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第6章  それぞれの

166. 黒い夢と妖精の言葉

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「何があったのか、話してくれるかな?」

兄様は部屋に入ると僕をベッドの上にそっと下ろして、薄手の掛物を肩からくるむ様にしてかけてくれた。

「寒くない?」
「大丈夫です」

そう言うと、兄様は机の方から椅子を持ってきて、僕の前に腰かける。

「ゆっくりでいいよ。でも何があったのか、何を思っているのか、エディが抱えているものを話してほしいんだ」

真っ直ぐに見つめられて僕はゆっくりと口を開いた。

「どこから繋がっているのか、僕自身がよく分かっていないんです」
「うん。それでもいいよ。気になっている事を全部言葉にして吐き出してごらん」
「………以前、元ハーヴィン領に徘徊するアンデッドの事をお話したと思うんですが」
「ああ、それは話をしたね」
 兄様がコクリと頷いた。

「その後、ハーヴィン元伯爵夫人の実家であるディンチ伯爵家の嫡男が亡くなって、当主が神殿送りになったという話を聞きました」
「うん。それは僕も、父様も聞いているよ」
「はい。正直、僕はまだこの話題が続いているのかって思ったんです」
「うん」
「はっきり分からない事もあるし、面白がって広めている人もいるから無暗に情報を集めるのは止めようって友達とも話をしていたんですけど、ディンチ伯爵が亡くなって領地に魔物が現れたっていう話が聞こえてきて、魔素が」
「エディ」

僕の手がカタカタと震え始めたのを見て、兄様がそっとその手を握りしめた。

「もうやめようか?」
「だい、大丈夫です。領主の屋敷内に魔素が湧き出したって聞きました。それで週末お祖父様の魔法の講義があって、今度はハリーから、妖精が半月位前から「気を付けて」って言っているって」
「ハリーが?」

兄様が驚いたような声を出した。しまった。ハリーの事を伝えておけばよかった。
チェスターに屋敷の結界とかを確認したからそちらから何か言っているかと思っていた。

「はい。妖精が気を付けてって言ったのは以前にもあって、学園内に魔物が現れた時も気を付けてって言っていたから。それに、半月前っていうのも気になって。ちょうどディンチ伯爵家の事があったのがそれくらいで、もしかして関係があるんじゃないかって」
「……エディ、明日にしよう。ひどい顔色だ」
「き、聞いて下さい。……怖い」

僕は首を横に振った。ああ、そうだ。僕はこんなに怖かったんだ。
だから話してしまいたいのだ。兄様が居てくれるうちに。
だって、明日になればまたお仕事に行ってしまうでしょう?
兄様は少しだけ考えるようにしてから「判った」とだけ言ってくれた。
それに励まされるように僕は再び話し出す。

「ハリーが、別の日に現れた妖精に「気を付けてだけじゃわからないから困っている」って言ったら。その妖精は「怖いのが来るから気を付けて」って。「どこにでも行けるの」「怖いの」そう答えたって。それで、お祖父様にディンチ家の事で分かっている事を教えてほしいってお願いしたんです」
「………………」
「お祖父様は早々に結び付けるのは危険だけれど、可能性の一つにはなるかもしれないって言って、噂の通りにディンチ家の領主の屋敷に魔素が湧いた事と、魔素にあたった何かが居た事。嫡男が亡くなった事、ディンチ伯爵は狂っていた事、助けに入った護衛が二名その場で殺されて、もう一名が魔素に落ちたらしいって教えてくれました」

兄様は握っていた手を離して、そのままゆっくりと僕の背中に回して抱き寄せた。
僕の震えがひどくなっていくからだ。

「ま、魔素が、学園に魔物が現れた時のようにそちらからの入口になるのなら、反対にこちらからも、魔物のいる場所への入口になり得るのかもしれないって思いました。それで、「どこでも行ける怖いの」が行き来出来てしまうのかなって思ったら、怖くなって」
「エディ、大丈夫だよ」
「フィンレーの屋敷も、ここも、ちゃんと父様が対策を取って下さっているって分かっていて、大丈夫って思っているのに、ゆ、夢の中に黒い何かが現れて、大きな口をあけて飲み込もうとするんです。も、もしかしたら、「怖いの」は夢の中にまで来られるのかなって。ハリーの夢の中に妖精が現れるように、それも、どこでも行けるのかなって思って」
「もういい。大丈夫だよ。どこにも行かせない。ここにいるよ。大丈夫」
「………っ……ふ……ぅ」

