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第3章 両親への挨拶

3-7 理由

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 いつもどおり放課後になり、私はマルクがいる校長室へ向かう。

「お邪魔するわよ」
「ミーナ、どうかしましたか?」

 マルクは机に向かったまま、書類を確認しながら返事をする。
 私は勝手に応接セットのソファに座り込み、カバンを足元に置く。

「忙しそうね。今日は何時ごろ屋敷に戻ってくる予定なの?」
「講義が終わったあと職員会議で、それが終わったら、今度は組合の会合と食事会があるので、遅くなると思います。私のことは気にせず、先に休んでいてください」
「分かったわ。それにしても校長先生って大変なのね。いつもお疲れ様」
「ありがとうございます」

 マルクはチラリと私の方に視線を送る。

「私の屋敷に寄ってから馬車で実家に行ってもらってもいいですか?」
「うん、わかったわ」

 急ぎの話は、これでもう終わってしまった。

 あとは帰ればいいだけだった。けど、胸の中でささくれのようにずっと気になる点があった。
 ほんの僅かな違和感。このまま見なかったように過ごす選択もあるけど、やっぱり私には合わなかった。

「ねぇマルク」
「なんですか?」
「あなた、私と再会したことを後悔していない?」

 マルクの手が止まった。こちらを見る彼の顔つきが、明らかに戸惑っていた。

「……どうしてそう思うんですか?」

 彼は持っていたペンを机に置く。

「前に私の家に来たとき、帰り際マルクが言っていたじゃない。私は前世の私と違うって。あのとき残念そうだったから。今の私にガッカリしたのかと思った」

 まるで今の私を否定されたようで、とても悲しい気持ちになったんだよね。

「……ああ、あのときですか! あれはそういう意味で言ったわけではありません」

 思い出したマルクは、動揺したのか視線を一瞬泳がす。そのわずかな挙動の違いを私は決して見逃さなかった。

「じゃあ、どういう意味だったの?」
「いや、あの……」

 改めて尋ねても、いつも即答の彼が珍しく口籠る。

 彼は何か誤魔化そうとしている。
 それは私に聞かれたら都合の悪い内容なのかしら。
 彼は私の疑念をすぐに否定したけど、やっぱり図星だったの?

「あんなに準備してもらって申し訳ないけど、もし前世の傍若無人な私を期待されていたら困るの」

 言いたいことをはっきりと告げる。
 だって、万が一以前のように彼だけが私に尽くすような関係を望んでいるとしたら、彼の期待に応えられないから。

 あのクローゼットにあった服。
 私の前世をよく知っているからこその選び方だった。
 でも、びっくりするほど大量にあったので、まるで彼が前世の私を強く望んでいるような圧のように感じてしまっていた。

 前世の私なんて最悪で、微塵も求められていないと思っていたから、正直戸惑いの方が大きかった。

 このまま彼と一緒にいていいのだろうか。
 そんな不安が芽生え始めてしまっていた。

 彼の返答次第では、わたしにも考えがあった。

 マルクは目に見えて顔色を悪くして慌て出し、ついに立ち上がった。

「ミーナ。待ってください。違うんです」

 なぜかマルクは必死になって私に近づいてくる。目の前に来たと思ったら跪き、私にすがるように見上げながら私の左手をキュッと両手で握ってきた。

「すみません、私の言葉足らずでした。その、あなたが前世から根がいい人だったのは理解しています。ですが、その、前世では振る舞いや言動がキツかったから、誤解されやすかったじゃないですか」
「……う、うん?」

 何が言いたいんだろう。
 でも、まだ話の途中みたいだから相槌をうちながら最後まで話を聞こうと思った。

 じっと彼を見つめていると、彼はますます動揺して視線を泳がせる。

「でも、今は気を遣って素直に言葉を口にしてくれるじゃないですか」
「うん」

 次の言葉を待つが、なかなか彼から出てこなかった。みるみる彼の顔が赤くなっていく。

「どうしたの?」
「いえ、その……」
 
 マルクは目を閉じて苦悶の顔をしたり、かと思えば恥ずかしそうに口元を押さえたりと、百面相のように形相を変えるが、やがて覚悟を決めたのか、何度か目の深呼吸のあとに彼は重い口を開いた。

「みんながあなたの素晴らしさに気づいてしまうと思ったら、嫌な気持ちになったんです。私だけがあなたの善さを知っていたのに。だから、その、変なことを言って申し訳ございませんでした」

「ん?」

 最後まで聞いても、やはりよく分からなかった。
 だって、まるで彼が独占欲丸出しで拗ねていたような口振りだったから。

 首を捻って彼を見下ろしても、彼は気まずそうに目を逸らして俯いている。
 だから、細かい言葉の意味をかえって聞きづらかった。

「あの、つまりマルクは、私が前世とは違ってもガッカリはしてないってこと?」

 だから、最も気になっていた点を聞き返した。

「そうです」

 力強い返答だった。

「そっか、それを聞いて安心したわ」
「あの、誤解が解けてよかったです」

 そう俯き気味に答える彼の顔はまだ赤い。

 もしかして、先ほどの自分の推測はあっていたのだろうか。
 そうだったら、目の前にいる彼がとても可愛い存在のように感じた。
 前世からの付き合いだが、彼にこんな感情を抱くなんて初めてだった。

 胸の奥が温かくなり、同時にきゅっと締め付けられるような切なさに似た気持ちだった。

 思わず彼の頭に右手が伸び、きれいに整えられた彼の銀髪を撫でていた。
 触れた瞬間、彼は恥ずかしそうな顔をしたけど、されるがままになっていた。

 私を独り占めしたかったなんて、そんな感情を彼が持ち合わせていたとは驚きだった。
 いつも真面目で、初めて会ったときから子供らしくなかった彼の意外な一面を見た気がした。

「もしかして私って、思ったよりもマルクに好かれていたのかしら?」

 そう言ったら、彼は驚いたように目を見開く。

「嫌うわけないじゃないですか。前に言いましたよね? かけがえのない大切な人だと」
「師匠として大事なのと、人として好ましいのは、別だと思っていたわ」
「そんなことないですよ」

 彼はやれやれと言わんばかりにため息をついた。
 もう彼の顔色は普段どおりに戻っていた。それどころか、じっと何か物言いたげな視線を私に向けてきた。
 私の左手を掴んでいる力がさらに増した気がする。
 まるで逃さないと言わんばかりの圧を感じた。

「ところで、つかぬことをお尋ねしますが、もしかして私の回答次第では私との契約をなかったことにしようとは考えていませんでしたか?」
「笑顔が怖い、怖いよ!」

 笑っているけど、目が笑ってない。
 いつもは晴天のように綺麗な青い目がこのときばかりは、一瞬で濁って不穏な色をしていた。

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