上 下
2 / 17

おかしいな。

しおりを挟む
「少し日差しがきついな。日程を組み替えよう。大通りはできるだけ避けて……」
「馬車はこのままで?」
 殿下は一瞬目を閉じて考えたようだ。今日の案内のために、町中に馬車を停めてある。それが十と少し。そして案内の候補にしている店は、百を下らないだろう。
 それらをすっかり頭に入れ、彼らの様子から、最適な、この町のよさをわかってもらう旅程を組む。何も書かない。誰にも頼らない。その頭ひとつだ。
 そう、クリス・イル・アドジャイル殿下は天才だ。
 もっともそれは、この私だけが知っていればいい。他の者はただ、気軽に町に降りる王子らしからぬ王子と思っていればいい。
「……マルファス様は奥方とは距離があるようだった。けど娘はかわいがってるみたいだ」
「奥方へは気を使わなくてもいいと?」
「逆だよ。奥方のご機嫌が悪くなると旅の空気が悪くなるってこと。でも時間はできるだけセリア嬢に使って……そうだな……」
 私は殿下の考えがまとまるのを待つ。馬車はゆっくりと進み、入り込んでくる日差しが殿下を美しく照らした。
「……うん。ヴィー、三番通りの馬車を茜の辻へ。それでたぶん大丈夫」
「了解しました」
 馬車が停まる。私は殿下より先に降り、周囲に危険がないことを確認した。目立たないよう別のルートで走ってきた警護のものに殿下を任せる。気軽な視察をご希望である以上、それを極力叶えるのが殿下の仕事なのだ。
 給料分だけ仕事をしたい私だが、殿下の仕事の手伝いはする。
 殿下の望みだ。
「では」
 私はすぐに三番通りへと走る。
 広い町だ。裏道を通り、人の目につかなくなると、獣の姿を取った。四足で走れば早いものだ。



「あ」
 走り出したヴィーを思わず引き止めるところだった。離れていく背中が嫌だという、それだけの理由だ。
「……あれ?」
 おかしいな。
 昨夜はそれはもうウキウキハッスルしたというのに、これはおかしい。
 もしかすると……いやいや、僕だって寂しくなることくらいあるのだ。ウキウキハッスルしすぎたのかもしれない。
 まだヒートはずっと先だ。ずっと。
「……っていうほどでもないか」
 一週間先くらいだ。
 面倒だなとため息をつく。第二の性にオメガ、産む性を持つからには仕方のないことで、ヴィーに出会えただけ運がいいのだ。
「マルファス様、こちらです。この町の要と言えばここ、市場です。今の時間はあまり人がいないのでちょうどいいかと」
「人のいない市場……?」
「はい。それというのもここは卸市場なので、小売はしません。生産者が持ち込んだものを商人達が朝一番に買い付けて、それを自分の店で売るわけです」
「……集積場というわけか」
「おっしゃるとおりです。それで……えーっと、あ、いた。リンジーおばさん!」
 誰かしらはいるだろうと思っていたけど、よかった。マルファス様はこの町の自然な姿を見たいとご要望なので、仕込みは最低限にしたいのだ。
「あれま、王子様。また来たのかい」
「他国からのお客様だよ。今日買ったのは何?」
「見りゃわかるだろう、クゥポッカだよ!」
 リンジーおばさんの威勢のいい喋りに、ひゃっとセリア嬢が飛び上がってお父上の後ろに隠れた。かわいいなあ。下町の子にはない種のかわいさだ。
「ひとつ買わせて」
「はん、何言ってんだい。やるよ、ひとつくらい。王子にゃいつも世話になってるからね」
 世話になってるという態度じゃないところがリンジーおばさんだ。ツンデレっていうあれだ。下町の人は下町の人なりにかわいい。
「ありがとう!」
 僕はクゥポッカの実を受け取り、ナイフを取り出して二つに割った。
「これがうちの名産です。美味しいですけど食べます?」
 どうだろう。
 とりあえず僕が半分口にしてみせた。マルファス様は呆れたような顔をして、一国の王子が軽率すぎるとか思ってるんだろう。たまたまいたおばさんから大量のクゥポッカのひとつを受け取って、その場で割ったのだから、正直離宮で出される食事よりよっぽど安全な気がする。
 けどそれはマルファス様にはわからないことだ。
「……もらおう」
 引っ込めようかと思ったところ、予想外に受け取られた。おお。実際の町の生活が見たいっていうのは、上から目線の言葉でもなかったらしい。
「マ、マルファス様」
 と護衛のひとたちが慌てているが、止めるより先にクゥポッカはマルファス様の口に入った。
 何かあったらお叱りじゃすまないので、護衛の人も大変だ。
 とはいえ僕らのような立場だって大変なのだ。いちいち自分の行動で動く周囲を気にしていたら何もできない。ほんとに何もできない。
「……うむ。うまい」
 マルファス様はにっこりと笑った。
「おとうさま、セリアにもちょうだい!」
「いや、おまえには……」
「ご令嬢には食べにくいでしょう。これから調理の現場を見に行くので、よろしければそちらで。リンジーおばさん、いいかな?」
「……ふん。ついといで!」
 やっぱりツンデレだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

