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婚約破棄は突然に
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「ローズ。貴様のティルナシア・カーターに対する数々の嫌がらせは既に明白。そのようなことをするものを国母と迎え入れるわけにはいかぬ。よってここにアロー皇国皇子イヴァン・カイ・アローとローザリア公爵家ローズ・ロレーヌ・ローザリアの婚約を破棄する。そして、私、アロー皇国第二皇子イヴァン・カイ・アローは真に王妃に相応しき、このカーター男爵家令嬢、ティルナシア・カーターとの婚約を宣言する」
高々と声が響いて、私ことローズ・ロレーヌ・ローザリアは一瞬眩暈を憶えた。
今、国母とか王妃とか聞こえなかったろうか、国母?、王妃?、いやいや、そんなわけはない。…パハップス。
空耳だと思いたいが、現実を見なさいと私の中の私が言う。ついでに、兄上が、皇家との婚約は破棄すべきであると言明しているのは、こういうことの積み重ね、と思うに至る。
此処はアロー皇国の中でも優秀な人材が集まると言われる皇国魔法学園。一芸に秀でているのであるならば、老若男女平民貴族、異国のものであろうと変人であろうと受け入れる、公正ではあっても、ある種の平等と不公平がまかり通り閉鎖空間だ。
そして今は、学園の中でも特に優秀な生徒が行う、発表や説明・実演を兼ねた、年に一度のデブリーフィングセッションの会場である講堂の舞台上だ。
客席として設えられた舞台下は薄暗く、仄かな魔灯がその足元を照らすのとは対照的に、舞台上は煌々と照らされ、現れた殿下方の纏う衣服の金糸銀糸をより煌めかせる。さながら演劇の一幕。
外にある会場では武闘祭が開催され、お祭り騒ぎ。そして講堂の方は学究的な発表報告が主であったから、たったの今まで熱量はあっても静かに行われていたのだが。
先までの厳かで真摯な雰囲気が一掃され、会場で学生の発表に耳を傾けていた関係各位が口々に動揺のつぶやきを漏らす。小波のようにこの耳に届く。
貴賓席で熱心に静聴していらした方々も、唖然としたのち、ゆっくりと首を振った。呆れた、とんでもない、なんなのだ彼等は、とでもいったところであろうか。
方々の視線の先は、私の向かい、つまりは上座を向く。そこには三人の男子と彼らを侍らせている一人の少女が立つ。
驚くべきことか、三人の男子のうちの一人は本人が名乗った通り、第二皇子殿下。私の母方の従兄である。
残る二人は、宮廷魔術師長の孫、そして芸術伯の子息だ。だが、殿下の腕にしなだれるように腕を絡ませている黒髪の少女をご来賓方々は目にしたことはないだろう。当然だが。私もつい先日、名前と姿を一致させて知ったばかり。突然彼女達に絡まれ、難癖をつけられたのだ。
その後、公爵家の影たちが調べた情報によると、彼女は平民の母親と男爵家の当主との間に出来た子で、市井育ち。母親の死をきっかけに男爵家に引き取られ、一年ばかり前にこの皇国魔法学園に転入してきたとのことがわかった。
皇国魔法学園に転入するにふさわしい膨大な魔力はあるものの、この一年、成績そのものはふるわないらしい。そのせいか、私は彼女を認識することがなかった。成績や専攻が違うと、学年が同じでも全く顔を合わせることがないからだ。
だが、とがった才能--つまりは「魔力の総量」が彼女をこの学園に留めている。
ちなみに、同じ理由で--つまり成績という面で--従兄であり、婚約者でもある第二皇子殿下とも学園内で顔を合わせることがほぼなかったのだが。
