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「食うものと食われるもの」動物ストーリーに見る男女の関係性
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食うものと食われるもののストーリーが好きだ。「あらしのよるに」「BEASTARS」「ズートピア」など。
ズートピアはディズニーなので、あんまり生々しい表現はないけれど……。「あらしのよるに」はお子様向けストーリーにしてはけっこう残酷。
「あらしのよるに」は恋愛ストーリー、「BEASTARS」は男と女の世界……というふうに変換して読む人もいるらしい。
私は人間臭い恋だのなんだのの話が苦手で、ただの恋愛マンガや恋愛ドラマ、恋愛映画なんかは基本見なかった。動物が出てくるファンタジー、人間が主人公だけどどこか現実離れしたストーリー、めちゃくちゃ面白いコメディとかが見たいだけ。別に作品に恋愛要素はいらないけど、創作ストーリーには必ずといっていいほど恋愛要素が入ってくるので、まぁしょうがないかと思いながら見ていた。人も獣だし。
しかし「あらしのよるに」は元が絵本だし、子ども向けの動物ファンタジーなのだから、比喩でも何でも「男と女」などというドロドロしたものに変換してほしくなかった。ファンタジー、動物、友情、それで良いじゃん。恋愛などというエロいものは、絵本の世界に似合わない。だから「動物の友情」であってほしかった。
しかし私はつい最近になって唐突に、自分が女であることを自覚した。今までずっと、女である自分が嫌で逃げてきたのに。男になりたかったのに。性的な意味ではなく、男の強さが欲しかった。
子どもを産む女の機能、出されたら妊娠してしまうという造りに嫌悪してきた。こんなブサイクなのに、友達だと思っていた男性から二度も性的な存在として見られた。その自分が汚らしく、弱く感じられ、嫌だったのだろう。
抗えない力の差。人を信頼することができない自分への憤り。私はただ、たくさんの人と仲良くなりたかっただけだろうに。性別が邪魔をしてきた。考え方が甘かったのか。
そんな感情を持ち、ちょっと作品の見方が変わってきた。相変わらず恋愛には縁がないが、恋愛要素がそこまで嫌じゃなくなってきた。一時期は不快で不快でしょうがなかったのに。
「あらしのよるに」は一見ただの友情ものだが、BEASTARSには紛れもなく恋愛の要素があった。それを主人公をオオカミの獣人、相手をウサギとして描いている。
恋愛の仕方は知らないが、BEASTARSの世界の肉食獣を男、草食獣を女として見ると、たしかに何かとしっくりくる。色んなことを彷彿とさせる。
以前ネットで、「女が大嫌いだけど性欲は強くて困る」という男性の意見を見て、ショックであると同時に意味が分からなかった。女が嫌いなのに女をどうこうしたいというのは、「虫は嫌いだけどゴキブリを飼いたい」と言われるくらいに謎だった。
しかしようやく腑に落ちてきた。性欲と愛情は混同されがちだが別物であり、人は性欲と向き合わねばならない。だから優しい人は相手を大事にしつつ欲望を満たそうとするし、そうでない人は欲望を満たせさえすれば、あとは相手を殺すなり乱暴に扱うなり、どうとでもできるのだと。そして、女性が男性の性欲に対し嫌悪感を示すことも多く、常に女性から嫌悪感を示され本能を抑えつけられた男性の中には、女性を憎む気持ちが多かれ少なかれある、と。
そう考えると、「あらしのよるに」も「BEASTARS」も「ズートピア」も、非常にしっくりくる。
「あらしのよるに」では、お互いの正体を知らないまま話し込んだオオカミとヤギが意気投合し、また会う約束をしてしまう。そして再び会ったとき、お互いの正体を知った二匹はビックリするが、オオカミはヤギを食べることなく、友情を深めてゆく。
「あらしのよるに」小説版で、相手がオオカミであることを知ったヤギは走馬灯のように思いを巡らせ、「私の体の肉が目当てだったりして」「まさかオオカミの仲間のところへ連れて行って、私を山分けするとか?」と、オオカミを疑う。
オオカミはオオカミで、成り行きから仲良くなったとはいえ、相手を食べてしまいたい欲望は持っている。ヤギが不意に隙を見せると、襲いたくなる。それをどうにか我慢してゆく。「友達になったのだから」と。
