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第4章「見えるもの、見えないもの」
遭遇
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――ウワオォーン
風の音に交じって犬の遠吠えが聞こえた。絶え間なく鳴り続いている風のうなり声とは違う。この何もない山頂に果たして犬がいるのだろうか。
「君はここでじっと待っていろ。俺が様子を見てくる」
ジュリスにも例の鳴き声が聞こえたようだ。彼は無意識のうちに構えの体勢を取り、身一つで岩影から出た。
「おいでなさったか」
正面に無数の獣の目が光り、ジュリスを歓迎する。暗闇にうごめく四足の獣達は、辺りに異様な影を落としている。
「獣臭さじゃなくて、死臭がする。こいつら只者じゃないな。ふふ、ここまで無事に来れたのは、大物をけしかけるためだったからか」
獣達はジュリスの独り言を聞いてうなり声をあげ、仕舞いには腹の虫に我慢できなくなった一匹が彼に向かって飛びかかった。
「ケルン!?」
獣の吠え声に、未知は岩影から少し顔を出した。
対してジュリスはズボンに忍ばせていた短剣を取り出し、素早く両手に構えた、と同時に鮮やかな手さばきで相手の急所である目を貫き、一体ずつ確実に仕留めていった。完全に動けなくなるまでではなく、敵の動きが正確に取れなくなれば良いのだ。
未知は、前にも似たような光景を目にした。ルンサームの廃墟で、李本銀の侍・鴻寨は刀を操って次々と迫りくるケルン達を始末した。ジュリスの動きも鴻寨と同様に速すぎて分からない。ジュリスの方は、暗闇の中での戦闘という不利な状況だったが、敵の動きを的確に捉えていた。
しかし、戦の神は必ずしもジュリスに味方しているわけではなかった。
「……くっ」
仕留めても仕留めても、ケルンの数は一向に減らない。長丁場に、疲れだけが溜まり、ジュリスは隙を突かれて右足を噛み付かれた。
(そんな)
未知は知っていた――ケルンの牙には毒が含まれていることを。噛み付かれたら最期、ジュリスはそう長くはない。
ジュリスは、噛み付いたケルンを左足で蹴り飛ばした。牙で肉がえぐられる痛みを感じ、彼は顔を歪めた。すると、今まで勇んで彼に襲いかかっていたケルン達は一歩身を退いた。
「何だ、戦わないつもりか?」
ジュリスはもうすぐ自分が昏睡状態に陥るとは思っていないに違いない。
「お?」
ケルン達が見やる方向に誰かが立っていた。
「やっとお出ましか」
相手の姿は最初暗闇に紛れてよく見えなかったが、目が慣れた頃には、ジュリスの目と鼻の先にいた。
――魔物は通常単独、数匹で行動するが、複数の場合は首領が必要になる。
未知は、鴻寨が言った言葉を思い出した。ジュリスの目の前にいる者がケルンの首領ということか。
無言でジュリスを見つめる相手は、顔にすっぽりとフードを被り、暗色のロングコートを纏っている。
「お前さん、何の用だ?と言っても、素直に答えてくれないだろうな。俺に用がないのは、もっぱら分かっている。俺と旅している女の子を連れさらいに来たんだろう」
「あの女は、さらう価値などない」
相手は、さらりと事もなげに答えた。
その声を聞いて、未知は背筋が寒くなった。相手の正体が分かり、いつかのように心臓がきりきりと痛み始める。
「お前さん、女の子か。はっはっはっ、価値か。俺は、お前さんのようには思わなかったな」
「貴様を始末しに来た」
イルは、単刀直入にジュリス目がけて大剣を振り払った。
「やっぱりな」
ジュリスは、足に怪我を負っていながらも、斬撃を避けた。
「その小さな体で大層な武器を持っているな。だが力任せにでかぶつを振り回しているようにしか見えない。俺の体力を奪ってハンデを作り、勝てるとでも思ったのか」
ジュリスは短剣を持ち直し、構えの体勢を取る。
「お前さんの全神経は、そのでかぶつを用いた攻撃に注がれている。つまり」
すっと、ジュリスはイルの間合いに入り、彼女の左足に深々と短剣を突き刺すと、両足をバネのように動かして軽やかに退いた。
「これで、おあいこだ」
相手の足は無防備である。
大剣を操るには腕力ともに両足で体を支えなくてはならず、片足をやられれば、バランスを取るのは難しくなる。
イルは一瞬口元を歪めたが、即座に短剣を引き抜き、遠くへ投げ捨てた。どうやら傷口から血は出ていないようだ。
彼女は大剣を構えると、再び風を切って走り、ジュリスを狙う。
「は、痛くないのか?」
相手は負傷しているというのに、動きは無傷の時と変わりない。むしろイルは、戦いを楽しんでいるように見える。
「……顔を見せないとは、良いご身分だな」
不意にジュリスは自分の体が重く感じた。めまいも襲ってきた。足の痛みから意識不明への秒読みが始まったのである。
「最期に顔だけでも拝ませろ」
ジュリスは、口の端を上げて辛うじて笑う。痛みで痺れた右足を動かしてイルを背後から攻め、渾身の力を振り絞って彼女のフードを剥ごうとした。
「ジュリスさんっ!」
出し抜けに背後の崖下から、ぬっと巨鳥が現れ、ジュリスの影を消した。未知の叫びは虚しく、ジュリスが気配に気づいて振り向いた時には後の祭りだった。巨鳥の丸太のように太く、ドリルのように鋭利なくちばしが彼の胸を貫いた。
