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前編

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 ブラッド・ダルトンが忘れ物に気がついたのは、隊舎を出てすぐのことだった。割り当てられた二人一組の相部屋へ急ぎ足で戻り、ノックもせずドアを開けた。

 いつもなら、ひと声かけてから開けただろう。
 いつもなら、鍵が掛かっていただろう。
 いつもなら、同部屋のシルバーもまた留守にしていただろう。

 だが、この日は違った。
 不幸とはまるで坂を転がり落ちる雪玉のようなもので、落ちるときには周囲を巻き込んでとんでもない方向へと走り出す。

 シルバーにとってはまさに、これこそ不幸の始まりだっただろう。

 ドアを開けたブラッドの視線の先にいたのは、着替えのために上半身裸になっていたシルバーだった。狭い二人部屋、間仕切りなどあるわけもなく、ベッドに腰掛けてシャツをはだけていたその姿が目に入った。

 ブラッドを見上げる新緑のような瞳は驚きに丸く見開かれ、輝く銀の長髪はいつもとは違ってほどかれて胸元を覆っている。

 だが、その胸にあり得るはずのない膨らみが、脱げかけのさらしに包まれた二つの膨らみが見えていた。

「シルバー、貴様……」
「っ!」

 シルバーは咄嗟に胸元を押さえたが、ブラッドの動きの方が素早かった。シルバーの左手首を掴んでひねり上げると、すでに役割を果たしていないさらしを奪い取り、小ぶりながらハリ艶のある乳房を剥き出しにした。

「どういう、ことだ……?」

 極限まで怒りを抑え込まれたブラッドの声には底冷えするような響きがあった。シルバーは小さく呻くと、どこか媚びるようにブラッドの名を呼んだ。

「……ブラッド、待ってくれ」
「その名で呼ぶな!」
「っ!」

 ブラッドはシルバーの左手首を、骨も砕けよとばかりに握りしめ叫んでいた。

「騙していたのか! 俺たちを! この女人禁制の聖堂騎士団において、貴様あろうことか性別を隠して、一般の団員の上に立っていたのか!」
「ブラッド、頼む、声を落としてくれ……」
「選ばれた者にしか与えられない銀鼠の、あの色を身に纏っていたというのか!」
「ブラッド……」
「この恥知らずが!」

 ブラッドの怒声にシルバーは目許を歪めると、無言で力なく項垂れた。

 その情けない姿に、自分の言葉がシルバーの心を抉ったという事実に、ブラッドはどうしようもない性的興奮を得ていた。

 どこを取っても非の打ちどころのないこの男が、人格者と呼ばれ武功も多く、決して手の届かない相手だと思っていたこの男が、聖堂騎士の誉れと尊ばれすべての騎士たちの憧れだと、いつもどんな時も比較対象とされてきたこの男が!

 実は聖堂騎士の資格もない、ただの女だったとは……!


 ブラッドは愉悦に口許が綻ぶのを抑えきれなかった。そう、怒りを露わに怒鳴ったのは、シルバーが女だったからではない。むしろ、ブラッドはそう見せたかった。

 常日頃から抱いていた、腹の底が煮えくり返るような強い怒り。苛立ち。ブラッドはシルバーが憎くて仕方がなかった。どんな困難にもまっすぐに、輝くような笑顔で立ち向かうシルバーが。

 
 憎くて憎くて、いっそ殺してしまいたかった。

 同じ年頃だというのにシルバーはすでに銀騎士の位にあった。しかしシルバーは一度それを捨て、ここにやって来た。そのときも、ブラッドの方が先に配属されていたにも拘らず先に分隊長という位を手にし、また銀騎士へと昇格したのである。……嫉妬するなという方が、おかしな話ではないか?

 ブラッドは劣等感に苛まれ、燻ぶるような殺意をシルバーに抱いていた。
 それが今、今やその輝く星は地に堕ち、ブラッドの手の内でまるで処刑を待つ罪人のように頭を垂れている。いや、罪人そのものだ。シルバーは禁を犯している。偽りの身でありながら華々しい栄誉に浴し、本当に評価されるべきだった人材を隅に追いやった大罪人だ!

