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戦う夏休み
激闘のあと①
しおりを挟む馬橋学院のバスに乗り込んで、両校の部員たちは馬橋学院の寮に向かった。
馬橋学院の方は、勝った喜びもあったが今日の激闘の疲れが蔓延しており、県大会決勝の日とは比べ物にならないほど静かだった。
「あー、しんどいわぁ!」
その場にいた全員が驚いた。1番ダメージを受けているはずの八良がいつものようなアホな声をあげたからだった。
「なぁ、勝ったんにお通夜状態はやめへん?もー辛気臭いん嫌やわー。な、シュンちゃん!」
「のわっ⁉︎ちょ、やめーや、疲れとんねん!膝乗んな!」
「へへ、シュンちゃんのデカマラに押し付けたるわー♪」
「お、おま!やめ!アホがあああ!」
中川と向かい合って座った八良は股間を押し付けるように動く。イラついた中川は八良のコメカミをグリグリと拳骨で攻撃する。
「いだああああ!もーなんでやねん!」
「なんでもクソもあるか!お・り・れぇぇええ!」
疲弊した体力で押しのけることは難しかった。そんな2人には呆れとため息が向けられた。
「はぁ……甘いモン食べたいわ……。」
窓に頭をもたれさせながら畠は魂が抜けたように呟いた。隣に座っていた金谷はスマホをいじりながら会話を始めた。
「今日夕飯のデザート、ケーキらしいで。」
「ホンマか。俺チョコケーキがええなぁ。」
「なんでや、ケーキゆーたらモンブランやろ。」
「はぁ?いぶし銀気取っとるつもりか。ケーキはチョコやろ。」
「俺、お前とはええバッテリーに慣れへん気がするわ。」
「奇遇やな、俺もや。」
2回戦の先発予定バッテリーには険悪な雰囲気が漂っていた。
1番後ろに座っている女子マネージャー5人衆も、のど飴を舐めたりジュースを飲んだりして応援の疲れをとっていた。
すると梨々子のスマホが振動した。送信者は四高の女マネの増田だった。
メッセージを開くと画像が添付されていた。
「のぉ!こ、これはぁ…!」
梨々子は思わず悶えた。その画像は泣き腫らした清田が3年捕手の今中の肩にもたれて眠っている図だった。
「ルリちゃん…アカンて……ふおほ…あのスカしキャッチャーとのギャップが堪らんやろこれぇ…。」
_松田くんが吐きそうになったからサービスエリアの休憩中。清田くんがぁ…可愛いよ。
それ以外にもサービスエリアで休憩している四高野球部の写真が送られてきた。
1時間ほど前、甲子園の土を泣きながら、悔しがりながら集めていたメンバーは少しだけ笑顔が戻っていたようで梨々子も胸を撫で下ろした。
「ホンマ、殺し合いみたいな雰囲気やったからなぁ……良かった、けど…。」
梨々子のスマホの画面を覗いた外薗やその他の女子マネージャーたちも少しため息を吐いた。
10枚近い画像の中に、今自分たちのバスで騒いでいる馬橋のエースとぶつかり合った四高のエースの姿がなかった。
***
松田家で夕飯を済ませた拓海と茉莉は自宅に戻っていた。
茉莉をお風呂に入れて、上がって、もう時計は9時を指そうとしていた。
「んーんー。」
「まーちゃん、おねむの時間だねぇ。おやすみーしようか。」
目をこする茉莉をベッドまで運んで、拓海も茉莉の隣で横になる。
茉莉の寝息が聞こえて、拓海は枕元に置いたスマホを手に取ると、電話帳アプリを開いた。
指でなぞって、タップしたのは智裕の番号。
『おかけになった番号は、現在電波の届かない場所におられるか、電源が入っておりません。』
帰宅してから何度もかけた電話。倒れた後、ベンチに戻ったり円陣にいた姿は確認したが、顔色や表情まで確認出来なかった。テレビ画面を直視することが拓海には出来なかった。