風の音に交じって犬の遠吠えが聞こえた。絶え間なく鳴り続いている風のうなり声とは違う。この何もない山頂に果たして犬がいるのだろうか。
「君はここでじっと待っていろ。俺が様子を見てくる」
ジュリスにも例の鳴き声が聞こえたようだ。彼は無意識のうちに構えの体勢を取り、身一つで岩影から出た。
「おいでなさったか」
正面に無数の獣の目が光り、ジュリスを歓迎する。暗闇にうごめく四足の獣達は、辺りに異様な影を落としている。
「獣臭さじゃなくて、死臭がする。こいつら只者じゃないな。ふふ、ここまで無事に来れたのは、大物をけしかけるためだったからか」
獣達はジュリスの独り言を聞いてうなり声をあげ、仕舞いには腹の虫に我慢できなくなった一匹が彼に向かって飛びかかった。
「ケルン!?」
獣の吠え声に、未知は岩影から少し顔を出した。
対してジュリスはズボンに忍ばせていた短剣を取り出し、素早く両手に構えた、と同時に鮮やかな手さばきで相手の急所である目を貫き、一体ずつ確実に仕留めていった。完全に動けなくなるまでではなく、敵の動きが正確に取れなくなれば良いのだ。
未知は、前にも似たような光景を目にした。ルンサームの廃墟で、李本銀の侍・鴻寨は刀を操って次々と迫りくるケルン達を始末した。ジュリスの動きも鴻寨と同様に速すぎて分からない。ジュリスの方は、暗闇の中での戦闘という不利な状況だったが、敵の動きを的確に捉えていた。
しかし、戦の神は必ずしもジュリスに味方しているわけではなかった。
「……くっ」
仕留めても仕留めても、ケルンの数は一向に減らない。長丁場に、疲れだけが溜まり、ジュリスは隙を突かれて右足を噛み付かれた。
(そんな)
未知は知っていた――ケルンの牙には毒が含まれていることを。噛み付かれたら最期、ジュリスはそう長くはない。
ジュリスは、噛み付いたケルンを左足で蹴り飛ばした。牙で肉がえぐられる痛みを感じ、彼は顔を歪めた。すると、今まで勇んで彼に襲いかかっていたケルン達は一歩身を退いた。
「何だ、戦わないつもりか?」
ジュリスはもうすぐ自分が昏睡状態に陥るとは思っていないに違いない。
「お?」
ケルン達が見やる方向に誰かが立っていた。
「やっとお出ましか」
相手の姿は最初暗闇に紛れてよく見えなかったが、目が慣れた頃には、ジュリスの目と鼻の先にいた。
――魔物は通常単独、数匹で行動するが、複数の場合は首領が必要になる。
未知は、鴻寨が言った言葉を思い出した。ジュリスの目の前にいる者がケルンの首領ということか。
無言でジュリスを見つめる相手は、顔にすっぽりとフードを被り、暗色のロングコートを纏っている。
「お前さん、何の用だ?と言っても、素直に答えてくれないだろうな。俺に用がないのは、もっぱら分かっている。俺と旅している女の子を連れさらいに来たんだろう」
「あの女は、さらう価値などない」
相手は、さらりと事もなげに答えた。
その声を聞いて、未知は背筋が寒くなった。相手の正体が分かり、いつかのように心臓がきりきりと痛み始める。
「お前さん、女の子か。はっはっはっ、価値か。俺は、お前さんのようには思わなかったな」
「貴様を始末しに来た」
イルは、単刀直入にジュリス目がけて大剣を振り払った。
「やっぱりな」
ジュリスは、足に怪我を負っていながらも、斬撃を避けた。
「その小さな体で大層な武器を持っているな。だが力任せにでかぶつを振り回しているようにしか見えない。俺の体力を奪ってハンデを作り、勝てるとでも思ったのか」
ジュリスは短剣を持ち直し、構えの体勢を取る。
「お前さんの全神経は、そのでかぶつを用いた攻撃に注がれている。つまり」
すっと、ジュリスはイルの間合いに入り、彼女の左足に深々と短剣を突き刺すと、両足をバネのように動かして軽やかに退いた。
「これで、おあいこだ」
相手の足は無防備である。
大剣を操るには腕力ともに両足で体を支えなくてはならず、片足をやられれば、バランスを取るのは難しくなる。
イルは一瞬口元を歪めたが、即座に短剣を引き抜き、遠くへ投げ捨てた。どうやら傷口から血は出ていないようだ。
彼女は大剣を構えると、再び風を切って走り、ジュリスを狙う。
「は、痛くないのか?」
相手は負傷しているというのに、動きは無傷の時と変わりない。むしろイルは、戦いを楽しんでいるように見える。
「……顔を見せないとは、良いご身分だな」
不意にジュリスは自分の体が重く感じた。めまいも襲ってきた。足の痛みから意識不明への秒読みが始まったのである。
「最期に顔だけでも拝ませろ」
ジュリスは、口の端を上げて辛うじて笑う。痛みで痺れた右足を動かしてイルを背後から攻め、渾身の力を振り絞って彼女のフードを剥ごうとした。
「ジュリスさんっ!」
出し抜けに背後の崖下から、ぬっと巨鳥が現れ、ジュリスの影を消した。未知の叫びは虚しく、ジュリスが気配に気づいて振り向いた時には後の祭りだった。巨鳥の丸太のように太く、ドリルのように鋭利なくちばしが彼の胸を貫いた。
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