上 下
1 / 17

「朝ですよ」

しおりを挟む
「朝ですよ」
 揺り動かしても金色の髪は振り向かない。無駄に広い寝台の真ん中に丸くなり「むにゃむにゃ、もう食べられない」と言った。起きてるな。
「時間です、殿下」
「うっ……」
 外向きの呼びかけをすると、クリス・イル・アドジャイル殿下は諦めて体を起こした。丸い背中がため息をつき、切なく呟く。
「朝は来るのだ、誰のもとにも」
「はいはい。急いで着替えましょう」
「朝のヴィーは冷たい。僕の体が目当てだったんだな……」
「……暖かくしてさしあげても結構ですが?」
 微笑んでやると殿下は仕方なさそうに着替えを始めた。
「準備は?」
 寝起きはよくない王子だが、起きさえすれば行動は早い。侍女の手も借りずに手早く着替えて寝台を降りた。全く王子らしからぬ所作だが、この場には殿下と私しかいない。時間の無駄がないのはよいことだ。
 殿下だけではなく私も、ギリギリまでゆっくりしていたいのだ。
 共寝をした朝に慌ただしく出ていくというのは好ましくない。とはいえ仕事だ。仕事はしよう。食い詰めない程度に。
「すべての場所に馬車の準備が完了しています。御者へは前金を。天候は晴れ。アイーサの報告によれば、町に特段の騒ぎはなし」
「そうか」
「ミモザ夫人が特別な土産を欲しているとのこと」
「特別な……うーん……」
 殿下は寝ぼけたような声をあげたが、その頭の中では土産の候補を思い浮かべているのだろう。
「セリア嬢は想定よりも落ち着きがありません。退屈な場に長く滞在するのは無理でしょう」
「ふうん」
 本日案内するべき相手の情報を告げながら、私は殿下の背を叩いてシャツのずれを整え、腰にベルトを回して剣をさした。
 麗しの金髪は指先で撫でただけですとんと落ちる。昨夜と同じだ。
「ん……」
 殿下は少しくすぐったそうにして、私を見上げた。キスをねだる唇に見えるが、ここで誘いに応えてはいけない。心を鬼にして静かに見返した。
 仕事前だ。
 濡れた唇で人前に出すわけにはいかない。
「ふん」
 殿下はつまらなそうにそっぽを向き、寝室を出ていった。私はその背を追ってあとに続く。



「クリス・イル・アドジャイルと申します。本日は視察先のご案内をさせていただきます」
「マルファス・ユジーだ。よろしく頼む。しかしその……王子殿下に頼むようなことでもなかったのだが」
 俺は少々困っている。
 母国ヴァイジリアから使者としてこの国、アドジャイルに来たのは先日のこと。仕事は終わり、できれば町を視察したいと申し入れてはみたものの、実際のところ知らない町を見てみたいだけだった。
 それにしてもたかが町の案内に、第三王子が出てくるとは思わなかったのだ。おまけに丁寧な態度を取られて実にやりづらい。ヴァイジリアの王弟である俺と、アドジャイルの王子たる彼。我が国は大国であるが、かといってアドジャイルも小国というわけではない。
 立場としては同等。そうしておくのが平和なはずだ。
 しかし相手が敬語を使ってくるからと、こちらも下手に出るわけにもいかない。面倒なものだ。
「ああ、暇なので、どうぞお気になさらず。ご存知かもしれませんが、母の身分が低く、僕が王太子となることはないでしょう」
「は……そうか」
 知っている。
 知っているが、そんな事情を堂々と言われて、どう返せというのだ。金髪碧眼、キラキラの王子然とした顔で、これはちょっと阿呆なのだろうか。
「しかし俺も臣下に下った身だ。そう気を使われることはないだろう」
 我が兄が王となり、子をもうけた以上、王冠が俺に回ってくることはない。たいへんにありがたいことだ。
 俺は窮屈な玉座より、世界を見て回り、まあ、ついでに自国を愉快にしたい。
「いえいえ。案内は僕の趣味なので」
「……趣味」
「はい。趣味です。この町を一番よく知ってるのは僕ですし」
「クリス王子が……?」
「はい。時間もないので行きましょう! 挨拶は後ほど。……ええと、セリア様からどうぞ。大丈夫ですか?」
「えっ」
 娘セリアはもじもじと私の後ろに隠れていたが、王子に声をかけられて泣きそうな顔になっている。そうだな、おまえ、絵本みたいな王子様に会いたいって泣いてたもんな。
「お、おとうさま」
「ああ。エスコートしよう」
 近頃生意気になった娘の成長を思いつつ、俺はセリアの手を引いて馬車に乗り込んだ。あまり目立ちたくないという要求通り、王家の紋章のない、いくらか頑丈なだけの辻馬車のようだ。
「ミモザ」
「はい、あなた」
 長いスカートの妻も引き上げてやる。そのあとで護衛が二名だけ乗り込む。さすがに全員を入れると狭苦しいにもほどがある。
 王子は別の馬車に、ひとりの護衛とともに乗り込んだようだ。なんとも身軽だ。
(離宮で放置された王子だというが……)
 ああも明るい人格になるものだろうか。
「獣人の方ですのね」
 妻が眉をひそめながら言った。
 クリス王子の護衛のことだろう。王子より頭ひとつ身長が高く、その頭のてっぺんにある耳がいっそうそれを際立たせていた。
 あれは……犬、だろうか。
「じゅうじんってなに?」
 セリアが聞いてくる。私はこっそりとため息をついて妻を見た。彼女も自分の発言がまずいと気づいたらしい。
 子供は正直だ。
 妻が正直に、獣人の男は汚らわしい乱暴者だと言われているのだ、などと説明すれば、そのまま信じて他の誰かにも言うだろう。
「……失われた国の民だよ。彼らは動物の特徴と、その性質を持つと言われている」
「えーっ、すごいね! あの耳、さわりたいなあ」
「やめなさい、セリア」
「どうして?」
「失礼にあたるからだよ。彼らは動物の特徴を持っているが、動物ではない」
 そう思わない者が多くいるから、彼らの国は滅んだのだ。いくら無邪気な子供の要望でも、動物のように扱われていい気分はしないだろう。
「そうなの? でもセリア、わんちゃん大好きだよ」
 馬車の窓にかじりつくようにしてセリアが言う。やめなさい、と眉をひそめて妻が言う。
 兄王からの信書を渡し終え、ようやく好きにこの国を見て回れると思ったのだが、気苦労の絶えない日になりそうだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