普通ならば、殿下が側近候補二人と少女を侍らせている、と見るべきなのだろう。しかし、彼らを取り巻く雰囲気…形の見えないあやふやな、しかしながら、妙に納得するような空気感が、少女「が」三人の男子を侍らせている、と見せる。
貴賓席に座す互いに親しい者同士はちらりと視線を合わせては、無言の会話をしているだろう。知っているか、いや知らない、そう貴族らしく無言で。
来賓の動揺をどのように感じているのか、或いは全くなんとも感じていないのか、意気揚々と声を上げた第二皇子殿下…イヴァン・カイ・アロー殿下は、此方に厳めしい表情を見せた。
私は何も聞こえない、聞こえなかったと心の中で呟いた。
「…殿下、誠に申し訳ございませんが、次の発表者の大切な持ち時間が減ってしまいます。そのお話は後程、王宮でお伺いいたしますので」
従兄とは言え、身分は「上」だ。礼を以て彼に--イヴァン皇子にそう告げる。
「そのようなことよりも、悪辣なる貴様の所業、その罪を糾弾することのほうが重要に決まっているだろう!」
大きな声に、私は眩暈に続いて頭痛を憶えながら
「殿下、本日発表する者は皆、この学園で短くても1年、長ければ6年の時間を掛け、学び、研究研鑽し、その成果を携えてこの場に臨んでいるのです。発表報告する彼らは皆、この国の未来を担うものです。その彼らの重要な機会なのです」
そう説いた。とりあえず、立ち去ってさえくれればそれで良い。
だが彼は…イヴァン殿下は嘲笑を浮かべ、さらに言葉を続ける。
「はんっ、そんな言い訳で逃げられると思うな!、いかな裏から手を回すのが得意な貴様でも、これだけの証人がいれば、手も足も出まい!、貴様の悪逆たる所業、今から皆に知らしめ、断罪する!、この国の未来を一身に背負っているこの私がな!」
私は一瞬瞑目してから、小さく息を吐いた。
何を言っているのだ愚か者、と一喝したい。
身分社会というのはままならない。
そもそも身分社会でなければ、誰が殿下との婚約を了承したであろうか。
いや、違う。最初は仕方ないとしたのだ。幼馴染の、狭い世界での親愛に、血の濃さはないこととされた。正妃ではなく、側室腹であるからと。
だから、言い換えよう、身分社会でなければ、貴方との婚約が今も継続しているはずはないだろうに、と。
今までずるずると婚約者であり続けたのは、彼方が皇家の子息で、此方が公爵家の娘であったからに他ならない。従兄で、同じ祖父母を持つ身ではあったが、後ろ盾の弱い側室の子を守ろうとした叔父上の願い。
だが、もうこの契約は切れるだろう。さすがに、いかな皇子の言葉のみで、皇帝陛下のお言葉ではないとしても、この場にいる方々の耳に届いたのだ。叔父上--陛下とて子供の戯言、とひっくり返すことは出来ないだろう。
それは私の望みでもある。私は薄暗い貴賓席に視線をやってから、勝った。と思い浮かべた。何に勝ったのかといわれても困るのだが、とにかく、勝った、と思うことで、少しだけ現実から逃げた。
「…では、婚約解消につきましては殿下のご意思通りに了承いたしました。あとのことは、陛下とローザリア公爵家当主が行うことになるかと存じますので、そのように。恐れ入りますが、ご退場いただけますか、次の発表者が…」
「酷いです、ローズ様!、出て行けだなんて!、そうやって私にいつも意地悪して!、殿下のこともないがしろにするんですね!!」
この場を何だと考えているのだろう、この四人は。時間に追われている総合司会進行役をなんだと思っているのだろう、彼らは。そして、色々論点が違う。一喝したい。
婚約破棄にしろ婚約解消にしろ、それに伴う経済の混乱、貴族間のパワーバランスの乱れ、その他これから起こるであろう様々な問題は、勿論軽んじることができないものではあるが、このデブリーフィングセッションを観覧される方々はある種の道楽者、皇家と公爵家の破婚などあまり興味はないだろう。
