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第8章  収束への道のり

【エピソード】- マリアンナ②

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「初等部の卒業、おめでとう。本当に高等部に進学しないで良かったのかい?」
「はい。お祖父様。このまま高等部に行っても、どのみち市井しせいに降りなければならないのですから、少しでも早くその術を身につけなければ」
「……好きなだけ、ここにいればいい」
「ありがとうございます」

 初等部を終えたマリアンナに、祖父は学びたいなら高等部に進むといいと言った。けれどマリアンナは首を横に振った。ルフェリット王国ではなぜか女の子の数が少なく、高等部まで行かずに嫁ぐ女性たちも多かった。
 また高位であればあるほど早くから婚約者が決まっていて、高等部卒業と同時に嫁いでいく女性も多い。けれどマリアンナには結婚という選択肢はない。『弟を殺した姉』という不名誉な噂はこれからもずっとついて回るだろう。それが真実ではなくとも、噂があれば、そんな娘を迎えようとする家はない。子爵家の子女という肩書は何も役には立たない。嫁に行かないのであれば何か手に職を付けなければならない。

 祖父の家に住みながらマリアンナはこれから出来る事を探した。そして、それはジョゼフが亡くなって一年ほど後に訪れた。
 祖父には少し気難しい友人がいた。以前から祖父母の家によく来ていたマリアンナも彼の事は何度も見た事があり、挨拶をした事もあった。

 ハーヴィン伯爵家の当主は強面で、口数もそれほど多くはなく、話していると怒っているように感じるような人だった。柔和な祖父とどうして友人なのだろうとマリアンナは度々思ったけれど、月に一度はやって来て話をして帰っていく。マリアンナがいると時折お菓子などのお土産も持ってきてくれた。
 ぶっきらぼうだけれど、優しい人なのかもしれない。何より祖父が旧知の友人としてずっとずっと交流をしているのだ。だからきっと悪い人ではないとマリアンナは思っていた。

 話があるから来なさいと言われて応接室に行くと、祖父とハーヴィン伯爵が座っていた。そして伯爵はいきなり口を開いた。

「娘に子供が生まれたんだ。顔を見に行きたいと思うが、どうにも相手の男が気に入らなくてね。恥ずかしい話だが、どうやら私の見る目は間違っていたようだ。男はあろう事か娘が不貞を働いたと言って遊び歩いているらしい。思う事は色々あるが、娘もそんな風に言われた子供への関心が無い様でね。このままでは家督を譲って隠居というのもままならん。まだ2歳だが、どうも魔力量が多いのではないかと報告が来た。貴女は闇魔法が使えて、魔力量も多いと聞く、どうだろうか、娘の侍女と言う肩書でその子供の面倒を見てはもらえないか」

 魔力量の多い子供。しかも両親の関心が薄い子供。

「私でよろしければ、ぜひお引き受けいたします」

 こうしてマリアンナはハーヴィン伯爵家の次期当主の家の侍女となった。


 ◇◇◇


「まー」
「そうですよ。エドワード様。さぁ、お食事を致しましょう」
「あー」
「はい。スープ。スープですよ」
「……っう」
「そう、スープです。ゆっくり食べますよ」

 ハーヴィン伯爵家の屋敷に着いて屋敷を案内されたマリアンナは即座にエドワードの専属侍女となった。当主から一任をされていたため、乳母も、執事も何も言えず、元より母であるエミリアはエドワードに全く関心がなかった。
 マリアンナがまず驚いたのは次期当主の嫡男であるエドワードの扱いの酷さだ。2歳になるというのにベッドに入れたまま、食事も最低限のものしか与えられず、明らかに栄養失調で、しかも言葉もほとんど出ていなかった。
 当たり前だとマリアンナは思った。誰も語りかけなければ言葉が出てくる筈もない。勿論表情もだ。エドワードが話せる言葉が「はい」と「ごめんなさい」を意味する音だけだった事に怒りすら込み上げた。

 他の使用人たちはいきなり現れて我が物顔で仕切るマリアンナにいい顔はしなかったが、彼女が当主直々に雇われた人間で、しかも旧知の仲として知られているイースティン元子爵の孫娘だった事から、強く反発や反論をする事が出来なかった。

