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第3章 両親への挨拶

3-8 感謝の言葉

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「正直に答えてください」
「環境を変えて欲しいかなとは考えていたけど、なかったことにはしないわよ! だって、私が弟子である利点があるんでしょう? それを変えたらあなたが困っちゃうじゃない」
「じゃあ、何を考えていたんですか?」
「前世の私を期待して、あんな風にどこかの貴族のお嬢様みたいに丁重に扱っているのかと思ったから申し訳なかったのよね。だから、私が使用人や召使いみたいにお手伝いしながらマルクの屋敷でお世話になるなら、お互いに気兼ねなく付き合えるんじゃないのかなって考えていたの」

 私の前世のとき、マルクが私の身の回りのことを全部していたからね。
 今度は私がお世話する番かなって思ったの。

「はぁ」

 マルクは呆れたような目を私に向けてきた。

「べ、別に悪くない案でしょ?」
「いえ、あなたがそんな下働きや家のことができるくらい器用でしたら、家事は全滅と他人にまで言われなかったんじゃないですか?」
「あう」

 そう言われれば、そうだった。
 どうせ魔導以外は役立たずだよ。
 一瞬でしょげた私の顔を見て、マルクは心底可笑しそうに噴き出した。

「私はあなたが家に来るのを楽しみにしていたんですよ」
「ありがとう。でも、あの服は多すぎだと思う。私にお金をあんなにかける必要ないわ。もったいないわよ」

 そう指摘すると、彼はまた残念そうな目を向けてきた。

「そんなことないですよ。あなたの衣服は前世でも私が管理していましたが、あのくらい持っていましたよ。それに、あなたの莫大な遺産、覚えてないんですか?」
「え?」
「相続人としてあなたが私の名前を書いていたんですよ。あなたが死んだあと、何も知らなかったから大変驚いたんですよ」
「えっそうだったの? ごめんね。書いた覚えがなかったけど、書いてあったとしたら、多分マルクしか頼める人がいなかったからだと思う」

 前世の私は、開発した魔導の権利や報酬などで有り余るほど金を持っていた。
 でも管理が面倒くさくって、マルクに丸投げをしていた。
 でも、それで何も困ってなかったから、何かお金関係で書類を提出するように言われたとき、何も考えずにマルクの名前を書いてしまった気がする。

「じゃあ、私の名前以外にも、一言書いたのも覚えていないんですね?」
「うん……」

 一体、何を書いたんだろう。全然覚えていない。
 不安そうな顔をした私にマルクは優しく微笑む。

「いつもありがとう、と書かれていたんですよ。最期に優しい言葉を残すなんて、狡い人だと笑ってしまいましたよ」

 彼は目を伏せて、深く息を吐く。
 口調は冗談めいていたけど、その切なそうな仕草から、彼の辛い悲しみの片鱗に触れた気がした。
 それが自分のせいだったと思うと、申し訳なさでいっぱいになる。

「だから、お金は元はあなたのものですから、気にしないでください」
「……うん。金銭面でマルクの負担になってなかったのなら、良かったわ」
「負担どころか、あなたに会えて、日々が喜びに満ちているんですよ。それを忘れないでくださいね」

 彼はそう言って、ずっと握っていた私の左手を両手で包み込む。

「う、うん」

 改めてそんな風にはっきり言われると、なんだか照れ臭かった。

 多分、遺書に感謝の気持ちを書いたとき、そんなに深い意味はなかったと思う。
 最初は嫌々ながら引き受けた弟子だった。
 でも、一緒にいるうちに彼がいるのが当たり前になって、そういう日常もまんざらでもなくて。

 元々、基本的に他人を信用していなかったから、期待することもなかった。
 使用人もあまり雇い入れなかったのも、いちいち雇い主である私に確認されて作業を中断されるのが嫌だったから。
 他人がいる生活を過ごせるとは私自身が思っていなかった。

 ところが、マルクが弟子として来てからは、私が過ごしやすいように彼自身が考えて判断してくれていた。
 そのおかげで汚部屋だった自室は、いつの間にか整理された使いやすい部屋になっていて、快適に生活を送れるようになっていた。

 いつもありがとう。

 その言葉は、そんな彼の献身に気づいたから出た言葉だった。

 でも、当時は今よりももっと捻くれていて、滅多に感謝や好意の言葉を口にしていなかったから、彼に必要以上に重く受け止められてしまったのかもしれない。

 たった一言の感謝の言葉で、ここまで哀しい思い出になるくらいなら、普段からもっと言っていれば良かった。
 だから、気持ちはきちんと言葉にして伝わるべきだと、改めて強く感じた。
 私からも彼への好意をちゃんと口にしないと。

「私もマルクのこと、大事に想っているよ」
「ほ、本当ですか?」

 彼の表情が、みるみる歓喜で花開く。キラキラと光を放つみたいに目が輝いている。

「そうだよ。血は繋がっていないけど、家族みたいに大切だよ」

 再会してから彼の成長や成功を嬉しく感じていた。
 まるで息子か弟が、立派に育った感じだった。
 出会った頃の彼は、全然子どもらしくない性格で、まだ子どもなのに私の面倒をよくみるオカンのような存在だった。

 その年齢に不釣り合いな内面に、今思えばとても違和感があった。
 でも、そんな彼が私を独り占めしたいなんて、今頃になって豊かな情緒が芽生えていたのも嬉しかった。

 きっと彼も私と同じように家族のような親しみを持っているから、今まで抱きついたり、手を握ったりしているのだろう。
 私はまだ恥ずかしくてドキドキして落ち着かないけど、こういうことなら早く慣れないとね。

「可愛いね」

 彼の頭を先ほどみたいに撫でると、素早く手を払われた。
 今までの友好的な態度とは打って変わって邪険な感じで。

「止めてください」

 私の最後の一言は、何か彼の気に障ってしまったようだ。
 瞬時に彼の目から光りが消え、嬉しそうな顔が途端に真顔に様変わりしてしまった。
 和やかな雰囲気が一気になくなってしまった。

 握られていた手がさらにぎゅっと強く握られる。
 まるで逃がさないと捕獲するように。
 彼がまとう気配まで、冷気を帯びている気がする。
 あっ、ヤバイ。

 本能的に危機を感じて、慌てて空いている右手でかばんを掴み、「ごめんね。じゃあ、先に帰っているわね」とそそくさと逃げるように転移した。

 マルクの屋敷にある自分の部屋に一瞬で着いていた。

 ついうっかり口にしてしまったけど、男の人に「可愛い」はまずかったようだ。
 胸の奥に初めて感じた複雑な気持ちを上手く表現したつもりだったのに。
 後でまた会ったときに謝っておこう。少しは機嫌が治っているといいけど。

 改めて自分がいる場所を見渡す。
 今日からここが私の部屋なのね。
 窓のカーテンは全て開けられ、綺麗な状態で維持されている。
 マルクが用意してくれた好意に溢れた空間。
 そう思うだけで、なんだか胸の奥がくすぐったかった。

 この静かな部屋のように穏やかな日々が続きますように。

 そう願わずにいられなかった。
 でも――。

「大魔導士ウィスターナ・オボゲデス、俺を覚えているか?」

 この日から一ヶ月後の放課後、学校の図書館にいた私の前に男が現れて平穏な時間の終わりを告げられるなんて、このときの私は予想もしていなかった。
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