…いや、確実に一人二人は密接に関わっている方がいるだろうけれども。
基本的には有識者、特に貴賓席に座す方々は金銭的な面も含め、その財や人脈、影響力によって未来を担うものに貢献する、支援者、賛助者、奨励者である。
その面々を前に、愚者が踊る。踊るのは構わないが、私を巻き込まないで頂きたい。
貴族間のパワーゲームからは基本的に距離を置いている有識者方々ではあるが、それでも殿下の登場、そしてこの発表会を軽んじる発言は理解しがたいものであるだろう。
ただでもちょっと、正妃の御子である皇太子殿下と比較されてナニだと言われている第二皇子殿下だ、さらにさらに評価が下がるだけであるのに。
私は穏便に殿下方に退場してもらおうと言葉を探す。
「この発表会だってそうです!、ローズ様が意地悪して、私を出さないようにしたんですよね!」
黒髪の少女--ティルナシア嬢の声に、眉を寄せた。思わず、は?、と変な声が出そうになった。
「…何をおっしゃっているのですか?」
「ローズ!、貴様は公爵家の権力で、身分の低いものを虐げるだけではなく、この才能あるティナを妬み、発表の機会を奪うとは、誠に赦しがたい!!」
「何をおっしゃっているのですか、殿下まで。本日この場で発表できるものは----」
「見苦しいぞ、黙れ!」
殿下の声に頭痛は酷くなる一方だ。そして講堂に掲げられた時計の針は無情に進む。発表者はあと一人残っていて、それから特別発表…これを削ることは可能といえば可能だが、来賓の方々の顰蹙を間違いなく買うことになる。彼らはそれこそを待ち望んでいる。嗚呼、時間は有限だというのに、その有限の時間を無為に過ごした者たちが何の寝言をほざくのか。
この場はデブリーフィングなのだ。サブセクェントゥリィ・リポートなのだ。学会等で一度「発表されている」という事なのだ。その要約報告やデモンストレーションでしかないのだ。
そう、すでに社会に認められているからこそ、この壇上に立つことができるのだ。
来賓各位は各人の発表後、発表したものが用意したレジュメを選択して手に取る。
さらなる研究のためのパトロンを得ようとする者には、重要なプレゼンの場でもある。
そして、この場に立つ者が多いという事は、即ち、この学園の価値そのものを高める。学長や理事の名誉にもかかわる。理事長は勿論、「陛下」だ。
故に、公爵令嬢などという立場で発表を妨害できるものではない…そもそも「既に発表されている」のだから。
「…殿下、この場で発表できる者は、学園理事長によって裁可されるものでございます」
「黙れと言っている! 公爵家の力で好き勝手にふるまう慮外者が!」
「殿下!、ご訂正を!」
暗に、陛下の名を出して公爵令嬢ごときでどうにかなるものではないと訴えたのにも関わらず、まるで「皇家より公爵家の意思が通る」と言わんばかりの言葉に、会場は騒然とした。がたり、がたりと席を立つ音が耳を打つ。
「いつもいつもローズ様はそうやって、ご自身の身分や権力を振りかざすんです!、今、貴方がしている髪飾りもそう!、私の母の形見なのに、平民上がりには似合わないって、私から取り上げたんです!」
「髪飾り?、何をおっしゃって…」
「ローズ、貴様という女は!!」
硬質な音を立てて此方に歩み寄った男は、強引に私の髪を飾っていた古い髪飾りを奪った。
「…いっっ」
肩を押され、突き飛ばされ、座り込んだ私は髪を引っ張られ、驚いて見上げると、男は私の髪飾りを手に、にやりと笑っている。まとめ上げてられていたこの銀の髪が崩れたのはわかったが、構ってはいられない。
「な…にをなさるのですか、キュレルール様」
