世の中色々な人がいる、ということに時々疲れる。

世の中色々な人がいる。ハッピーな時に聞いたら素敵な言葉だ。まだ見ぬ世界が広がっていて、これから色んな人に出会う可能性があるのだから。

でも色々な人がいるということは、色々考慮しないといけないわけで。善なのか悪なのか判断のつかないこともある。世界に善も悪もないけれど。
24h.ポイント 35pt
0
小説 19,926 位 / 192,063件 エッセイ・ノンフィクション 394 位 / 8,108件

あなたにおすすめの小説

ハエトリグモが部屋に3匹いる

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
眼福、眼福。 蜘蛛は苦手? 気のせいです。 写真はダイソーの接写レンズを使って撮影しました。

オオチョウバエの幼虫

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
人類の脅威や人間関係に疲れたら、逆さハートなオオチョウバエでも眺めて癒されましょう。 幼虫のエッセイですが幼虫の写真はありません。ごめんなさい。

電気の傘とハエトリグモ

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
ハエトリグモがよく電気の傘に乗っている。

昆虫や小さな生き物の写真は、100均のスマホ用接写レンズを使って撮っています(虫写真50枚つき)

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
ある日100均でスマホ用接写レンズというものを見つけ、「ふーん……」と思いながら素通りしたものの、その後昆虫撮影にハマり、スマホ用接写レンズが気になって買いに行きました。そして「こんなに撮れるの!?」とビックリ。写真上級者の方にとっては物足りないのかもしれませんが、私はこれでかなり楽しめています。ちなみに私が撮影に使っているのはスマホじゃなくタブレットです。

(偽善者のつぶやき)「命の重み」を認められるのって一部の生き物だけだよね。「残酷」って何だろう。

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
「命の大切さ」などと「命」という言葉自体は大切にされるけれど……。テレビや新聞で出てくる「命」というものは、人間やペットなど「殺さず守るべき生き物」のことだ。しかし命というのは蚊にもゴキブリにもカビにも、牛やニワトリにも、微生物にも植物にもある。「命を大切に」ということは殺菌も草むしりもしないのか? そんなことはないはず。「命」の格差というか差別というか……。同じ命なのに暗黙の了解で「大事にすべき命」と「殺されるべき命」がある。なぜ人は、限定的で差別的な概念に対して「命」という壮大な言葉を使いたがるのか。と言いつつ私も「命」という言葉を乱用している。

未熟者の私には愛情とエゴの違いが分かりません……。

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
誰かを特別に愛するということは、それ以外の者に対する差別ではないのか……。より多くの人から愛されている生き物と、みんなから嫌われている生き物と、マイナーで誰からも関心を寄せられない生き物と……。それらの生き物に対する人間の対応は全部同じでしょうか。

ネコは侵略的外来種ワースト100に入っているのに良いイメージで、他の外来種や害獣ばかり悪者・問題扱いされるのは何故?

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
良いイメージの付いている生き物と悪いイメージの生き物。同じ侵略的外来種で、どちらも生態系へ影響を与える生き物であっても、なんとなくイメージに違いがある。みんな同じ命であり、自らの本能と役割にそって一生懸命生きているだけなのに、なぜ印象に違いが出てくるんだろう?

ファミリーアニマル的なハエトリグモ

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
ハエトリグモは、体長1cmくらいの徘徊性の蜘蛛。どこからともなく家の中に入ってきて、小さな体で歩き回ります。うちでは電気の傘がハエトリグモたちに人気。ペットじゃないけどペット的癒やし、だけど突然目の前で共食いが繰り広げられたり、うっかり潰してしまってトラウマを背負ったり。考えさせられる生き物です。たまに風呂場で子蜘蛛が沸いています。外に出れば外の壁にも、仕事場に行けば仕事場にも、ハエトリグモはいます。ハエトリグモといえばアダンソンハエトリが多いらしいですが、うちではあまり見た覚えがありません。うちでよく見るのは、ミスジハエトリ、チャスジハエトリ、たまにシラヒゲハエトリ、ヨダンハエトリという感じです。

処理中です...