「少し、日の光を浴びなければなりませんよ。歩けるようになったらマリーとお庭の散歩を致しましょう」
「まぁいー」
「そうですよ。マリーです。マリーがエドワード様の事をお守り致します」

 誰かを守る為には強くならなければならない。その為にマリアンナは闇魔法で使用できる魔法の数を増やしていった。基礎は学園の初等部で身についているし、元よりこの属性が決まった時から様々な本を読んで基礎的な魔法は身につけていた。魔法は誰かを傷つける為のものではない。それは闇魔法に限らずどんな魔法でも同じだ。けれど、大事な者を傷つけられないためには、やはり実質的に防御をしたり、時として攻撃をしたりする力が必要だとマリアンナは思うようになっていた。
 いくら注意をしていても、エドワードの食事を抜かれる事がある。少し目を離したすきに、傷や痣が出来ている事がある。悔しくて許せない気持ちと共に、どうしてという気持ちが湧き上がる。それはマリアンナ自身が子供の頃にずっと感じていたものだった。どうしてこんな事をするのか。一体何が悪いのか。
 
 そんな中、エドワードの髪や瞳の色が変わってきている事にマリアンナはふと気づいた。
 ここに来た時はくすんだグリーンの瞳の子供だった。髪の色は少し不思議な色をしていたけれど、それでも栄養が足りずにぱさぱさとして白っぽかった。それが半年を過ぎ、声もかすれず出せるようになり、表情も出始めるとくすんだ緑色は少しずつ綺麗な緑色へと変化して、髪も少し艶が出て薄茶色のようになった。そうして3歳の誕生日を迎える頃にははっきりと分かった。
 キラキラと輝くような新緑の緑。これは特別な色だ。昔魔法書を読みながら、見た事のあるお伽話。
 幸福を呼ぶという「ペリドットアイ」。   
 父親はそれを知らないのか、エドワードに興味がないのか、似ていないと時折やって来ては叩いたり喚いたりしていくが、マリアンナはエドワードのその髪の色もなぜか不思議な力があるような気がした。

 歩く事も、笑う事も、意味のある言葉を話す事も、エドワードは驚くほどの勢いで吸収して、自分のものにしていった。それでも彼の両親はそれを嬉しく思う事も、意味のある事と思う事もないようだった。祖父のハーヴィン伯爵もマリアンナを娘夫婦の住む屋敷に入れたものの、一向に孫に会いに来る様子もなかった。
 けれどその方がいいのかもしれないとマリアンナは思っていた。この瞳の事を知られない方がいい。そんな気がしてマリアンナはエドワードの瞳の色と髪の色が本来の色に見えないように認識阻害の魔法をかけた。

「まりー、おにわ、かーさまいない」
「……では少しだけお散歩をしてまいりましょう」

 以前庭に出てエミリアと鉢合わせをしてしまってエドワードに手を上げられた事があってから、マリアンナは彼女が庭に出ていないのを確かめるように、そして庭の端の方だけを回るようにしていた。

「おはな、きれい」
「そうですね。秋薔薇の良い香りがしますね」
「まりーは、なんのおはな、すき?」

 ふと頭の中にイースティンの綿の畑が浮かんだ。青い空に一日だけ開く花芯の辺りが赤ワイン色の黄色い花。

「マリーは綿の花が好きです」
「わた?」
「はい、黄色の花を咲かせて、秋になると実が弾けて白い綿が飛び出すのです。まるで白い花が咲いているみたいなのですよ」
「きいろと、しろ……ぼくも、みたいなぁ」

『マリ姉さま、僕も綿の畑をみてみたい」

 耳の奥で弟の幼い声が聞こえたような気がした。

「まりー?」
「……はい、エドワード様。そうですね。いつか、お見せできればいいと思います」
「うん。やくそく」
「はい。約束です。さぁ、そろそろお部屋に戻りましょう」


 ◇◇◇


 大きな転機はエドワードが4歳の誕生日を迎えてすぐに起こった。父親の愛人が屋敷へ押しかけてきて、その翌日母親である伯爵令嬢は他の男と駆け落ちをしてしまったのだ。その事を知った父親は戻って来るなりエドワードに暴力をふるった。