 罪人には罪を償わせなければならない。それは勿論だ。規定に従い処理をする。だが同時に、今はまだ事は発覚していない……シルバーの身の上は、ブラッドの気分次第というわけだ。ブラッドは心の内で舌舐めずりをしながら、表面上は穏やかに話しかけた。

「さて、本来なら今すぐ小隊長に突き出すべきところだ、が……どうする、シルバー」
「え……?」
「何か言い訳があるなら聞くと言っているんだ」
「ブラッド……!」

 ゆるゆると頭を上げたシルバーの、虚ろだった瞳に希望の色が戻る。ホッとしたような笑みを浮かべる女に、ブラッドはあくまでも笑顔で醜い要求を突きつけた。

「ただし、俺を満足させることができたら、の話だ。貴様も女なら、理解できるだろう?」

 ブラッドは革手袋をしたままの手で、シルバーが腕で隠していた乳房を乱暴に暴いてまさぐった。

「嫌だ……!」
「ほう。なら好きにしろ」

 踵を返して部屋を出ていこうとするブラッド。その隊服の端をシルバーは掴んで引き留めた。

「待ってくれ! 待って……ください……」
「なら、どうすればいいか、わかるだろう?」
「……は、い……」

 ブラッドの視線を受け、シルバーは胸を隠していた腕をどけた。

「全部だ」
「わかっ……わかりました」

 言葉を改めたシルバーは、ベッドサイドに立ち、身につけていた衣服を脱いでいく。まず白いシャツが床に落ち、ベルトがシュッと引き抜かれた。厚手のボトムスの下からは細いがよく発達した白い太腿と、男物の下着がまろび出る。

 シルバーは焦らすかのようにゆっくりと、その下着をずり下げていった。平らで滑らかな下腹。その下の茂みはほんのささやかで、シルバーを隠すのにほとんど役に立っていない。

 憂い顔でうつむくシルバーの、その傷のない肢体を満足気に眺めると、ブラッドはその顎を掴んで自分の方を向かせた。

 すべての尊厳を奪われ傷つき、それでもシルバーは美しかった。なぜ今まで誰も気づかなかったのだろう。どうしてこの美しい女を、男だなどと思いこんでいたのか。

 ブラッドの内側に、愛しさがこみ上げてくる。


 そう、今までシルバーを憎悪していたこの感情はすべて、シルバーが「男」であることへの強烈な反発だったのではないだろうか。そう結論づけると、ブラッドの心はストンとあるべき場所へ落ち着いたように思えた。

「シルバー」
「……!」

 ブラッドはその花弁のような唇を吸い、舌をねじ込んだ。身を引こうとするシルバーの肩を掴み、口腔を蹂躙する。押し返してくる舌をも絡め取り、吸い、また侵入してを繰り返す。シルバーが胸板を押し返してくる力が強くなるのも構わず。

 故意にかそれとも不可抗力か、不意にシルバーの犬歯がブラッドの舌を抉った。

「がっ…!?」

 衝撃と驚きと、そして怒りの感情が瞬時のうちに沸き起こった。ブラッドはシルバーを突き飛ばし、その頬を思い切り打った。

「この……よくも!」
「あうっ」

 床へ倒れ込み頬を押さえるシルバー。ブラッドはその髪の毛を乱暴に掴み上げ、無理やり顔を上げさせた。

「貴様、自分の立場が分かっているのか、シルバー」
「す、すまない……」
「すまない、だと? 口の利き方に気をつけろ」
「う……すみません、でした……」
「ハッ!」

 ブラッドはシルバーを掴んでいた手を離すと、腰のベルトを外し始めた。戸惑う息遣いと衣擦れの音だけが部屋を満たす。

「今度は、歯を立てるなよ……」

 シルバーの白く細い喉が鳴った。
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