キュベレ・クラン・キュレルール--芸術伯と呼ばれるキュレルール伯爵の子息であるキュベレ君は、手にした髪飾りを一瞥してから鼻で笑った。
「石こそカラーの魔石で内包魔力量もなかなかに高いが、公爵令嬢の持ち物とは到底思えない、粗末なつくりのものだな。ふん、平民ならば形見に相応しい値打ちかもしれないが、ね」
公爵令嬢の身分に合わない粗末な、しかし平民ならば宝ともなるものだと口にすることで、ティルナシア嬢の言葉が正しいことを暗に示唆する。もっとも、彼女をよく知らない方々には「公爵令嬢が持つにはふさわしくない」と捉えるのみだが。
キュベレ君は下座から上座に舞台を横切り、殿下の近くまで戻るとその髪飾り掲げて見せる。
「…確かに、粗末なものだな」
「もう、二人とも、粗末粗末言わないでよ、まぁ確かにアレだけど、レアアイテ…形見なんだから、ね!」
殿下の腕に縋りついたまま、ぷんぷん、とティルナシア嬢は可愛らしくいってから、こちらに視線を向けた。
瞳には勝ち誇った色が見える。
私は瞑目し、深く息を吐いた。
何処まで我慢をすれば良いのだろう、と。
私が今すべきことは、彼らを退場させ、発表会を続けることだ。いや、その前に髪飾りは取り返さねばならない。
「…殿下、その髪飾りに見憶えはございませんか…?」
「貴様が!、この愛らしいティナから!、奪ったものだろう!」
「……殿下、それは、私が七つの頃、殿下より賜ったものでございます」
「私が貴様にくれてやっただと?、はっ、この期に及んでそんな作り話を!」
「証明する手段もございます」
「はっ、どうせ金でも握らせているのだろう!」
…何処まで我慢をすれば良いのだろう。
「悪辣な女め!、ティナを虐め、取り巻きを使って女どもにかかわらないように命令し、教科書を破り捨て、ドレスを汚す、陰湿な女が!」
「それらは先日、そちらにいらっしゃるご令嬢の勘違いであると、間違いなく証明されたはずですが」
つい先日、同じように殿下がたに難癖をつけられたことを思い出す。
「それもどうせ金の力でごまかしたのだろうが! だが、いつまでも嘘偽りで逃げられると思うな!、貴様はティナを階段から突き落とし、その命を狙ったのだ! もう言い逃れは効かぬ!!、ティナは大怪我をしたのだぞ!、もう婚約破棄だけでは罰は足りぬ!、貴様を」
高々と声が響いて、私ことローズ・ロレーヌ・ローザリアは一瞬眩暈を憶えた。
今、国母とか王妃とか聞こえなかったろうか、国母?、王妃?、いやいや、そんなわけはない。…パハップス。
空耳だと思いたいが、現実を見なさいと私の中の私が言う。ついでに、兄上が、皇家との婚約は破棄すべきであると言明しているのは、こういうことの積み重ね、と思うに至る。
此処はアロー皇国の中でも優秀な人材が集まると言われる皇国魔法学園。一芸に秀でているのであるならば、老若男女平民貴族、異国のものであろうと変人であろうと受け入れる、公正ではあっても、ある種の平等と不公平がまかり通り閉鎖空間だ。
そして今は、学園の中でも特に優秀な生徒が行う、発表や説明・実演を兼ねた、年に一度のデブリーフィングセッションの会場である講堂の舞台上だ。
客席として設えられた舞台下は薄暗く、仄かな魔灯がその足元を照らすのとは対照的に、舞台上は煌々と照らされ、現れた殿下方の纏う衣服の金糸銀糸をより煌めかせる。さながら演劇の一幕。
外にある会場では武闘祭が開催され、お祭り騒ぎ。そして講堂の方は学究的な発表報告が主であったから、たったの今まで熱量はあっても静かに行われていたのだが。
先までの厳かで真摯な雰囲気が一掃され、会場で学生の発表に耳を傾けていた関係各位が口々に動揺のつぶやきを漏らす。小波のようにこの耳に届く。
