんやおばさんはキモい」という空気がどことなく漂い続けるならば、世界など息苦しくてつまらない。
 子どもはみんな大人になり老人になるし、老人も大人も、みんな愛しい子どもだったのに。


 美味しいものを食べて、出かけて、眠って。私はそういうことで幸せになれるし、「創作で生きていけるかも」という淡い夢と希望、そして仕事や、その人間関係に救われている。
 このバランスが崩れないならば、または夢への道が開けるなら、まだやっていける。ちなみに頑張る気はなく、ゆるゆると生きていきたい。

 そのような甘っちょろい寝言が通用しないほど追い込まれたときが、私の死ぬときかもしれない。そして、そのとき私を追い詰めるものは、性とは関係ないかもしれない。


 ただ、自分の辛さばかり語っているが、自分の「辛さ」や「正義」や「意見」のアピールが誰かを追い込むかもしれないことを覚えておかないと。私が自殺することよりも、他の人の心に傷を負わせ、他の人を自殺に追い込んでしまう危険性の方が高いと思う。「男なんて最低」「子どもは産むべきではない」なんて主張をしたら、心が傷ついた男性や母親を、自殺に向かわせてしまうかもしれない。そうなれば私は殺人犯だ。

 私は「気持ちの整理」のために「吐き出し」ているが。これがそれほど罪深いことであるとは感じていない。もしかしたら気づいていないだけか。
 私が文章を書くことで、誰かの気持ちが楽になっているのか? いいや、逆にショックを与え、心の病気にさせてしまう危険性だけが大きいのではないか?


 口を慎むべきなのか。
 でも、じゃあ、どう考え、何を言うべきなのか? 黙っているべきなのか?

 いじめや犯罪をする人も、心に傷を負い、負のループに陥っているかもしれない。

「滅び」以外に、すべての人が救われる方法はないのか。
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