23 / 27
番外編
一羽
しおりを挟む
星司クンが鬼になって、僕の身体がわやになってしまったあの事件からしばらくして、お父はんから手紙が届いた。それは、お母はんの体調が良ぅなってきたという内容で、つまりは、僕に面会を許可してくれるものやった。
「お母はん、ほんまに、ほんまによかった……!」
涙の粒がこぼれそうになるのを僕は慌てて袖で拭った。手紙を濡らしてしもたら、お父はんの書きはった字が滲んで見えんよぅなってまう。
「良かったですね、立夏。せっかくですから、立夏の体調が良いときに会いに行かれたらいいと思います」
お布団に身体半分だけ起こして読んでいた僕の背を、隣に座る星司クンの大きな掌が撫で下ろす。そうや、僕はまだ療養中で、僕自身がリハビリを必要とする状態やった。歩くことすらようかなわん僕を、星司クンがつきっきりで看病してくれてるんや。
「しやんな……僕より先に、樹クンとフユが会いに行くのがええと僕も思う」
「いいえ、まずは立夏が行くべきです。この手紙にはありませんが、奥様はまず立夏にと仰っていました」
「けど……」
僕はお母はんとの思い出がようさんあるけど、あのとき樹クンはまだ赤ちゃんやったし、フユも小さかった。ふたりがどんだけ寂しい思いをしたか考えたら、すぐにでも会わせてあげたいもの。僕の体調とお母はんの体調と、両方がええ日を待つのは、あんまりにももどかしいと思うんや。
「立夏。あなたの頭にはないのでしょうが、おふたりは何度も奥様のお見舞いに行っています。先代ともいつだって会われていましたし、食事だって……」
「星司クン」
星司クンの膝の上に置かれとる拳が、ぎりりと握りしめられて震えとった。それが怒りなんか悔しさなんか、僕には分からんかったけど、その言葉に僕の胸はツキンと痛んだ。
そうや、僕はお父はんの横顔か後ろ姿しか覚えてへんくらいやけど、ふたりはずっと母屋で一緒に暮らしとったんやった。たとえ寝たきりであったとしても、お母はんのお見舞いにいつでも行けたんやった。
僕だけが離れに閉じ込められて、学校と離れを行き来するだけの生活を送ってきたんやった。当たり前のことすぎて、確かに、僕の頭の中にはあらへんかったなぁ。
「立夏がまず会いに行くべきです。負担の少ないよう、車も宿も手配します。ですから、会いに行きましょう、立夏」
星司クンの険しく寄せられた眉の下に、黄色く鬼の目が光ってる。うっすら紋様も浮んでしもて、えろぅ我慢しているようや。僕は星司クンの拳にそっと自分の掌を重ねた。
「!」
「おおきに、ありがとう。星司クン。あのな……お母はんのお見舞い、もし良かったら、星司クン一緒におってくれへん?」
星司クンの顔が一瞬にして泣きそうに歪んだ。さっきまで目ぇの中にあった怒りの色が消えて、元の星司クンに戻る。うん、僕の好きな目や。そないな表情まで格好ええやなんて、少しだけ悔しい気もするけど。
そう思って見てたら、星司クンは膝を詰めてきて、僕の身体に手を回した。壊れ物みたぁに優しく抱きしめられると、焚き染められていた荷葉がふんわりと薫る。
「星司クン」
「俺は……立ち会わせてもらえるような、立場にないです。でも。立夏がそう望むなら、望んでくれるなら俺は……!」
「もちろんやよ。僕の方から頼んでるんやで?」
「立夏、愛しています」
僕の返事は星司クンのキスで塞がれた。顔を挟むように固定されて、その掌の熱を感じながら目を閉じる。そっと、そっと、薄く重ねられるだけの唇。あれからもうそろそろ一月経ついうのに。それだけ僕の身体がボロボロなのもわかるけど、じれったくて歯がゆい。
つい、舌でペロリと星司クンの唇を舐めると、星司クンは飛ぶ勢いで僕から離れていった。いや、飛んでったわ。後ろにがばーって。そんで障子突き破って廊下に尻もちついてた。
「り、立夏……!」
「ごめんなぁ。でもこれ、僕が悪いん?」
僕と星司クンは顔を見合わせて笑った。
★ ☆ ★