そしてだいぶ二匹が仲良くなった頃に、急にヤギが「あなたは何匹も動物を殺しているんですよね」と、オオカミに嫌悪感を見せる。そんなの、正体を知ったときからオオカミがオオカミだということは承知しているはずだが、なぜ急にその事実を持ち出すのか。当然、オオカミはイラつく。
元が絵本である動物ファンタジーにしては、たしかに表現がちょっとエロっぽい。
女は男の凶暴性に疑心暗鬼になり、男は精一杯凶暴性を抑えて女に優しくする。それが今日の世界の在り方ということか……? 女性は男性の凶暴性を理解しがたいのかもしれない。
「あらしのよるに」絵本版では中性的らしいヤギ。映画版では男の子で、オオカミも男なのだけれど、主題歌がaikoさんの「スター」だ。
歌詞の一人称は「あたし」だし、歌詞も恋愛っぽい。もっと言うならなんかエロい。動物同士、そして男の子同士の純粋な友情の物語(元が絵本なのだから子ども向けだろう)だというのに、主題歌がなぜこんなに艶めかしいのか? と思わなくもなかった。これが比喩的な恋愛ストーリーであるというなら、主題歌が色っぽいのも納得だ。
BEASTARSでは最初に、草食獣が肉食獣に食い殺されるという、衝撃的なシーンから始まる。草食獣は追い詰められ怯えるが、最期に相手に「下等なのはそっちの方だぞ。お前ら肉食獣なんてみんな怪物だ」と言い放って殺される。
下等とは?
肉食獣が草食獣に下等だと言ったシーンはない。が、肉食獣を男、草食獣を女とするならば、このセリフもなるほど、深いのではないか。
「男尊女卑」的な空気を、女は昔から感じてきた。男はどこか女を見下している。
その理由は、女である私にはよく分からない。男同士で共有している、何らかの概念があるらしい。セックスをすると男には「制服感」があるらしいが、そういうことと関係があるのか。
もし女がウンコならば、女から産まれた男だってウンコだろうが……。
とにかく男は女を下等と見ている、女自身もどこか自分たちが下等(食われる側)であると諦めてしまっている。だから草食獣が最期に「下等なのはそっちの方だぞ」と言い返した。
女が男(の性欲や凶暴性)を下等と見る、これもよくある概念だろう。「男ってやつは」などと使われる。ターミネーター2のサラ・コナーのセリフ「本当に何かを作るというのは命を育てる事。それができるのは女だけ。男が作り出してきたのは死と破壊だけじゃない!」にも表れているように、男は女の非力さを見下し、女は男の凶暴性を見下しているのかもしれない。
BEASTARSでは肉食獣が草食獣に「お前らはいつもそうだよ、被害者ヅラして裏でヤバいこと考えてるんだろ!」みたいなことも言っていたが、これも女性が男性をいつも猛獣のように言っていることに対する、男性の苛立ちかもしれない。
現代では「男が女を集団暴行して殺す」みたいなことは減っているだろうが、女からすると男の凶暴性は紛れもない事実。ニュースなどで見る人殺し、セクハラの多くは男性によるもので、女が男を殺すのは少数だろう。不意打ちでもなく正面からなら、女は男を殺せないのでは。
しかし男性の凶暴性を話題として持ち出すと、男性は認めたがらず「男性差別だ」「男性の方が凶暴だという根拠を言ってみろ」「大体女というのは男より劣っている」などと言う、みたいなことがヤフー知恵袋に書いてあった。
たしかに、男は女を憎んでいるというか敵視しているというか、そういう節があるのは感じる。私が性犯罪に遭った怒りを漏らしたときに、大人の男たちが「中学生にもなれば分かるだろ。隙のある女が悪い」と言ったこと。あれは男性全体が多かれ少なかれ持つ思いではないか。「鍵をかけずに自転車を盗まれたお前が悪い」「泥棒がいるのは当たり前だろ、俺たちのせいじゃねぇよ」みたいな。
私はそのことを引きずり、何度も話に出しているが、誰かに「そうだよね、男が悪いよね」と言われたような覚えはない。性犯罪について言われると、おそらく男性はムッとして、優しい答え方としても「世の中色んな人がいるからね」と、他人事のような返しになるのではないか。
憎しみじゃなくても、「女は男を愛するもの」と信じて疑わない男性もいるような。疑わないというか、押し通すというか。「メスはオスを求めずにいられないものだ」みたいな?
