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番外編

一羽

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 星司クンが鬼になって、僕の身体がわやになってしまったあの事件からしばらくして、お父はんから手紙が届いた。それは、お母はんの体調が良ぅなってきたという内容で、つまりは、僕に面会を許可してくれるものやった。

「お母はん、ほんまに、ほんまによかった……!」

 涙の粒がこぼれそうになるのを僕は慌てて袖で拭った。手紙を濡らしてしもたら、お父はんの書きはった字が滲んで見えんよぅなってまう。

「良かったですね、立夏。せっかくですから、立夏の体調が良いときに会いに行かれたらいいと思います」

 お布団に身体半分だけ起こして読んでいた僕の背を、隣に座る星司クンの大きな掌が撫で下ろす。そうや、僕はまだ療養中で、僕自身がリハビリを必要とする状態やった。歩くことすらようかなわん僕を、星司クンがつきっきりで看病してくれてるんや。

「しやんな……僕より先に、いっクンとフユが会いに行くのがええと僕も思う」
「いいえ、まずは立夏が行くべきです。この手紙にはありませんが、奥様はまず立夏にと仰っていました」
「けど……」

 僕はお母はんとの思い出がようさんあるけど、あのときいっクンはまだ赤ちゃんやったし、フユも小さかった。ふたりがどんだけ寂しい思いをしたか考えたら、すぐにでも会わせてあげたいもの。僕の体調とお母はんの体調と、両方がええ日を待つのは、あんまりにももどかしいと思うんや。

「立夏。あなたの頭にはないのでしょうが、おふたりは何度も奥様のお見舞いに行っています。先代ともいつだって会われていましたし、食事だって……」
「星司クン」

 星司クンの膝の上に置かれとる拳が、ぎりりと握りしめられて震えとった。それが怒りなんか悔しさなんか、僕には分からんかったけど、その言葉に僕の胸はツキンと痛んだ。

 そうや、僕はお父はんの横顔か後ろ姿しか覚えてへんくらいやけど、ふたりはずっと母屋で一緒に暮らしとったんやった。たとえ寝たきりであったとしても、お母はんのお見舞いにいつでも行けたんやった。

 僕だけが離れに閉じ込められて、学校と離れを行き来するだけの生活を送ってきたんやった。当たり前のことすぎて、確かに、僕の頭の中にはあらへんかったなぁ。

「立夏がまず会いに行くべきです。負担の少ないよう、車も宿も手配します。ですから、会いに行きましょう、立夏」

 星司クンの険しく寄せられた眉の下に、黄色く鬼の目が光ってる。うっすら紋様も浮んでしもて、えろぅ我慢しているようや。僕は星司クンの拳にそっと自分の掌を重ねた。

「!」
「おおきに、ありがとう。星司クン。あのな……お母はんのお見舞い、もし良かったら、星司クン一緒におってくれへん?」

 星司クンの顔が一瞬にして泣きそうに歪んだ。さっきまで目ぇの中にあった怒りの色が消えて、元の星司クンに戻る。うん、僕の好きな目や。そないな表情まで格好ええやなんて、少しだけ悔しい気もするけど。

 そう思って見てたら、星司クンは膝を詰めてきて、僕の身体に手を回した。壊れ物みたぁに優しく抱きしめられると、焚き染められていた荷葉かようがふんわりと薫る。

「星司クン」
「俺は……立ち会わせてもらえるような、立場にないです。でも。立夏がそう望むなら、望んでくれるなら俺は……!」
「もちろんやよ。僕の方から頼んでるんやで?」
「立夏、愛しています」

 僕の返事は星司クンのキスで塞がれた。顔を挟むように固定されて、その掌の熱を感じながら目を閉じる。そっと、そっと、薄く重ねられるだけの唇。あれからもうそろそろ一月経ついうのに。それだけ僕の身体がボロボロなのもわかるけど、じれったくて歯がゆい。

 つい、舌でペロリと星司クンの唇を舐めると、星司クンは飛ぶ勢いで僕から離れていった。いや、飛んでったわ。後ろにがばーって。そんで障子突き破って廊下に尻もちついてた。

「り、立夏……!」
「ごめんなぁ。でもこれ、僕が悪いん?」

 僕と星司クンは顔を見合わせて笑った。



 ★ ☆ ★



 お母はんに会うためには、隣県まで足を伸ばす必要がある。最初に行くのが僕であることに反対の声は多かったらしい。それは僕の体調を心配しての言葉もあれば、フユのように敵対心からの言葉もあった。

 フユは……僕を嫌っとる。

 あの事件を境に、お父はんは引退して名目上は僕が当主になってる。あくまで名目上で、今は重政はんが中心になってお仕事をしてくれてはる状態や。

 フユは長女やから、自分が当主になるってずっと言うてたけど、お父はんも重政はんもそれには賛成せんやったって聞いとる。元々僕はフユに嫌われていて、僕が当主になるって決まったとき、フユは寝込んでる僕を殺そうとしたんやって、星司クンが怒ってた。

 でも、フユの気持ちを考えたら、僕には何も言えへんやった。たった三つでお母はんに会えんくなってしもて、フユはずっと泣いてた。僕のせいや。僕は僕で、フユを抱きしめてあげることもできひんかったし。

 それだけやない。フユは星司クンのことが好きやったんや。何も知らんやった……。星司クンまで取るのかって、フユに睨まれたとき、僕は言い返す言葉があれへんやった。

「浮かない顔をしていますね。体調が悪いのであれば、やはり今日はやめておきますか?」

 
 送迎の車を待つ間、ぼんやりしてたせいか星司クンに心配かけてもうたようや。僕は笑顔を作って「大丈夫」って返事をした。

 お母はんに会いたい気持ちと、僕が会ってもええんやろうかと躊躇う気持ちとがごちゃ混ぜになっとる。僕のせいでお母はんは、十年も寝たきりやったんや。本当は、僕を恨んどるんかもしらん。恨み言を言うために、僕だけを呼んだのかもしらん。

『アンタなんかあのまま死ねば良かったんに』

 星司クンのいないときを見計らって現れたフユが、僕を睨みつけてそう言うた。あれは本気の目やった。正直、年に一度くらいしか顔を合わせてへんフユにそこまで嫌われとるとは思ってへんやったわ。

「立夏……」
「行こうや、星司クン」

 用意された車は黒塗りの大型車やった。重政はんとお弟子はんら、いっくんが玄関まで見送りに来てくれはった。中には大きな座席があって、人間がすっぽりはまるような溝とテープで止める帯のようなものがついとる。

「これって」
「揺れると身体にご負担でしょうから、特別な座席を用意いたしました。お館様、どうぞシートへおかけください」

 重政はんがそう言って僕の肩を優しく手で包んだ。

「お館様、ご一緒できずに残念です。どうかご先代と奥様によろしくお伝えください」
「おおきに、重政はん。どうか留守を頼んます」
「お任せください」

 型通りの挨拶が終わると、星司クンが僕を抱え上げてシートへ座らせてくれた。骨盤を痛めてもうてから、段差の昇降も走ることもできへんくなってしもたから。

「兄ちゃん、いってらっしゃい」
「ごめんな、いっクン。今度は一緒に行こうな」
「うん!」

 僕はいっクンと指切りげんまんをして別れた。やっぱりフユは来てくれへんやったけど、しようのないことや。運転手さんが病院までの道を走らせてくれはる間、星司クンはずっと僕の手を握って隣におってくれた。

 フユにぶつけられた言葉がトゲのように刺さって抜けへん。これからのことを考えると、息が詰まる。不安から逃げようと、僕はぎゅっと目を閉じた。
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