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第6章 それぞれの
175. 魔人化
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その日は結局みんなで気を付ける事を確かめて、その事を他の科の友達にも伝えた。
僕は魔法書簡の魔法の使用を学園に届け出てあるので、学園に居る間に送ったんだ。
ただどうしても騎士科のクラウス君だけは一人になりがちなので、同じ騎士科のお友達となるべく一緒に居てほしいと伝えた。
『割と身体を動かしている方が多いから、何か考え込んでしまう様な事もないけれど気を付ける』という返事を見てミッチェル君が容赦なく「脳筋」と言った。
とにかく、みんながおかしいって思うんだから、みんなで気を付けた方がいい。
勿論僕はその夜にその事も兄様に伝えた。
「そう。仲間のほとんどがそう言っているなら気を付けた方がいいね。学園内には魔物や害意のある魔法を防ぐような結界はあるけれど、前回の事例があるから用心するのに越したことはないからね」
「はい。気を付けます。兄様も街中に魔素が多く出ているみたいなので気を付けて下さいね」
「うん。ありがとう。なぜかここにきて魔素の出現が多発している。おかしな事だよね。エディたちが感じているその感覚と何か関係があるのかな。その辺りの事は父様や側近の仲間たちにも共有しておくよ」
「はい。お願いします」
僕はペコリと頭を下げてマリーが淹れてくれたハーブティーを手に取った。
「最近はハーブティーが多いんだね」
「う~ん。紅茶も飲みますけど、暑くなり始めてきたからかなぁ。ハーブティーだと冷たくしても飲めるし。何かスッキリするから」
「そうなんだ? じゃあ今度ハーブティーのお店に一緒に行ってみようか」
「え! 王都にあるんですか? 行きたいです」
「うん。じゃあ、そうだな。予定がついたら連絡するね。この前珍しいブルーのハーブティーを飲んだよ。少し酸っぱい感じがしたけれど夏にはちょうどいいかもしれないね」
「ブルーのハーブティー……」
それはとても飲んでみたい。
ひとしきりその話をしてから部屋に戻った。
大きな事が起きないといいなと思いながら僕は護符と魔物よけのハーブのポプリを枕元に置いて眠った。
-*-*-*-*-*-
そして翌日。
兄様と僕はいつも通りにそれぞれ、お城と学園に出発した。
午前中は特に何もなく、午後は魔法実技の合同講義がある日だった。
この前皆が嫌だなと思った日が合同講義の日だったから何となく少し気になった。
でも講義は特に何事もなく進んでいく。見ていると、やはり科によって少しずつ差が出てきたなという感じだ。
それでも皆と同じ講義を受けられるのが嬉しいと思っていると、なぜか背中がヒヤリとするような感覚が襲ってきた。
「え?」
「何? どうしたの? エディ」
すぐにミッチェル君が声をかけてくれる。
「う……ん、何だかちょっと背中が寒かったような気がした」
「どこかで失敗して氷魔法でも出しちゃったのかな」
「ミッチェル、そういう事じゃないと思うよ?」
レナード君が苦笑しながらそう言った。
「そう? でも確かになんか一瞬だけ寒かったような気がしたから、そういう間違いだったのかなって」
そう言いながらミッチェル君は辺りをチラチラと確認して「あっちだと思う」と目線を向けた。
そっとうかがうと魔導騎士科の高位貴族たちが集まっているのが見えた。
「うん……でも分からないなぁ」
「僕も今はわからない。何だろうね。やっぱり何か使ったんじゃないかな。でも攻撃魔法は使えないからね」
「うん」
学園内で使用出来る魔法は限られていて、届け出をしているものの他は講義で練習をしている時に限られる。それ以外でも攻撃魔法や悪意のある魔法は絶対に他人に向けられないようにされているのだ。出した瞬間に魔力が消える。
どんな風にそうなるのかは分からないけれど、未熟な学生という事を考えれば、その措置は有難いのかもしれない。
「わからないな。なんとなく紛れたって感じがする」
「確かに、そう言う感じだ。何だろう。何かを向けられたような感じもしたけど」
レナード君とエリック君も同じような話をしていた。
結局何かは分からないままその日の全ての講義が終わった。
あの時以外にそれを感じる事はなくて、もしかしたら気のせいだったのかもしれないというような気さえした。
