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◆五年前 天上の世界、異世界カテラネル、光明神ミスラト総本山

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◆ ~五年前~ 天上の世界、異世界カテラネル、光明神ミスラト総本山

 俺はただの高校生だった。

 地球の日本、東京で信号無視のワゴン車に轢かれたあの日までは。

 気付いたときには壁も天井も無い、あるいは床さえも不確かな、真っ白く謎めいた場所にいた。

 そこで柔らかな光を纏った女性に出会い、

「あなたには、私の世界を救ってほしいのです」

 と言われた。

 そこからだった。俺の運命がねじ曲がったのは。

 わけもわからず目の前の女性に詳しい話を聞いてみれば、どうやら俺は既に死んでしまっており、魂だけが今ここにあるという状態なのだそうだ。
 手違いでもなんでもない、全国各地どこにでも発生する交通死亡事故として、俺は死んだ。
 あの世に行く一歩手前の迷える魂である俺を彼女が偶然捉えたとのことだった。

「ええと、不躾な質問だったら悪いのですけど……俺にそんな力は無いですし……というか地球の人間なんかよりもあなた自身の方がよほど凄い気がするんですが」

 女性は気を悪くした様子もなく、微笑みながら首を横に振った。

「私は制約があってみだりに力を振るうことはできません。こうして誰かと話したり外界に力を振るうことは、今を逃せばまた星の巡りが揃う数年後をまたねばならないでしょう。ですから私自身が何かをするのではなく、力を授けた代理の者を立てねばならないのです」
「なるほど」
「言ってみればこれは、報酬の用意された仕事のようなものです。もし私の管理する世界を救ってくれるのであれば、同じ姿で蘇らせてあげましょう。断るというのであればここであなたとはお別れです。他の死者の魂と同じように地球の輪廻に戻して差し上げます」

 そしてただ蘇らせるだけではなく、戦うための力や異世界の言葉を理解する力なども与え不便はさせないようにすると気前よく約束してくれた。こんなことをするくらいならば自分の世界の人間にそれらの力を与えれば良いと思うのだが、それは難しいらしい。異世界から人を招き入れるという形を取ることが大事なのだそうだ。俺にはわからないが、なにかしらの事情があることは察せられた。

 正直、深く考えてはいなかった。何かしらの思惑があろうがなかろうが、俺にはどうしようもないのだ。人生これからという歳で終わってしまうなどまっぴらごめんだったし、これを断れば次は何に生まれ変わるか予想が付かないのだと言う。だったら苦労はあったとしても自分の人生の続きを生きていきたい。つまりは選択の余地など無い程にありがたい提案ですらある。

 俺がそうした考えを伝えると、女はにっこりと微笑み、

「ありがとう、篠村ハルト。私は光明神ミスラト。どうか私の世界を救ってください」

 と言った。

 暖かな微笑みがあった。
 そこまでが神と出会ったときの記憶だ。
 このときの俺は、微笑んだ女神の顔に見惚れていたはずだ。

 俺はこのときの選択を後悔してはいない。
 ここで提案を蹴っていればこの世界で出会った人達と結びつくこともなかった。

 だが、「優しそうな女性だな」と見惚れてしまったことについては、死ぬほど後悔している。



 ……そして再び気付いたときには、荘厳な神殿のような場所に居た。

 目まぐるしく移り変わる状況に混乱しつつも、女神様の言ったように異世界に転移したことがすぐにわかった。決して日本ではありえないような場所で、日本人ではない人達に囲まれていたのだから。

「成功だ!」
「おお……剣を持った少年が現れた……まさに神託の通り……!」
「これが勇者か……!」

 俺の目の前には、荘厳な服を着た老人達、そして同じ格好をした一人の少女が居た。
 彼らは、明らかに日本語とは違う言葉で話しているのに、何故か母国語であるかのように俺の頭にすんなりと入った。日本語として聞こえるわけではない、単に理解できてしまうのだ。それだけではない、俺の右手には、見覚えのない剣が握られていた。異界の言葉を理解する力と戦う力、これがそういうことなのだろう。

「ええと……、その、ここは光明神ミスラトの世界……で、合ってます?」
「いかにも」

 俺のおっかなびっくりの問いかけに、最も威厳の有りそうな老人が頷いた。
 白いローブを着ているが、華奢な印象の全く無いがっしりとした老人だった。

「ここは光明神ミスラト教の総本山。そなたにとっては……異世界、ということになろうかの」

 良かった、合ってた……などという間の抜けた言葉を吐かずに済んだ。
 ようやく自分の現状に現実感が伴ってきた。
 俺はこの世界を救うために呼び出されたのだ、洒落や冗談を言っている場合ではなかろう。
 生き返った喜び以上に、やらねばならないことの重さを今更感じ始めた。

