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第8章「イストギールの夜明け」
ロザリエーヌ・レゴラ
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――はじめまして、ここに書かれる気分はいかがかしら?
紙面を触ると、文字の部分がザラザラし、インク染みが出来ている。文末に書かれたパディチッリの月――確か風の精霊の名前だった気がする――という記述から、日記帳に違いない。
――私はロザリエーヌ・レゴラ、今日十才になりましたの。
「ロザリエーヌって、肖像画のお姫様……だよね?」
――パディチッリの月三日、ユーゾン・マルロウという男の子が家に来ましたの。私よりも二つ年下で、背が低いのです。トゥルバンチェンの見習いとしてやってきたんですって。トゥルバンチェンはお父様に仕えている騎士ですの。
相変わらず、この世界の文字を読める――書けと言われると怪しいが――のが不思議だ。
――ねえ、聞いてくれるかしら。ユーゾンはね、みんなとは違いますの。よく平らな所でけつまずいて、狭い所で屈んで立ち上がろうとすると、頭をぶつけたりしますの。大人はみんな雑務をそつなくこなして、私の前で決して失敗しませんの。でも、お父様を含めて、大人は非の打ち所がなくて、怖い。私よりも少し年上のアスモゥも同じ。アスモゥは私を気遣って話しかけてくるけれど、下心がある気がして、怖い。みんな何を考えているのか分からなくて、あなたのようにお話しできませんの。
あなたと言われてドキリとしたが、ロザリエーヌの話し相手は日記帳である。日記上では饒舌な彼女が対人では無口になるとは信じられないが、未知には心当たりがあった。休み時間、人と話すのが怖くて、ひたすら下を向いて勉強をしていた。寂しさを紛らわせるために、ノートに何度も英単語や用語を書いた。お喋りしているクラスメイトよりも賢くなってやるんだと毒づいた。
――シダルキンの月十三日、今日の私はあなたを不愉快にするかもしれないわ。
なぜかこの日は書き殴ったような筆致で、ページにみっちり書き込まれている。
――ユーゾンが梯子に上って窓拭きをしていましたの。危なっかしかったけれど、気になって下で見ていましたの。手を震わせつつも何とか終わらせ、梯子から降りようとした時、足を滑らせて転落しましたの。誰もがまたいつものことだと思って取り合わなかったのだけれど、咄嗟に私はユーゾンを受け止めましたの。その時、ユーゾンは「お嬢様って、案外力持ちなんだな」って言いましたの! ありがとうございますではなく、茶化してきましたのよ! ムッとして思わず「あなた、礼も言えませんの?」と言ったら、「ありがとうって言ってもらいたいの? お嬢様だって、ムスッとして、みんなに礼を言わないくせに」と言い返してきましたの。「私は良いですの!」と返すと、ユーゾンは「初めて喋るのを聞いたけど、その言葉遣いおかしいよ」と笑っていましたのよ。まるで馬鹿にされているようで、居たたまれなかったですの。
ロザリエーヌとユーゾンの初めての会話は後味が悪かったが、転落の一件以来、彼女は口を開くようになったようだ。丁寧な口調の日記は、ユーゾンとの対話をとおして、市井の――一少女を思わせる天真爛漫な口調に変わっていった。
――ユーゾンは自分が騎士に向いていないと言うの。こっそり彼の稽古の相手になったことがあるんだけど、勝負にならなかったわ。お嬢様に負けるなんて、僕は終わりだと嘆いていた。見様見真似で彼の作法をやってみたけれど、私の方が様になっていた。お嬢様が男に生まれて、僕が女に生まれれば良かったのにと、彼はよく弱音をはいたの。
ロザリエーヌの話題はユーゾンで持ちきりだった。ユーゾンは彼女が知らない屋敷の外の事情を見聞きしていた。外の世界に興味を持ったロザリエーヌはこっそり領地を抜け出し、イストギールの町で、遣いに行ったユーゾンと会った。よく石造りの橋の上で、胸の内を話したそうだ。
――もし、君が貴族じゃなかったら何と呼ばれたいんだ?と、彼は聞いてきた。私はあなたが呼んでくれるように、ローザって名乗りたい。姓はレゴラじゃなくて……思いつきだけど、デルスウィットがいい。
ローザ・デルスウィット――間違いない。伯爵のご息女はニャッカで世話になった退治屋のローザなのだ。しかし、なぜ貴族の彼女が魔物討伐に勤しんでいるのだろう。
「そこで何をしているのですか?」
未知は心の臓が止まりそうになった。
咄嗟に日記帳を引き出しに戻そうとしたが、コートのポケットに入れてしまった。
「ご、ごめんなさい」
本当はあなたに鍵を渡そうとしたが、部屋の秘密が気になって開けてしまったとは言えない。だが、無断で入室したのは事実だ。
「ご存じなのですか?」
「え?」
「ロザリエーヌ様がどこにいらっしゃるかご存じなのでしょう」
メイドは坦々と言葉を紡ぐ。
「鏡に、あなたのお顔が映っていましたから」
見られていたんだ。
「お嬢様がいなくなったのは、あなたと同じ年頃でした」
「ロザリエーヌ……ローザさんは、退治屋の戦士なんです。前に、ニャッカ王国で、クロボルから私を守ってくれました。ちょっと怖かったけど……あ、クロボルは猪の姿をした魔物です」
「そう、ですか」
メイドの張りつめた表情が和らぐのが分かった。