「でもさぁ、学園の中には悪意があったり、魔物は入れないようになっているし、あの事件以来魔素が湧き出す事もないしさ。う~んでもなんか気持ち悪いんだよ。ねぇ、ルシルは何か感じない?」
教室を出て出入り口の方へ歩きながら、ミッチェル君が声を顰めながら隣にいるルチルに声をかけた。
「ごめん、正直よく分からないんだよね。王城の中でも同じような事って沢山あるからさ」
「え? どういう事?」
「う~ん、ほら、僕ってさ、なんて言うのかな珍しいっていうか、目立つって言うか、得体のしれないっていうかそう言う感じじゃない? しかも初等部の一年で側近候補になっているからさ。だからなのかな。好奇の視線っていうか、やっかみも含めて嫌な感じの視線を受ける事も多いし。何かさぁ最近の皆が気になるとかおかしいとか言っているのって、僕にしてみるとそんな感じに似ていて慣れちゃってるっていうか、無視できるって言うか」
「……よく分からないけど、あんまりそんな経験はしたくないし、慣れたくもないなぁ」
ミッチェル君が言う通り、確かにそんな経験はあまりしたくない。というか慣れてしまうほどそんな経験をしてきたルシルに何とも言えない気持ちになる。
それに対してうまくかける言葉が見つからずにただ歩いているといきなり何かが現れた。そんな気配がした。
「!!」
「なに?」
「どこ? 後ろ? 魔導騎士科の方から?」
「分からないけど、明らかに異常な感じですね」
廊下を歩いていた僕たちはその場に立ち止まってキョロキョロと周りをみた。
けれど何もない。だけど何か、大きな、嫌な何を感じたんだ。
帰りの時間となっていた廊下は同じように何かを感じた者と、あまり感じずにそのまま出入り口に向かうもので混雑をしていた。
「今、なんか感じたよね?」
ミッチェル君が僕を見た。
「うん。でも分からない。何だろう」
「学園内で感じるはずがない嫌な感じだけど。どこかで魔素でも湧いてまた魔物でも出た?」
「変な事を言わないでよ。でもほんとにちょっと」
気持ちが悪い、怖い、嫌だ。
そんな感情が次から次に湧きあがった。
「この廊下で何かが起こるのはまずい。とりあえず門の方に向かおう」
ユージーン君の言葉に僕たちは頷いて歩き始めた。
確かにこんな混みあっているような廊下で何かが起きたらパニックになってしまう。
校舎を出ると暮れ始めの橙色に滲み始めた空が見えた。あと1リイルもすれば暗くなり始めるだろう。
このままもう少し進んでから初等部の方に歩けば馬車廻になる。だが、嫌な気配もあってか、馬車廻の方へ続く道はいつも以上に混んでいる。
この時間はいつも混んでいるので、この辺りで他の科からやってくる友人たちと合流をして、少しだけ話をしてから帰る事が多かった。今日はどうするべきだろうか。人が多くいる馬車廻はかえって危険ではないだろうか。
先ほど感じた気配はまたなくなっていた。
一体どういう事なんだろう。どうしてこんなに嫌な気配が出たり消えたりするんだろう。
「さっきのは何だったんだろう」
校舎の方を振り返りながらトーマス君が口を開いた。
「魔物、とは違う感じもしたんだけど」
「うん。大体魔物が現れたなら一瞬感じた気配が消える事はないよね」
「確かに」
そんな話をしていたらレナード君とエリック君がやってきたのが見えた。
「まだいたのか。何だかおかしい感じがしたからもう学園を出たかと思ったよ」
「感じた人とあまり感じなかった人がいたみたいだけど、とりあえず校舎からは出た方がいいと思って。馬車廻がいつもより混んでいる感じだからとりあえずここにいたんだけど。クラウスは?」
「騎士科は他学年との合同実技があるから」
「わぁ、この時間に実技か。大変だね」
校舎から出てくる人はだいぶ少なくなっていた。
高学年はもう一講義ある科が多いので、先ほど混みあっていたのは主には高等部一年の学生たちだ。
「落ち着かないね」
「うん。何となくね」
僕はトーマス君と顔を見合わせてぽつりとそう言った。
「そろそろ行こうか。少し並んでも何となくここを離れたい感じがする」
「そうだね。そうしよう」
僕たちは先ほどより少し空いてきた校舎前の広場から馬車廻に向かって歩き出した。
『高等部、第一出入り口付近で、学園内に存在する筈のない魔力の塊を感知しました。現在調査をしています。各自周囲に注意をしてください』
久しぶりに聞こえてきた学内の注意喚起の声。
「え?」
「どこ?」
「第一出入口ってここだよね?」
僕たちは身構えるようにして辺りを見る。周りにいるのは二十人にも満たない学生たちだけだ。
僕たちのグループがここでは一番多い。
ここに魔力の塊?