貴賓席で熱心に静聴していらした方々も、唖然としたのち、ゆっくりと首を振った。呆れた、とんでもない、なんなのだ彼等は、とでもいったところであろうか。
方々の視線の先は、私の向かい、つまりは上座を向く。そこには三人の男子と彼らを侍らせている一人の少女が立つ。
驚くべきことか、三人の男子のうちの一人は本人が名乗った通り、第二皇子殿下。私の母方の従兄である。
残る二人は、宮廷魔術師長の孫、そして芸術伯の子息だ。だが、殿下の腕にしなだれるように腕を絡ませている黒髪の少女をご来賓方々は目にしたことはないだろう。当然だが。私もつい先日、名前と姿を一致させて知ったばかり。突然彼女達に絡まれ、難癖をつけられたのだ。
その後、公爵家の影たちが調べた情報によると、彼女は平民の母親と男爵家の当主との間に出来た子で、市井育ち。母親の死をきっかけに男爵家に引き取られ、一年ばかり前にこの皇国魔法学園に転入してきたとのことがわかった。
皇国魔法学園に転入するにふさわしい膨大な魔力はあるものの、この一年、成績そのものはふるわないらしい。そのせいか、私は彼女を認識することがなかった。成績や専攻が違うと、学年が同じでも全く顔を合わせることがないからだ。
だが、とがった才能--つまりは「魔力の総量」が彼女をこの学園に留めている。
ちなみに、同じ理由で--つまり成績という面で--従兄であり、婚約者でもある第二皇子殿下とも学園内で顔を合わせることがほぼなかったのだが。
普通ならば、殿下が側近候補二人と少女を侍らせている、と見るべきなのだろう。しかし、彼らを取り巻く雰囲気…形の見えないあやふやな、しかしながら、妙に納得するような空気感が、少女「が」三人の男子を侍らせている、と見せる。
貴賓席に座す互いに親しい者同士はちらりと視線を合わせては、無言の会話をしているだろう。知っているか、いや知らない、そう貴族らしく無言で。
来賓の動揺をどのように感じているのか、或いは全くなんとも感じていないのか、意気揚々と声を上げた第二皇子殿下…イヴァン・カイ・アロー殿下は、此方に厳めしい表情を見せた。
私は何も聞こえない、聞こえなかったと心の中で呟いた。
「…殿下、誠に申し訳ございませんが、次の発表者の大切な持ち時間が減ってしまいます。そのお話は後程、王宮でお伺いいたしますので」
従兄とは言え、身分は「上」だ。礼を以て彼に--イヴァン皇子にそう告げる。
「そのようなことよりも、悪辣なる貴様の所業、その罪を糾弾することのほうが重要に決まっているだろう!」
大きな声に、私は眩暈に続いて頭痛を憶えながら
「殿下、本日発表する者は皆、この学園で短くても1年、長ければ6年の時間を掛け、学び、研究研鑽し、その成果を携えてこの場に臨んでいるのです。発表報告する彼らは皆、この国の未来を担うものです。その彼らの重要な機会なのです」
そう説いた。とりあえず、立ち去ってさえくれればそれで良い。
だが彼は…イヴァン殿下は嘲笑を浮かべ、さらに言葉を続ける。
「はんっ、そんな言い訳で逃げられると思うな!、いかな裏から手を回すのが得意な貴様でも、これだけの証人がいれば、手も足も出まい!、貴様の悪逆たる所業、今から皆に知らしめ、断罪する!、この国の未来を一身に背負っているこの私がな!」
私は一瞬瞑目してから、小さく息を吐いた。
何を言っているのだ愚か者、と一喝したい。
身分社会というのはままならない。
そもそも身分社会でなければ、誰が殿下との婚約を了承したであろうか。
いや、違う。最初は仕方ないとしたのだ。幼馴染の、狭い世界での親愛に、血の濃さはないこととされた。正妃ではなく、側室腹であるからと。
だから、言い換えよう、身分社会でなければ、貴方との婚約が今も継続しているはずはないだろうに、と。
