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第3章

大きな秘密

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「昨日はごめん。なんか変な空気にしちゃって」
「全然気にしてません」

 上手く目を合わせられず、意味もなく車内から外の景色を眺める。私は今、千秋さんの車でホテルへ向かっていた。

 今日はおかしな朝を迎えた。

 一夜明け、珍しく私の部屋がノックされる。そんな朝は初めてで慌てて扉を開けたら、千秋さんが改まったような表情で『ホテルまで送らせて』と言い出した。

 夫婦らしい行動を必要以上に嫌うはずの彼から出た意外なセリフに驚きを隠せず、やはり昨日から変わらず様子はおかしい。

 車に乗りながらソワソワして落ち着かなかった。

「ちょっと早めに着いちゃったけど平気?」
「はい、助かりました」

 ホテルの前についたのはちょうど十二時で予定の一時間前だ。車から降り千秋さんに会釈をしたらすぐに背を向ける。

「晴日ちゃん」

 しかしゆっくりと窓の開く音がして私は呼び止められる。振り返れば彼が助手席に身を乗り出してこちらを見ていた。

「夕飯は家で食べよう」
「ん?」

 わざわざ引き止めてまで言うセリフではないだろうと拍子抜けして、半笑いで聞き返す。

「待ってるから」

 でも彼は至って真面目な顔でこちらを見ていて、次第に私からも笑みが消える。

 車が去って行く様子を見ながら、胸のあたりがモヤモヤする。ホテルに向く足取りは少しだけ重くなり私は上の空だ。

 【新薬を利用したリハビリテーションとその効果について】

 ロビーに入った瞬間、でかでかと立てかけられていた看板が真っ先に目に入る。十三時から行われるという製薬会社のセミナーで、思わず二度見した。

 ただこの場所を教えられ目的も分からないまま来たけれど、直感的にこれだと思った。こんなにも私が行くべき場所だというものはないだろう。

「瀬川晴日様ですね?」

 じっと看板を見ていたら黒いスーツを着たホテルマンの男性に声をかけられる。名前を呼ばれビクッと反応しながら恐る恐る頷くと、指先がスッと奥のエレベーターに向けられた。

「お待ちしておりました。神谷様からご案内するよう仰せつかっております。どうぞこちらへ」

 私は言われるがまま彼の後ろをついて歩き、どこかへ移動する。心の準備もできていないまま向かう先を想像し、鞄を持つ手にギュッと力が入った。

 とうとうその場所へたどり着くと、案内を終えた男性がお辞儀をして去っていく。

 入り口にはロビーにあった看板とまったく同じポスターが貼られていて私の予感は見事的中する。ここはまさしくセミナー会場だ。

 ひとり取り残された私は受付を済ませ中へ入る。目立たぬようにひっそりと一番後ろの席を確保した。

 当たり前だけれどどこを見ても医療関係者ばかりだ。挙動不審に辺りを見回しながらたまに見える知った顔にドキッとする。父の付き合いで顔を合わせた人もいて、心が休まらなかった。

 百人ほどが座れる広さの場内で、続々と席が埋まっていくにつれ場違いな状況にソワソワとする。心なしか少し空気も重たく感じた。

「では時間になりましたので始めさせていただきます」

 ドキドキとしたまま時間はあっという間に過ぎ去り、定刻を迎える。司会者の声と共に場は一気にしんと静まり返った。

 始まってしまったと思いながら、何のためにきたのかも分からずにパラパラと資料をめくる。製薬会社のセミナーに参加させられた意図が分からずに半信半疑で座っていた。

 しかし私はその理由をすぐに知ることとなった。

「この度は弊社、ウィステリア製薬が開発した新薬に関するセミナーにお集まりいただき誠にありがとうございます。えー、まず今回新薬の治験にご協力いただいた皆様をご紹介させていただきます。向かって左から――」

 司会者の声も半分にまたちらほらと見える知った顔にドキッとさせられる。

 以前は父に付いてこういったセミナーに出席していたものだと懐かしんでいたら、ちらりと見えた人物に目を疑った。

「続きまして、瀬川総合病院の瀬川院長です」

 マイクを通して聞こえてきたのは紛れもなく私の父のことで、急に空気が薄くなったように呼吸が浅くなった。

 会場の一番前で席を立ち後ろに向かって一礼する父の顔を見たら、至るところから変な汗が吹き出す。

 きっと私の顔なんて見えていないだろうけれど、目があった気がして反射的に下を向いた。

「このあと新薬を用いて行ったリハビリテーションの治験結果、具体的にもたらす効果や危険性などをご説明したあと質疑応答へ移らせていただきます」

 今はそれどころではなくそんな説明も右から左へと抜けていく。

「では始めに我が社の代表取締役社長――」

 そのとき不意に顔を上げたら視線が一点に固まった。進行の声と共に壇上に上がるひとりの男性の後ろ姿が目に入り、心臓が止まりそうになる。

 動揺のタネは父のことだけではなかったのだと愕然とした。

「藤澤千秋よりご挨拶させていただきます」

 震える手を押さえながら、何よりも強い衝撃に気分が悪くなる。気づけば座っていられずに会場を飛び出していた。
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