ざわざわと得体のしれない何かに怯えるような声が広がっていく。
出入り口付近ということは外から侵入したんだろうか。でもこの学園入学時と高等部進学時に渡されるこのバッチがないと魔力を持っている者は中には入れないようになっていて……。
その瞬間。
「あそこだ!魔素だ!」
ルシルが短くそう言った。校舎の脇に黒い魔素がゆらゆらと湧き始めていた。
「じゃ、じゃあ、また魔物が湧き出す?」
「ううん、違う。けど……」
「負のエネルギーがものすごい。魔素がそれを吸収してどんどん膨れ上がっている。ここから離れよう」
スティーブ君の言葉に頷いて僕たちは馬車廻の方へ向かった。
同じようにそちらに向かう生徒たちが次第に悲鳴のような声を上げ始めた。
「なに? 何が起きているの?」
「分からないけど、なんだか皆が恐慌状態になっているっていうか、させられているって言うか……」
ユラユラ揺れながら増えていく魔素はあっという間に魔素溜まりを作った。
「とりあえず、魔素溜まりを消すね」
万が一にでも以前のようにそこから魔物が湧き出したらまずい。
魔力を練り始めたルシルの後ろで僕は兄様に書簡を出した方がいいかを考えていた。
でもこれで魔素溜まりが消えてしまえば急ぎではなくてもいいのか。
一瞬だけ迷ったその途端。人気のなかった校舎の中から誰かが出てくるのが見えた。
「え? 人?」
そう思った瞬間、先ほど以上の嫌な気配が背筋を駆け上がった。
魔素が、何かを捕らえているように見えた。
ううん、違う。捕らえているんじゃない。
人が、魔素を、作り出している?