果たして、メイドにローザの居場所を伝えた方が良いのだろうか。街にいると分かったら、一家総出で迎えに行くかもしれない。喜ばしいに違いないが、なぜか気が進まない。
紙面を触ると、文字の部分がザラザラし、インク染みが出来ている。文末に書かれたパディチッリの月――確か風の精霊の名前だった気がする――という記述から、日記帳に違いない。
――私はロザリエーヌ・レゴラ、今日十才になりましたの。
「ロザリエーヌって、肖像画のお姫様……だよね?」
――パディチッリの月三日、ユーゾン・マルロウという男の子が家に来ましたの。私よりも二つ年下で、背が低いのです。トゥルバンチェンの見習いとしてやってきたんですって。トゥルバンチェンはお父様に仕えている騎士ですの。
相変わらず、この世界の文字を読める――書けと言われると怪しいが――のが不思議だ。
――ねえ、聞いてくれるかしら。ユーゾンはね、みんなとは違いますの。よく平らな所でけつまずいて、狭い所で屈んで立ち上がろうとすると、頭をぶつけたりしますの。大人はみんな雑務をそつなくこなして、私の前で決して失敗しませんの。でも、お父様を含めて、大人は非の打ち所がなくて、怖い。私よりも少し年上のアスモゥも同じ。アスモゥは私を気遣って話しかけてくるけれど、下心がある気がして、怖い。みんな何を考えているのか分からなくて、あなたのようにお話しできませんの。
あなたと言われてドキリとしたが、ロザリエーヌの話し相手は日記帳である。日記上では饒舌な彼女が対人では無口になるとは信じられないが、未知には心当たりがあった。休み時間、人と話すのが怖くて、ひたすら下を向いて勉強をしていた。寂しさを紛らわせるために、ノートに何度も英単語や用語を書いた。お喋りしているクラスメイトよりも賢くなってやるんだと毒づいた。
――シダルキンの月十三日、今日の私はあなたを不愉快にするかもしれないわ。
なぜかこの日は書き殴ったような筆致で、ページにみっちり書き込まれている。
――ユーゾンが梯子に上って窓拭きをしていましたの。危なっかしかったけれど、気になって下で見ていましたの。手を震わせつつも何とか終わらせ、梯子から降りようとした時、足を滑らせて転落しましたの。誰もがまたいつものことだと思って取り合わなかったのだけれど、咄嗟に私はユーゾンを受け止めましたの。その時、ユーゾンは「お嬢様って、案外力持ちなんだな」って言いましたの! ありがとうございますではなく、茶化してきましたのよ! ムッとして思わず「あなた、礼も言えませんの?」と言ったら、「ありがとうって言ってもらいたいの? お嬢様だって、ムスッとして、みんなに礼を言わないくせに」と言い返してきましたの。「私は良いですの!」と返すと、ユーゾンは「初めて喋るのを聞いたけど、その言葉遣いおかしいよ」と笑っていましたのよ。まるで馬鹿にされているようで、居たたまれなかったですの。
ロザリエーヌとユーゾンの初めての会話は後味が悪かったが、転落の一件以来、彼女は口を開くようになったようだ。丁寧な口調の日記は、ユーゾンとの対話をとおして、市井の――一少女を思わせる天真爛漫な口調に変わっていった。
――ユーゾンは自分が騎士に向いていないと言うの。こっそり彼の稽古の相手になったことがあるんだけど、勝負にならなかったわ。お嬢様に負けるなんて、僕は終わりだと嘆いていた。見様見真似で彼の作法をやってみたけれど、私の方が様になっていた。お嬢様が男に生まれて、僕が女に生まれれば良かったのにと、彼はよく弱音をはいたの。
ロザリエーヌの話題はユーゾンで持ちきりだった。ユーゾンは彼女が知らない屋敷の外の事情を見聞きしていた。外の世界に興味を持ったロザリエーヌはこっそり領地を抜け出し、イストギールの町で、遣いに行ったユーゾンと会った。よく石造りの橋の上で、胸の内を話したそうだ。
――もし、君が貴族じゃなかったら何と呼ばれたいんだ?と、彼は聞いてきた。私はあなたが呼んでくれるように、ローザって名乗りたい。姓はレゴラじゃなくて……思いつきだけど、デルスウィットがいい。
ローザ・デルスウィット――間違いない。伯爵のご息女はニャッカで世話になった退治屋のローザなのだ。しかし、なぜ貴族の彼女が魔物討伐に勤しんでいるのだろう。
「そこで何をしているのですか?」
未知は心の臓が止まりそうになった。
咄嗟に日記帳を引き出しに戻そうとしたが、コートのポケットに入れてしまった。
「ご、ごめんなさい」
本当はあなたに鍵を渡そうとしたが、部屋の秘密が気になって開けてしまったとは言えない。だが、無断で入室したのは事実だ。
「ご存じなのですか?」
「え?」
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「ロザリエーヌ……ローザさんは、退治屋の戦士なんです。前に、ニャッカ王国で、クロボルから私を守ってくれました。ちょっと怖かったけど……あ、クロボルは猪の姿をした魔物です」
「そう、ですか」
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果たして、メイドにローザの居場所を伝えた方が良いのだろうか。街にいると分かったら、一家総出で迎えに行くかもしれない。喜ばしいに違いないが、なぜか気が進まない。
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