上 下
2 / 12

~2~

しおりを挟む
 夜会の喧騒を少し早く抜けだしたフロイドは、自宅の執務室で執務机に向かっていた。
 今夜、フランチェスカに対して嫌がらせをしていた令嬢達の名を書きだしている。
 その数四名。そのうち、二人は再犯である。
 一度目は温情を与え見逃すことにしている。だが、二度目はない。
 

 真っ白な用紙に書かれた二人の名。

一人は伯爵家の令嬢。そしてもう一人は子爵家の令嬢だ。
 確か伯爵家の令嬢には婚約者がおり、来年あたりには婚姻をするとも聞いている。
 だがどうだろう、この娘が他の男と浮気をしている現場を目の当たりしたら。到底男側は受け入れることなど出来るはずがない。他の男の種を仕込んでいるかもしれない娘を娶るなど、もってのほかだ。

 そしてもう一人、子爵家の娘はと言えば。この子爵家、確か昨年の干ばつで領地経営が芳しくないと聞いている。いっそこの家にとどめを刺してしまおうか?それとも家のためにと、金と引き換えにこの娘をどこかに嫁がせようか?
 そうだな、辺境の地にいる伯爵は最近またしても妻を亡くしたと聞いている。
 大層色事に長け、何やら変わった趣味を持つと言う男の元に身売りをさせるのもまた一興。今度は何年もつのやら?

 はたしてどれが良いものか? 二人の娘の名を前に、フロイドは口角を上げながら考えにふけっていた。
 しばらく想像を膨らませ思案したあと、目の前にあるベルをチリン・チリンと鳴らした。

『コン・コン』
「入れ」

 フロイドの言葉にドアが開き、執事のセバスチャンが現れた。

「旦那様、お呼びでございますか?」

 セバスチャンの問いに、フロイドは無言で目の前に置かれた紙を差し出す。
 それを受け取った彼は、真剣な眼差しで目を通し、フロイドに視線を向けた。

「いつものように頼む」

 すでにフロイドの意識は別の書類へと向けられており、自分の思いを完璧に汲み取る執事を信用しきっているようだ。

「かしこまりました。早急に……」

 セバスチャンは預かった紙を綺麗に折りたたむと、大事そうに胸ポケットに仕舞い込んだ。その後、改めてフロイドに向き直ると、

「例のモノ、今月はいかがなさいますか? 準備は整っております」

『例のモノ』その言葉を聞くと、フロイドはピクリと眉を動かしペンを握る手を止めた。

「そうだな。では、今から頼めるか?」
「かしこまりました。すぐに」


 セバスチャンは部屋を出ると、花瓶に生けた一輪の薔薇をお盆に乗せ戻って来た。
 フロイドのデスクに花瓶を置くと、彼の前に短刀を静かに置き部屋を去る。

 フロイドはその短刀を片手で持ち、聞き手でない右の薬指に付きつけた。刃の先端は指先の皮を破りプツッと聞こえたような気がして、フロイドはわずかに眉間にしわを寄せる。
みるみる溢れる赤い鮮血が指先からしたたり落ちそうになると、フロイドは迷うことなく薔薇が生けてある花瓶の水に「それ」を落とし入れた。
 透明なガラスの水の中を、まるで生き物のようにうごめく「それ」を、フロイドはずっと眺めていた。いつしか「それ」は、自らの意思を持つかのように薔薇の茎にまとわりついていく。まるでフロイド自身のように。
 水に自身を委ね切った「それ」は、生気となるべく薔薇に吸われることで一体化していくのだ。

 「それ」をその身にまとわりつけ一体化した薔薇の花は、フランチェスカの髪色と同じ銀色のリボンを結び、本来の主の元へと贈られていく。
 彼女がその薔薇を手にした時、その指に、肌に「それ」を否応なく触れることになる。それを想像するだけでフロイドは心の高まりを覚える。

 しばらくうっとりと「それ」を眺めていたフロイドは、ポケットに手を入れ大事そうにハンカチーフを取り出した。
 そう、夜会の席でフランチェスカの顔に付いたワインを拭きとった物だ。
 白い布時には赤いワインが染み付いている。広げたハンカチーフをフロイドは自身の鼻にあて、思い切り息を吸い込んだ。
 ほんのりと高級ワインの豊潤な香りの中に、フランチェスカが身に付けていた香水の香りがするようだった。
 ゆっくりと顔から離しワインの染みを確認すると、一筋、ほんのわずかではあるが、ワインとは違う紅のような赤みが付いていた。
 フロイドはそれを指でなぞると、その指先を自らの唇にそっとのせた。
 