「あらしのよるに」で、相手がオオカミであることをとうの昔に受け入れていたはずのヤギが、急に「肉を食べないと生きていけないあなたが嫌だ」みたいな感じで不機嫌になる。これは「ふとしたことで、急に男性への嫌悪感が募る」描写ではないか。
オオカミからすると、ヤギが急にヒステリー(作中ではそんなに荒ぶれていないが、現実だと女性のヒステリーにあたるのでは)を起こしたように見える。
女はヒステリックであると言われるが、女である私は、そこまで女性のヒステリーを見たことがない。陰口、いじめ、陰湿なのはよく見たけれど、陰湿な人は叫ぶよりも「隠す」ような気がする。
もしも男性が女性のヒステリーを目撃しやすいとしたら、それは男性への恐怖心からくる態度では?
ちなみにヤギに否定的な言葉をかけられたオオカミの対応は。もしもDVっぽいマジギレの返しをするならば、「何だと、こっちが我慢して優しくしてりゃ、調子に乗って生意気な口をききやがって。自分の立場を分かっているのか。こっちはお前なんていつだって、どうとでもできるんだぞ」となりそうだが、「アンタを食べずにいるのに」と冷静に返す。喧嘩しても、やはり強い方がこらえている。
BEASTARSの世界でも、一見肉食獣は草食獣に優しい。両者の力や性質の差を分かっており、「肉食獣は草食獣に優しくせざるを得ない」社会構造になっていると言える。手を出したら社会的に終わりなのだ。
肉食獣が草食獣に対して理解を示し、「草食獣が群れるのもきっと身を守るための本能なのよ。私たち肉食獣は理解してあげなきゃ!」とか「ニコニコ笑って優しく接していれば距離は保てるのに、なぜいつまで経っても肉食獣は草食獣に対して冷静になれないの」と言っているシーンがあったように思う。また、肉食獣が草食獣を襲うのは、誰にも見られておらず二人きりのところが多いようだ。
たしかに性犯罪とかでも、多くは公衆トイレとか、関係者以外入ってこない部屋だとか、人気のない夜の道だとか、人目につかないところで行われることが多そうだ。人通りの多い公共施設や道のど真ん中で、男が女を襲っている場面なんて見たことがない。そんなことしたら現行犯逮捕だ(いやでも、痴漢とか暴れる奴は駅によくいるか)。
表向きはそんなにヤバい人はいなさそうな現代社会だが、水面下では「家族による子どもへの性的虐待」なども多いと言われているとか。そういう「表と裏」というものを、BEASTARSでは巧みに描いている。
私たち現実の女も「男は力が強く、女は弱いのだから手加減すべき」と思っているが、たまにそう思っていない男性がいるようで不安になる。
「肉食獣と草食獣」この解釈がどれだけ、現実の男女の関係に当てはまるのかは分からない。が、赤ずきんなどでもたしか、「女の子は気を抜くとオオカミに食べられる」という話だったような。
実際、何がどうなっているのか。「性的なこと」は表では隠されまくって、鈍い私には分からない。が、分からないとも言っていられない。
世界が私の思った以上に性欲で溢れているとしたら、切ないなぁ。
謎めいた闇は続く。
ズートピアはディズニーなので、あんまり生々しい表現はないけれど……。「あらしのよるに」はお子様向けストーリーにしてはけっこう残酷。
「あらしのよるに」は恋愛ストーリー、「BEASTARS」は男と女の世界……というふうに変換して読む人もいるらしい。
私は人間臭い恋だのなんだのの話が苦手で、ただの恋愛マンガや恋愛ドラマ、恋愛映画なんかは基本見なかった。動物が出てくるファンタジー、人間が主人公だけどどこか現実離れしたストーリー、めちゃくちゃ面白いコメディとかが見たいだけ。別に作品に恋愛要素はいらないけど、創作ストーリーには必ずといっていいほど恋愛要素が入ってくるので、まぁしょうがないかと思いながら見ていた。人も獣だし。
