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第3章「果てしなき世界へ」

旅立ち

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 その晩、未知はなかなか寝付けなかった。
 掛け布の中で、もぞもぞ左へ右へと体の向きを変えるが、睡魔は一向に襲ってこない。

(外に出ようかな)

 夜の外出が危険であることは分かっていた。真っ暗で、不意にケルンのような獰猛な獣が襲ってくるかもしれない。夜の外出、ましてや、未知は門限を破ったことが一度もなかった。
 このまま横たわっていようかと思ったが、もっと落ち着かない。今朝、こっそり教会から抜け出してきたのだから、夜なんて怖くないと奮い立たせて、外に出ることにした。

「……寒い」

 潮の薫りが混ざった夜風が未知の体を冷やす。長時間外にいたら、風邪を引いてしまいそうだ。昼間にホウェンから貰ったコートを羽織れば良かったと後悔した。

 ――これは、夢見るけものゲルマサの毛で織ったコートよ。ゲルマサは、世界中を駆け巡る獣で、これを着ていれば、灼熱の砂漠でも、極寒の雪原でも大丈夫よ。

 鮮やかな、しかし派手な色合いではない桃色のロングコートだった。ゲルマサとはいかなる生物なのか不思議に思ったが、コートの肌ざわりは絹のように滑らかで、生地は若干薄手でありながらも、ほんのりと温かかった。

 ――あんたが昼間に本当にいなくなったら、これを渡せなかったんだからね。大切に着なさいよ。

 ホウェンはやや勝気で―昼間に廃墟で胸倉を掴まれた時を思い出す――近寄りがたい印象があったが、コートを手に取る彼女の姿には優しさが感じられた。

 ――これは僕が作ったブーツです。長旅になりますからね、充分革をなめしておきましたよ。

 ロングコートに続き、未知は、生まれて初めてブーツを履いた。神魔羅殿に行く時もだったが、エルスタンが仕立てた靴は履き心地が良い。彼は、神職に就く前は靴職人だったのだろうか。店に出して売ってもおかしくない出来だ。世界中を、長旅――頭の中は、明日から始まる旅のことでいっぱいだった。
 未知は寒さを紛らわせようと、大きく伸びをし、手足を軽く動かした。ザザァ、ザザァと寄せては引くさざ波の音が耳に染み渡る。

 明日、旅立ちなさいと言われても、実感が湧かない。ここにいるのが申し訳ない、ということは分かっていた。しかし、どこかに行けと言われても、漠然としていて分からない。
 第一、自分が流されてきたこの世界の成り立ちをほとんど知らない。どんな国があって、どんな人が暮らしているのか。魔王サレプスのように悪魔が目に見えて存在しているので、もしかしたら、人の姿をしていない者が世界中に溢れているかもしれない。

 食事に関して、ここ数日食べた物は、日頃食べてきた食材と変わらないし、水も腹を下していないので、問題ないだろう。服装も慣れてしまえば、違和感はない。トイレは水洗式ではなく、汲取り式が当たり前だと思えば、用は足せる。
 旅行に行くにしても、お金は必ずかかる。通貨は、アメリカにドル、ヨーロッパにユーロがあるように、この世界にも独自のお金が存在するはずだ。違う国のお金だと思って使えば、じきに覚えるだろう。

 だが、旅は一人である。

 困ったときは進んで人に尋ねなければいけない。お金だって使えば、必ず底を突くものだ。旅を続けるには、お金を稼がなければならない。しかし、お金を稼ぐには、人に話し掛けなければならない。どこかに寝泊りもしなければいけない。まだ働いたこともない。
 私にはそんな自信はなかった。
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