 誰もいない一人きりの部屋で、フロイドは愛する女を堪能するためにその時間を費やす。この時間が彼の至福のひととき。
 引き出しの中から小さな額縁を取り出し、目の前に立てる。そこには愛するフランチェスカの姿絵が描かれてあった。
 サイドボードの上にはセバスチャンが用意したワインがある。それをグラスに注ぐと、絵姿の額縁にあて一気に飲み干した。
 
 フロイドは椅子に深く腰掛けると目の前の絵姿に手を伸ばし、優しくフランチェスカの輪郭をなぞり始める。ゆっくり、ゆっくりと、髪の毛一本、まつ毛の先までも堪能するように、彼の指先は慈しむように触れていく。

 
 恍惚とした表情を浮かべるフロイドの目じりが、次第に薔薇色に染まり始める。
 それはワインによるものなのか、それともフランチェスカに対する欲情のものなのか?

 それは誰にも分らない。



~・~・~



 フロイドは王太子の側近である。それと同時に宰相の補佐もしており、多忙を極めている。自分に与えられた執務室で机に向かうことなど滅多にない。
 常に王太子殿下か宰相に呼びつけられ、どちらかの部屋で仕事をすることが多い。


「そういえば。東の辺境伯爵のところに子爵令嬢が嫁いだそうだ。前の奥方が亡くなられたばかりで、まだ喪も開けていないというのに」
「それだけ魅力的なご令嬢なのでしょう」

 突然の王太子の言葉にも、フロイドは眉一つ動かすことなく淡々と答える。
 子爵家への援助と引き換えに差し出された娘。

 先に手を出してきたのは向こうの方だ。愛する者を傷つけられ、黙っているほどフロイドは甘くはない。やられたからやり返した。ただそれだけの事。

「今度はどれくらい持つか賭けるか?」

 子供のような顔をした王太子を前に、ふっと鼻で笑うと、

「一年持てばいい方でしょう? では、私は一年以内で」
「あ!ズルいぞ。私も一年持たないと思っていたのだ。これでは賭けにならん」

「私が先に言いました。殿下は一年以上でお願いしますよ」
「そんな、勝ち目のない賭けに乗るほど私は間抜けではない」

 王太子は不貞腐れたように頬を膨らませた。

 年上のフロイドを兄のように慕う王太子。彼がまだ若い頃からお目付け役としてその側に付くことを任されていた。
すでに妻を娶り子をもうけ、平和な今の世では何の憂いもなく次代の王になるべく人である。

 フロイドは政治に興味があるわけではない。
 次代の王となる人間を傀儡に仕立て上げ、自らの思うままに操りたいなどと思ってもいない。そんな面倒な事をする暇があるのなら、自分のために時間を使いたいと思う。その内容はどうであろうとも。


しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

この裏切りは、君を守るため

島崎 紗都子
恋愛
幼なじみであるファンローゼとコンツェットは、隣国エスツェリアの侵略の手から逃れようと亡命を決意する。「二人で幸せになろう。僕が君を守るから」しかし逃亡中、敵軍に追いつめられ二人は無残にも引き裂かれてしまう。架空ヨーロッパを舞台にした恋と陰謀 ロマンティック冒険活劇!

タイムリープ〜悪女の烙印を押された私はもう二度と失敗しない

結城芙由奈 
恋愛
<もうあなた方の事は信じません>―私が二度目の人生を生きている事は誰にも内緒― 私の名前はアイリス・イリヤ。王太子の婚約者だった。2年越しにようやく迎えた婚約式の発表の日、何故か<私>は大観衆の中にいた。そして婚約者である王太子の側に立っていたのは彼に付きまとっていたクラスメイト。この国の国王陛下は告げた。 「アイリス・イリヤとの婚約を解消し、ここにいるタバサ・オルフェンを王太子の婚約者とする!」 その場で身に覚えの無い罪で悪女として捕らえられた私は島流しに遭い、寂しい晩年を迎えた・・・はずが、守護神の力で何故か婚約式発表の2年前に逆戻り。タイムリープの力ともう一つの力を手に入れた二度目の人生。目の前には私を騙した人達がいる。もう騙されない。同じ失敗は繰り返さないと私は心に誓った。 ※カクヨム・小説家になろうにも掲載しています