しかし「あらしのよるに」は元が絵本だし、子ども向けの動物ファンタジーなのだから、比喩でも何でも「男と女」などというドロドロしたものに変換してほしくなかった。ファンタジー、動物、友情、それで良いじゃん。恋愛などというエロいものは、絵本の世界に似合わない。だから「動物の友情」であってほしかった。
しかし私はつい最近になって唐突に、自分が女であることを自覚した。今までずっと、女である自分が嫌で逃げてきたのに。男になりたかったのに。性的な意味ではなく、男の強さが欲しかった。
子どもを産む女の機能、出されたら妊娠してしまうという造りに嫌悪してきた。こんなブサイクなのに、友達だと思っていた男性から二度も性的な存在として見られた。その自分が汚らしく、弱く感じられ、嫌だったのだろう。
抗えない力の差。人を信頼することができない自分への憤り。私はただ、たくさんの人と仲良くなりたかっただけだろうに。性別が邪魔をしてきた。考え方が甘かったのか。
そんな感情を持ち、ちょっと作品の見方が変わってきた。相変わらず恋愛には縁がないが、恋愛要素がそこまで嫌じゃなくなってきた。一時期は不快で不快でしょうがなかったのに。
「あらしのよるに」は一見ただの友情ものだが、BEASTARSには紛れもなく恋愛の要素があった。それを主人公をオオカミの獣人、相手をウサギとして描いている。
恋愛の仕方は知らないが、BEASTARSの世界の肉食獣を男、草食獣を女として見ると、たしかに何かとしっくりくる。色んなことを彷彿とさせる。
以前ネットで、「女が大嫌いだけど性欲は強くて困る」という男性の意見を見て、ショックであると同時に意味が分からなかった。女が嫌いなのに女をどうこうしたいというのは、「虫は嫌いだけどゴキブリを飼いたい」と言われるくらいに謎だった。
しかしようやく腑に落ちてきた。性欲と愛情は混同されがちだが別物であり、人は性欲と向き合わねばならない。だから優しい人は相手を大事にしつつ欲望を満たそうとするし、そうでない人は欲望を満たせさえすれば、あとは相手を殺すなり乱暴に扱うなり、どうとでもできるのだと。そして、女性が男性の性欲に対し嫌悪感を示すことも多く、常に女性から嫌悪感を示され本能を抑えつけられた男性の中には、女性を憎む気持ちが多かれ少なかれある、と。
そう考えると、「あらしのよるに」も「BEASTARS」も「ズートピア」も、非常にしっくりくる。
「あらしのよるに」では、お互いの正体を知らないまま話し込んだオオカミとヤギが意気投合し、また会う約束をしてしまう。そして再び会ったとき、お互いの正体を知った二匹はビックリするが、オオカミはヤギを食べることなく、友情を深めてゆく。
「あらしのよるに」小説版で、相手がオオカミであることを知ったヤギは走馬灯のように思いを巡らせ、「私の体の肉が目当てだったりして」「まさかオオカミの仲間のところへ連れて行って、私を山分けするとか?」と、オオカミを疑う。
オオカミはオオカミで、成り行きから仲良くなったとはいえ、相手を食べてしまいたい欲望は持っている。ヤギが不意に隙を見せると、襲いたくなる。それをどうにか我慢してゆく。「友達になったのだから」と。
そしてだいぶ二匹が仲良くなった頃に、急にヤギが「あなたは何匹も動物を殺しているんですよね」と、オオカミに嫌悪感を見せる。そんなの、正体を知ったときからオオカミがオオカミだということは承知しているはずだが、なぜ急にその事実を持ち出すのか。当然、オオカミはイラつく。
元が絵本である動物ファンタジーにしては、たしかに表現がちょっとエロっぽい。
女は男の凶暴性に疑心暗鬼になり、男は精一杯凶暴性を抑えて女に優しくする。それが今日の世界の在り方ということか……? 女性は男性の凶暴性を理解しがたいのかもしれない。
