25 / 50
第3章
大きな秘密
しおりを挟む「昨日はごめん。なんか変な空気にしちゃって」
「全然気にしてません」
上手く目を合わせられず、意味もなく車内から外の景色を眺める。私は今、千秋さんの車でホテルへ向かっていた。
今日はおかしな朝を迎えた。
一夜明け、珍しく私の部屋がノックされる。そんな朝は初めてで慌てて扉を開けたら、千秋さんが改まったような表情で『ホテルまで送らせて』と言い出した。
夫婦らしい行動を必要以上に嫌うはずの彼から出た意外なセリフに驚きを隠せず、やはり昨日から変わらず様子はおかしい。
車に乗りながらソワソワして落ち着かなかった。
「ちょっと早めに着いちゃったけど平気?」
「はい、助かりました」
ホテルの前についたのはちょうど十二時で予定の一時間前だ。車から降り千秋さんに会釈をしたらすぐに背を向ける。
「晴日ちゃん」
しかしゆっくりと窓の開く音がして私は呼び止められる。振り返れば彼が助手席に身を乗り出してこちらを見ていた。
「夕飯は家で食べよう」
「ん?」
わざわざ引き止めてまで言うセリフではないだろうと拍子抜けして、半笑いで聞き返す。
「待ってるから」
でも彼は至って真面目な顔でこちらを見ていて、次第に私からも笑みが消える。
車が去って行く様子を見ながら、胸のあたりがモヤモヤする。ホテルに向く足取りは少しだけ重くなり私は上の空だ。
【新薬を利用したリハビリテーションとその効果について】
ロビーに入った瞬間、でかでかと立てかけられていた看板が真っ先に目に入る。十三時から行われるという製薬会社のセミナーで、思わず二度見した。
ただこの場所を教えられ目的も分からないまま来たけれど、直感的にこれだと思った。こんなにも私が行くべき場所だというものはないだろう。
「瀬川晴日様ですね?」
じっと看板を見ていたら黒いスーツを着たホテルマンの男性に声をかけられる。名前を呼ばれビクッと反応しながら恐る恐る頷くと、指先がスッと奥のエレベーターに向けられた。
「お待ちしておりました。神谷様からご案内するよう仰せつかっております。どうぞこちらへ」
私は言われるがまま彼の後ろをついて歩き、どこかへ移動する。心の準備もできていないまま向かう先を想像し、鞄を持つ手にギュッと力が入った。
とうとうその場所へたどり着くと、案内を終えた男性がお辞儀をして去っていく。
入り口にはロビーにあった看板とまったく同じポスターが貼られていて私の予感は見事的中する。ここはまさしくセミナー会場だ。
ひとり取り残された私は受付を済ませ中へ入る。目立たぬようにひっそりと一番後ろの席を確保した。
当たり前だけれどどこを見ても医療関係者ばかりだ。挙動不審に辺りを見回しながらたまに見える知った顔にドキッとする。父の付き合いで顔を合わせた人もいて、心が休まらなかった。
百人ほどが座れる広さの場内で、続々と席が埋まっていくにつれ場違いな状況にソワソワとする。心なしか少し空気も重たく感じた。
「では時間になりましたので始めさせていただきます」
ドキドキとしたまま時間はあっという間に過ぎ去り、定刻を迎える。司会者の声と共に場は一気にしんと静まり返った。
始まってしまったと思いながら、何のためにきたのかも分からずにパラパラと資料をめくる。製薬会社のセミナーに参加させられた意図が分からずに半信半疑で座っていた。
しかし私はその理由をすぐに知ることとなった。
「この度は弊社、ウィステリア製薬が開発した新薬に関するセミナーにお集まりいただき誠にありがとうございます。えー、まず今回新薬の治験にご協力いただいた皆様をご紹介させていただきます。向かって左から――」
司会者の声も半分にまたちらほらと見える知った顔にドキッとさせられる。
以前は父に付いてこういったセミナーに出席していたものだと懐かしんでいたら、ちらりと見えた人物に目を疑った。
「続きまして、瀬川総合病院の瀬川院長です」
マイクを通して聞こえてきたのは紛れもなく私の父のことで、急に空気が薄くなったように呼吸が浅くなった。
会場の一番前で席を立ち後ろに向かって一礼する父の顔を見たら、至るところから変な汗が吹き出す。
きっと私の顔なんて見えていないだろうけれど、目があった気がして反射的に下を向いた。
「このあと新薬を用いて行ったリハビリテーションの治験結果、具体的にもたらす効果や危険性などをご説明したあと質疑応答へ移らせていただきます」
今はそれどころではなくそんな説明も右から左へと抜けていく。
「では始めに我が社の代表取締役社長――」
そのとき不意に顔を上げたら視線が一点に固まった。進行の声と共に壇上に上がるひとりの男性の後ろ姿が目に入り、心臓が止まりそうになる。
動揺のタネは父のことだけではなかったのだと愕然とした。
「藤澤千秋よりご挨拶させていただきます」
震える手を押さえながら、何よりも強い衝撃に気分が悪くなる。気づけば座っていられずに会場を飛び出していた。
0
お気に入りに追加
49
あなたにおすすめの小説
ずぶ濡れで帰ったら置き手紙がありました
宵闇 月
恋愛
雨に降られてずぶ濡れで帰ったら同棲していた彼氏からの置き手紙がありーー
私の何がダメだったの?