とある不憫王子が狼獣人を拾った話

斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中
BL
とある不憫王子が狼獣人を拾った話。

フェロモンで誘いたいかった

やなぎ怜
BL
学校でしつこい嫌がらせをしてきていたαに追われ、階段から落ちたΩの臣(おみ)。その一件で嫌がらせは明るみに出たし、学校は夏休みに入ったので好奇の目でも見られない。しかし臣の家で昔から同居しているひとつ下のαである大河(たいが)は、気づかなかったことに責任を感じている様子。利き手を骨折してしまった臣の世話を健気に焼く大河を見て、臣はもどかしく思う。互いに親愛以上の感情を抱いている感触はあるが、その関係は停滞している。いっそ発情期がきてしまえば、このもどかしい関係も変わるのだろうか――? そう思う臣だったが……。 ※オメガバース。未成年同士の性的表現あり。

王子様のご帰還です

小都
BL
目が覚めたらそこは、知らない国だった。 平凡に日々を過ごし無事高校3年間を終えた翌日、何もかもが違う場所で目が覚めた。 そして言われる。「おかえりなさい、王子」と・・・。 何も知らない僕に皆が強引に王子と言い、迎えに来た強引な婚約者は・・・男!? 異世界転移 王子×王子・・・? こちらは個人サイトからの再録になります。 十年以上前の作品をそのまま移してますので変だったらすみません。

推しの完璧超人お兄様になっちゃった

紫 もくれん
BL
『君の心臓にたどりつけたら』というゲーム。体が弱くて一生の大半をベットの上で過ごした僕が命を賭けてやり込んだゲーム。 そのクラウス・フォン・シルヴェスターという推しの大好きな完璧超人兄貴に成り代わってしまった。 ずっと好きで好きでたまらなかった推し。その推しに好かれるためならなんだってできるよ。 そんなBLゲーム世界で生きる僕のお話。

好きだと伝えたい!!

えの
BL
俺には大好きな人がいる!毎日「好き」と告白してるのに、全然相手にしてもらえない!!でも、気にしない。最初からこの恋が実るとは思ってない。せめて別れが来るその日まで…。好きだと伝えたい。

オメガ転生。

BL
残業三昧でヘトヘトになりながらの帰宅途中。乗り合わせたバスがまさかのトンネル内の火災事故に遭ってしまう。 そして………… 気がつけば、男児の姿に… 双子の妹は、まさかの悪役令嬢?それって一家破滅フラグだよね! 破滅回避の奮闘劇の幕開けだ!!

こわがりオメガは溺愛アルファ様と毎日おいかけっこ♡

なお
BL
政略結婚(?)したアルファの旦那様をこわがってるオメガ。 あまり近付かないようにしようと逃げ回っている。発情期も結婚してから来ないし、番になってない。このままじゃ離婚になるかもしれない…。 ♡♡♡ 恐いけど、きっと旦那様のことは好いてるのかな?なオメガ受けちゃん。ちゃんとアルファ旦那攻め様に甘々どろどろに溺愛されて、たまに垣間見えるアルファの執着も楽しめるように書きたいところだけ書くみたいになるかもしれないのでストーリーは面白くないかもです!!!ごめんなさい!!!

僕がハーブティーを淹れたら、筆頭魔術師様(♂)にプロポーズされました

楠結衣
BL
貴族学園の中庭で、婚約破棄を告げられたアルフォン伯爵令息。可愛らしい見た目に加え、ハーブと刺繍を愛する彼は、女よりも女の子らしいと言われていた。女騎士を目指す婚約者に「妹みたい」とバッサリ切り捨てられ、婚約解消されてしまう。 ショックのあまり実家のハーブガーデンに引きこもっていたところ、王宮魔術塔で働く兄から助手に誘われる。 喜ぶ家族を見たら断れなくなったエリオットは筆頭魔術師のジェラール様の執務室へ向かう。そこでエリオットがいつものようにハーブティーを淹れたところ、なぜかプロポーズされてしまい……。   「エリオット・ハワード――俺と結婚しよう」 契約結婚の打診からはじまる男同士の恋模様。 アルフォンのハーブティーと刺繍に特別な力があることは、まだ秘密──。

処理中です...