とある不憫王子が狼獣人を拾った話

斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中
BL
とある不憫王子が狼獣人を拾った話。

フェロモンで誘いたいかった

やなぎ怜
BL
学校でしつこい嫌がらせをしてきていたαに追われ、階段から落ちたΩの臣(おみ)。その一件で嫌がらせは明るみに出たし、学校は夏休みに入ったので好奇の目でも見られない。しかし臣の家で昔から同居しているひとつ下のαである大河(たいが)は、気づかなかったことに責任を感じている様子。利き手を骨折してしまった臣の世話を健気に焼く大河を見て、臣はもどかしく思う。互いに親愛以上の感情を抱いている感触はあるが、その関係は停滞している。いっそ発情期がきてしまえば、このもどかしい関係も変わるのだろうか――? そう思う臣だったが……。 ※オメガバース。未成年同士の性的表現あり。

王子様のご帰還です

小都
BL
目が覚めたらそこは、知らない国だった。 平凡に日々を過ごし無事高校3年間を終えた翌日、何もかもが違う場所で目が覚めた。 そして言われる。「おかえりなさい、王子」と・・・。 何も知らない僕に皆が強引に王子と言い、迎えに来た強引な婚約者は・・・男!? 異世界転移 王子×王子・・・? こちらは個人サイトからの再録になります。 十年以上前の作品をそのまま移してますので変だったらすみません。

オメガ転生。

BL
残業三昧でヘトヘトになりながらの帰宅途中。乗り合わせたバスがまさかのトンネル内の火災事故に遭ってしまう。 そして………… 気がつけば、男児の姿に… 双子の妹は、まさかの悪役令嬢?それって一家破滅フラグだよね! 破滅回避の奮闘劇の幕開けだ!!

好きだと伝えたい!!

えの
BL
俺には大好きな人がいる!毎日「好き」と告白してるのに、全然相手にしてもらえない!!でも、気にしない。最初からこの恋が実るとは思ってない。せめて別れが来るその日まで…。好きだと伝えたい。

推しの完璧超人お兄様になっちゃった

紫 もくれん
BL
『君の心臓にたどりつけたら』というゲーム。体が弱くて一生の大半をベットの上で過ごした僕が命を賭けてやり込んだゲーム。 そのクラウス・フォン・シルヴェスターという推しの大好きな完璧超人兄貴に成り代わってしまった。 ずっと好きで好きでたまらなかった推し。その推しに好かれるためならなんだってできるよ。 そんなBLゲーム世界で生きる僕のお話。

獅子王と後宮の白虎

三国華子
BL
#2020男子後宮BL 参加作品 間違えて獅子王のハーレムに入ってしまった白虎のお話です。 オメガバースです。 受けがゴリマッチョから細マッチョに変化します。 ムーンライトノベルズ様にて先行公開しております。

こわがりオメガは溺愛アルファ様と毎日おいかけっこ♡

なお
BL
政略結婚(?)したアルファの旦那様をこわがってるオメガ。 あまり近付かないようにしようと逃げ回っている。発情期も結婚してから来ないし、番になってない。このままじゃ離婚になるかもしれない…。 ♡♡♡ 恐いけど、きっと旦那様のことは好いてるのかな?なオメガ受けちゃん。ちゃんとアルファ旦那攻め様に甘々どろどろに溺愛されて、たまに垣間見えるアルファの執着も楽しめるように書きたいところだけ書くみたいになるかもしれないのでストーリーは面白くないかもです!!!ごめんなさい!!!

処理中です...