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マツダくんの新しい恋

ホシノ先生の回顧

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 泥酔していた同僚の石蕗つわぶきを送り届けた星野はすぐにタクシーを呼ばず、その場所から駅まで歩いて行くことにした。

 石蕗の恋人は星野が受け持つクラスの生徒の松田まつだだと知り、松田のことをよく知る星野としては少々心配していた。しかし先ほどの2人を見て、そのネガティブ発想は解消されていた。

 団地と住宅だらけの場所だと、午後11時にもなれば街灯がポツポツと灯っているだけだった。ため息を思い切り吐きながら、ふと上を見ると、今日は雲のない快晴だったおかげで星と月がハッキリと見える。


「星野先生?」


 不意に声をかけられた星野は、声のする方を向く。そこには見慣れた顔が見慣れない服装でビニール袋を提げて立っていた。

江川えがわか。」
「何でウチの団地の近くいるんですか。先生んチ最寄り駅も違いますよね?」
「あー……説明しなきゃだめ?」
「別に詮索はしませんよ。大竹おおたけじゃないんで。」

 星野は予想通りの答えが返ってきたので少しだけ笑ってしまった。江川はその笑いに対しても何も反応をしなかった。星野は近くの明かりが目に入り、そちらを見るとポツンとある自販機。

「江川、ちょっと酔い覚ましに付き合えよ。」
「は?」
「付き合えば今度の中間の範囲、先取りさせてやってもいいぞ。」
「マジすか。」

 職権乱用の言葉を吐いて、江川と自販機に向かう。星野は冷たいブラックコーヒーを、江川はサイダーを選んだ。そして適当に、閉店しているスーパーの搬入口のような場所でたむろする。

 江川一起カズキ、1年の時からクラス委員を任せ、担任の星野も信頼している男子生徒。身長も180cm近くあり、スポーツもそこそこ、学力は常に上位、面倒見も良く、勿論女子からもモテている。あの個性の塊のようなクラスをまとめていること、教師の星野も驚愕と同時に賞賛していた。

(完璧に見えるから、気にはなるけどな。)


「いや、ヤンキーじゃないんだから此処で屯ろは先生もマズくないですか?」
「大丈夫だって。最近は若者よりジジイの方が屯ろってるぞ。」
「それ、ちゃんと家ある人のことですか?」
「細けぇことは気にすんな。」
「はぁ……。」

(クソ真面目で、完璧で、人に気を遣って……サイダーが好きなとこ、一緒なんだよな。)

「江川、お前彼女とかいんの?」
「いたら此処で先生と屯ろしてませんよ。」
「お前なら選び放題、ヤリ放題じゃねーの?めっちゃ告白されてんじゃん。」
「何で先生がそんなこと知ってるんですか?」
「大竹から情報提供してもらってるから。」

 江川はため息をこぼしてサイダーを飲んだ。星野もコーヒーを飲む。苦くて呆けていた脳が冷めそうだった。

「先生たちは今日は懇親会だったみたいですね。」
「まぁな。クッソだるいけど。」
「こんなとこにいるってことは、石蕗先生が潰されて送ってった感じですか?」
「お前すげーなー。そういやお前も団地だっけ?」
「そうです。近所の情報網と先生の取りそうな行動を考えれば分かりますよ。」
「そうだな。ま、石蕗先生は松田に任せたし。」

 江川は飲みかけていたサイダーを吹いてしまう。

「は?ま、松田に⁉︎先生知ってるんですか⁉︎」
「知ってる知ってるー。お前、松田と同じリアクションだな。」
「そりゃそうですよ!俺たちだって宮西みやにしスピーカーが発動してなかったら知らなかったですし!」
「ほんと、お前らの仲良し度と情報共有は天然記念物並みだわ。」

 感心するようなセリフを呆れた声で言うと、星野からため息がこぼれる。江川もつられてため息を吐く。今度は少しだけ大めにサイダーを飲み込むと、江川は上を向いた。

「松田のことは高校からしか知らないけど、あいつマジで良い奴過ぎるとこあるからなぁ。ヘタレのくせに正義感は強いし。」
「そうそう、ヘタレのくせに妙なとこで男気はあるんだよな。」
「だからこの前、元カノに二股されたの知って、俺そいつのクラス乗り込んで行っちゃいましたよ。」
「お前は変な行動力があるな。」
「泣かれて女子敵に回して終わりましたけど。言いたい事は言えたからいいかなって。」