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だが、もうこの契約は切れるだろう。さすがに、いかな皇子の言葉のみで、皇帝陛下のお言葉ではないとしても、この場にいる方々の耳に届いたのだ。叔父上--陛下とて子供の戯言、とひっくり返すことは出来ないだろう。
それは私の望みでもある。私は薄暗い貴賓席に視線をやってから、勝った。と思い浮かべた。何に勝ったのかといわれても困るのだが、とにかく、勝った、と思うことで、少しだけ現実から逃げた。
「…では、婚約解消につきましては殿下のご意思通りに了承いたしました。あとのことは、陛下とローザリア公爵家当主が行うことになるかと存じますので、そのように。恐れ入りますが、ご退場いただけますか、次の発表者が…」
「酷いです、ローズ様!、出て行けだなんて!、そうやって私にいつも意地悪して!、殿下のこともないがしろにするんですね!!」
この場を何だと考えているのだろう、この四人は。時間に追われている総合司会進行役をなんだと思っているのだろう、彼らは。そして、色々論点が違う。一喝したい。
婚約破棄にしろ婚約解消にしろ、それに伴う経済の混乱、貴族間のパワーバランスの乱れ、その他これから起こるであろう様々な問題は、勿論軽んじることができないものではあるが、このデブリーフィングセッションを観覧される方々はある種の道楽者、皇家と公爵家の破婚などあまり興味はないだろう。
…いや、確実に一人二人は密接に関わっている方がいるだろうけれども。
基本的には有識者、特に貴賓席に座す方々は金銭的な面も含め、その財や人脈、影響力によって未来を担うものに貢献する、支援者、賛助者、奨励者である。
その面々を前に、愚者が踊る。踊るのは構わないが、私を巻き込まないで頂きたい。
貴族間のパワーゲームからは基本的に距離を置いている有識者方々ではあるが、それでも殿下の登場、そしてこの発表会を軽んじる発言は理解しがたいものであるだろう。
ただでもちょっと、正妃の御子である皇太子殿下と比較されてナニだと言われている第二皇子殿下だ、さらにさらに評価が下がるだけであるのに。
私は穏便に殿下方に退場してもらおうと言葉を探す。
「この発表会だってそうです!、ローズ様が意地悪して、私を出さないようにしたんですよね!」
黒髪の少女--ティルナシア嬢の声に、眉を寄せた。思わず、は?、と変な声が出そうになった。
「…何をおっしゃっているのですか?」
「ローズ!、貴様は公爵家の権力で、身分の低いものを虐げるだけではなく、この才能あるティナを妬み、発表の機会を奪うとは、誠に赦しがたい!!」
「何をおっしゃっているのですか、殿下まで。本日この場で発表できるものは----」
「見苦しいぞ、黙れ!」
殿下の声に頭痛は酷くなる一方だ。そして講堂に掲げられた時計の針は無情に進む。発表者はあと一人残っていて、それから特別発表…これを削ることは可能といえば可能だが、来賓の方々の顰蹙を間違いなく買うことになる。彼らはそれこそを待ち望んでいる。嗚呼、時間は有限だというのに、その有限の時間を無為に過ごした者たちが何の寝言をほざくのか。
この場はデブリーフィングなのだ。サブセクェントゥリィ・リポートなのだ。学会等で一度「発表されている」という事なのだ。その要約報告やデモンストレーションでしかないのだ。
そう、すでに社会に認められているからこそ、この壇上に立つことができるのだ。
来賓各位は各人の発表後、発表したものが用意したレジュメを選択して手に取る。
さらなる研究のためのパトロンを得ようとする者には、重要なプレゼンの場でもある。
そして、この場に立つ者が多いという事は、即ち、この学園の価値そのものを高める。学長や理事の名誉にもかかわる。理事長は勿論、「陛下」だ。
