懴悔(さんげ)

蒼あかり

文字の大きさ
上 下
21 / 34

ー21-

しおりを挟む
 湯屋で宮浦にいた岡っ引きを見た後、与市の店に駆け込んだ銀次は、結局シラを切通すことで納得をつけた。
 だが、その後に与市から言われた一言が重く圧し掛かり、心を埋め尽くしていた。
 鈴を嫁に出す。いつかは、誰かに、そう思ってはいたが、まだまだ先の事だと思っていた。だが、他人の目から見たらいつ手放してもいいほどの娘になっているという。それがどうしても受け入れられなかった。
 やっと手に入れた妹という名の家族。それを今更手放すことなどできるのだろうか?と、考えてしまっていた。
 そんなことをぼんやりとかんがえながら家路に着くと、鈴はもうすでに長屋で夕飯の支度をしてくれていた。

「おかえり、お兄ちゃん。もうすぐご飯できるから、ちょっと待ってて」
「あ? ああ、ありがとな」

 いつものように屈託のない笑顔を向けてくれる妹に対し、いつも通りにふるまえただろうかと考えながら、ちゃぶ台を出し夕飯の支度を手伝うのだった。


「そうそう。今日ね、偶然にも綿原で知り合った人に会ったのよ。北の方に向かうって言う旅の人でね、その帰りなんだって。
 宮浦に帰る途中だって言うから、なんか偶然もここまで重なるとすごいなって思って、色々お話ししたの」

 夕飯を食べながら楽しそうに話す鈴の口から出たその人の姿形が、銀次が恐れ逃げ帰った男に重なった。
 
「へえ、そいつは奇遇だな。で? どんな人なんだい?」
「ん? 普通の人よ。新しい足袋を買いに来てくれたの。私が繕い物をするって教えたら、じゃあって言ってね、着物の繕い物も頼んでくれたの」
「……、背格好は?」
「え? うーん、普通かな? そんなに大きくもないけど、長旅で疲れてる風はないの。だから、歳よりも若く見えるかも。
 なに? お兄ちゃん、気になるの? 大丈夫よ、心配しないで。だって、親子よりも歳は離れてるはずよ」
「そ、そうか……」
「もう、心配性なんだから」

 鈴は呑気に笑いながら銀次に答え、おかずの煮物に箸を伸ばしていた。
 間違いない。今日、湯屋で見たあの男だと確信した銀次は、明日にでも与市の元に報告に行こうと思う。
 どこで、どんな繋がりがあるかわからない。
 着物の繕いを頼んだと言うことは、しばらくこの町に滞在するつもりなのだろう。鈴には余計なことを言わず、ただの偶然として過ぎていくことを祈った。

 翌朝、鈴はいつものように昼飯用の握り飯を持って、仕事場である古着屋へと向かった。それを確認すると、銀次は湯屋へ行く前に与市の元へ向かい、鈴の話を報告に向かうのだった。



「どうも……」
「あ、お客さん。どうです? 昨日はぐっすり眠れました?」
「ああ、お陰さんでね。昨日は久しぶりに湯にも浸かって、ぐっすり眠れましたよ。いい宿を紹介してくれてどうもね」
「それは良かった。そうそう、お客さんの繕い物、あと三、四日はかかりそうなんですけど、急ぎますか?」
「いや、もう帰るだけの旅だから特に急ぐこともねえ。ゆっくりしてもらってかまわねえよ」
「なら良かった。何にもない町ですけど、ゆっくりして行ってくださいね。
 そうだ! 私の兄さんがこの町の湯屋で髪結いをしてるんです。良かったらどうです? お客さんの頭も、そろそろ結い直した方がいいかも?
 せっかく家に戻るんですもの。小奇麗にした方がいいですよ」

 屈託なく笑う鈴の顔を見て男は、つられて笑みをこぼす。

「あはは。こりゃあ、商売上手な妹さんだ。
 えっと、鈴さん。せっかくだから、あんたの兄さんに髪でも結ってもらおうかねえ」

 男はぼさぼさになった髪を撫でつけながら、鈴を見た。
 ちょうど自分の妹、鈴が亡くなった年頃の娘を目の前にして、懐かしさで目の前が滲むようだった。

「あ! そっか、妹さんと同じ名前なんですよね? ふふふ、こんな所も同じなんて本当に奇遇だわ」
「……、他にも同じところが?」
「はい。実は私達も以前宮浦に住んでたんですって。私はまだ小さくて、全然覚えてないんですけどね。兄さんも若い頃に居ただけだから、あんまり覚えてないって言ってたけど。それでも同郷ってことでしょう?」

 鈴は針仕事の手を動かしながら男と会話をしている。手元に集中するあまり、会話は流れで話しているのだろう。相手の表情や顔色を見ることもなく、話す会話は何とも危うい。

「そうですか、宮浦に? そこでも兄さんは髪結いを?」
「うーん、どうかな? 私は小さかったから本当に覚えてなくて」
「覚えてない? いくつくらいだったんですかい?」
「えっと、四、五歳くらいだったみたいだけど。自分の名前以外は全然覚えてなくて。……、それがなにか?」