「あらしのよるに」絵本版では中性的らしいヤギ。映画版では男の子で、オオカミも男なのだけれど、主題歌がaikoさんの「スター」だ。
歌詞の一人称は「あたし」だし、歌詞も恋愛っぽい。もっと言うならなんかエロい。動物同士、そして男の子同士の純粋な友情の物語(元が絵本なのだから子ども向けだろう)だというのに、主題歌がなぜこんなに艶めかしいのか? と思わなくもなかった。これが比喩的な恋愛ストーリーであるというなら、主題歌が色っぽいのも納得だ。
BEASTARSでは最初に、草食獣が肉食獣に食い殺されるという、衝撃的なシーンから始まる。草食獣は追い詰められ怯えるが、最期に相手に「下等なのはそっちの方だぞ。お前ら肉食獣なんてみんな怪物だ」と言い放って殺される。
下等とは?
肉食獣が草食獣に下等だと言ったシーンはない。が、肉食獣を男、草食獣を女とするならば、このセリフもなるほど、深いのではないか。
「男尊女卑」的な空気を、女は昔から感じてきた。男はどこか女を見下している。
その理由は、女である私にはよく分からない。男同士で共有している、何らかの概念があるらしい。セックスをすると男には「制服感」があるらしいが、そういうことと関係があるのか。
もし女がウンコならば、女から産まれた男だってウンコだろうが……。
とにかく男は女を下等と見ている、女自身もどこか自分たちが下等(食われる側)であると諦めてしまっている。だから草食獣が最期に「下等なのはそっちの方だぞ」と言い返した。
女が男(の性欲や凶暴性)を下等と見る、これもよくある概念だろう。「男ってやつは」などと使われる。ターミネーター2のサラ・コナーのセリフ「本当に何かを作るというのは命を育てる事。それができるのは女だけ。男が作り出してきたのは死と破壊だけじゃない!」にも表れているように、男は女の非力さを見下し、女は男の凶暴性を見下しているのかもしれない。
BEASTARSでは肉食獣が草食獣に「お前らはいつもそうだよ、被害者ヅラして裏でヤバいこと考えてるんだろ!」みたいなことも言っていたが、これも女性が男性をいつも猛獣のように言っていることに対する、男性の苛立ちかもしれない。
現代では「男が女を集団暴行して殺す」みたいなことは減っているだろうが、女からすると男の凶暴性は紛れもない事実。ニュースなどで見る人殺し、セクハラの多くは男性によるもので、女が男を殺すのは少数だろう。不意打ちでもなく正面からなら、女は男を殺せないのでは。
しかし男性の凶暴性を話題として持ち出すと、男性は認めたがらず「男性差別だ」「男性の方が凶暴だという根拠を言ってみろ」「大体女というのは男より劣っている」などと言う、みたいなことがヤフー知恵袋に書いてあった。
たしかに、男は女を憎んでいるというか敵視しているというか、そういう節があるのは感じる。私が性犯罪に遭った怒りを漏らしたときに、大人の男たちが「中学生にもなれば分かるだろ。隙のある女が悪い」と言ったこと。あれは男性全体が多かれ少なかれ持つ思いではないか。「鍵をかけずに自転車を盗まれたお前が悪い」「泥棒がいるのは当たり前だろ、俺たちのせいじゃねぇよ」みたいな。
私はそのことを引きずり、何度も話に出しているが、誰かに「そうだよね、男が悪いよね」と言われたような覚えはない。性犯罪について言われると、おそらく男性はムッとして、優しい答え方としても「世の中色んな人がいるからね」と、他人事のような返しになるのではないか。
憎しみじゃなくても、「女は男を愛するもの」と信じて疑わない男性もいるような。疑わないというか、押し通すというか。「メスはオスを求めずにいられないものだ」みたいな?
