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しおりを挟む家族の元に顔を見せに行くとアニーに告げたパトリシア。アニーは「それが良い」と喜んでくれた。
人目を避けるように裏道を通りながら、隠れるようにオランド家へと着いた。
子爵家とは言え裕福ではないオランド家は、こじんまりとした館だ。
その分庭は広く、自らの手で畑や果樹も育てている。そんな庭の管理もパトリシアの役目だった。
塀の陰から館を覗き見れば、母が妹や弟と共に畑から野菜を収穫している姿が見えた。二年の月日は、幼かった妹弟を少しだけ逞しく成長させていた。
そして明るい話し声と、笑い声が交差して聞こえてくる。
この地では戦火の恐怖や惨劇に悩み、苦しむこともなく日々が過ぎているのだ。
今までの自分の行いは国の為などという大義名分はあれ、結局は愛する家族の為だった。誰かが戦地に行かなければならないのなら、と自ら志願して戦地に赴いた。そのことを後悔はしていない、していないはずだったのに。
自分の生を犠牲にしてまで妹弟を、家名を守ろうとする両親に、自分はそこまで愛されていたわけではなかったのだと気付かされた。
死んだはずの人間が戻ったところで、世間体を気にするのであれば家から出してももらえず、飼い殺しのような生活になるかもしれない。
運が良ければ、年老いた者の後添いの話しでも来て嫁ぐことができるかもしれないが、 それすらパトリシアの幸せなど微塵も考慮されることはないのだろう。
「さようなら」
口からこぼれた言葉は、パトリシア自身のけじめ。そして、彼女の瞳からこぼれた雫は、未だ断ち切れない家族への未練だった。
オランド家を後にし、パトリシアは川沿いをゆっくりと歩いていた。
この町に自分の居場所はない。
だが、ブラッドリーと約束をしたのだ、ここで待つと。必ず迎えに来ると、彼は言ってくれた。彼は嘘を吐くような人ではない。きっと迎えに来てくれると信じている。
このまま王都まで彼を追って行くにしても、満足に王都に行ったことのない人間が彼を探し出せる自信がない。彼の実家であるアッカー侯爵邸に行っても驚かせるだけだろう。それに、路銀も心もとない。
どうしたものかと考えていたら、グリッド辺境伯爵家から馬車を走らせてくれた御者が声をかけてきた。
「お嬢様、どうなさいました? ご家族にはお会いになられましたか?」
パトリシアの父と同年齢くらいのその人は、心配そうな顔で訪ねてくれた。
長い旅路の中で気心も知れた彼に、本当の事を話して良いかわからず口ごもっていたら、
「一緒にグリッドの地へ帰りませんか? あそこなら、お嬢様を皆が歓迎します。
あなたが怪我をした兵士にどれほど尽くしてこられたか、その清い心を領民皆が知っています。あなたは必要なお方なのです!」
真剣な眼差しで見つめられ、淡々と語るその口調がパトリシアの凍った心を溶かしていくようだった。
解けた心は涙となって頬をつたう。
「私の居場所があるでしょうか?」
「はい。あの地なら。辺境伯爵様も奥様様も、あなたのお帰りをお待ちになられていますよ」
そう言って微笑む顔が優しすぎて、パトリシアは『こくん』と、ひとつ頷いた。
「そうと決まれば、この町をすぐに出ましょう。今から出れば夕方までには隣町に着きます。そこで今日の宿をとりましょう」
言うが早いか彼はパトリシアの荷物を手にすると、ズンズンと歩き出した。
咄嗟のことでパトリシアはただ黙って彼の後を小走りについて行くだけだった。
戻りの時、パトリシアは馬車には乗らず、彼と並んで御者席に座った。
一人で悶々とした時間を過ごすよりも、彼と話をした方がよほど気が紛れる気がして。
彼の名はアデル。アデルの問いに答えるように今日の事を順に話し始めた。
アデルはそれを「うんうん」と頷きながら、黙って聞いてくれていた。
そして、子爵家で結局家族には会わずに来たことを話すと。
「お嬢様はそれで良かったのですか? 今ならまだ戻れます。ちゃんと顔を合わせてから出立された方が、心にわだかまりが残らないのではないですか?」
アデルの問いにパトリシアは頭を振り答える。
「死んだことにされた娘が戻ったところで、持て余すに決まっているもの。戦争のゴタゴタに紛れて丁度良かったのかもしれないわ。私は私で新しい幸せを見つけようと思うの」
少しだけ口角を上げ、笑みを作るパトリシアを見て、
「お嬢様がそれで良いなら、私は何も。でも、そうですね。これからあなたは誰よりも幸せになって良い人ですから。前を向いて歩けば良いんです」
アデルの声が楽しそうに告げる。彼の大きな力強い声は。不思議と元気をくれるようで、パトリシアも自然に笑顔になっていた。
グリッド辺境伯爵家についたパトリシアは夫人に会い、事の次第を話した。
夫人は「辛かったわね。でも、もう大丈夫よ。あなたの未来は輝いているわ」そう言って、優しく抱きしめてくれた。
自分よりも少し年上の夫人は、パトリシアの姉のような存在で勇気をもらうことができた。
「これから、どうしたいかしら? できれば私の侍女として側にいてくれれば嬉しいのだけれど」
ふんわりと包むような笑みで、パトリシアに強請るように問いかける。
だが、パトリシアの心はもう決まっていた。
「有難いお申し出ですが、私は出来れば今までのように看護婦のようなことが出来ればと思っています」
背筋を伸ばし、夫人の目を見て話すパトリシアの瞳には、熱い思いがこもっていた。若い兵士の命を助けられず、何度涙を流したか知れない。それでも心を折ることなく続けてこられたのは、彼らの感謝の言葉があればこそ。
今度はちゃんとした施設で一から勉強をし直し、もうその光を失わないように導くことができればと、ずっと考え続けていたのだ。
「そう。あの場があなたの生きる希望になるのなら、反対はしないわ。きっと、良い看護婦になるでしょうね。勉強がしたければいくらでも助力をすると約束します。
この辺境の地で血を見ない日はないくらい、まだまだ火種はくすぶり続けているわ。
あなたのような志を持った者は、いくらでも歓迎いたします。ありがとう」
夫人の言葉に力を貰ったパトリシアは、オランド家を去って初めて心からの笑みを浮かべる事ができた。
それからのパトリシアは精力的に動き続けた。
グリッド辺境伯爵家の領地には、兵士の傷の治療をする施設が点在する。
その中でも町に一番近い病院は領民も訪れる施設であり、患者の性別も年齢も多様だ。
パトリシアはその病院で働かせてもらうことになった。
まずは雑用から、少しずつ技術を習い、今までの見様見真似ではない手当を学び始めた。
時折カイルやミーナ、アデル達とも顔を合わせ、笑顔を交わす。
そんな日々が穏やかに過ぎて行った。
ブラッドリーとの未来を夢みながら……。
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