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

死に戻り令嬢は橙色の愛に染まる

朝顔
恋愛
※02/13 本編最終話、ヒーロー視点の二話を修正して再投稿しています。 合わせてタイトルも変更しています。 塔の上から落ちて死んだ死んだミランダ。 目が覚めると、子供の頃に戻っていた。 人生をやり直せると分かった時、ミランダの心に浮かんだのは、子供時代の苦い思い出だった。 父親の言うことに従い、いい子でいようと努力した結果、周囲は敵だらけで、誰かに殺されてしまった。 二度目の人生では、父や継母に反抗して、自分の好きなように生きると決意する。 一度目の人生で、自分を突き落としたのは誰なのか。 死の運命から逃れて、幸せになることはできるのか。 執愛の色に染まる時、全てが明らかに…… ※なろうで公開していた短編(現在削除済み)を修正して、新たにお話を加えて連載形式にしました。 プロローグ 本編12話 エピローグ(ヒーロー視点一話)

強い祝福が原因だった

恋愛
大魔法使いと呼ばれる父と前公爵夫人である母の不貞により生まれた令嬢エイレーネー。 父を憎む義父や義父に同調する使用人達から冷遇されながらも、エイレーネーにしか姿が見えないうさぎのイヴのお陰で孤独にはならずに済んでいた。 大魔法使いを王国に留めておきたい王家の思惑により、王弟を父に持つソレイユ公爵家の公子ラウルと婚約関係にある。しかし、彼が愛情に満ち、優しく笑い合うのは義父の娘ガブリエルで。 愛される未来がないのなら、全てを捨てて実父の許へ行くと決意した。 ※「殿下が好きなのは私だった」と同じ世界観となりますが此方の話を読まなくても大丈夫です。 ※なろうさんにも公開しています。

【完結済】政略結婚予定の婚約者同士である私たちの間に、愛なんてあるはずがありません!……よね?

鳴宮野々花@軍神騎士団長1月15日発売
恋愛
「どうせ互いに望まぬ政略結婚だ。結婚までは好きな男のことを自由に想い続けていればいい」「……あらそう。分かったわ」婚約が決まって以来初めて会った王立学園の入学式の日、私グレース・エイヴリー侯爵令嬢の婚約者となったレイモンド・ベイツ公爵令息は軽く笑ってあっさりとそう言った。仲良くやっていきたい気持ちはあったけど、なぜだか私は昔からレイモンドには嫌われていた。  そっちがそのつもりならまぁ仕方ない、と割り切る私。だけど学園生活を過ごすうちに少しずつ二人の関係が変わりはじめ…… ※※ファンタジーなご都合主義の世界観でお送りする学園もののお話です。史実に照らし合わせたりすると「??」となりますので、どうぞ広い心でお読みくださいませ。 ※※大したざまぁはない予定です。気持ちがすれ違ってしまっている二人のラブストーリーです。 ※この作品は小説家になろうにも投稿しています。

君を愛するつもりはないと言われた私は、鬼嫁になることにした

せいめ
恋愛
美しい旦那様は結婚初夜に言いました。 「君を愛するつもりはない」と。 そんな……、私を愛してくださらないの……? 「うっ……!」 ショックを受けた私の頭に入ってきたのは、アラフォー日本人の前世の記憶だった。 ああ……、貧乏で没落寸前の伯爵様だけど、見た目だけはいいこの男に今世の私は騙されたのね。 貴方が私を妻として大切にしてくれないなら、私も好きにやらせてもらいますわ。 旦那様、短い結婚生活になりそうですが、どうぞよろしく! 誤字脱字お許しください。本当にすみません。 ご都合主義です。

転生先は推しの婚約者のご令嬢でした

真咲
恋愛
馬に蹴られた私エイミー・シュタットフェルトは前世の記憶を取り戻し、大好きな乙女ゲームの最推し第二王子のリチャード様の婚約者に転生したことに気が付いた。 ライバルキャラではあるけれど悪役令嬢ではない。 ざまぁもないし、行きつく先は円満な婚約解消。 推しが尊い。だからこそ幸せになってほしい。 ヒロインと恋をして幸せになるならその時は身を引く覚悟はできている。 けれども婚約解消のその時までは、推しの隣にいる事をどうか許してほしいのです。 ※「小説家になろう」にも掲載中です

処理中です...