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36 シェルバーネの麦畑

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 八の月は何だか駆け足で過ぎて行った。なんでかな。特に何かがぎゅうぎゅうに入っていたわけでもないし、話し合いが必要な事件が起きたわけでもないのにな。
 それに夏の間は視察は止めようって兄様に言われたから、もう少し過ごしやすい季節になってから再開しようって決めていたし。ほら、学園もサマーバカンスシーズンはお休みだったしね。
それにしても思い返してみると母様たちとのんびりお茶会をしたり、イチジクのやりとりの事でトーマス君の所に訪ねていったり、後は温室の点検をしながら妖精たちと遊んだり、僕としてはかなりゆったり過ごしていた筈なのにな。
 もしかしてゆったり過ごしている方が時間が早く感じちゃうのかな。
 そんな事を朝食を食べながらお話ししたら兄様がやんわりと笑って「お仕事は色々としていたと思うよ」って言った。そう、かな?

 でもそれよりも何よりも麦だ!
 九の月に入ってすぐにダリウス叔父様から映像付きの書簡が届いたんだ。
 そこには砂漠の砂の畑でさわさわと風に揺れる緑の麦が映っていた。ちゃんと穂も出ている。これでひと月と少しすれば黄金色になって収穫だ。だからね、急がないといけないんだ。勿論黄金色の麦も綺麗で大好きなんだけど、青々とした瑞々しい緑色の麦畑を見てみたい。三度目の挑戦で枯れ落ちずに実を結んでくれた麦をどうしても見たいんだ。

 勿論兄様は難しい顔をした。でも僕は父様にも相談をさせていただきたいってを書簡を出した。そして翌日フィンレーに行く時には兄様も同行をした。
 二人ともとても難しい顔をしていたんだけど、母様が「でもエディには見届ける権利があるわ」って言ってくれたんだ。

「一生懸命頑張ったんだもの。その成果を一目見たいと思うのは当然よね。話し合いはどうしたらそれが実現出来るかにするべきだわ」

 こうして僕は初めての他国、シェルバーネに行く事が決まった。
 急いでダリウス叔父様に父様から連絡をしていただいて、親戚ではあるけれどグリーンベリーの当主がエルグランド公爵家を訪ねる事になるので、国にも報告が必要になるとか。シャマル様達がフィンレーとの転移陣を使ってふらっと来るイメージがあったので、そんなに大事になるんだなって思ったよ。

 何はともあれ、青々とした麦畑が見たいから急ごうって事で、フィンレーの王国には届け出はしたけれど、あくまでも親戚を訪ねるという範囲で移動も最小限で。
 当主が二人も行くのは色々と面倒なので行くのは僕と兄様。護衛として今回はジョシュア隊の中の八名だけを連れていく事になった。うん。万が一何かあったら魔法でごり押しして戻って来る。まぁ麦を見に行くだけだけどね。

 そうして九の月の最初の休日。僕と兄様はシェルバーネのエルグランド家にやってきた。
 エルグランド家の転移陣は本邸から離れた場所に建てられた客を迎える為の屋敷につけられていた。うん。フィンレーも別棟に付けられているものね。
 出迎えてくれたダリウス叔父様と護衛の人達と一緒に、まずは本邸に移動して公爵様とシャマル様にご挨拶。そして畑の近くに建てた屋敷へ再び転移。とにかく暑いから日中に外を移動するなんて事はしないんだって。
 そうして安全に砂漠の一画に作られている砂地の畑に到着。何となく砂漠の真ん中に畑があるようなイメージだったんだけど、それだとお世話するのも大変だものね。

「確かに暑いけど、湿気がないのでさらっとしていますね。日差しだけ防げば思ったほどじゃないかな」

 日よけ用の布を巻いて僕がそう言うとダリウス叔父様は苦笑して「本気で歩いたら多分数時間で行き倒れるよ。騎士服なんて地獄だろう」と言った。それを聞いて兄様が口を開く。

「ああ、確かに。しまったな、そこまで考えなかった。ジョシュア、無理がないように」
「大丈夫ですよ、アルフレッド様。そんなに軟ではないです」

 ジョシュアの言葉に兄様とダリウス叔父様が笑っているのを目の端に入れながら僕は青々とした麦畑を眺めていた。
 砂漠の真ん中ではなかったけれど、それでも確かに麦畑の向こうには砂山が大きな畝のように幾重にも重なって見える。風に揺れる麦畑とその後ろに広がる白っぽい砂漠、そして抜ける様な青空に、照り付ける強い日差し。

「すごいなぁ。本当に砂漠の中に麦畑が出来た」
「ああ、エドワードのお陰だよ」
「……皆様が諦めずに頑張ったからですよ。もう少しだけ近くに行ってもいいですか?」
「畑と言っても砂地だからね。気を付けないと足を取られる」
「はい」

 僕は返事をして青い穂を揺らす麦畑に向かって歩き出した。すぐにジョシュアと数名が僕の脇についた。

「エディ、危ないよ! それから約束を守ってね」
「はい! 大丈夫です!」

 うん。無茶はしない。そしてお祈りもしない。ただ、麦が風に吹かれているのをもう少しだけ近くで見るだけ。

「ふふふ、綺麗だなぁ。黄金色の麦も綺麗だけど、この瑞々しい緑色の麦が広がっている風景がやっぱり好きです」

 いつの間にか隣に並んでいた兄様が「そうだね」って頷いて、そのまま言葉を続けた。

「でも、私はエディの瞳の色の方が綺麗で、好きだなって思う」
「…………っ……あ、アル」
「エディの夢が、一つ一つ形になっていくね。エディが、頑張ってきた証拠だ」

 なんだか泣きたくなるような、気持ちになって僕は「……兄様が、いてくれたからです」って答えていた。最近はすっかりアルって言っていたからちょっとびっくりしたみたいな顔をして「エディ?」って僕の顔を見つめてくる。大好きな、大好きな空色の瞳。そして金色の髪が風に揺れている。

「兄様が、アルが居てくれて良かった。最強の味方で、僕の騎士様」
「……うん。そうだね、でももう一つ加えて? 愛する旦那様っていうのはどう?」

 二人で笑って、手を繋ぎながら麦畑の脇を一緒に歩いた。きっと来月にはこの畑は黄金色に染まるだろう。
 食事くらいしていくように言われて、再びエルグランド家に戻った僕たちは、お茶とお菓子だけを頂いてシャマル様に「おめでとうございます」って改めてご挨拶をしてからフィンレーへ戻って来た。
 初めての他国への旅はほんの数時間で終了だったけど、麦畑も、そしてお腹が大きくなってきはじめた幸せそうなシャマル様を見て、僕も幸せな気持ちになった。

 本当は、聞く事が出来たらマルリカの実の事も聞きたいなって思っていたんだ。
 でもね、ふっくらとしてきたお腹と、幸せそうなシャマル様の顔と少し照れたようなダリウス叔父様を見ていたら、聞く事はないような気がしたんだ。だって、本当に本当に幸せそうだったんだもの。それだけで、マルリカの実を育てて良かったって思ったよ。

 麦も、マルリカの実も、無事に育って良かった。


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