「ぎゃぁぁぁぁ!!!」
いきなりものすごい悲鳴が聞こえた。
そちらを見ると魔素だまりから黒い手のような魔素が伸びて、声を上げた人を捕らえているのが見えた。
「う……そ……」
でもそれだけじゃない。違う。嫌だ。来ないで。
無意識に身体ががくがく震え出す。
禍々しい何かがくる。
人の形をしているのに、人ではない何か。身体から黒い魔素のようなものをまるで陽炎のように立ちのぼらせている。あれは、あれは……
「オルドリッジ公爵子息……」
レナード君が絞り出すような声を出した。
完全に魔素にあてられている。というか、それどころではない。
人ではなくなり始めている。遠目でも判るフゥフゥと獣のように息を吐いて笑っている口。魔獣のように赤く染まった目。そして圧倒的な負のエネルギー。
見てはいけないと思うほど目が離せなくなって、わけの分からないような感情に押しつぶされそうになってくる。
「あれはまずいな……」
「うん、だいぶ、負のエネルギーを食らってるな」
ユージーン君の言葉に応えるように、ミッチェル君が珍しく引きつったような声を出した。
「魔人化した……?」
「分からないけど、アンデッドではない」
つまりは死んではいない。
だけどあれは……。
逃げなくては。そう思った。どういう攻撃が効くのか分からない。
否、魔獣のようになっているとはいえ、まだ、生きている人間だ。しかも。
「まさか!」
先ほど魔素に捕らわれて倒れた人が、黒い魔素のようなものを身体から発しながらゆらりと立ち上がったのだ。
「ひぃっ! あっちも魔人化、したの?」
「じゃ、じゃあ、人間なのに、魔獣のように穢れを振りまくの?」
「穢れだけならまだマシじゃない? 魔素の中に引きずり込まれたらあっちの仲間入りだよ。最悪魔人どころかアンデッドになりそう」
トーマス君と僕の問いにミッチェル君が全然嬉しくない答えをくれた。
『高等部、第一出入口付近。魔素溜まりを確認。同時に魔素にあてられて魔人化している人間を確認。至急避難をしてください。現在馬車廻は使用困難となっています。初等部および高等部の聖堂を開放します。魔素にあてられないように注意をして下さい。魔素および魔人化した人間についての情報が不足をしています。自身の安全を最優先して下さい。安全確保のため魔法の使用を認めますが、魔人化している人間への攻撃魔法は禁止します』
「とりあえず浄化をしてみる!」
「駄目だ!魔素だけならともかく魔人は浄化して消してはいけない。生きているのかは分からないけれど公爵家の子息を浄化して消してしまったら大変な事になるぞ」
レナード君が声をあげた。
「魔素とか、瘴気みたいなものとか、そういうものだけを抜く事はできないかな?」
「……っ……さすがスティーブ、無茶を言うね。そんなのやった事ないよ。で、でもやってみる!」
そう言ってルシルは人だったそれに向かって練り上げた光を放った。
それを見ながら、僕は父様と兄様に急いで声の書簡を送った。
『学園入り口に魔人化した人が出ました。オルドリッジ公爵子息他一名。ルシルが応戦中」
--------------------
が、頑張れチームエディとルシル!
僕は魔法書簡の魔法の使用を学園に届け出てあるので、学園に居る間に送ったんだ。
ただどうしても騎士科のクラウス君だけは一人になりがちなので、同じ騎士科のお友達となるべく一緒に居てほしいと伝えた。
『割と身体を動かしている方が多いから、何か考え込んでしまう様な事もないけれど気を付ける』という返事を見てミッチェル君が容赦なく「脳筋」と言った。
とにかく、みんながおかしいって思うんだから、みんなで気を付けた方がいい。
勿論僕はその夜にその事も兄様に伝えた。
「そう。仲間のほとんどがそう言っているなら気を付けた方がいいね。学園内には魔物や害意のある魔法を防ぐような結界はあるけれど、前回の事例があるから用心するのに越したことはないからね」
「はい。気を付けます。兄様も街中に魔素が多く出ているみたいなので気を付けて下さいね」
「うん。ありがとう。なぜかここにきて魔素の出現が多発している。おかしな事だよね。エディたちが感じているその感覚と何か関係があるのかな。その辺りの事は父様や側近の仲間たちにも共有しておくよ」
「はい。お願いします」
僕はペコリと頭を下げてマリーが淹れてくれたハーブティーを手に取った。
「最近はハーブティーが多いんだね」
「う~ん。紅茶も飲みますけど、暑くなり始めてきたからかなぁ。ハーブティーだと冷たくしても飲めるし。何かスッキリするから」
