Lovers/Losers

富士伸太

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5話

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 そんなわけで周囲の人間に二人仲睦まじく昼食を取る姿を見せつけるという悪趣味な習慣がしばらく続いた。

 陸上部の連中は私達の姿を見て誰もが面食らっていた。御法川先輩にそこはかとない憧れを抱いていたであろう人間どもは、私に「なんだこいつ」という不審な視線を投げつける。これまで自撮りや自分の自慢げな姿の写真をネットに上げる人の気持ちがわからなかったが今、頭ではなく心で理解できた。他人からの羨望や嫉妬というのはたまらない美酒だ。これに酔っ払う連中が増えるのもわかる。とはいえこんなさもしいマウンティング合戦もいつかは負けるときが来る。私も酔わないよう気をつけねば。

 もっとも私と御法川先輩は一応「付き合っている」という形に過ぎず、学校において昼休み以外はほぼ別行動だ。私も先輩も、重くてべたべたした付き合いというのにはあんまり興味がない。一緒に登下校するということもないし夜にメールで連絡を取り合うといった小まめなこともしていない。休みの日の場合も、先輩は部活に全力投球しており、私はバイトに勤しんでいる。陸上部は夏の大会に向けて練習まっさかりらしく先輩も他の部員も大変らしい。

 だがそのせわしない練習のおかげで高田と私の件も忘れられつつあるようだ。そのときは大事だと思っても人間はやがて現状に適応し忘れてしまう。またふらりとバイト先の喫茶店にやってきた御法川先輩からそんな話を聞かされたのだが、私としてはまあ良いことなんじゃないですかとしか言えない。だが先輩は私の答えにご不満だったらしく、「他人事のように言うな」などと怒られた。理不尽だ。更にこんな雑談をしていたら店長から「もう上がっていいからテーブルに座ってろ」と言われる始末だ。ますます理不尽極まりない。

「それですみません、そろそろ帰ろうかと」
「ん? 構わんが」
「ここのテーブルに座ってると常連の人に微笑ましい目で見られるので少々辛いです」
「あ、ああ、そうか」

 御法川先輩が、こちらを見ている老婦人の微笑ましい目に気付いてさっと赤面する。ここは昔ながらの店長の知人やお得意さんが多いので、アルバイトである私に彼氏ができたという話を言いふらしてしまっていた。おかげでお客さんからあれこれ詮索されてどう対応すべきか非常に悩む。同じ学校の生徒であれば「私達付き合ってますよ」と言って追い払えば良いが、お客さん相手にそんな態度を取るわけにもいかない。ラブラブしい姿を見せておいて後で彼女役としての私が不要になったとき「フラれました」ということになれば、これは凄まじく憐れまれることだろう。先々のことを考えると面倒だ。

 ともあれ私達は慌ただしく店を出て、駅までの道程を並んで歩く。私は家も図書館もここから徒歩圏内ではあるが、先輩が店を出るときは駅まで送る習慣ができていた。

「実はちょっと図書館に行こうと思って」
「勉強でもするのか」
「中間テスト近いですし」
「……意外と真面目だな」
「いや普通気にすると思うんですけど……そういえば先輩って進路どうするんです?」

 うっ、といううめき声が聞こえた。地雷踏んじゃいましたかね。

「大学には行こう……とは思ってるんだが」
「志望校が固まらないって感じですか……というか進路相談とかは」
「だいたい自分の偏差値に近い大学の名前を出してはいるが……」

 内心としては決めあぐねていると。ま、よくある話だろう。

「インカレの陸上強いところとかどうです?」
「部活としては好きだが将来設計に組み込むほど打ち込もうとは思っていない。走るのは好きだがそれを目的に大学を選ぼうとは思わないな」
「なるほど」

 ウチの陸上部も弱小というほどではないが、そこまで強いというわけではないしな。中堅と言ったところだ。学校を挙げて本気で取り組んでるところには敵わない。

「人に聞くばかりじゃなくてお前はどうなんだ」
「ん? 最寄りの国立大狙いですけど」
「迷いがないな。やりたいことでも?」
「やりたいことってのは特に無いですね。今のバイト続けたいってのはありますけど」
「人のことは言えんがお前もてきとうだな。何か無いのか。例えば……医者とか看護師とか。芸能人とか作家とか」
「なんですかそのラインナップは」
「夢があるだろう?」

 夢、か。
 小学生くらいの頃はお母さんと同じ看護師になりたいと思ったこともあった。
 もっと言えば誰かを救うヒーローみたいな存在になりたかった。

「公務員か、安定した会社に勤めたいですね」
「…………全然夢がないな」
「そうは言いますが、大事ですよ生活は」

 どうも私の答えはご期待に添えなかったようで、先輩はがっかりした様子だった。確かに、進路に悩んでいる若者には快い答えではなかっただろう。迷える子羊に幸いあれと祈りつつ改札をくぐる先輩の背中を見送る。