背中に回された暖かい手がトントンと僕の背中を叩いている。
止まっていた涙がまた零れだしていた。
でも大丈夫。兄様はここにいる。

「ディンチの事も調べている。魔素の事も。アンデッドの事もちゃんとみんな調べているから」
「はい、すみません」
「謝らないで。考えすぎちゃったね。もう少し気を付ければ良かった」
「……大丈夫です。聞いて下さって、ありがとうございます」
「うん。でももう少し、こうしていて?」
「兄様?」
「手の震えが止まるまではね」
「………はい」

僕はそのまま兄様の腕の中にいさせてもらった。
トクントクンと聞こえてくる心臓の音。
兄様の腕の中は暖かくて、先ほどまで震えが止まらなかった手でギュって背中の方の洋服を掴んだらもう少しだけ強く抱きしめられた。

夢の中に現れた黒い化け物。
あれは一体なんだったのだろう。
本当に妖精のように夢の中にまで魔物のようなものが入ってくるような事があるんだろうか?
でも、組んである魔法陣は少しでも悪意があれば夢魔のようなものでも弾かれてしまうくらい強力なものが組まれているのだ。

「エディ、何を考えているの?」
「怖いものっていうのは、夢の中にでてきたものだったのかなって」
「それなら、これでおしまいだね?起きて消えてしまったから。もしも魔素なら同じところには湧かない筈だ」
「ふ、ふふふ、そうですね」

そうだ。魔素は決まった所には湧かない。同じところに湧く事はほとんどない。
でももし違ったら。
怖いものがどんなものかを見せたものだったとしたら。
僕は予見なんて力はなかった筈だ。
だからその確率も低い筈だけれど。
何かの力がそれを教えてくれているのだとしたら。

「……怖がっていたら、いけない」
「エディ?」

震えは止まっていた。
冷たくなっていた指先にも温かさが戻ってきている。

「ありがとうございました。もう、大丈夫です」
「そう」

ゆっくりと離れていく身体。
なくなってしまったぬくもりに、急に寒くなってかけてもらった薄手の毛布のようなものを思わずかきあわせた。

「胃が落ち着いているようなら、何か温かいものでも持ってこさせよう」
「大丈夫です。もう大丈夫。ありがとうございました。兄様がいて下さってよかった」

そう言うと兄様は胸の前で合わせていた掛物をもう一度しっかりとくるむ様にしてぐるぐると巻きつけてしまった。

「兄様?」
「寒そうに見えたから」
「ありがとうございます。疲れている所すみませんでした」
「エディ、前にも言ったけれど、僕はどんな時でもエディの話をちゃんと聞きたいと思っているよ。ハリーの話は父様にも伝えておこう。夢に現れたというものの事も明日、もう一度聞かせてほしい。でも、今日はもう何も考えないで眠りなさい」
「はい。そうします」

ああ、久しぶりだな。兄様とこんな風にお話しするのは。
怖い夢を見て心配をかけたのに、こんなことを考えるのはおかしいけれど、それでもやっぱり嬉しい。

「部屋に戻ります」
「うん。もうきちんとなっているだろうからね」

そう言って再び兄様が僕の事を抱き上げた。

「! だ、大丈夫です。自分で歩けます」
「うん。でも裸足で連れてきてしまったからね。風邪をひくとこまる」
「………はい」

兄様はそのままドアに向かって歩き出して

「エディ」
「はい」

額に、そっとそっと触れるだけの口づけが落ちた。

「え?」
「おまじない。もう夢の中に「怖いの」が出てこないように」
「う……あ……はい……」
「それでもだめなら前に言ったように添い寝をするからいつでも言って」
「だだだだだ大丈夫です」
「そう?遠慮しないでね、エディ」
「あ……ぅ……」
「さて、じゃあ行こう」

にっこりと笑った兄様は僕を抱っこしたまま器用に部屋のドアを開けて僕の部屋に向かった。

「おやすみ、エディ」
「……おやすみなさい、アル兄様」



「怖いの」は、もう出なかった。


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兄様の勝ち

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