故に、公爵令嬢などという立場で発表を妨害できるものではない…そもそも「既に発表されている」のだから。
「…殿下、この場で発表できる者は、学園理事長によって裁可されるものでございます」
「黙れと言っている! 公爵家の力で好き勝手にふるまう慮外者が!」
「殿下!、ご訂正を!」
暗に、陛下の名を出して公爵令嬢ごときでどうにかなるものではないと訴えたのにも関わらず、まるで「皇家より公爵家の意思が通る」と言わんばかりの言葉に、会場は騒然とした。がたり、がたりと席を立つ音が耳を打つ。
「いつもいつもローズ様はそうやって、ご自身の身分や権力を振りかざすんです!、今、貴方がしている髪飾りもそう!、私の母の形見なのに、平民上がりには似合わないって、私から取り上げたんです!」
「髪飾り?、何をおっしゃって…」
「ローズ、貴様という女は!!」
硬質な音を立てて此方に歩み寄った男は、強引に私の髪を飾っていた古い髪飾りを奪った。
「…いっっ」
肩を押され、突き飛ばされ、座り込んだ私は髪を引っ張られ、驚いて見上げると、男は私の髪飾りを手に、にやりと笑っている。まとめ上げてられていたこの銀の髪が崩れたのはわかったが、構ってはいられない。
「な…にをなさるのですか、キュレルール様」
キュベレ・クラン・キュレルール--芸術伯と呼ばれるキュレルール伯爵の子息であるキュベレ君は、手にした髪飾りを一瞥してから鼻で笑った。
「石こそカラーの魔石で内包魔力量もなかなかに高いが、公爵令嬢の持ち物とは到底思えない、粗末なつくりのものだな。ふん、平民ならば形見に相応しい値打ちかもしれないが、ね」
公爵令嬢の身分に合わない粗末な、しかし平民ならば宝ともなるものだと口にすることで、ティルナシア嬢の言葉が正しいことを暗に示唆する。もっとも、彼女をよく知らない方々には「公爵令嬢が持つにはふさわしくない」と捉えるのみだが。
キュベレ君は下座から上座に舞台を横切り、殿下の近くまで戻るとその髪飾り掲げて見せる。
「…確かに、粗末なものだな」
「もう、二人とも、粗末粗末言わないでよ、まぁ確かにアレだけど、レアアイテ…形見なんだから、ね!」
殿下の腕に縋りついたまま、ぷんぷん、とティルナシア嬢は可愛らしくいってから、こちらに視線を向けた。
瞳には勝ち誇った色が見える。
私は瞑目し、深く息を吐いた。
何処まで我慢をすれば良いのだろう、と。
私が今すべきことは、彼らを退場させ、発表会を続けることだ。いや、その前に髪飾りは取り返さねばならない。
「…殿下、その髪飾りに見憶えはございませんか…?」
「貴様が!、この愛らしいティナから!、奪ったものだろう!」
「……殿下、それは、私が七つの頃、殿下より賜ったものでございます」
「私が貴様にくれてやっただと?、はっ、この期に及んでそんな作り話を!」
「証明する手段もございます」
「はっ、どうせ金でも握らせているのだろう!」
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「それらは先日、そちらにいらっしゃるご令嬢の勘違いであると、間違いなく証明されたはずですが」
つい先日、同じように殿下がたに難癖をつけられたことを思い出す。
「それもどうせ金の力でごまかしたのだろうが! だが、いつまでも嘘偽りで逃げられると思うな!、貴様はティナを階段から突き落とし、その命を狙ったのだ! もう言い逃れは効かぬ!!、ティナは大怪我をしたのだぞ!、もう婚約破棄だけでは罰は足りぬ!、貴様を」
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