「そうなんだ? じゃあ今度ハーブティーのお店に一緒に行ってみようか」
「え! 王都にあるんですか? 行きたいです」
「うん。じゃあ、そうだな。予定がついたら連絡するね。この前珍しいブルーのハーブティーを飲んだよ。少し酸っぱい感じがしたけれど夏にはちょうどいいかもしれないね」
「ブルーのハーブティー……」
それはとても飲んでみたい。
ひとしきりその話をしてから部屋に戻った。
大きな事が起きないといいなと思いながら僕は護符と魔物よけのハーブのポプリを枕元に置いて眠った。
-*-*-*-*-*-
そして翌日。
兄様と僕はいつも通りにそれぞれ、お城と学園に出発した。
午前中は特に何もなく、午後は魔法実技の合同講義がある日だった。
この前皆が嫌だなと思った日が合同講義の日だったから何となく少し気になった。
でも講義は特に何事もなく進んでいく。見ていると、やはり科によって少しずつ差が出てきたなという感じだ。
それでも皆と同じ講義を受けられるのが嬉しいと思っていると、なぜか背中がヒヤリとするような感覚が襲ってきた。
「え?」
「何? どうしたの? エディ」
すぐにミッチェル君が声をかけてくれる。
「う……ん、何だかちょっと背中が寒かったような気がした」
「どこかで失敗して氷魔法でも出しちゃったのかな」
「ミッチェル、そういう事じゃないと思うよ?」
レナード君が苦笑しながらそう言った。
「そう? でも確かになんか一瞬だけ寒かったような気がしたから、そういう間違いだったのかなって」
そう言いながらミッチェル君は辺りをチラチラと確認して「あっちだと思う」と目線を向けた。
そっとうかがうと魔導騎士科の高位貴族たちが集まっているのが見えた。
「うん……でも分からないなぁ」
「僕も今はわからない。何だろうね。やっぱり何か使ったんじゃないかな。でも攻撃魔法は使えないからね」
「うん」
学園内で使用出来る魔法は限られていて、届け出をしているものの他は講義で練習をしている時に限られる。それ以外でも攻撃魔法や悪意のある魔法は絶対に他人に向けられないようにされているのだ。出した瞬間に魔力が消える。
どんな風にそうなるのかは分からないけれど、未熟な学生という事を考えれば、その措置は有難いのかもしれない。
「わからないな。なんとなく紛れたって感じがする」
「確かに、そう言う感じだ。何だろう。何かを向けられたような感じもしたけど」
レナード君とエリック君も同じような話をしていた。
結局何かは分からないままその日の全ての講義が終わった。
あの時以外にそれを感じる事はなくて、もしかしたら気のせいだったのかもしれないというような気さえした。
「でもさぁ、学園の中には悪意があったり、魔物は入れないようになっているし、あの事件以来魔素が湧き出す事もないしさ。う~んでもなんか気持ち悪いんだよ。ねぇ、ルシルは何か感じない?」
教室を出て出入り口の方へ歩きながら、ミッチェル君が声を顰めながら隣にいるルチルに声をかけた。
「ごめん、正直よく分からないんだよね。王城の中でも同じような事って沢山あるからさ」
「え? どういう事?」
「う~ん、ほら、僕ってさ、なんて言うのかな珍しいっていうか、目立つって言うか、得体のしれないっていうかそう言う感じじゃない? しかも初等部の一年で側近候補になっているからさ。だからなのかな。好奇の視線っていうか、やっかみも含めて嫌な感じの視線を受ける事も多いし。何かさぁ最近の皆が気になるとかおかしいとか言っているのって、僕にしてみるとそんな感じに似ていて慣れちゃってるっていうか、無視できるって言うか」
「……よく分からないけど、あんまりそんな経験はしたくないし、慣れたくもないなぁ」
ミッチェル君が言う通り、確かにそんな経験はあまりしたくない。というか慣れてしまうほどそんな経験をしてきたルシルに何とも言えない気持ちになる。
それに対してうまくかける言葉が見つからずにただ歩いているといきなり何かが現れた。そんな気配がした。
「!!」
「なに?」
「どこ? 後ろ? 魔導騎士科の方から?」
「分からないけど、明らかに異常な感じですね」
廊下を歩いていた僕たちはその場に立ち止まってキョロキョロと周りをみた。
けれど何もない。だけど何か、大きな、嫌な何を感じたんだ。
帰りの時間となっていた廊下は同じように何かを感じた者と、あまり感じずにそのまま出入り口に向かうもので混雑をしていた。
