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第一章 クリスマスと藁人形

互いの気持ち③

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 結局、化粧を落とし素顔に戻った風悟は、内田に渡されたギャルソンの服に着替えた。ちょうど開店の時刻になり、常連客がちらほら入ってくる。
「なに、新しい子?」
「可愛い!」
 男女取り混ぜた賑やかな客たちに囲まれた風悟は、持ち前の社交性と若い体力を生かして忙しなく働いた。 あっという間に閉店になり、カウンターにはパスタが置かれる。給料は前払いだが、まかないはおまけらしい。
「気持ち、な。いろいろと」
 ありがとう、と内田は言った。店の手伝いと祈祷、両方だろうが、風悟からしたら報酬のある仕事だ。
「……お礼を言われることでは」
「いや、まあ。うん」
 歯切れの悪い口調だが、正太郎の手前、言えないこともあるだろう。出されたパスタを、まだ食べ盛りの風悟は有り難く頂き、店をあとにする。

 風悟を見送ったあと、内田が看板の電気を消したのがわかった。店のある地下から階段を上りきると、月明かりが眩しい。
「変な気配はあったけど、平穏に終わったなあ。内田さんの言う不可解なことって、具体的には何なんやろ」
 初日は様子見のつもりではあったが、詳細がさっぱり見えず、対処しようがない。
「解決するかしらね」
 桃が、風悟の隣に現れ腕を組む。月が作る人の影は、風悟のものだけだ。
「なんや」
「疲れてそうだから癒してあげようと思って」
「ご丁寧に、どうも」
 大股で風悟は歩いていく。繁華街を抜け、雑居ビルが並ぶ路地に出た。地域の掲示板には、神社での映画上映会のポスターが貼られている。
「普段から色々助けてあげてるんだから、もっと感謝してくれてもいいのよ?」
「感謝はしとるが、俺は、具体的には何もできん」
 風悟は立ち止まると静かに桃の腕をとり、自分の体から離した。

「もし、人やったら」
 幼い頃はよく女の子に間違われていた風悟の目鼻立ちは母親似だが、柔らかな笑みは父親に似ている。
「人魚姫みたいに、人になれるんやったらなあ」
「……なれたら?」
「使役されるためだけに縛りつけられるんやなく、女の子として幸せにしてやりたいよな」
「でも」
 桃が言う。
「アンデルセンの人魚姫は、泡になって消えてしまうのよ?」
「……そうやったっけ」
 風悟は目を丸くして桃を見た。
「そうよ。風悟が子供の頃、初めて上映会で見たとき、泣いてたのを覚えてるわ。かわいそうって」
「あー……そのあとアリエルのほう見てるから、ごっちゃになっとんな」
 上映会では、小学生のうちは同じ映画にあたらないよう配慮しながら、六~七年に一度は旧作を上映している。風悟が物心ついてから人魚姫を見るのは、これで三度目だ。ふよふよと浮かびながら、桃は再び家のほうを向いた。風悟も半歩遅れて、ゆっくり歩きだす。
「まあ、もしお前が消えても、な」
 桃のひらひらとした着物は、水に揺れる魚のひれのようだ。
「人として生まれ変われるんなら、次は一緒になれるかもしれんな」
 風悟はぽつりと呟いたが、返事が聞こえない。
「桃?」
 前に回りこんで、風悟は桃の顔を覗きこんだ。

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