世に万葉の花が咲くなり

赤城ロカ

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第9章

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 アパートに着いて俺は部屋に入った。そのままシャワーを浴びて部屋着に着替えた。それからベッドに座ってアコースティックギターを手にとった。適当に弾いてみる。それからいくつか曲をやった。こうしているときが一番落ち着く。バンドはバンドで楽しいのだがそれはまた別の面白さだった。
 酒を飲んでいたこともあってうまく手が動かず三十分くらいやると飽きてしまった。時計を見るとすでに日付けが変わっていた。そろそろ寝ないとな、俺はギターを置いてそのままベッドに横になった。
 朝、俺は寝坊した。起きた時間はスタジオに入る時間だった。慌ててメンバーに電話した。二人とも電源が入っていないのか繋がらなかった。もう二人でスタジオに入っているのだろうか、俺はすぐに着替えてスタジオへ向かった。
 チャリを全力で飛ばして駅に行く。何度か人とぶつかりそうになったが気にしてはいられない。駅に着き、急いで改札を抜けてホームに出た。ちょうど電車が来た。電車に乗って俺はそこで息を整えようとした。吸うばかりでなかなか吐き出せない。苦しい。
 ようやく落ち着いたころスタジオのある駅に着いた。そこからスタジオまで行くのにまた走った。
 ぜいぜいとやっとの思いで呼吸しながら、受付の人にもう先に入っているのかと訊いた。受付の人はタイムテーブルが書いてある紙を見ながら、まだですねと言った。マジかよ。俺は舌打ちをした。自分も褒められたものではないが明日が本番だってのになにをしているんだ。
 仕方なく一人で部屋に入ってギターを弾いて待つことにした。機材をセットして弾き始める。
 こうしているといつもなら楽しいのだが今日はそれどころではない。明日のライブがあるのだから。
 一時間経っても連絡がつかず、俺はさすがに不安になってきた。
すると着信が入った。メンバーからかと思えば非通知だった。
「バック・ドア・マンのメンバーが拉致されたぞ」
 聞き覚えのある声だった。
「ディープスロート……」
「俺のことはどうでもいい」
「どこにいるんだ、あいつらは」
「さあ、俺にはわからない」
 そこで電話は切れた。マジかよ、まさかバンドのメンバーにまで手を出すとは……。
 俺はジョニー・ウォーカーに電話をしようかと思った。しかし着信履歴から発信しようとしたところでやめた。俺は機材を片付け会計を済ませてると地元へ戻った。
 駅に着くと俺はムジカのそばにある情報屋の花屋に行った。いらっしゃいませと声がした。奥でなにか作業をしているらしかった。俺は話しかけるタイミングを花を物色しながら伺っていた。
 若い女がじょうろを持って俺のそばまで来た。
「なにかお探しですか?」
 女は水をやりながら俺にそう訊いた。俺は女のほうを向いた。それからふとした考えが頭をよぎった。
「……アキ?」
「は?」
「あなた、アキなんじゃないのか?」
「……アキさんではないですけど」
「これ……」
 俺は丸くて青い花を指差した。
「シオンがどうしました?」
「花言葉は?」
 女はさあと行ったきり俺に背を向けてまた水やりを始めた。
 俺はため息をついてその花屋をあとにした。畜生、焦っているのが自分でもわかる。俺は走って駅の脇にある小さな地下道へ向かった。
 階段では燕尾服を着たホームレスのおっさんがボロボロの文庫本を読んでいた。
「目羅博士」
 老人は目だけを動かして俺を見た。
「君、なぜ私の名前を?」
「何年か前に会いましたよね……『愛する者が死んだときには、自殺しなきゃあなりません』」
 目羅博士は本を自分の脇に置いた。
「青年よ」目羅博士は言った。「『人生は、苦痛と退屈の間を、振り子のように揺れ動く』」
「アキという女を知りませんか」
 目羅博士はウフフフと笑った。
「この世は空しい」
 俺は黙っていた。
「しかしわが友は言う。『強い人間は、自分の運命を嘆かない』と」
 なんと言えばいいのかわからずただ立っていた。
「青年よ」目羅博士は言う。「『そうだ、勇敢に生きろ。そして運命の打撃に立ち向かえ』」
 言い終わると目羅博士はにたあっと笑った。
「この世は空しいと言っていながら、なんで立ち向かわなきゃいけないんですか。『愛する者が死んだときには、自殺しなきゃあなりません』、中原中也の詩を、あなたは俺に教えてくれたじゃないですか」
 ウフフフフと彼は笑った。
「『けれどもそれでも、なおも業が深くてながらうこととなったら、奉仕の気持ちになることなんです』」
「奉仕……」
「なにもこの詩は、自殺を肯定しているわけではない。彼のみならず生を否定する芸術はない。ただ既存の価値観を否定しているだけなんだよ。芸術には大きく分けて二つある」目羅博士はピースサインを作った。「破壊する芸術と、創造する芸術」
 俺は黙っていた。彼はまたウフフフフと笑った。
「君はまだ、絶望をしていない」
「してますよ。俺にはもうなにも残っていない。なにもかも、わけのわからないまま終わったんだ!」
 目羅博士は俺の手を握った。
「『それではみなさん、ハイ、ご一緒に、テンポ正しく握手をしましょう』」
 そう言うと彼は去っていった。
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