お母はんに会うためには、隣県まで足を伸ばす必要がある。最初に行くのが僕であることに反対の声は多かったらしい。それは僕の体調を心配しての言葉もあれば、フユのように敵対心からの言葉もあった。
フユは……僕を嫌っとる。
あの事件を境に、お父はんは引退して名目上は僕が当主になってる。あくまで名目上で、今は重政はんが中心になってお仕事をしてくれてはる状態や。
フユは長女やから、自分が当主になるってずっと言うてたけど、お父はんも重政はんもそれには賛成せんやったって聞いとる。元々僕はフユに嫌われていて、僕が当主になるって決まったとき、フユは寝込んでる僕を殺そうとしたんやって、星司クンが怒ってた。
でも、フユの気持ちを考えたら、僕には何も言えへんやった。たった三つでお母はんに会えんくなってしもて、フユはずっと泣いてた。僕のせいや。僕は僕で、フユを抱きしめてあげることもできひんかったし。
それだけやない。フユは星司クンのことが好きやったんや。何も知らんやった……。星司クンまで取るのかって、フユに睨まれたとき、僕は言い返す言葉があれへんやった。
「浮かない顔をしていますね。体調が悪いのであれば、やはり今日はやめておきますか?」
送迎の車を待つ間、ぼんやりしてたせいか星司クンに心配かけてもうたようや。僕は笑顔を作って「大丈夫」って返事をした。
お母はんに会いたい気持ちと、僕が会ってもええんやろうかと躊躇う気持ちとがごちゃ混ぜになっとる。僕のせいでお母はんは、十年も寝たきりやったんや。本当は、僕を恨んどるんかもしらん。恨み言を言うために、僕だけを呼んだのかもしらん。
『アンタなんかあのまま死ねば良かったんに』
星司クンのいないときを見計らって現れたフユが、僕を睨みつけてそう言うた。あれは本気の目やった。正直、年に一度くらいしか顔を合わせてへんフユにそこまで嫌われとるとは思ってへんやったわ。
「立夏……」
「行こうや、星司クン」
用意された車は黒塗りの大型車やった。重政はんとお弟子はんら、樹くんが玄関まで見送りに来てくれはった。中には大きな座席があって、人間がすっぽりはまるような溝とテープで止める帯のようなものがついとる。
「これって」
「揺れると身体にご負担でしょうから、特別な座席を用意いたしました。お館様、どうぞシートへおかけください」
重政はんがそう言って僕の肩を優しく手で包んだ。
「お館様、ご一緒できずに残念です。どうかご先代と奥様によろしくお伝えください」
「おおきに、重政はん。どうか留守を頼んます」
「お任せください」
型通りの挨拶が終わると、星司クンが僕を抱え上げてシートへ座らせてくれた。骨盤を痛めてもうてから、段差の昇降も走ることもできへんくなってしもたから。
「兄ちゃん、いってらっしゃい」
「ごめんな、樹クン。今度は一緒に行こうな」
「うん!」
僕は樹クンと指切りげんまんをして別れた。やっぱりフユは来てくれへんやったけど、しようのないことや。運転手さんが病院までの道を走らせてくれはる間、星司クンはずっと僕の手を握って隣におってくれた。
フユにぶつけられた言葉がトゲのように刺さって抜けへん。これからのことを考えると、息が詰まる。不安から逃げようと、僕はぎゅっと目を閉じた。
「お母はん、ほんまに、ほんまによかった……!」
涙の粒がこぼれそうになるのを僕は慌てて袖で拭った。手紙を濡らしてしもたら、お父はんの書きはった字が滲んで見えんよぅなってまう。
「良かったですね、立夏。せっかくですから、立夏の体調が良いときに会いに行かれたらいいと思います」
お布団に身体半分だけ起こして読んでいた僕の背を、隣に座る星司クンの大きな掌が撫で下ろす。そうや、僕はまだ療養中で、僕自身がリハビリを必要とする状態やった。歩くことすらようかなわん僕を、星司クンがつきっきりで看病してくれてるんや。
「しやんな……僕より先に、樹クンとフユが会いに行くのがええと僕も思う」
「いいえ、まずは立夏が行くべきです。この手紙にはありませんが、奥様はまず立夏にと仰っていました」
「けど……」