「儂は教主ベルモンディ、この総本山を預かる者じゃ。勇者殿、そなたの名は?」
「篠村ハルト、です」
「ハルト殿よ……そなたは、我らが神に出会ったか?」

 俺は、真っ白く何もない世界で、女性に出会ったことを話した。
 全身が眩しく光り輝いていたため顔の全貌は今ひとつ掴めなかったが、優しそうな顔をしていたことは確かだと言ったら、恐らく期待通りの答えだったのだろう。老人達と少女は俺の言葉に嬉しそうに聞いていた。

「……そこで、この世界を救うように言われたんです」

 そこまで言うと、一人の少女が前に出てきた。
 少女は老人達と同じ神官服に身を包んでいるが、老人達とは違い繊細で華奢な印象だ。
 だが紅いルビーのように透き通った瞳には不思議な強さがある。

「勇者様」
「あ、はい、なんですか?」

 少女はまっすぐ俺を見て声をかけた。
 その声は凜として幼さを感じさせなかった。
 

「勇者殿、これなる少女はレネス……」
「勇者様、私と一緒に、旅に出ましょう!」

 そして、末永くよろしくお願いしますと、それはそれは丁寧に頭を下げた。
 帽子からこぼれた銀色の綺麗な長髪が、ふわりと舞った。



 旅の伴をすると言った少女はずいぶんと小柄だった。

 名を、レネス=ダルメルと言う。
 ぱっちりとした赤い目と銀色のさらさらとした長髪が印象的な、スレンダーな少女だ。どうやら16歳になったばかりだそうで、それならば小柄なのも当然だろう。着ている服は大人達とまったく同じデザインの真っ白い神官服だ。同じ服を着た壮年や老年の神官達と同じように並んでいるものだから、その小ささや幼さをより強く印象づけている気がした。こんな小さい子が……と驚きかけたが、よくよく考えれば自分もまだ18歳の若造に過ぎない。この世界は日本のように二十歳で成人というわけでもないのだろう。

 神殿も神殿に住まう人々もまさに異世界というにふさわしい風情だったが、その外に広がる世界もまた見たことも無いような様相をしていた。
 電気はなく、魔法で火や灯りをつける人々。
 見たこともない野菜や果実。
 剣や槍で武装した衛兵達。
 杖を構えて魔法の練習をする神官達。
 見るもの全てが珍しい。
 間違いなくここは異世界だった。

「勇者様の居た世界とはそんなに違うものですか?」

 俺はまずこの世界、この国を知るために神殿の外を案内されることになった。
 様々な物を興味深そうに見る俺を見て、レネスが不思議そうに尋ねてきた。

「俺の居た世界には、魔法なんてなかったからなぁ」
「魔法が無いのですか……それはさぞ大変でしたでしょう」
「そのかわり、機械とか色々と便利な物はあったけれど」
「キカイ?」
「説明が難しいな……なんていうか、電気とか石油とかを使って動く便利な道具って感じかな」
「雷の力を使うのですか……想像がつきませんね」
「ん、まあ、雷の力を蓄えて、誰でも使うようにするって感じだな……車輪を回したり、音とか光を出したり……現物が無いからちょっと説明が難しいんだけど」
「万人が使えるのですか、それは素晴らしいことです!」
「でも魔法みたいに努力して覚えたわけじゃなくて、金を出せば何とかなるんだ。そういう意味じゃ魔法の方が凄いよ」
「……いえ、そんなことはありません。技量や才覚によって使える人や使えない人に分けられてしまいます」
「ああ、そうか……」
「私も、やろうと思えばこうして……『アポート』!」

 レネスが言葉を発すると、数メートル先の地面にある小石が浮き上がった。
 そしてふわふわと宙を浮きながらレネスの手元へとやってくる。

「こんな風に物を持ち運びしたり、あるいは水を出したり火を起こすことができます」
「おお、凄い! こりゃあ便利だ!」

 俺はそう賞賛したが、レネスは首を横に振った。

「いえ、私はあまりこういう使い方はしません」
「え? どうして?」
「元々魔法の使えない人の方が多いのですから、その人達の気持ちを忘れないようにしていたいのです。富や才覚に違いはあれど、人は平等なのですから」

 そう語るレネスの顔は純粋で、迷いがこれっぽっちも無かった。
 周囲の神官達は彼女のことを聖女様と、尊敬の念を込めて呼んでる。
 その理由の一端に触れた気がした。
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