「今、なんか感じたよね?」
ミッチェル君が僕を見た。
「うん。でも分からない。何だろう」
「学園内で感じるはずがない嫌な感じだけど。どこかで魔素でも湧いてまた魔物でも出た?」
「変な事を言わないでよ。でもほんとにちょっと」
気持ちが悪い、怖い、嫌だ。
そんな感情が次から次に湧きあがった。
「この廊下で何かが起こるのはまずい。とりあえず門の方に向かおう」
ユージーン君の言葉に僕たちは頷いて歩き始めた。
確かにこんな混みあっているような廊下で何かが起きたらパニックになってしまう。
校舎を出ると暮れ始めの橙色に滲み始めた空が見えた。あと1リイルもすれば暗くなり始めるだろう。
このままもう少し進んでから初等部の方に歩けば馬車廻になる。だが、嫌な気配もあってか、馬車廻の方へ続く道はいつも以上に混んでいる。
この時間はいつも混んでいるので、この辺りで他の科からやってくる友人たちと合流をして、少しだけ話をしてから帰る事が多かった。今日はどうするべきだろうか。人が多くいる馬車廻はかえって危険ではないだろうか。
先ほど感じた気配はまたなくなっていた。
一体どういう事なんだろう。どうしてこんなに嫌な気配が出たり消えたりするんだろう。
「さっきのは何だったんだろう」
校舎の方を振り返りながらトーマス君が口を開いた。
「魔物、とは違う感じもしたんだけど」
「うん。大体魔物が現れたなら一瞬感じた気配が消える事はないよね」
「確かに」
そんな話をしていたらレナード君とエリック君がやってきたのが見えた。
「まだいたのか。何だかおかしい感じがしたからもう学園を出たかと思ったよ」
「感じた人とあまり感じなかった人がいたみたいだけど、とりあえず校舎からは出た方がいいと思って。馬車廻がいつもより混んでいる感じだからとりあえずここにいたんだけど。クラウスは?」
「騎士科は他学年との合同実技があるから」
「わぁ、この時間に実技か。大変だね」
校舎から出てくる人はだいぶ少なくなっていた。
高学年はもう一講義ある科が多いので、先ほど混みあっていたのは主には高等部一年の学生たちだ。
「落ち着かないね」
「うん。何となくね」
僕はトーマス君と顔を見合わせてぽつりとそう言った。
「そろそろ行こうか。少し並んでも何となくここを離れたい感じがする」
「そうだね。そうしよう」
僕たちは先ほどより少し空いてきた校舎前の広場から馬車廻に向かって歩き出した。
『高等部、第一出入り口付近で、学園内に存在する筈のない魔力の塊を感知しました。現在調査をしています。各自周囲に注意をしてください』
久しぶりに聞こえてきた学内の注意喚起の声。
「え?」
「どこ?」
「第一出入口ってここだよね?」
僕たちは身構えるようにして辺りを見る。周りにいるのは二十人にも満たない学生たちだけだ。
僕たちのグループがここでは一番多い。
ここに魔力の塊?
ざわざわと得体のしれない何かに怯えるような声が広がっていく。
出入り口付近ということは外から侵入したんだろうか。でもこの学園入学時と高等部進学時に渡されるこのバッチがないと魔力を持っている者は中には入れないようになっていて……。
その瞬間。
「あそこだ!魔素だ!」
ルシルが短くそう言った。校舎の脇に黒い魔素がゆらゆらと湧き始めていた。
「じゃ、じゃあ、また魔物が湧き出す?」
「ううん、違う。けど……」
「負のエネルギーがものすごい。魔素がそれを吸収してどんどん膨れ上がっている。ここから離れよう」
スティーブ君の言葉に頷いて僕たちは馬車廻の方へ向かった。
同じようにそちらに向かう生徒たちが次第に悲鳴のような声を上げ始めた。
「なに? 何が起きているの?」
「分からないけど、なんだか皆が恐慌状態になっているっていうか、させられているって言うか……」
ユラユラ揺れながら増えていく魔素はあっという間に魔素溜まりを作った。
「とりあえず、魔素溜まりを消すね」
万が一にでも以前のようにそこから魔物が湧き出したらまずい。
魔力を練り始めたルシルの後ろで僕は兄様に書簡を出した方がいいかを考えていた。
でもこれで魔素溜まりが消えてしまえば急ぎではなくてもいいのか。
一瞬だけ迷ったその途端。人気のなかった校舎の中から誰かが出てくるのが見えた。
「え? 人?」
そう思った瞬間、先ほど以上の嫌な気配が背筋を駆け上がった。
魔素が、何かを捕らえているように見えた。
ううん、違う。捕らえているんじゃない。
人が、魔素を、作り出している?