 将来という点において私が選べる選択肢は限られている。赤の他人を救う前に自分と自分の家庭の方が大事だ。子供の頃の夢を追いかけてもいられない。そんな内心を言おうかと思ったが、先輩の進路を考えるにあたって参考にはならないだろう。恐らく御法川先輩は、噂に聞く限りではお金持ちだ。どこか都会の私大に行って仕送りで一人暮らしといったことも無理なく叶うだろう。ちょっとくらいモラトリアムが長くて悪いということもあるまい。

 先輩を送った後、図書館へと向かった。だが流石に休みの日は混んでいる。自習室も人が多くあまり集中できそうもなく家に帰ったほうがマシだなと考えて帰途につく。

 家の玄関を開けて台所を見ると、お母さんが死んだ顔でテーブルに突っ伏している。

「……風邪引くからちゃんと寝なよ」
「あー……おかえりー……」

 長時間のシフトが終わり帰ってきたところだったのだろう。晩飯の材料らしき野菜やお惣菜の入ったエコバッグがずんがりとテーブルの上に置いてある。状況としては、冷蔵庫にしまおうとしたあたりで疲れがピークに来て意識が落ちたと推察できる。

「やっとくから寝てなって。今忙しいんだろ」
「うーん……やる、やるから……」

 と、口では言いつつも体は動かない。夜勤明けでかなり疲れているのだろう。
 もっと休めば良いのに。と、言いたいところではあるが、そういうわけにもいかない。

「あんまり無理しないでって」
「あんたこそバイト減らして勉強しなさい……」
「バイトは楽しいし、今の成績なら大学は合格圏内だってば」
「もっと上のところ狙えるでしょ」
「面倒だよお金もかかるし……」

 そういえば、医者になりたいという夢は母と祖母が喜んでくれていた。祖母が他界してもう10年ほどになる。ちなみに祖父が死んだのは最近で、ようやく三回忌が過ぎたところだ。

 子供の頃、お母さんと共に祖母の見舞いに行った日のことを今もよく覚えている。おばあちゃんの病気を治すんだ、などと威勢よく言ったものだった。いやしかし現実問題として難しいのなんの。お金はかかるわ学力が足らんわ、流石に現実味がない。それにお母さんの働く様子を見るうち、医療関係への憧れは年が立つに連れて色褪せていった。流石に傍目から見てて忙しすぎる。父の勤め先のシステム開発会社もなかなかのブラックだが恐らく病院ほどではない。そんな現実を知って声だけ番長になってしまったことはおばあちゃんに申し訳なく思う。ごめんなさい。

 気付けば母はまた寝落ちしており、ベッドへと運んで毛布を掛けた。どうせなら肩を貸すのではなく借りる側になりたいところではあるが、先輩にしてもらうのは流石に契約の範囲外だろう。潔く諦めるとしよう。

「あれ、そういえば……」

 私が医者になる宣言をして、肩を貸した相手が他にも居た。

 確か、祖母の入院していた病院の入院患者の子だった。祖母の見舞いに行く途中でやたら青い顔をした男の子が居て、その子を病院まで運んだのだ。彼自身、私に自分で歩き出す力さえもないので、母親に「よし、蓮美。連れて行きなさい」と発破をかけられてチャレンジしたのだ。背は低いがちょっとデブい子だったので百メートル程度の道のりが相当大変だったのを覚えている。

 それを期に、祖母の見舞いのついでに男の子と話すようになった。後から聞いた話では、喘息と肥満のために運動を勧められていたところで、いきなり長い距離を歩きすぎてしまっていたらしい。引っ込み思案だが純朴な子で、私の話を幾らでも聞いてくれた。学校のような人目も無かったので、「医者になりたい」とか「医者になったら病気を治してあげる」とか、格好いい台詞を吹かせるだけ吹かした記憶がある。そのくせやったことと言えば、ダイエットのウォーキングに付き添って励ましたり神社の健康祈願のお守りをあげたりという「応援」とか「祈る」などの労力の要らないことばかりだった。今思えば恥ずかしい記憶だ。

 名前は、ええと……思い出せない。あだ名は確か、つっちーだ。名字はアキノだったか。彼も重篤な病気というわけでもなかったので、今頃はどこかの高校で同じく勉強に取り組んでいることだろう。私のように夢をなくしてしまったか、それとも健康を取り戻して前向きに生きているか、それはわからない。健康を取り戻して明るい学生生活を送っていてほしいと思う。
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