懴悔(さんげ)

蒼あかり

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 鈴が呉服屋の裏門をくぐり走って大通りに出ると、運悪く旅装束の男とぶつかってしまった。

「ごめんなさい。よく見ていなくって」

 ぶつかった拍子によろめいたが、なんとか体制を整えた鈴に対して、男は歩き続け鍛えているのだろう。それなりに歳はいっていそうだが、何とも無さげに平然と立っているのだった。

「いえ、こちらこそ申し訳ない。でえじょうぶでしたか? お嬢さん」
「はい、大丈夫です。ほんと、そそっかしくてダメね。また兄さんにお小言いわれちゃう」
 鈴は恥ずかし気に頬を染めながら答えた。

「ああ、お兄さんが?」
「はい。兄さんたら心配性で、いっつもうるさいんです。このことがバレたらまた何か言われちゃう」
「ははは。そりゃあ、こんなに器量よしの妹がいたら、身内は心配でしょうね。お兄さんの気持ちもわかりやすよ」

 男は人慣れしたように気安く話しかけて来る。
 普段から銀次に知らない者とは気安く接するなと言われているが、旅の途中の人間のようだし、もう会う事もないだろう。そう思ったのかもしれない。
 鈴はなんとなく気安さを感じていた。

「旅のお方ですか? どちらまで?」

 普段の鈴は、こんな風に自分から話しかけたりはしなかった。いつも銀次が気にしているようなつり合いのとれた年齢の男とは違い、自分の父親よりも上くらいの年齢の男に、ついつい気も緩んでしまうのだった。

「いやあ、宛てのない旅でね。上方に行ってきたところで、今度は北に行こうかと思ってね」
「上方から北へ? 随分遠いのね」
「まあね。ちょいと人を探していてね。でも、もう終いにした方がいいかもしれねえなとは思ってるんだ」
「そう、人を。見つかるといいですね」
「そうさねえ。見つかるといいねえ」

「鈴ちゃーん」

 そんな世間話をしていたら、裏通りの方から鈴の名を呼ぶ声がしてきた。

「すず?」

 男は不思議そうにあたりを見渡した後、目の前の鈴に視線を止めた。

「ええ、私の名。鈴って言うの」
 鈴は笑顔で男に答えた。

「ああ、鈴ちゃん。良かった間に合って。これ、持っておいき。昼飯の残りだけど、晩ごはんの足しにでもしておくれ」
「わあ、ありがとうございます。助かります。本当にありがとう」
「なにさ、これで最後なんだ。大したことじゃないよ。身体に気をつけて、元気でいるんだよ」
「うん。おばさんも元気でね。今までありがとうございました」

 鈴を追いかけて来た女中頭は、昼飯の残りの煮物を使い古しの椀に入れて持たせてくれた。自分の娘ほどの年齢の鈴を何かにつけて気にかけてくれる、気のいい女だった。母を知らない鈴にとって、何となく気を許せる存在だったのだろう。もう一度別れができて、二人とも内心では嬉しかった。
 

 そんな鈴のそばで突っ立っている旅装束の男を見て、女中頭は訝しそうに
「ちょいと、あんた。この子になんか用かい?」
 突然矛先が男に移動し、鈴は慌てて釈明するのだった。
「おばさん、この人は違うの。私が飛び出して、ぶつかりそうになってしまったの。旅の方みたいだし、少しだけ話をしていただけよ」
「なんだ、そうかい。てっきり、この子にちょっかいかけてんのかと思ってさ。
 間違ってすまなかったねえ」
「いや、詫びられるような人間じゃありやせんから」

 女中頭と男は互いに詫び合い、鈴はそれを見て面白そうに笑った。

「ふふふ。みんな、心配性なんだからぁ」

 鈴の可愛らしい笑い声が辺りの空気を和やかにしていった。
 どこの町にもありそうな、ありふれた日常の瞬間。
 この時、鈴にも男にも、特に気に留めることはなかったのだった。
『鈴』の名に、男が反応する他には。

 女中頭と別れた後、男は安宿を紹介してくれるよう鈴に頼んだ。
 安いかどうかはわからないが評判の良い宿屋ならあると、鈴は進んで道案内を買って出るのだった。
 そしてその道中、男は少しだけ話を始めた。

「鈴……さんと言うんですね」
「はい、鈴っていいます。それがなにか?」
「いや。実は、俺の妹も鈴っていうんです」
「あら? それは奇遇ですね。鈴ってなんか可愛いでしょう? 私、自分の名前気に入ってるんです」
「そうですか。それは良いですね。実は鈴は……。俺の妹の鈴は、俺が名付けたんですよ。年の離れた妹でね、分け合って一緒に暮らすことになって。
 それで、名無しじゃかわいそうだってね。一生懸命考えて名付けたんです」
「そうだったんですか。きっと妹さんもこの名前、気に入ってると思いますよ」
「ははは。そうだといいんですがねえ」
「今度、聞いてみたらいいですよ。きっといい返事が返ってくるはずです」
「……、そうですねえ。何年先かわからんけど、今度会えたら聞いてみますよ」

 並び歩く男は、少しだけ寂しそうな笑みを浮かべるのだった。
 ずっと長旅を続けていると言っていた。何年も会っていないのだろうと感じた鈴は、少しだけしんみりした空気を感じながらも、敢えて多くを聞くことはしなかった。
 そして二人で並び歩き宿屋の前まで来ると、鈴はわざと明るく振る舞って見せた。

「ここがお宿になります。今日は色々話せて楽しかったです。道中、気をつけて旅を続けてくださいね」

 男は鈴の笑顔に、自らも笑みを浮かべ答えた。

「鈴さんに会えて、俺もうれしかったですよ。昔の妹に会えたようで、懐かしかったです。色々とお世話になりやした。ありがとう、お元気で」

 男の返事に気を良くした鈴は「じゃあ」と手を振り、元来た方に走り出していた。
 享年の歳廻りと同じくらいの娘と妹の姿を重ねあわせながら、視界から消えるまでいつまでも見送り続けていた。
 妹、鈴を思いながら、敵(かたき)を取らせてくれと心に誓う源助だった。

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