「ぎゃぁぁぁぁ!!!」
いきなりものすごい悲鳴が聞こえた。
そちらを見ると魔素だまりから黒い手のような魔素が伸びて、声を上げた人を捕らえているのが見えた。
「う……そ……」
でもそれだけじゃない。違う。嫌だ。来ないで。
無意識に身体ががくがく震え出す。
禍々しい何かがくる。
人の形をしているのに、人ではない何か。身体から黒い魔素のようなものをまるで陽炎のように立ちのぼらせている。あれは、あれは……
「オルドリッジ公爵子息……」
レナード君が絞り出すような声を出した。
完全に魔素にあてられている。というか、それどころではない。
人ではなくなり始めている。遠目でも判るフゥフゥと獣のように息を吐いて笑っている口。魔獣のように赤く染まった目。そして圧倒的な負のエネルギー。
見てはいけないと思うほど目が離せなくなって、わけの分からないような感情に押しつぶされそうになってくる。
「あれはまずいな……」
「うん、だいぶ、負のエネルギーを食らってるな」
ユージーン君の言葉に応えるように、ミッチェル君が珍しく引きつったような声を出した。
「魔人化した……?」
「分からないけど、アンデッドではない」
つまりは死んではいない。
だけどあれは……。
逃げなくては。そう思った。どういう攻撃が効くのか分からない。
否、魔獣のようになっているとはいえ、まだ、生きている人間だ。しかも。
「まさか!」
先ほど魔素に捕らわれて倒れた人が、黒い魔素のようなものを身体から発しながらゆらりと立ち上がったのだ。
「ひぃっ! あっちも魔人化、したの?」
「じゃ、じゃあ、人間なのに、魔獣のように穢れを振りまくの?」
「穢れだけならまだマシじゃない? 魔素の中に引きずり込まれたらあっちの仲間入りだよ。最悪魔人どころかアンデッドになりそう」
トーマス君と僕の問いにミッチェル君が全然嬉しくない答えをくれた。
『高等部、第一出入口付近。魔素溜まりを確認。同時に魔素にあてられて魔人化している人間を確認。至急避難をしてください。現在馬車廻は使用困難となっています。初等部および高等部の聖堂を開放します。魔素にあてられないように注意をして下さい。魔素および魔人化した人間についての情報が不足をしています。自身の安全を最優先して下さい。安全確保のため魔法の使用を認めますが、魔人化している人間への攻撃魔法は禁止します』
「とりあえず浄化をしてみる!」
「駄目だ!魔素だけならともかく魔人は浄化して消してはいけない。生きているのかは分からないけれど公爵家の子息を浄化して消してしまったら大変な事になるぞ」
レナード君が声をあげた。
「魔素とか、瘴気みたいなものとか、そういうものだけを抜く事はできないかな?」
「……っ……さすがスティーブ、無茶を言うね。そんなのやった事ないよ。で、でもやってみる!」
そう言ってルシルは人だったそれに向かって練り上げた光を放った。
それを見ながら、僕は父様と兄様に急いで声の書簡を送った。
『学園入り口に魔人化した人が出ました。オルドリッジ公爵子息他一名。ルシルが応戦中」
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が、頑張れチームエディとルシル!
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