「エミリアはどこに行った! なぜ子供であるお前が止めなかったんだ!」

 幼い子供が気を失うほどの暴力をふるう男を執事と一緒に止めて、マリアンナは泣きながらエドワードの手当てをした。闇魔法でなく、治癒能力のある光魔法を持っていたらと、この時ほど思った事はなかった。
 けれど、状況は刻一刻と変化をする。屋敷にエドワードの父親が野盗に襲われて殺されたという知らせが入った。
 マリアンナは瞬時に理解した。ハーヴィン伯爵はエドワードの父をもう使えないと切り捨てたのだ。
 おそらく、娘はそのうちに連れ戻されるだろう。だが、その娘はエドワードに興味を持たない。それどころか食事を抜いたり、手を上げるなどの暴力も見られている。マリアンナの知っているハーヴィン伯爵はそれほど話が分からない人ではなかったけれど、領主としての伯爵は分からない。エドワードの父親の事を考えれば家の事を第一とする冷徹な人間なのかもしれない。そしてその父親と同じようにエドワードをハーヴィンには不要と思うかもしれない。もしくは娘がエドワードに手をかける可能性だってある。だとすれば。

「フィンレーに望みを託すしかない……」

 フィンレーの当主の噂はマリアンナでも知っている。賢く正しい良い人物だと言われている。婿入りをした弟が死んだと分かれば何か動きがあるだろう。なんとか、その息子であるエドワードを保護してもらえないだろうか。
 さすがにハーヴィン伯爵の命令がなければエドワードを始末する事は出来ない筈だ。だからこそ執事は父親の凶行から今まで無関心を貫いていたエドワードを守った。すぐにエドワードが害される事はない。けれどおそらく余裕もない。

「………………」

 これは賭けだった。もしかしたら伯爵はエドワードの事を殺そうとはしないかもしれない。けれど、恐らくエドワードに会えば、彼はマリアンナが気づいたあのお伽話を思い出すだろう。とすれば、おそらくエドワードの自由は無くなる。どのような扱いを受けるかも分からない。

 怪我をしているエドワードを部屋からそっと連れ出した。闇魔法はこういう時に便利だ。混乱に紛れて誰にも気づかれずに地下の奥の部屋へと進む。何があるのかは分からないけれど、この地下通路にはあまり人が入って来ず、小さな物置のような部屋が沢山ある。
 その中の一つにエドワードを隠した。毛布と布団、羽織れるものも持ち込んで、水と日持ちのする食料も出来るかぎり運び込んだ。
 せめてこの傷が癒えるまでは傍についていたかった。けれど多分、その時間はないだろう。

「ごめんなさい。エドワード様、ごめんなさい……」
「マリー……どうしてないているの」
「まだ痛みますか?」
「おくすり、つけたからへいき」
「ごめんなさい。私に光魔法が使えたら……」
「マリー?」
「どうか、どうか、マリーを信じて下さい」
「うん。しんじるよ」
「必ずエドワード様をお助けします。どうか待っていてください」
「わかった、まってるね」

 マリアンナは裏庭から厩舎へと駆け、そのままハーヴィンの屋敷を飛び出した。エドワードを隠した部屋の扉には認識阻害と闇の結界をかけた。どうか、どうか間に合います様に。
 何に使えるのか分からなかった<希望>というスキル。でももしもそれがきちんと使えるのならば今度こそこの願いを叶えてほしい。
 どうかエドワード様を守って下さい。あの愛おしい子を恐ろしいものから隠して下さい。
 そしてどうか、幸せに、幸せになれますように。

『マリ姉さま』

 あの子の分まで幸せになってほしいから。だからどうか、私に力を。<希望>を引き寄せる強さを。


 馬が限界に近いほど駆けて二日半。そしてマリアンナは街道でフィンレーの紋が入った馬車を見つけた。

「失礼いたします! エドワード・ハーヴィン様の専属侍女をしております。マリアンナ・イースティンです! どうか! エドワード様を助けて下さい!」

 その声に馬車が止まって、扉が開いた。

「いい、私が出よう。デイヴィット・グランデス・フィンレーだ。助けるという事はどういう事か話を聞かせてくれないか」

 まさか領主自身が来ているとは思っても居なかった。

「はい! どうぞ、どうぞお願い致します!」

 <希望>が、初めて見えた気がした。



 fin

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駆け足の話でしたが、伝わってもらえるといいなぁ。
8章でマリーのスキルをはっきりと出したのはこの話を書きたかったからです。
16歳からエディと一緒にいるのです。
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