懴悔(さんげ)

蒼あかり

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 朝、与市の元に鈴から聞いた話を告げに行った後、いつものように湯屋へと向かった。
 毎日、人の出入りが多い旅籠町。湯屋での稼ぎもいい。昔のようにその躰を売るような真似をせずともすんでいた。
 朝から客を捌きそうこうしていると、背中越しに声をかけられた。

「お願いできるかい?」

 客だと思い、笑みを浮かべながら振り向くとそこには、昨日から話に上り続けた男が立っていた。
 一瞬狼狽えそうになったが、髪結いとして客のあしらいも上手くなった銀次は、瞬時に顔色を変え「へい、どうぞこちらに」と、目の前の腰かけを指さすのだった。
 男はいわれるままに腰かけに座ると、銀次に背を向けた。
 これで互いの顔を見ることはなくなった。少しだけほっとしながら、商いの顔に戻していく。

「お客さん、初めてですかい? 今日はどうしやしょう?」

 銀次は男の後ろで、仕事道具を並べ始めた。

「ああ、いいようにしてくれるかい?」
「そうですかい。じゃあ、小ざっぱりと行きやしょうかね」

 銀次は男のちょんまげに手を入れると、元結もとゆいをパチリと鋏で切った。
 ばらりと落ちる髪を櫛で梳かすと、月代さかやきを剃るために櫛から剃刀に持ち替える。商売道具を握れば、どんな相手であろうとも仕事人の顔になって行くから不思議だ。たとえそれがどんな相手であろうとも。
 男は慣れているのだろう、銀次が剃刀や鋏を持っている間は、黙ってされるがままになっていた。
 たとえ髪結いの商売道具とはいえ、鋏も剃刀も凶器になり得る。それを十分に理解しての行動だろう。
 ジョリリと月代を剃る間、男は腕を組んだまま目をつむっていた。
 随分とやりやすい客だと思いつつ月代も剃り終わり、コトリと剃刀を置いた時だった。

「あんたが、鈴さんのお兄さんですかい?」

 突然話しかけられ、銀次は思わず持ち替えた櫛を落としそうになってしまった。そんな慌てた様子を感じ取ったのだろう、
「すいやせん、突然。実は古着屋にいたお嬢さん、鈴さんとちょっとした顔見知りでしてね。昨日、ちょいと顔を出した時にそんな話になったんでさあ。
 湯屋に自分の兄さんがいるから、ぜひって売り込まれまして。
 いやあ、気立ての良い、いいお嬢さんだ」

 自分のことを話したと聞いていなかった銀次は驚きはしたが、そんな風に言ってくれた鈴の言葉が嬉しくなり、思わず本音を漏らしてしまった。

「ええ。俺に似ないで、よく出来た妹なんですわ」
「はは、本当にいいお嬢さんだ」

 しみじみと語る男に銀次は髪を梳かしながら、いつものように営業用の顔で話しかけ始めた。

「見たところ旅の方見てえですけど、妹とはどこで?」
「ああ、少し前になるけど、綿原でね。町中でぶつかりそうになっちまって、それで何となく話をしただけなんですけどね。ついでに安くていい宿を教えてもらったりして、世話になったんです」
「ああ、そうでしたか。あいつなりにお役に立てたんなら、それは良かった」
「あの後、少しばかり北の方に足を向けましてね。俺ももう、いい歳だ。
 ここらで旅も止めて家に戻ろうかと思いまして。で、今はその道中ってわけです」
「そうでしたか、北へ。北のどちらに?」
「いや、宛ての無い旅です。町から町へ、上方にも行きやした。江戸にも行った。どこにいるかも知れん相手を探すのは、本当に大変だった」

 男の言葉を聞いて、銀次は思わずごくりと唾を飲んだ。
 やっぱり、この男は岡っ引きとして俺らを追っているのだと。そう思った。

「……、人を?」
「ええ、まあ。ちょいと人を捜してましてね。だが、もう年月が経ちすぎた。
 記憶に残してくれる人も減ってしまってね。ここらが潮時かもしれやせん」
「そりゃあまた随分大変でしたね。旅は長いんですかい?」
「ははは。笑わんでくださいよ。もう、かれこれ十年以上ですわ。いやあ、無駄に人生を潰したと笑うもんもいるくらいです。
 でもね、どうしたって許せるもんじゃねえ。許しちゃなんねえ相手なんです」

 男の口から発せられる口惜しさ、無念さが背中を向けていても伝わってくる。
 やはりこの男は自分たちを恨み、捜し続けているのだと確信した。
 与市からは普通に過ごせと言われている。何も見えない、聞こえないふりをして、知らぬ存ぜぬを突き通すようにと。
 銀次も修羅場を潜り抜けて来ている。自分の言動で仲間を、鈴を窮地に追い込むようなことはしたくない。
 だから聞き役に徹することで、多くを語らぬことにしたのだった。
 
「実はね、俺の妹も鈴って言うんですよ。あの子もね、俺に似ねえでよく出来た子でねえ。そんなところも鈴さんに似てるっていうか、妙に親近感をおぼえましてね。勝手にすいやせん」
「いや、そんなことないですよ。妹も昨日、偶然が重なったって話してたくらいですから」

 こんな調子で話をしてやり過ごせば良いと、銀次は少しだけ油断があったのかもしれない。緊張が解き放たれたような錯覚に陥ってしまったのだろうか。

「妹はね、生きていればそう。あなたくらいの年齢になってるんだろうな」
「え?」
「ああ、すいやせんね。いやなに、妹はもうとっくに亡くなってましてね。その弔いの意味も込めた旅なんでさぁ」
「あ……」

 言葉を無くした銀次を察し、男は背を向けたまま語り始めた。

「ああ、なんて言うか。気にしないでください。もう、とっくに昔の話です。
 鈴さんに初めて会った時、妹が死んだ時とおんなじくらいの年頃の娘さんだなって思ってね。そしたら名前も一緒っていうじゃないですか。正直、驚きましたよ。で、偶然にもこの町で再会して、髪結いのお兄さんを紹介されて会ってみたら今度は、妹が生きてたらこのくらいになってるだろうなって年頃の人がいるもんですからね。なんか少し感動しちまいましてね。
 きっと、妹の鈴が会わしてくれたんじゃねえのかなって。そんなことを考えちまって。だめですね、歳を取ると涙脆くなっていけねえや」

 男は少しだけ肩を揺らし、手の甲で目元を拭っているように見えた。
 銀次はあの当時、十八くらいだと思っていた。
 鈴は今、十七くらいだろうと思う。
 十二年前のあの時、男の妹が十七、八くらいなら、たぶん自分と同い年くらいだったのだろう。
 あの時の自分と同じくらいの……。ああ、そんな……。

 震える手をなんとか抑えながら、銀次は男の髪に櫛を入れる。

「お二人も昔、宮浦に居たんですってね。俺も宮浦の出なんですわ。
 そこで、妹と二人一緒に暮らしてました。そんなところも、お二人によく似ている気がします。ははは、似てるなんて、ご迷惑ですね」
「い、いや。そんなことないですよ。本当に偶然ですねえ」

 震えそうになる声を少しだけ低く話し、なんとか気が付かれないようにした。
 もういい。もう勘弁してくれと、心の中で願い続けた。
 だが、男はよほど嬉しかったのか、話を止める気配がない。

「昔いた、おかめ盗賊を覚えとりますか?」

 ああ……。
 銀次は逃げ出したい思いに駆られたのだった。



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