僕はお母はんとの思い出がようさんあるけど、あのとき樹クンはまだ赤ちゃんやったし、フユも小さかった。ふたりがどんだけ寂しい思いをしたか考えたら、すぐにでも会わせてあげたいもの。僕の体調とお母はんの体調と、両方がええ日を待つのは、あんまりにももどかしいと思うんや。
「立夏。あなたの頭にはないのでしょうが、おふたりは何度も奥様のお見舞いに行っています。先代ともいつだって会われていましたし、食事だって……」
「星司クン」
星司クンの膝の上に置かれとる拳が、ぎりりと握りしめられて震えとった。それが怒りなんか悔しさなんか、僕には分からんかったけど、その言葉に僕の胸はツキンと痛んだ。
そうや、僕はお父はんの横顔か後ろ姿しか覚えてへんくらいやけど、ふたりはずっと母屋で一緒に暮らしとったんやった。たとえ寝たきりであったとしても、お母はんのお見舞いにいつでも行けたんやった。
僕だけが離れに閉じ込められて、学校と離れを行き来するだけの生活を送ってきたんやった。当たり前のことすぎて、確かに、僕の頭の中にはあらへんかったなぁ。
「立夏がまず会いに行くべきです。負担の少ないよう、車も宿も手配します。ですから、会いに行きましょう、立夏」
星司クンの険しく寄せられた眉の下に、黄色く鬼の目が光ってる。うっすら紋様も浮んでしもて、えろぅ我慢しているようや。僕は星司クンの拳にそっと自分の掌を重ねた。
「!」
「おおきに、ありがとう。星司クン。あのな……お母はんのお見舞い、もし良かったら、星司クン一緒におってくれへん?」
星司クンの顔が一瞬にして泣きそうに歪んだ。さっきまで目ぇの中にあった怒りの色が消えて、元の星司クンに戻る。うん、僕の好きな目や。そないな表情まで格好ええやなんて、少しだけ悔しい気もするけど。
そう思って見てたら、星司クンは膝を詰めてきて、僕の身体に手を回した。壊れ物みたぁに優しく抱きしめられると、焚き染められていた荷葉がふんわりと薫る。
「星司クン」
「俺は……立ち会わせてもらえるような、立場にないです。でも。立夏がそう望むなら、望んでくれるなら俺は……!」
「もちろんやよ。僕の方から頼んでるんやで?」
「立夏、愛しています」
僕の返事は星司クンのキスで塞がれた。顔を挟むように固定されて、その掌の熱を感じながら目を閉じる。そっと、そっと、薄く重ねられるだけの唇。あれからもうそろそろ一月経ついうのに。それだけ僕の身体がボロボロなのもわかるけど、じれったくて歯がゆい。
つい、舌でペロリと星司クンの唇を舐めると、星司クンは飛ぶ勢いで僕から離れていった。いや、飛んでったわ。後ろにがばーって。そんで障子突き破って廊下に尻もちついてた。
「り、立夏……!」
「ごめんなぁ。でもこれ、僕が悪いん?」
僕と星司クンは顔を見合わせて笑った。
★ ☆ ★
お母はんに会うためには、隣県まで足を伸ばす必要がある。最初に行くのが僕であることに反対の声は多かったらしい。それは僕の体調を心配しての言葉もあれば、フユのように敵対心からの言葉もあった。
フユは……僕を嫌っとる。
あの事件を境に、お父はんは引退して名目上は僕が当主になってる。あくまで名目上で、今は重政はんが中心になってお仕事をしてくれてはる状態や。
フユは長女やから、自分が当主になるってずっと言うてたけど、お父はんも重政はんもそれには賛成せんやったって聞いとる。元々僕はフユに嫌われていて、僕が当主になるって決まったとき、フユは寝込んでる僕を殺そうとしたんやって、星司クンが怒ってた。
でも、フユの気持ちを考えたら、僕には何も言えへんやった。たった三つでお母はんに会えんくなってしもて、フユはずっと泣いてた。僕のせいや。僕は僕で、フユを抱きしめてあげることもできひんかったし。
それだけやない。フユは星司クンのことが好きやったんや。何も知らんやった……。星司クンまで取るのかって、フユに睨まれたとき、僕は言い返す言葉があれへんやった。
「浮かない顔をしていますね。体調が悪いのであれば、やはり今日はやめておきますか?」
