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おかしいな。
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「少し日差しがきついな。日程を組み替えよう。大通りはできるだけ避けて……」
「馬車はこのままで?」
殿下は一瞬目を閉じて考えたようだ。今日の案内のために、町中に馬車を停めてある。それが十と少し。そして案内の候補にしている店は、百を下らないだろう。
それらをすっかり頭に入れ、彼らの様子から、最適な、この町のよさをわかってもらう旅程を組む。何も書かない。誰にも頼らない。その頭ひとつだ。
そう、クリス・イル・アドジャイル殿下は天才だ。
もっともそれは、この私だけが知っていればいい。他の者はただ、気軽に町に降りる王子らしからぬ王子と思っていればいい。
「……マルファス様は奥方とは距離があるようだった。けど娘はかわいがってるみたいだ」
「奥方へは気を使わなくてもいいと?」
「逆だよ。奥方のご機嫌が悪くなると旅の空気が悪くなるってこと。でも時間はできるだけセリア嬢に使って……そうだな……」
私は殿下の考えがまとまるのを待つ。馬車はゆっくりと進み、入り込んでくる日差しが殿下を美しく照らした。
「……うん。ヴィー、三番通りの馬車を茜の辻へ。それでたぶん大丈夫」
「了解しました」
馬車が停まる。私は殿下より先に降り、周囲に危険がないことを確認した。目立たないよう別のルートで走ってきた警護のものに殿下を任せる。気軽な視察をご希望である以上、それを極力叶えるのが殿下の仕事なのだ。
給料分だけ仕事をしたい私だが、殿下の仕事の手伝いはする。
殿下の望みだ。
「では」
私はすぐに三番通りへと走る。
広い町だ。裏道を通り、人の目につかなくなると、獣の姿を取った。四足で走れば早いものだ。
「あ」
走り出したヴィーを思わず引き止めるところだった。離れていく背中が嫌だという、それだけの理由だ。
「……あれ?」
おかしいな。
昨夜はそれはもうウキウキハッスルしたというのに、これはおかしい。
もしかすると……いやいや、僕だって寂しくなることくらいあるのだ。ウキウキハッスルしすぎたのかもしれない。
まだヒートはずっと先だ。ずっと。
「……っていうほどでもないか」
一週間先くらいだ。
面倒だなとため息をつく。第二の性にオメガ、産む性を持つからには仕方のないことで、ヴィーに出会えただけ運がいいのだ。
「マルファス様、こちらです。この町の要と言えばここ、市場です。今の時間はあまり人がいないのでちょうどいいかと」
「人のいない市場……?」
「はい。それというのもここは卸市場なので、小売はしません。生産者が持ち込んだものを商人達が朝一番に買い付けて、それを自分の店で売るわけです」
「……集積場というわけか」
「おっしゃるとおりです。それで……えーっと、あ、いた。リンジーおばさん!」
誰かしらはいるだろうと思っていたけど、よかった。マルファス様はこの町の自然な姿を見たいとご要望なので、仕込みは最低限にしたいのだ。
「あれま、王子様。また来たのかい」
「他国からのお客様だよ。今日買ったのは何?」
「見りゃわかるだろう、クゥポッカだよ!」
リンジーおばさんの威勢のいい喋りに、ひゃっとセリア嬢が飛び上がってお父上の後ろに隠れた。かわいいなあ。下町の子にはない種のかわいさだ。
「ひとつ買わせて」
「はん、何言ってんだい。やるよ、ひとつくらい。王子にゃいつも世話になってるからね」
世話になってるという態度じゃないところがリンジーおばさんだ。ツンデレっていうあれだ。下町の人は下町の人なりにかわいい。
「ありがとう!」
僕はクゥポッカの実を受け取り、ナイフを取り出して二つに割った。
「これがうちの名産です。美味しいですけど食べます?」
どうだろう。
とりあえず僕が半分口にしてみせた。マルファス様は呆れたような顔をして、一国の王子が軽率すぎるとか思ってるんだろう。たまたまいたおばさんから大量のクゥポッカのひとつを受け取って、その場で割ったのだから、正直離宮で出される食事よりよっぽど安全な気がする。
けどそれはマルファス様にはわからないことだ。
「……もらおう」
引っ込めようかと思ったところ、予想外に受け取られた。おお。実際の町の生活が見たいっていうのは、上から目線の言葉でもなかったらしい。
「マ、マルファス様」
と護衛のひとたちが慌てているが、止めるより先にクゥポッカはマルファス様の口に入った。
何かあったらお叱りじゃすまないので、護衛の人も大変だ。
とはいえ僕らのような立場だって大変なのだ。いちいち自分の行動で動く周囲を気にしていたら何もできない。ほんとに何もできない。
「……うむ。うまい」
マルファス様はにっこりと笑った。
「おとうさま、セリアにもちょうだい!」
「いや、おまえには……」
「ご令嬢には食べにくいでしょう。これから調理の現場を見に行くので、よろしければそちらで。リンジーおばさん、いいかな?」