 江川は高校に入学してからずっと自分のことより周りの人のことを考える行動をしていた。思い遣り、そんな言葉で片付かないと星野は見解していた。そして恐れている。


「江川、本当はうちの高校に入るつもりじゃなかったんだよな。」
「………そうですけど、今はここで本当に良かったと心から思えてます。こうして担任教師と夜中にスーパーの搬入口で屯ろするなんて絶対出来ないですし。」

 江川は星野の方を向いて滅多に見せない心からの笑顔をする。星野はそれを見ると頬が緩んでつられて笑い、またコーヒーを飲む。

「うちは素行が悪いんじゃなくて自由な校風だからな。」
「わかってますよ。」
「そんでさ、そろそろ周りばっかじゃなくて自分を見てもいいと思うぞ。」

 急に教師らしい口調になるから、江川は驚いて再び星野の顔を見る。星野は懐からタバコを取り出し火をつけて煙を吐いたら、そのまま空を眺めた。

「自分のことを見失ったらさ、自分が思い遣っていた人たちを悲しませる結末だって有り得るからな。」
「………先生って、テキトーなアメフト野郎だと思ってたけど、俺たち凄い見透かされてますよね。」
「それディスってる?」
「尊敬してますよ。」

 天に向かって煙を吐いて、またタバコを咥える。目線は空からコンクリートの道路。


「俺さ、夕方の空とか影とか色とか音とか、超苦手なんだよね。なんか普通に切ねーじゃん?」
「…まぁ、小さい頃は友達と別れたりして嫌いだった気がします。」
「特に屋上とか、青春っぽいとか言うけど、駄目だわ。」
「うちの学校は非常時以外は立ち入り禁止だから登ったことないですけど。」
「あと江川にサイダー飲んで欲しくないんだなぁ……。」
「他人の嗜好にケチつけ………先生?」

 星野は静かに、涙を流していた。ズズ、と鼻をすする音とジリジリとタバコの火が燃える音が江川の耳に嫌に残る。


「俺さ、バツイチじゃん?元嫁にさ、言われたわ…あんた、私のこと好きじゃないでしょ、って。」
「………はぁ。」
「マジで当たってたんだよね、それが。何にも言い返せなくて黙ぁって判子押したよ。ダッセェよな、もう20年経とうとしてんのにな。」


(サラサラな長い黒髪、細い身体のクセして、意地っ張りでクソ真面目で、サイダーばっか飲んで、帰り道はいっつも馬鹿みたいに笑っていたよ。)


「俺が人生で本気で好きになった奴、今のお前にソックリなんだよ。」
「……え⁉︎男⁉︎」
「バーカ、女だよ。外見じゃなくて中身だよ、中身。
「なんだ、中身か……あービックリしたぁ。」

 驚いた江川はまたサイダーを飲んで落ち着いた。星野はまた空を見上げた。タバコの火もジリジリと燃える。

「都会って案外ちゃんと星も月も見えるもんだな。」
「あー……でも、旅行で沖縄行ったことありますけど、やっぱそういうとこと比べたら見えないかなーって思いますよ。」
「こんなに空が見えるとさ、俺がこうして生徒脅して屯して愚痴ってんのも見られてっかもな。」


 太陽が、赤く世界を照らして、涙が光って、少し笑ったその人は、赤い赤い太陽に呑まれていくように。


「………それ、死んだ人とかですか?」
「……人のことばっかで、自分と向き合ったらさ、勝手に自分を追い込んで、1人で溜め込んで……それで終いだったよ。」
「……その人が忘れらんなくて、奥さんと離婚した、と。」
「情けねぇけど、そゆことだ。」
「で、その人と俺が似てるから心配してくれてる、ですか?」

 江川は気が抜けたように笑った。あはは、と笑う。

「大丈夫っすよ、俺は。だって、嘘ついたら先生にはバレるし、それが大竹にバレたらクラスの連中に知られるし、あいつら馬鹿なのに超お節介だし、真面目だといじりやがるし。」

 似ているけど、違う人間で違う環境で、違う世界で生きている。

(そんな当たり前のこと、見失いそうになってたかもしれねーな。)

「でもさ、自分と向き合うのわかんなくなったら……先生が、俺を助けて下さい。」

 笑顔が、急転して不安に伏せる危うさが江川にもあった。星野はその表情カオに、心臓を掴まれたような感情を覚えた。


「当たり前だろ。」

 星野は笑った。夕陽のつらい懐古は、いつの間にか無くなっていた。


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