松田母は「本当に悪ければ知らせがくるわよ。来ないなら大丈夫よ。」と笑っていたが、拓海は不安だった。
「そうだ……野村くん。」
甲子園に行く前、保健室を訪ねた野村が「何かあったら連絡できるようにしておきたいんです。主に松田くんのメンタル面で。」と言って拓海は番号を交換していた。
「野村克樹」の名前を、番号をタップする。
1コール、2コール、3コール…
『はい、野村です。』
少しだけ重苦しい声がスピーカー越しに聞こえて、拓海はビクッと肩をすくめた。
「の、野村くん…石蕗です。今日はお疲れ様でした。頑張ったね。」
『……ありがとうございます。』
「…疲れているところごめんね、今電話大丈夫だったかな?」
『ええ、今みんなで夕飯を食べてたところです。ちょっとうるさくて中抜けしてたんですけど。馬橋の人たちが盛り上げてくれてどんちゃん騒ぎです。』
「す、すごいね…大阪の人って賑やかなんだね。」
『数時間前まで死ぬ気で戦ったばかりなのに、タフですよ。』
「ふふふ……でも、思ったより楽しそうにしているから良かった。」
普通の会話を交わして、拓海は少しだけ緊張が解けた。
『先生、松田くんのことで電話してきたんじゃないんですか?』
「え…っと……うん。」
野村は数秒の沈黙、拓海も言葉を出すことが出来なかった。
『帰ってきてから、ストレッチやってシャワー浴びて…それから部屋にこもろうとしてたのを、馬橋の松田さんと中川さんが引っ張り出してくれて、今は夕飯食べてます。喋りも笑いもしませんけど。』
「…そ、う…なんだ……。その電話かけたんだけど電源切られてて…繋がんなくて……。」
『………先生、今日はもうこれで終わりましょう。』
「え?」
野村が打ち切ろうとする言葉を吐いたので、拓海は思わず「なんで?」と問うてしまった。
『すいません、先生……正直、今の松田くん、かなりギリギリなんですよ。』
「ギリギリって、何、が?」
『呼吸して普通に歩いて、飯を食べて、そういう当たり前の行動をしていることが極限状態なんですよ。こればかりは時間が経たないと、って感じです。』
拓海の想像を絶していた。それでもなお歩いているという智裕が拓海の知らない人のようで怖くなった。
「智裕くんと…話すことは、無理かな?声だけでも…聞きたいし…その……。」
『……先生さ、今の松田がどんな顔をしてるか想像出来ませんか?』
「え。」
『最後の挨拶なんかは普通にしてましたけど、あの後ロッカーで泣き崩れて、先輩たちが抱えてバスに乗せて、それでもずっと泣いてて、目ぇ腫れて憔悴仕切った…そんな顔ですよ。それに、左腕に力が入らないとかで…ストレッチの時も、馬橋のトレーナーさんや森監督が念入りにマッサージやケアをしてもダメで、さっき松田くんの家に電話かけたところなんですよ、明日病院に連れて行ってくださいって伝えるために。』
「病、院…。」
『松田くんの背負ってたものの大きさなんか俺たちには分かりませんよ。いくらチームプレイだなんだと俺たちが声をかけても、あのマウンドの上で松田くんは孤独だったんです。期待の倍の失望や絶望を覚悟する重圧を背負って、あんな殺し合いするような場所で戦って負けたんです。その気持ち、石蕗先生は理解出来ますか?』
理解できるかどうかと問われると、拓海は言葉を失った。野村の声も厳しいものになって、拓海の心臓に痛く刺さる。
「で、も……声、聞きた……。」
『失礼ですけど、それは先生のわがままですよね?』
そう指摘されて否定が出来なかった。
「理解は出来ない…けど、俺は…智裕くんに……大丈夫だよって…伝えたい…んだよ…。」
『すいません、本当に時間をおいてやって下さい。』
「どうして…どうして⁉︎」
