懴悔(さんげ)

蒼あかり

文字の大きさ
上 下
15 / 34

ー15-

しおりを挟む
 鈴が呉服屋の裏門をくぐり走って大通りに出ると、運悪く旅装束の男とぶつかってしまった。

「ごめんなさい。よく見ていなくって」

 ぶつかった拍子によろめいたが、なんとか体制を整えた鈴に対して、男は歩き続け鍛えているのだろう。それなりに歳はいっていそうだが、何とも無さげに平然と立っているのだった。

「いえ、こちらこそ申し訳ない。でえじょうぶでしたか? お嬢さん」
「はい、大丈夫です。ほんと、そそっかしくてダメね。また兄さんにお小言いわれちゃう」
 鈴は恥ずかし気に頬を染めながら答えた。

「ああ、お兄さんが?」
「はい。兄さんたら心配性で、いっつもうるさいんです。このことがバレたらまた何か言われちゃう」
「ははは。そりゃあ、こんなに器量よしの妹がいたら、身内は心配でしょうね。お兄さんの気持ちもわかりやすよ」

 男は人慣れしたように気安く話しかけて来る。
 普段から銀次に知らない者とは気安く接するなと言われているが、旅の途中の人間のようだし、もう会う事もないだろう。そう思ったのかもしれない。
 鈴はなんとなく気安さを感じていた。

「旅のお方ですか? どちらまで?」

 普段の鈴は、こんな風に自分から話しかけたりはしなかった。いつも銀次が気にしているようなつり合いのとれた年齢の男とは違い、自分の父親よりも上くらいの年齢の男に、ついつい気も緩んでしまうのだった。

「いやあ、宛てのない旅でね。上方に行ってきたところで、今度は北に行こうかと思ってね」
「上方から北へ? 随分遠いのね」
「まあね。ちょいと人を探していてね。でも、もう終いにした方がいいかもしれねえなとは思ってるんだ」
「そう、人を。見つかるといいですね」
「そうさねえ。見つかるといいねえ」

「鈴ちゃーん」

 そんな世間話をしていたら、裏通りの方から鈴の名を呼ぶ声がしてきた。

「すず?」

 男は不思議そうにあたりを見渡した後、目の前の鈴に視線を止めた。

「ええ、私の名。鈴って言うの」
 鈴は笑顔で男に答えた。

「ああ、鈴ちゃん。良かった間に合って。これ、持っておいき。昼飯の残りだけど、晩ごはんの足しにでもしておくれ」
「わあ、ありがとうございます。助かります。本当にありがとう」
「なにさ、これで最後なんだ。大したことじゃないよ。身体に気をつけて、元気でいるんだよ」
「うん。おばさんも元気でね。今までありがとうございました」

 鈴を追いかけて来た女中頭は、昼飯の残りの煮物を使い古しの椀に入れて持たせてくれた。自分の娘ほどの年齢の鈴を何かにつけて気にかけてくれる、気のいい女だった。母を知らない鈴にとって、何となく気を許せる存在だったのだろう。もう一度別れができて、二人とも内心では嬉しかった。
 

 そんな鈴のそばで突っ立っている旅装束の男を見て、女中頭は訝しそうに
「ちょいと、あんた。この子になんか用かい?」
 突然矛先が男に移動し、鈴は慌てて釈明するのだった。
「おばさん、この人は違うの。私が飛び出して、ぶつかりそうになってしまったの。旅の方みたいだし、少しだけ話をしていただけよ」
「なんだ、そうかい。てっきり、この子にちょっかいかけてんのかと思ってさ。
 間違ってすまなかったねえ」
「いや、詫びられるような人間じゃありやせんから」

 女中頭と男は互いに詫び合い、鈴はそれを見て面白そうに笑った。

「ふふふ。みんな、心配性なんだからぁ」

 鈴の可愛らしい笑い声が辺りの空気を和やかにしていった。
 どこの町にもありそうな、ありふれた日常の瞬間。
 この時、鈴にも男にも、特に気に留めることはなかったのだった。
『鈴』の名に、男が反応する他には。

 女中頭と別れた後、男は安宿を紹介してくれるよう鈴に頼んだ。
 安いかどうかはわからないが評判の良い宿屋ならあると、鈴は進んで道案内を買って出るのだった。
 そしてその道中、男は少しだけ話を始めた。

「鈴……さんと言うんですね」
「はい、鈴っていいます。それがなにか?」
「いや。実は、俺の妹も鈴っていうんです」
「あら? それは奇遇ですね。鈴ってなんか可愛いでしょう? 私、自分の名前気に入ってるんです」
「そうですか。それは良いですね。実は鈴は……。俺の妹の鈴は、俺が名付けたんですよ。年の離れた妹でね、分け合って一緒に暮らすことになって。
 それで、名無しじゃかわいそうだってね。一生懸命考えて名付けたんです」
「そうだったんですか。きっと妹さんもこの名前、気に入ってると思いますよ」
「ははは。そうだといいんですがねえ」
「今度、聞いてみたらいいですよ。きっといい返事が返ってくるはずです」
「……、そうですねえ。何年先かわからんけど、今度会えたら聞いてみますよ」

 並び歩く男は、少しだけ寂しそうな笑みを浮かべるのだった。
 ずっと長旅を続けていると言っていた。何年も会っていないのだろうと感じた鈴は、少しだけしんみりした空気を感じながらも、敢えて多くを聞くことはしなかった。
 そして二人で並び歩き宿屋の前まで来ると、鈴はわざと明るく振る舞って見せた。

「ここがお宿になります。今日は色々話せて楽しかったです。道中、気をつけて旅を続けてくださいね」

 男は鈴の笑顔に、自らも笑みを浮かべ答えた。

「鈴さんに会えて、俺もうれしかったですよ。昔の妹に会えたようで、懐かしかったです。色々とお世話になりやした。ありがとう、お元気で」

 男の返事に気を良くした鈴は「じゃあ」と手を振り、元来た方に走り出していた。
 享年の歳廻りと同じくらいの娘と妹の姿を重ねあわせながら、視界から消えるまでいつまでも見送り続けていた。
 妹、鈴を思いながら、敵(かたき)を取らせてくれと心に誓う源助だった。

しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

【架空戦記】蒲生の忠

糸冬
歴史・時代
天正十年六月二日、本能寺にて織田信長、死す――。 明智光秀は、腹心の明智秀満の進言を受けて決起当初の腹案を変更し、ごく少勢による奇襲により信長の命を狙う策を敢行する。 その結果、本能寺の信長、そして妙覚寺の織田信忠は、抵抗の暇もなく首級を挙げられる。 両名の首級を四条河原にさらした光秀は、織田政権の崩壊を満天下に明らかとし、畿内にて急速に地歩を固めていく。 一方、近江国日野の所領にいた蒲生賦秀(のちの氏郷)は、信長の悲報を知るや、亡き信長の家族を伊勢国松ヶ島城の織田信雄の元に送り届けるべく安土城に迎えに走る。 だが、瀬田の唐橋を無傷で確保した明智秀満の軍勢が安土城に急速に迫ったため、女子供を連れての逃避行は不可能となる。 かくなる上は、戦うより他に道はなし。 信長の遺した安土城を舞台に、若き闘将・蒲生賦秀の活躍が始まる。

【完結】ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

処理中です...