 針を動かす手を止めて、鈴は男を見た。瞳に映る男は堂々とした風で、一片の曇りもないように見えた。

「ああ、気に障ったらすいやせん。いやね、四、五歳くらいなら、何となくでも覚えてるもんじゃなかったのかな?と思いやしてね。
 もし覚えてたら、俺ともどこかで会ってたかもと思ったりしただけなんでさ」
「……、私は覚えてないけど、もしかして、会ってたかもって? お客さんは宮浦で何をしてたんですか?」

「俺は、元岡っ引きでした」
「……、岡っ引き?」

 その言葉を聞き、口にして、鈴の中の何かが動いた気がした。

「名を源助。高木さんって言う町同心の下で、岡っ引きをしてたんですわ。
 まあ、なんて言うか。町の用心棒みたいな感じですかね。
 なに、普通に生きてりゃ、俺と接点を持つことなんて無いんです。
 だから、鈴さんていうよりも、むしろ兄さんの方に髪結いの客として会ってたかもしれないなと思いましてね」
「ああ、そうですね。そんなこともあったかもしれないですね」

 なぜだかわからない。それでも明らかに動揺している自分がいることに、鈴は自分自身で驚いていた。
 心の中の何かが騒ぎ出す感覚。以前にもあったような……。
 そうだ、銀次に連れられて与市の店に行った時の、与市に初めて会った時のあの感覚。もうすっかり慣れて忘れてしまったけれど、あれに似ている。

「いっ!」

 鈴はうっかり針で指を刺してしまった。咄嗟に指を加えると、源助が慌てたように声をかけた。

「すいやせん、俺がくだらねえ話に付き合わせちまったせいだ」
「ううん。おっちょこちょいだから、よくやるんです。気にしないで」

 指を舐めながら鈴は引きつる笑顔で答えた。

「いや、お邪魔してすいやせんでした。出来上がった頃、日を改めてきます。
 じゃあ、また」

 源助はそう言うと、暖簾をくぐり店を出て行った。
 鈴は源助の後ろ姿に向かい「ありがとうございました」といつものように挨拶をしたのだった。

 妙な胸騒ぎを感じ、鈴は少しだけ身を震わせた。


しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜

かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。 徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。 堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる…… 豊臣家に味方する者はいない。 西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。 しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。 全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。

【架空戦記】蒲生の忠

糸冬
歴史・時代
天正十年六月二日、本能寺にて織田信長、死す――。 明智光秀は、腹心の明智秀満の進言を受けて決起当初の腹案を変更し、ごく少勢による奇襲により信長の命を狙う策を敢行する。 その結果、本能寺の信長、そして妙覚寺の織田信忠は、抵抗の暇もなく首級を挙げられる。 両名の首級を四条河原にさらした光秀は、織田政権の崩壊を満天下に明らかとし、畿内にて急速に地歩を固めていく。 一方、近江国日野の所領にいた蒲生賦秀(のちの氏郷)は、信長の悲報を知るや、亡き信長の家族を伊勢国松ヶ島城の織田信雄の元に送り届けるべく安土城に迎えに走る。 だが、瀬田の唐橋を無傷で確保した明智秀満の軍勢が安土城に急速に迫ったため、女子供を連れての逃避行は不可能となる。 かくなる上は、戦うより他に道はなし。 信長の遺した安土城を舞台に、若き闘将・蒲生賦秀の活躍が始まる。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した 若き日の滝川一益と滝川義太夫、 尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として 天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。

蘭癖高家

八島唯
歴史・時代
 一八世紀末、日本では浅間山が大噴火をおこし天明の大飢饉が発生する。当時の権力者田沼意次は一〇代将軍家治の急死とともに失脚し、その後松平定信が老中首座に就任する。  遠く離れたフランスでは革命の意気が揚がる。ロシアは積極的に蝦夷地への進出を進めており、遠くない未来ヨーロッパの船が日本にやってくることが予想された。  時ここに至り、老中松平定信は消極的であるとはいえ、外国への備えを画策する。  大権現家康公の秘中の秘、後に『蘭癖高家』と呼ばれる旗本を登用することを―― ※挿絵はAI作成です。

柳生十兵衛の娘

戸部家尊
歴史・時代
史実では、剣豪・柳生十兵衛三厳には松と竹という二人の娘がいたという。 柳生十兵衛の娘、竹(たけ)はある日、父への果たし状を受け取る。 だが父が不在のため、代わりに自らが決闘に挑む。 【こんな方にオススメの小説です】 ■剣豪ものの時代小説が読みたい。 ■本格的なチャンバラが読みたい。 ■女性剣士の活躍が見たい。 ■柳生十兵衛の出る小説が好きで今まで他の作品も読んできた。 ※ノベルアッププラスにも掲載しています。 ※表紙画像はイラストACのフリー素材を使用しています。

処理中です...