『どうしてもクソもないんですよ!』
「……の、むらく…ごめ、ん……。」
強い口調になる野村に、拓海は謝った。大きな溜め息が聞こえて、拓海は恐怖で涙腺が崩壊した。
『悪いけど、今の貴方に出来ることなんて何もありませんから。』
現実を鋭く、痛く突かれた。そして野村は「失礼します。」とだけ挨拶して電話を切った。
ツー、ツー、となる電話口。拓海は寝室を抜け出し、リビングのソファに顔を埋めて大声で泣いた。
***
拓海からの電話を切った野村はその場にしゃがみこんだ。
(あんな言い方でもしなきゃ、絶対めげない人だから…変な優しさは今は誰のためにもならない…ならないんだけど。)
「嫌われ役はつらいなぁ。」
顔を下に向けて「はぁ」と大きなため息を吐いていると、足音が近づいてきた。
「もしかして、まっつんの彼女?」
優しい口調の関西弁だった。野村は顔だけあげて声のする方を向くと、チューペットを咥えた馬橋の部長の金子がいた。
「盗み聞きですか?」
「人聞き悪いわぁ、聞こえたんや。まっつんの彼女がケータイ繋がらへんから繋いでくれとかお願いされた系か?」
「はぁ…よく分かりましたね。」
金子は野村のすぐ近くの壁に持たれてチューペットを「ジュー」と吸い込む。
「せやけど、まっつん女教師に手ェ出しとんのか。ヘタレのくせにやるやんけ。」
(女教師ではないけどね。)
「ま、でもスコアラーくんは賢明な判断やで。」
「…そんな慰め要らないですよ。」
「いや、マジや。3年前、オーストラリアとの親善試合のときとおんなじや。」
「は?」
「3年前、俺が主将になっての初陣や。先発がまっつんやったんやけど、まさかの大乱調。4回、60球、5失点で降板。先輩ら押しのけてメンバー入りしたんに…ってやっかみもあって、今日とおんなじことになった。ストレスや重圧からのパニック、過呼吸、嘔吐、脱水症状のフルコンボ。大変やったんはその後。」
チュパ、とチューペットの殻を口から離して、遠くを見ながらため息を吐いた。
「帰国するまで飯も食わん、ずっと泣く、まともに会話でけへん、歩くんがやっと…。」
「本当に今の松田くんじゃないですか。」
「せや。ハチローと中川も目の当たりにしとるから今日はせめて寿司1貫くらい食わせたろって引っ張り出したんや。ま、サーモン食べただけあん時よりマシやな。」
「そうなんですね……。」
「空港に迎えにきた家族も大変そうやったから俺も京都帰る前にまっつんチに泊まったわ。2、3日あとで元に戻ってケロっとしてチームに合流した。二重人格か!って思ぉたわ。」
多分、四高の誰もが知らない智裕の過去に野村は触れてしまったようで、心臓が痛くなった。
「年上の彼女かぁ…さしずめ“私が智裕を慰めなきゃ♡”とか言われとったとこやろ。やめとけやめとけ。」
「……だからやめさせましたって。」
「恋人やろーが家族やろーが、軽い気持ちで今の松田に触れたら、傷付いてまうわ。自分じゃ何も出来ひん、何をしてもあかん、って自己嫌悪でな。」
野村が推測で懸念していたことの答え合わせを金子がしてくれた。野村が追い詰めたような表情をしていることに気がついた金子は、野村の腕を引っ張り上げて無理やりに立たせた。
「アホどもが新喜劇始めるから、笑ったろーや。」
「……そんな気分になれると思いますか?」
「させたるわボケ。それに、君んトコの可愛い女マネちゃんに心配かけたらあかんで。」
「……部長さんって性格悪いですよね。」
「性格良かったら馬橋のキャプテンマークは着けられへんよ。」
にこりと笑う金子の目は笑っていなかった気がした。
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