一人の時間が幸せ

月澄狸

文字の大きさ
上 下
1 / 1

一人の時間が幸せ

しおりを挟む
 SNSでのフォローにせよ、現実での関わりにせよ、誰かとの繋がりができるというのは、ゲームソフトを一本始めるのに似ている。

「こんなゲームがあるんだな」と思いながら見ているうちは、ゲームは始まらない。
 人でも同じ。遠くから見ているうちは、なんやかんや話す関係は始まらない。

 ゲームを始めたら、時間がかかる。レベルを上げ、ストーリーが進み、強敵との戦いがあり、衝撃の展開が待ち受ける。


 子どもの頃は「ゲームに時間がかかる」などという視点はなかった。ただ面白そうで、遊びたくてしょうがないだけ。

 人間関係も同じ。子どもの頃はただ遊びたくてしょうがない、純粋に知りたい、それだけ。
 けれど人と関わるってのは時間がかかることだ。フォロワー様が一人、二人と増え、話す人が増えていくうちに、一時間、二時間、三時間と費やしている。


 人間にはストーリーがある。イベントもある。どんどんそれらが発生する。ただし、「地球上の生物である」という、世界の「設定」からは外れられない。だから大抵人の言うことは、「美味しかった」とか「病気になった」とか、肉体があることを前提にしたものである。「不食に挑戦する」とか、「生身で水の上を歩く」とか、「空を飛ぶ」とか、そんな突拍子もないチャレンジはしにくいし、体を張って戦争を止めに行くという、マンガのようなこともできない。幽霊を可視化して存在を証明する機械の開発、なんてこともできない。

 多くの一般市民にとって一番良いのは、息抜きをし、明日のために眠ること。


 悲しいとき、辛いときは、声をかけて励まし合ってこその仲間だ。よく話すフォロワー様が100人になるということは、100人の健康観察をし、見回り・見守りをするに等しい。

 正直興味のない話にも時間を裂くことがあるだろう。何かに誘われて、断るのが心苦しくて、あるいは何か引っかかることを言われて悶々とすることもあるだろう。体調・状況・その他に影響されたりも。

 SNSを巡回していると、わりと始めたばかりの人が多い印象で、しばらくマメに活動していた人も、そのうち姿を消すイメージである。
「SNS依存症になってきたな」と思ったときに、人はSNSを去るのだろうか。SNSを始めたばかりのときにすごく熱心に活動していた人ほど、そのうちいなくなるような。


 一度人間関係の渦に足を突っ込むと、手に負えないほど広がる場合がある。マメな交流を維持し続けるのは、なかなかに難しいのではないか。
 私の場合、以前ほんのひとときバズった頃、幸か不幸か拠点にしていたSNSがサービス終了し、それ以来バズることはなかった。

「投稿する」ということにのみ重きを置いている人は、交流もそこそこに、黙々と何年も投稿し続けていたりするイメージだけど。コミュニケーションに重点を置いている人はけっこう辞めていくような。

 しかし黙々と投稿を続けている人も正直、あんまり人気を得られていないようだったり。どういうペースが良いのかなぁ。

「夢叶う気配がない」と思ったときに人は諦めるのだろうか。それとも他に何か……。


 私は以前より、ゲームから少し離れた。またゲームに没頭することはあるかもしれないけど。

 ゲームを始めたら、ゲームの中で様々な登場人物との出会い、そして戦いがあるだろう。
 ワクワクするような音楽とも出会い、一晩中音楽を聴くことがある。現実でゲーム仲間と出会い、対戦をするかもしれない。
 ゲームをすればゲームの世界が広がる。ゲームは素晴らしい文化だ。それを知っている。

 けれど、ゲームをして、テレビを見て、と、受け身であるうちに、一日、また一日と日は過ぎてゆく。
 人間関係もそうだ。「どう話そう」「どう関わろう」「どう声をかけよう」と考えているうちに、刻一刻と時は流れる。出会わなければ考えなかったことに、時間をかけてゆく。世の中いろんな人がいること、現実では出会わないようなタイプの人がいることも知ってゆく。