ずぶ濡れシリーズ第二弾です。
※ 最後まで書き終えてます。
離婚する両親のどちらと暮らすか……娘が選んだのは夫の方だった。
しゃーりん
恋愛
夫の愛人に子供ができた。夫は私と離婚して愛人と再婚したいという。
私たち夫婦には娘が1人。
愛人との再婚に娘は邪魔になるかもしれないと思い、自分と一緒に連れ出すつもりだった。
だけど娘が選んだのは夫の方だった。
失意のまま実家に戻り、再婚した私が数年後に耳にしたのは、娘が冷遇されているのではないかという話。
事実ならば娘を引き取りたいと思い、元夫の家を訪れた。
再び娘が選ぶのは父か母か?というお話です。
【完結】もう一度やり直したいんです〜すれ違い契約夫婦は異国で再スタートする〜
四片霞彩
恋愛
「貴女の残りの命を私に下さい。貴女の命を有益に使います」
度重なる上司からのパワーハラスメントに耐え切れなくなった日向小春(ひなたこはる)が橋の上から身投げしようとした時、止めてくれたのは弁護士の若佐楓(わかさかえで)だった。
事情を知った楓に会社を訴えるように勧められるが、裁判費用が無い事を理由に小春は裁判を断り、再び身を投げようとする。
しかし追いかけてきた楓に再度止められると、裁判を無償で引き受ける条件として、契約結婚を提案されたのだった。
楓は所属している事務所の所長から、孫娘との結婚を勧められて困っており、 それを断る為にも、一時的に結婚してくれる相手が必要であった。
その代わり、もし小春が相手役を引き受けてくれるなら、裁判に必要な費用を貰わずに、無償で引き受けるとも。
ただ死ぬくらいなら、最後くらい、誰かの役に立ってから死のうと考えた小春は、楓と契約結婚をする事になったのだった。
その後、楓の結婚は回避するが、小春が会社を訴えた裁判は敗訴し、退職を余儀なくされた。
敗訴した事をきっかけに、裁判を引き受けてくれた楓との仲がすれ違うようになり、やがて国際弁護士になる為、楓は一人でニューヨークに旅立ったのだった。
それから、3年が経ったある日。
日本にいた小春の元に、突然楓から離婚届が送られてくる。
「私は若佐先生の事を何も知らない」
このまま離婚していいのか悩んだ小春は、荷物をまとめると、ニューヨーク行きの飛行機に乗る。
目的を果たした後も、契約結婚を解消しなかった楓の真意を知る為にもーー。
❄︎
※他サイトにも掲載しています。
選ばれたのは美人の親友
杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。
ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました
宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。
ーーそれではお幸せに。
以前書いていたお話です。
投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと…
十話完結で既に書き終えてます。
ただいま冷徹上司を調・教・中!
伊吹美香
恋愛
同期から男を寝取られ棄てられた崖っぷちOL
久瀬千尋(くぜちひろ)28歳
×
容姿端麗で仕事もでき一目置かれる恋愛下手課長
平嶋凱莉(ひらしまかいり)35歳
二人はひょんなことから(仮)恋人になることに。
今まで知らなかった素顔を知るたびに、二人の関係は近くなる。
意地と恥から始まった(仮)恋人は(本)恋人になれるのか?
十年越しの溺愛は、指先に甘い星を降らす
和泉杏咲
恋愛
私は、もうすぐ結婚をする。
職場で知り合った上司とのスピード婚。
ワケアリなので結婚式はナシ。
けれど、指輪だけは買おうと2人で決めた。
物が手に入りさえすれば、どこでもよかったのに。
どうして私達は、あの店に入ってしまったのだろう。
その店の名前は「Bella stella(ベラ ステラ)」
春の空色の壁の小さなお店にいたのは、私がずっと忘れられない人だった。
「君が、そんな結婚をするなんて、俺がこのまま許せると思う?」
お願い。
今、そんなことを言わないで。
決心が鈍ってしまうから。
私の人生は、あの人に捧げると決めてしまったのだから。
⌒*。*゚*⌒*゚*。*⌒*。*゚*⌒* ゚*。*⌒*。*゚
東雲美空(28) 会社員 × 如月理玖(28) 有名ジュエリー作家
⌒*。*゚*⌒*゚*。*⌒*。*゚*⌒* ゚*。*⌒*。*゚
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる