懴悔(さんげ)

蒼あかり

文字の大きさ
上 下
26 / 34

ー26-

しおりを挟む
 源助は湯屋で銀次から髪を結い直してもらった後、己の考えに身震いした。
 
『あいつは、間違いない』

 それは長く十手を握っていた岡っ引きの勘と言える。そんな勘などあてにならぬと言う者もいるが、そんなものこそが大事になる時も多い。
 鈴が殺されたあの日以降、宮浦の地から姿を消した者たちをしらみつぶしに聞き漁った。
 一番に上がったのは瓦版の挿絵を描いていた絵描きの男。
 こいつは瓦版屋にネタを売っていたこともわかっている。源助はこいつが一番クサイと踏んでいた。
 次は材木屋で力仕事をしていたガタイのいい男。
 他に小間物屋で下男げなんをしていた若い男。
 それに、急に店をたたみ消えた飯屋の店主。

 そして、髪結いの見習いとして働いていた……、若い男。

 それが銀次だと源助は踏んでいる。
 確信は無い。それでも己の中の勘が叫び続ける。
 間違いないと。

 十手を返した今の源助に銀次をお縄にできる権利はない。
 お上に情報を渡したところで証拠が無い以上、すぐにお縄にできるわけでもなく、その間に逃げられるのがおちだ。
 ならば首に縄をつけてでも宮浦に連れて行き、高木の元に引きずり出せばなんとかなるのではないか。いや、高木ももうすでにいい歳だ。すでに十手を返しているはずだろう。ならば、高木の後輩にあたる人間に……。
 などと、ぐるぐると思考を巡らすが結局はこれといった答えは出ない。
 だが、一つだけわかることがある。

 なんとしても、鈴を守りたい。それだけは譲れない思いだった。

 銀次と鈴に血の繋がりがないことは、一目見てわかった。
 どういう経緯で一緒に暮らしているのかはわからない。
 それでも鈴の様子を見るに、無理矢理強要されているわけではなさそうだとは思う。銀次を兄として心から信用しているのが見て取れる。
 だからこそ、源助は迷った。
 なんとか、鈴の意思であの男から離してやりたいと。
 他人に何を言われても、その奥の心根が簡単に変わらぬことを知っている。
 知っているからこそ、そこから本当の意味で逃れるには自分の意思が必要なのだ。半端な状態で連れ出しても、また戻ってしまう。
 同じ時を過ごし、同じ環境下で暮らした記憶は、思った以上に体に沁み込んでいる。心もまた同じ。
 
「なんとかしてやらないと」

 妹、鈴と、今を生きる鈴がどうしたって重なってしまう。
 違うのだと、全く違う人間なんだと思っても、どうしたって切り離すことができない。あまりにも似たような環境の自分たちを比べれば、どうしたって同調してしまう。
 源助もすでに逃れられない思いに浸りきっているのだろう。
 それなのに、それに気が付かず。いや、気が付かないふりをして、鈴を守ると言う大義名分をかざしている。
 結局は自分の妹を守れずいた、そのことの呪縛から自分を逃がすために、今を生きる鈴を身代わりにしているに過ぎないのだ。
 源助も歳をとった。人ひとり守れる力は、もはやぎりぎり。
 早く、一日も早く鈴を救い出したい。と、そう心に誓うのだった。





 源助に家の近くまで送り届けてもらった後、鈴は長屋に戻り一人考えた。
 ずっと気になっていたことを、他人の源助に指摘されたのだ。
 夢に見る景色がよみがえる。大きな屋敷に、顔のわからない大人たち。
 温かく、優しい雰囲気が伝わってくる。
 それなのにそこに兄、銀次の姿は無い。一度として出てきたことが無いのだ。
 それを不思議にも思わなかった。夢自体がただの幻なら、そこに銀次がいないことは不自然ではないから。
 源助に会い、そして彼の口から出た言葉を銀次に話すわけにはいかない。
 元々鈴は誰かと深く付き合う事をしてこなかった。だから、こんなことを相談できる人間が一人もいない。
 自分ひとりで悩むには、ことが大きすぎた。鈴は迷いの渦に沈みそうになっていく。


―・―・―


 その日いつものように鈴に見送られ、銀次は仕事場である湯屋へと向かった。
 仕事道具の箱を右手に持ち、考え事をしながら町中を歩く。
 最近の鈴の様子がどうもおかしいと思っていたのだ。
 いつものように笑い気遣ってくれてはいるが、それがどこかよそよそしい感じを肌で感じていた。
 思い起こせば、源助がこの町に来てからだと思う。
 髪結いに来てからまだ日が経ってはいないが、彼の同行は権八や弥吉も含め注視はしている。とくにおかしなことをしている風ではなかった。
 ただ、鈴に関わりを持とうとしている感がある。それは銀次も強く感じていた。だが、それを止めることは出来ない。下手に動いて探りを入れられるわけにはいなかいのだから。
 何か余計なことを吹き込まれていなければいいが。と、そんなことを考えながら歩いていた。
 その時、湯屋に向かう途中で脇の小道から人目を気にするように出て来た男達の姿を見た。普段なら気にも留めない日常の景色なのだろうが、そこに映った男の姿に銀次は思わず足を止めてしまった。
 すぐに歩き出したことで、相手には気が付かれていないはず。
 銀次は冷静を装い、つかず離れずの距離を保ちながら後を付けた。
 全部で四人。その中で一番年上の男。歳の頃から言えば権八と同じくらい。
 すでに十年以上の年月が過ぎたとは言え、見間違えるはずがない。

『太一兄さんだ』

 震えそうになる足を踏ん張り辿った先で、男達は一軒の飯屋に入って行った。
 それを見届けると、銀次は湯屋とは反対の方向に向かって急ぎ歩き出した。
 まだ仲間がいるかもしれない。下手な動きを見せられない。
 銀次は町の一角にある地蔵の前にしゃがみ、手を合わせた。
 そして地蔵の前にお供え物を置くふりをして、地蔵の足元に髷をしばる元結の紐を差し込んだ。
 銀次が与市と連絡を取る手段として用いていた方法。定期的にこの道を通る権八や弥吉がこれを見つければ、湯屋に来るなりして話を付けるのだった。
 それまでは気兼ねなく与市の店に通っていた。だが、源助が来てからというもの、中々そういうわけにはいかなくなってしまった。
 太一がこちらに向かっているらしいという情報がある以上、その影を意識せずにはいられない。
 そうして銀次が湯屋で客待ちをしている時に、弥吉が湯屋に姿を現した。

「太一さんを見た」

 冷やかしの客を装い、近づき小声で話しかける弥吉。

「どこで?」
「西川に続く小道から出て来た。全部で四人。他は若い男達だ」
「人相は?」
「一人は短髪。一人は上背が高い。もう一人はガタイの良い男だった。
 太一さんはあんまり変わってない。見ればすぐにわかる。
 橋のたもとにある飯屋に入って行った」

 話を聞き終わると「ま、金が溜まったら世話になるわ。じゃあな」と、弥吉は湯屋を出て行った。
 銀次は少しだけ肩の荷が下りたような気になり、大きく息を吐いた。
 その日結局客は一人も来ず、銀次は家路につくのだった。
 様子のおかしい鈴のことを気にしながら歩いていたら、後ろから声をかけられた。

「髪結いさん」

 咄嗟のことで無防備に振り返ると、そこには避けていた男。
 源助が立っていたのだった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

妻がエロくて死にそうです

菅野鵜野
大衆娯楽
うだつの上がらないサラリーマンの士郎。だが、一つだけ自慢がある。 美しい妻、美佐子だ。同じ会社の上司にして、できる女で、日本人離れしたプロポーションを持つ。 こんな素敵な人が自分のようなフツーの男を選んだのには訳がある。 それは…… 限度を知らない性欲モンスターを妻に持つ男の日常

チャラ孫子―もし孫武さんがちょっとだけチャラ男だったら―

神光寺かをり
歴史・時代
チャラいインテリか。 陽キャのミリオタか。 中国・春秋時代。 歴史にその名を遺す偉大な兵法家・孫子こと孫武さんが、自らの兵法を軽ーくレクチャー! 風林火山って結局なんなの? 呉越同舟ってどういう意味? ちょっとだけ……ほんのちょっとだけ「チャラ男」な孫武さんによる、 軽薄な現代語訳「孫子の兵法」です。 ※直訳ではなく、意訳な雰囲気でお送りいたしております。 ※この作品は、ノベルデイズ、pixiv小説で公開中の同名作に、修正加筆を施した物です。 ※この作品は、ノベルアップ+、小説家になろうでも公開しています。

大伝馬町ふくふく八卦見娘

夕日(夕日凪)
歴史・時代
大伝馬町、木綿問屋街にある葉茶屋三好屋の一人娘『おみつ』は、 他の江戸娘と比べ少しふくふくとした娘である。 『おみつ』がふくふくとする原因は『おみつ』のとある力にあって……。 歌舞伎役者のように美しい藍屋若旦那『一太』からの溺愛に気づかず、 今日も懸命に菓子などを頬張る『おみつ』の少し不思議な日常と恋のお話。 第五回歴史・時代小説大賞で大賞&読者賞を頂きました。応援ありがとうございます。

信長の妹は愛染明王の夢を見るか? 〜お市さん、女子しか乗れない巨大絡繰人形でやりたい放題〜

大海烏(休筆中)
歴史・時代
※雑賀衆の一人「銀」が尾張国に持ち込んだのは、賢者の石と巨大絡繰人形!? それが戦国女子達の運命を変える! ◆あらすじ 秘薬「賢者の石」の効果で、生まれながらにして天才になってしまった、織田信長の妹であるお市。 更に愛染明王そっくりな、女性しか乗れない巨大絡繰人形に彼女が乗り込み、付喪神の三種の神器や戦国時代に生まれた歴史上有名な女性達まで巻き込んで歴史は斜め上の方向に進んでいくのだった。 ◆章紹介 第1章 天文26年 お市0歳(赤子編) 天文28年 お市2歳(上洛編) 天文28年 お市12歳(女学校、愛染学院編) 天正3年 お市?才(九州編) 第二章 天正10年 織田内閣←今ここ! 天正13年 アンジェロ編決着 第三章 ?? ※挿絵ありのページは★マーク(AI画MidJourneyで作成→canvaに変更)

扇屋あやかし活劇

桜こう
歴史・時代
江戸、本所深川。 奉公先を探していた少女すずめは、扇を商う扇屋へたどり着く。 そこで出会う、粗野で横柄な店の主人夢一と、少し不思議なふたりの娘、ましろとはちみつ。 すずめは女中として扇屋で暮らしはじめるが、それは摩訶不思議な扇──霊扇とあやかしを巡る大活劇のはじまりでもあった。 霊扇を描く絵師と、それを操る扇士たちの活躍と人情を描く、笑いと涙の大江戸物語。

春雷のあと

紫乃森統子
歴史・時代
番頭の赤沢太兵衛に嫁して八年。初(はつ)には子が出来ず、婚家で冷遇されていた。夫に愛妾を迎えるよう説得するも、太兵衛は一向に頷かず、自ら離縁を申し出るべきか悩んでいた。 その矢先、領内で野盗による被害が頻発し、藩では太兵衛を筆頭として派兵することを決定する。 太兵衛の不在中、実家の八巻家を訪れた初は、昔馴染みで近習頭取を勤める宗方政之丞と再会するが……

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

華麗なるブルゴーニュ家とハプスブルグ家の歴史絵巻~ 「我らが姫君」マリー姫と「中世最後の騎士」マクシミリアン1世のかくも美しい愛の物語

伽羅かおる
歴史・時代
 15世紀欧州随一の富を誇ったブルゴーニュ家の「我らが美しき姫君 マリー・ド・ブルゴーニュ」とハプスブルグ家「中世最後の騎士 マクシミリアン1世」の悲しくも美しい愛の物語を、そしてその2人の側にいた2人の姫アリシアとセシリアの視点から、史実に基づき描いていく歴史小説です。  もともとマリーとマクシミリアンの曽祖父はポルトガルのジョアン1世で、この2人も再従兄弟(はとこ)同士、マリーの父方のお祖母様と、マクシミリアンの母方のお祖父様は兄と妹という関係だったのです。当時のヨーロッパではカトリック同士でしか婚姻を結べないのはもちろんのこと、貴族や王家の結婚は親同士が決める政略結婚ですから、親戚筋同士の結婚になることが多いのです。  そしてこの物語のもう一つの話になる主人公の2人の姫もやはり、アリシアはイングランド王ヨーク家の親族であり、またセシリアの方はマリーとマクシミリアンの曽祖父に当たるジョアン1世の妻であるイングランド王室ランカスター家出身のフィリパ(マリーの父方のお祖母様と、マクシミリアンの母方のお祖父様の母にあたる人)の父であるジョン・オブ・ゴーントの血を引いています。  またヨーク家とランカスター家とはかの有名な《薔薇戦争》の両家になります。  少し複雑なので、この話はおいおい本編において、詳しく説明させていただきますが、この4人はどこかしらで親戚筋に当たる関係だったのです。そしてマリーやマクシミリアンにとって大切な役割を果たしていたマリーの義母マーガレット・オブ・ヨークも決して忘れてはいけない存在です。  ブルゴーニュ家とハプスブルグ家というヨーロッパでも超名門王家の複雑な血筋が絡み合う、華麗なる中世のヨーロッパの姫物語の世界を覗いてみたい方必見です!  読者の皆さんにとって、中世の西洋史を深く知る助けのひとつになることを祈ります! そしてこの時代のヨーロッパの歴史の面白さをお伝えできればこれほど嬉しいことはありません!  こちらがこの小説の主な参考文献になります。 「Maria von Burgund」 Carl Vossen 著 「Marie de Bourgogne」 Georges-Henri Dumonto著 独語と仏語の文献を駆使して、今までにないマリーとマクシミリアンの世界をお届け致します!

処理中です...