「世界が広がる」とも言える。が、それはビッグバンのような無限の広がりで、一個人では追いきれない。処理しきれないことだろう。ならばすべてに対処しようとする必要など、最初からなかったのかもしれない。


 私が書いたことに対して「なんてひどい!」と思う人は、仲間思いなのだろう。打算的に人と付き合っておらず、日々お世辞とかではなく本心を言う人じゃなかろうか。そして人が好きなのだろう。素敵なことだ。そういう人は、私のような卑怯者に振り回されず、心ある人に出会って、人好きを貫いてほしい。私はどこか人を軽んじ、利用しようとしているのかもしれないから。


 朝。自由ならば、「今日は何をしよう?」と考える。
 私の好きなファンタジーアニメ映画を観に行こうか。そして帰りには、好きなものを食べようか。それとも一日、創作に没頭しようか。

 何をしよう。一分一秒自由だ。


 一方、繋がりを大切にしていれば、朝はメッセージチェックから始まる。スキマ時間はそれに費やさないと、回りきれない。
 あんまり興味のないメッセージやお誘いがくる。断って良さそうなものは断る。

 友達から、あんまり興味のない場所や映画に誘われ、考える。「自分の好きなものばかり見て、好きな話ばかり聞いていたら、世界が広がらないかもな」と。あるいは断る理由が見つからない、断ると矛盾が生じる、など。
 それで「人とどう関わろう」と、返信内容を考えているうちに、時間が過ぎてゆくのだ。


 そう思うと一人は良い。

 誰かに寄り添うこともせず生きたなら、最期は一人であること、体を壊しても人恋しくなっても、誰も寄り添ってくれないことは覚悟しなければならないが……。「以前は人気だった芸術家が晩年は寂しく過ごしたようだ」みたいな話を聞くと、「寄り添えば寄り添ってもらえる」といったお返しも期待できないなと思う。


 とりあえず一人を味わい、透明な足枷を外していきたい。マイルールに縛られなければ、本当は自由なんだから。
 そう誓いつつ私は、Twitterの通知チェックに向かった。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(1件)

sorasoudou
2023.07.04 sorasoudou

お久しぶりです(*´꒳`*)

月澄さんは、やっぱりお優しいです。
人のこともきちんと考えているからこその、ひとりの自由か、みなさんとの関わりかとの、気づかいや思いやりに迷いだという気がします。

その点、私の方が冷淡ですね…(´ཀ`」 ∠):
人が苦手で交流なんて難しいどころか無理だなと思っていたのを少しは変えないとと頑張ってはみたのですが。私にはやはり無理だったらしくて。
すっぱりと完全に定期更新もやめて、ひとりでコツコツ創作な日々に戻ってますから。


そんな中でもふと思い出して月澄さんの投稿を見ることが励みや癒しになってます。
コツコツ毎日、何かを書いて、しかもそれをちゃんと更新してるなんて、誰にでも出来ることではないです!
自分の思いを言葉にするのは本当に大切だと、改めて気付かせてもらえました。
ひとりの自由を選ぶのも間違ってはいないなとも思いましたし。

月澄さんが思うがままに、やりたいことを続けてくださいね。
こっそりとまた遊びに来て、こっそりとお邪魔しないように帰ります。
ヽ(´▽`)/”

月澄狸
2023.07.05 月澄狸

haruchiさん お久しぶりです(>∀<*)
いや~、「私だったらこんなこと言われたら傷つくな」というような言葉を書いてしまうので、なかなか……(;∀;)

haruchiさんは本当に創作がお好きなんですね(*^-^*)
人と関わると、方向性の違いがあったり、時間がかかったりして、創作時間が減ることもありますね。面白いと思うもの、好みもみんな違うし、自分にとっての面白さだとか、大切に思うものが伝わらなかったりもしますね💦
多分みんな、「交流って難しいな」と思うときがあるのではないかと……。


「ひとりで創作」に幸せを感じるharuchiさんは、本当に作家だなと……尊敬します。私は、「他の人の作品をなかなか見に行けないけれど、自分の作品を多くの人に読んでいただきたい」という思いに取り憑かれています(ノ∀`;)