「あらしのよるに」で、相手がオオカミであることをとうの昔に受け入れていたはずのヤギが、急に「肉を食べないと生きていけないあなたが嫌だ」みたいな感じで不機嫌になる。これは「ふとしたことで、急に男性への嫌悪感が募る」描写ではないか。
オオカミからすると、ヤギが急にヒステリー(作中ではそんなに荒ぶれていないが、現実だと女性のヒステリーにあたるのでは)を起こしたように見える。
女はヒステリックであると言われるが、女である私は、そこまで女性のヒステリーを見たことがない。陰口、いじめ、陰湿なのはよく見たけれど、陰湿な人は叫ぶよりも「隠す」ような気がする。
もしも男性が女性のヒステリーを目撃しやすいとしたら、それは男性への恐怖心からくる態度では?
ちなみにヤギに否定的な言葉をかけられたオオカミの対応は。もしもDVっぽいマジギレの返しをするならば、「何だと、こっちが我慢して優しくしてりゃ、調子に乗って生意気な口をききやがって。自分の立場を分かっているのか。こっちはお前なんていつだって、どうとでもできるんだぞ」となりそうだが、「アンタを食べずにいるのに」と冷静に返す。喧嘩しても、やはり強い方がこらえている。
BEASTARSの世界でも、一見肉食獣は草食獣に優しい。両者の力や性質の差を分かっており、「肉食獣は草食獣に優しくせざるを得ない」社会構造になっていると言える。手を出したら社会的に終わりなのだ。
肉食獣が草食獣に対して理解を示し、「草食獣が群れるのもきっと身を守るための本能なのよ。私たち肉食獣は理解してあげなきゃ!」とか「ニコニコ笑って優しく接していれば距離は保てるのに、なぜいつまで経っても肉食獣は草食獣に対して冷静になれないの」と言っているシーンがあったように思う。また、肉食獣が草食獣を襲うのは、誰にも見られておらず二人きりのところが多いようだ。
たしかに性犯罪とかでも、多くは公衆トイレとか、関係者以外入ってこない部屋だとか、人気のない夜の道だとか、人目につかないところで行われることが多そうだ。人通りの多い公共施設や道のど真ん中で、男が女を襲っている場面なんて見たことがない。そんなことしたら現行犯逮捕だ(いやでも、痴漢とか暴れる奴は駅によくいるか)。
表向きはそんなにヤバい人はいなさそうな現代社会だが、水面下では「家族による子どもへの性的虐待」なども多いと言われているとか。そういう「表と裏」というものを、BEASTARSでは巧みに描いている。
私たち現実の女も「男は力が強く、女は弱いのだから手加減すべき」と思っているが、たまにそう思っていない男性がいるようで不安になる。
「肉食獣と草食獣」この解釈がどれだけ、現実の男女の関係に当てはまるのかは分からない。が、赤ずきんなどでもたしか、「女の子は気を抜くとオオカミに食べられる」という話だったような。
実際、何がどうなっているのか。「性的なこと」は表では隠されまくって、鈍い私には分からない。が、分からないとも言っていられない。
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