「……ふん。ついといで!」
やっぱりツンデレだ。
「馬車はこのままで?」
殿下は一瞬目を閉じて考えたようだ。今日の案内のために、町中に馬車を停めてある。それが十と少し。そして案内の候補にしている店は、百を下らないだろう。
それらをすっかり頭に入れ、彼らの様子から、最適な、この町のよさをわかってもらう旅程を組む。何も書かない。誰にも頼らない。その頭ひとつだ。
そう、クリス・イル・アドジャイル殿下は天才だ。
もっともそれは、この私だけが知っていればいい。他の者はただ、気軽に町に降りる王子らしからぬ王子と思っていればいい。
「……マルファス様は奥方とは距離があるようだった。けど娘はかわいがってるみたいだ」
「奥方へは気を使わなくてもいいと?」
「逆だよ。奥方のご機嫌が悪くなると旅の空気が悪くなるってこと。でも時間はできるだけセリア嬢に使って……そうだな……」
私は殿下の考えがまとまるのを待つ。馬車はゆっくりと進み、入り込んでくる日差しが殿下を美しく照らした。
「……うん。ヴィー、三番通りの馬車を茜の辻へ。それでたぶん大丈夫」
「了解しました」
馬車が停まる。私は殿下より先に降り、周囲に危険がないことを確認した。目立たないよう別のルートで走ってきた警護のものに殿下を任せる。気軽な視察をご希望である以上、それを極力叶えるのが殿下の仕事なのだ。
給料分だけ仕事をしたい私だが、殿下の仕事の手伝いはする。
殿下の望みだ。
「では」
私はすぐに三番通りへと走る。
広い町だ。裏道を通り、人の目につかなくなると、獣の姿を取った。四足で走れば早いものだ。
「あ」
走り出したヴィーを思わず引き止めるところだった。離れていく背中が嫌だという、それだけの理由だ。
「……あれ?」
おかしいな。
昨夜はそれはもうウキウキハッスルしたというのに、これはおかしい。
もしかすると……いやいや、僕だって寂しくなることくらいあるのだ。ウキウキハッスルしすぎたのかもしれない。
まだヒートはずっと先だ。ずっと。
「……っていうほどでもないか」
一週間先くらいだ。
面倒だなとため息をつく。第二の性にオメガ、産む性を持つからには仕方のないことで、ヴィーに出会えただけ運がいいのだ。
「マルファス様、こちらです。この町の要と言えばここ、市場です。今の時間はあまり人がいないのでちょうどいいかと」
「人のいない市場……?」
「はい。それというのもここは卸市場なので、小売はしません。生産者が持ち込んだものを商人達が朝一番に買い付けて、それを自分の店で売るわけです」
「……集積場というわけか」
「おっしゃるとおりです。それで……えーっと、あ、いた。リンジーおばさん!」
誰かしらはいるだろうと思っていたけど、よかった。マルファス様はこの町の自然な姿を見たいとご要望なので、仕込みは最低限にしたいのだ。
「あれま、王子様。また来たのかい」
「他国からのお客様だよ。今日買ったのは何?」
「見りゃわかるだろう、クゥポッカだよ!」
リンジーおばさんの威勢のいい喋りに、ひゃっとセリア嬢が飛び上がってお父上の後ろに隠れた。かわいいなあ。下町の子にはない種のかわいさだ。
「ひとつ買わせて」
「はん、何言ってんだい。やるよ、ひとつくらい。王子にゃいつも世話になってるからね」
世話になってるという態度じゃないところがリンジーおばさんだ。ツンデレっていうあれだ。下町の人は下町の人なりにかわいい。
「ありがとう!」
僕はクゥポッカの実を受け取り、ナイフを取り出して二つに割った。
「これがうちの名産です。美味しいですけど食べます?」
どうだろう。
とりあえず僕が半分口にしてみせた。マルファス様は呆れたような顔をして、一国の王子が軽率すぎるとか思ってるんだろう。たまたまいたおばさんから大量のクゥポッカのひとつを受け取って、その場で割ったのだから、正直離宮で出される食事よりよっぽど安全な気がする。
けどそれはマルファス様にはわからないことだ。
「……もらおう」
引っ込めようかと思ったところ、予想外に受け取られた。おお。実際の町の生活が見たいっていうのは、上から目線の言葉でもなかったらしい。
「マ、マルファス様」
と護衛のひとたちが慌てているが、止めるより先にクゥポッカはマルファス様の口に入った。
何かあったらお叱りじゃすまないので、護衛の人も大変だ。
とはいえ僕らのような立場だって大変なのだ。いちいち自分の行動で動く周囲を気にしていたら何もできない。ほんとに何もできない。
「……うむ。うまい」
マルファス様はにっこりと笑った。
「おとうさま、セリアにもちょうだい!」
「いや、おまえには……」
「ご令嬢には食べにくいでしょう。これから調理の現場を見に行くので、よろしければそちらで。リンジーおばさん、いいかな?」
「……ふん。ついといで!」
やっぱりツンデレだ。
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