それに元々私は、ネットでしか人と話せない部分があり……。以前はオンラインゲームのコメントや、無料のチャットなど、「人と話す」場所を求めてウロウロしていました。現実で友達を作ったり、その関係を長年維持したりということができなかったもので、「人と話したい」思いが強くて。
なので今も、「人との関わりを控えて創作に打ち込みたい」と、「創作を二の次にして誰かと交流したい」気持ちの間でずっと揺れ動いています。コメントをいただけると嬉しいし、反応が少ないと寂しくて。矛盾だらけです(´▽`*;)


私の投稿、感じ悪いことばかり書いてあると思うのですが、励みや癒やしにしてくださってありがとうございます(/_;)
私の書くものや思いに価値なんてないと、どこかで思ってしまっているので、「書いて更新すること」を褒めていただけて嬉しいです。矛盾だらけでも間違っていても、書きたかったはずの小説が書けずに詩やエッセイばかり書いていても良いのかな、なんて……。

「一人」か、「みんな」または「少数の誰か」か。いつか決めるか、最良のバランスや考え方を見つけたいです(*´∀`*)


「思うがままに」なんて嬉しいです(;_;)
いつも本当に、ありがとうございます!

解除

あなたにおすすめの小説

バードコール

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
 読むなと言われても読みたい、中毒性のあるような作品には程遠く……。無理をして読んでくださるか、興味がなくてスルーするか、アクセス集めに利用されるか、詐欺師に絡まれるくらい。

情報酔いというより概念酔いする

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
色んな考えの人と仲良くしたいと思っているけれど、日々ネットで流れているすごい量の概念を見ていて、自分には飲み込めないような感覚に触れ続けていると……。

押し売り問答

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
私がアフィカスか。

アルファポリスにもいいね機能がいずれ付くのだろうか?

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
アルファポリスからのお知らせに「いいね機能追加」というものがあって一瞬ビックリした。けどよく見たら、公式漫画に「いいね機能」「コメント機能」を追加したというお知らせだった。なんだ。でも、公式漫画というのはよく知らないけど、まずはそこで機能をテストして、いずれこっちの一般投稿(?)にもいいね機能を付けるつもりかもしれないよなぁ。今時SNSでもサイトでもなんでも、いいねとかコメントとかフォローといった機能は大抵付いているから。

マンガを投稿しようとしているけど、気になる箇所がたくさん……!

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
画力のなさ……ネーミングセンスのなさ……知識のなさ……ギャグセンスのなさ……ファッションセンスのなさ……向上心のなさ……対応力のなさ……ボギャブラリーが貧困……背景描けない……影の付け方と遠近法分からない……言い出せばキリがない。好きで描いているのに詳しくないものや弱点も多い。動物を描いているのに動物の特徴が根本的に間違っているとか。おかしなところがないに越したことはないけれど、気を張って完璧にやるとか自分には無理っぽい……。完璧にと思うと、一生勉強とか練習で終わりそうだ。

どんな作品にもアンチがいるって、辛い気分にもなるけど逆にホッとするかも。

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
アンチが苦手だ。人の作品や人間性のことどうこう言う割にアンチがやっているのはネットにグダグダと文章を書き込むこと。ネットに悪口を書き込むという行為は、作品を作って発信するより偉いことなんだろうか。作品を見て考えたりそんなに偉そうなこと書き込んだりできる時間があって「自分は違う」という信念もあるなら、自分がもっと良いものを作るとか世界のためにボランティアするとか色々やれば? って気持ちになる。ただ、私もそう言いつつネットで何かの批判ばかりしているから同類なんだけど。

やっぱり批判を受け付けないと表現の幅が広がらないな……

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
批判するのは好きだけどされるのは苦手。こんなアピールを続けていたら、誰も何も指摘してくれなくなるかも。いけないとは思っているけれど「批判バシバシください!!」と言う勇気はなかなか……。

自分にとって苦手な言葉を、人には普通に言おうとしていた……

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
自分の言動を客観的に見られない。「あんなことを言われて嫌だった」みたいな話ばかりしているが、会話の流れを把握したり覚えたりはできていない。本当にそう言われたのかどうかも怪しい。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。