送迎の車を待つ間、ぼんやりしてたせいか星司クンに心配かけてもうたようや。僕は笑顔を作って「大丈夫」って返事をした。
お母はんに会いたい気持ちと、僕が会ってもええんやろうかと躊躇う気持ちとがごちゃ混ぜになっとる。僕のせいでお母はんは、十年も寝たきりやったんや。本当は、僕を恨んどるんかもしらん。恨み言を言うために、僕だけを呼んだのかもしらん。
『アンタなんかあのまま死ねば良かったんに』
星司クンのいないときを見計らって現れたフユが、僕を睨みつけてそう言うた。あれは本気の目やった。正直、年に一度くらいしか顔を合わせてへんフユにそこまで嫌われとるとは思ってへんやったわ。
「立夏……」
「行こうや、星司クン」
用意された車は黒塗りの大型車やった。重政はんとお弟子はんら、樹くんが玄関まで見送りに来てくれはった。中には大きな座席があって、人間がすっぽりはまるような溝とテープで止める帯のようなものがついとる。
「これって」
「揺れると身体にご負担でしょうから、特別な座席を用意いたしました。お館様、どうぞシートへおかけください」
重政はんがそう言って僕の肩を優しく手で包んだ。
「お館様、ご一緒できずに残念です。どうかご先代と奥様によろしくお伝えください」
「おおきに、重政はん。どうか留守を頼んます」
「お任せください」
型通りの挨拶が終わると、星司クンが僕を抱え上げてシートへ座らせてくれた。骨盤を痛めてもうてから、段差の昇降も走ることもできへんくなってしもたから。
「兄ちゃん、いってらっしゃい」
「ごめんな、樹クン。今度は一緒に行こうな」
「うん!」
僕は樹クンと指切りげんまんをして別れた。やっぱりフユは来てくれへんやったけど、しようのないことや。運転手さんが病院までの道を走らせてくれはる間、星司クンはずっと僕の手を握って隣におってくれた。
フユにぶつけられた言葉がトゲのように刺さって抜けへん。これからのことを考えると、息が詰まる。不安から逃げようと、僕はぎゅっと目を閉じた。
0
お気に入りに追加
44
あなたにおすすめの小説
産卵おじさんと大食いおじさんのなんでもない日常
丸井まー(旧:まー)
BL
余剰な魔力を卵として毎朝産むおじさんと大食らいのおじさんの二人のなんでもない日常。
飄々とした魔導具技師✕厳つい警邏学校の教官。
※ムーンライトノベルズさんでも公開しております。全15話。
年上の恋人は優しい上司
木野葉ゆる
BL
小さな賃貸専門の不動産屋さんに勤める俺の恋人は、年上で優しい上司。
仕事のこととか、日常のこととか、デートのこととか、日記代わりに綴るSS連作。
基本は受け視点(一人称)です。
一日一花BL企画 参加作品も含まれています。
表紙は松下リサ様(@risa_m1012)に描いて頂きました!!ありがとうございます!!!!
完結済みにいたしました。
6月13日、同人誌を発売しました。
儀式の夜
清田いい鳥
BL
神降ろしは本家長男の役目である。これがいつから始まったのかは不明らしいが、そういうことになっている。
某屋敷の長男である|蛍一郎《けいいちろう》は儀式の代表として、深夜の仏間にひとり残された。儀式というのは決まった時間に祝詞を奏上し、眠るだけという簡単なもの。
甘かった。誰もいないはずの廊下から、正体不明の足音がする。急いで布団に隠れたが、足音は何の迷いもなく仏間のほうへと確実に近づいてきた。
その何者かに触られ驚き、目蓋を開いてさらに驚いた。それは大学生時代のこと。好意を寄せていた友人がいた。その彼とそっくりそのまま、同じ姿をした者がそこにいたのだ。
序盤のサービスシーンを過ぎたあたりは薄暗いですが、|駿《しゅん》が出るまで頑張ってください。『鼠が出るまで頑張れ』と同じ意味です。
感想ください!「誰やねん駿」とかだけで良いです!
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる