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しおりを挟む銀次は弥吉と酒を酌み交わし今の親父の状況を聞き、自分の進退を考えた。
今の与市を守れるのは自分ではないかと。
実は与市はあの夜の少し前から、目が見えにくくなっていた。調子の良い日と悪い日の差が大きすぎ、日常生活にも支障をきたすことがあった。
だが、今までの慣れや勘で、店は開くことができていたし、自分のことは自分でできていたから気が付く者はほとんどいなかった。
その頃気が付いていたのは一緒に寝食を共にしていた権八と、銀次くらいだ。権八は身体も大きく力も強い。何かあった時の用心棒に近いような働きをしていた。それに加えて銀次はとにかく手先が器用で、小回りのきく男だったから使い勝手がいい。そんな理由に加えて、なぜか与市には気に入られていたようで、何かにつけ重用されていたのだった。
目の見えにくくなった与市の目の代わりになっていたのが、その頃の銀次だ。
だからこそ銀次にとって、今の状況は放っておくわけには行かない気がしていた。
弥吉から与市の住処(すみか)を聞いたあと「俺、親父の所に行こうかと思う」と、口にした。何となくその答えを想像していたのだろう。弥吉は大して驚きもせず、黙って酒を飲んでいた。
「妹をどうするつもりだ?」
弥吉の問いはもっともだが、今の銀次にとって鈴を手放すことはあり得ない。
「連れてくさ。近くに住んで、周りから見守るだけでも違うだろう?」
「まあ、そうかもしれねえが……」
弥吉は含みのある口ぶりだったが、特に止めることもしなかった。それが答えだと判断した銀次は、親父の元へいくことを腹の中で決めるのだった。
「鈴、ここも長げえから、そろそろ動こうかと思う」
二人の引っ越しはいつも突然だった。銀次の一言でそれは決まる。
何がきっかけでそうなるのかは鈴にはわからないが、夜逃げのように去ることもあったから、もう慣れてしまっていた。
「……、そう。で、いつ頃発つの?」
「ああ、早い方がいいかなと思ってるんだが」
「そっか。じゃあ、今頼まれてる仕立物を早めにやっつけないとね。途中で放り投げるのは申し訳ないから」
「すまねえな」
「大丈夫。慣れてるもん」
鈴はいつの頃からか、針仕事の手伝いをするようになっていた。銀次がいない昼間、長屋の女衆に子守りを頼んでいた頃に、見様見真似で覚えたらしい。
元々の気質なのか腕が良いと言われるようになり、今では仕事を待たせるくらいに数をこなすようになっていた。
銀次の髪結いの腕が良いからと言って、それ一本で食いつなぐには心もとない。鈴の針仕事も数をこなせばそれなりになる。無いよりはずっといい。
「引っ越すこと、皆に言ってもいいの?」
「ああ、でえじょうぶだ。みんなに別れを言って来い」
銀次は念のため、鈴には行く宛てを教えないことにしていた。
途中で何があるかわからない。鈴の身を守るためにもそれが安全だと、常に警戒をしていたのだ。
鈴も、もう慣れたもので、夜なべをしながら任されたものを仕上げ、翌々日には呉服屋へと足を運んだ。
今日も銀次は朝から髪結いの道具を持って仕事に出ている。
もうすっかりこの町にも慣れ、見慣れた町並みを通り呉服屋の前まで行くと、端の方の暖簾をくぐり店の中へと入って行った。
「鈴です。いつもありがとうございます。お仕立物を届けに来ました」
風呂敷に包まれた着物を大事そうに胸に抱え、土間を歩き中へと進む。
「ああ、鈴さん。いつもありがとう。どれ、拝見しましょうか」
そう言って、奥で算盤を弾いていた番頭が畳敷きの店間の端に鈴を誘導すると、風呂敷包みを両手で預かった。
その場で風呂敷を広げ、中の着物を両手に持つと出来上がりの確認をし始めた。鈴にとっていつも緊張する瞬間だ。
「ああ、良い出来だ。鈴さんの仕立ては丁寧で安心してまかせられる。
いつもありがとうね」
番頭に褒められ、鈴も笑みを浮かべほっとするのだった。
「それじゃあ、これは手間賃だ」
そういって奥の文机の引き出しから金子を出すと、鈴に手渡した。
鈴は両手でそれを受け取ると、大事そうに胸の巾着へとしまった。
「さっそくで悪いんだが、そろそろ衣替えだ。浴衣を数枚頼まれてくれるかい?」
番頭の言葉に鈴は申し訳なさそうに眉を下げ、
「すみません。近々この町を出ることになりまして。お仕事はこれで最後にさせてください。今までありがとうございました」そう言って、深々と頭を下げた。
「おや、それは残念だね。せっかくうちの仕事にも慣れてきたと思ったのに。
ま、仕方ないか。次はどこへ行くんだい?」
「それが、私には聞いてもよくわからなくて……」
番頭の問いを誤魔化すように、鈴は困ったような笑みを浮かべ答える。
いつもこの手の話題には、そう答えるようにしていた。何も知らない無知な娘だから行く先もわからないのだと。そう思わせれば、深々と聞いてくることはないから。もう二度と会わないと思えば、この先どう思われようとかまわない。
「そうかい。それもそうだね、町の名を聞いたところでわかるはずもないか」
番頭も納得したように、その話はそれで終わった。
「いつものようにお勝手に回りなさい。今日で最後だ、ゆっくりしていくといい」
「いつもすみません。ありがとうございます。では、お言葉に甘えて、お世話になりました」
鈴はもう一度頭を下げると、来た時と同じように端の暖簾をくぐり外へと出た。そして、裏手に周り勝手口の木戸を開ける。
勝手知ったる風に中へと進み勝手場に顔を覗かせると、女中たちが鈴を見つけ声をかけて来る。
「おや、鈴ちゃん。仕立物を届けに来たのかい? さあさあ、おいで。もうすぐ昼時だ、一緒に食べて行きな」
「ふふふ。いつもありがとうございます。おじゃましまーす」
勝手場の女中頭が鈴に声をかけると、鈴も慣れたように勝手場の板敷に上がり込むのだった。
食事時間帯の勝手場は戦場のように忙しい。店主や家族の分の支度の他に、従業員のまかないも用意しなくてはならないのだ。
この呉服屋はそこそこの人数の人間を雇っている。それらが時間を見つけては順番に腹を満たしに来るのだ。
水炊き場の土間を上がると板敷には長机が並び、そこには一人分の支度がズラリと並ぶ。手が空き、来た者から順に食事を済ませ、休む間もなく次の仕事へと向かうのだ。
この店では鈴だけでなく、仕事で来る者達に声を掛け昼食を振る舞っていた。
中々出来ることでは無いのも確かだが、それよりも良い腕の人間を他店に取られないための策としては十分安上がりだ。
そして鈴は今日もまた、従業員用のまかない飯で腹を満たすのだった。
「そうかい。鈴ちゃん、この町を出て行くのかい」
そう言って寂しそうに話す勝手場の女中頭の隣で、鈴は洗い終わった茶碗を布巾で拭いていた。
「うん。この前兄さんから言われてね、近いうちに出て行くと思う」
「寂しくなるねえ」
「今まで色々と、ありがとうございました」
まかない飯をご馳走になると、鈴は決まって手伝いを買って出ることにしていた。店側の厚意とは言え、ただ飯を食うわけにはいかない。
「なんだい、鈴ちゃん。この町を出て行くのかい?」
「うん、そうなの。皆さんにも色々とお世話になって、ありがとうございました」
「鈴ちゃんがいなくなるのはもちろんだけど、ねえ。あんた達兄妹がいなくなった後が大変だよ、きっと」
「ああ、そうねえ。銀さんてば、色々と話し聞くからねえ」
「ほら、奥の乾物屋の奥さん。銀さんの上得意なんだろう」
「ああ、聞いた聞いた。夫婦げんかでえらい騒ぎになったって?」
「うわー、そうなんだ?」
「ちょいと!! 早く片してしまいな! ぐずぐずしてると、すぐに晩飯の支度だよ」
女中頭に小言を言われて、周りの女衆も口を閉じて仕事場に戻って行った。
「すまないねぇ。あの子達も悪気があるわけじゃないんだ。ただ、どうしてもね。そっちに気が向いちまうもんなんだよ。気にしないでおくれね」
女中頭は気まずそうに鈴を見つめる。
「大丈夫です、慣れてますから。でも、悪いことばっかりじゃないんですよ。
兄さんのこと知ってる人には、何かと良くしてもらったりしてましたから」
ふふふ。と、笑う鈴の顔はまだ幼さが残っているようだ。
その表情と声色で女中頭の女は、少しだけ胸のつかえが下りたような気になった。そうは言っても、良いことばかりじゃないだろうにと腹の中で思うも、それを口にすることはしないのだった。
銀次の話はすぐに終わり、鈴は勝手場の手伝いを終えると何度もお礼を告げて店を後にした。
鈴が針仕事をするようになってからと言うもの、行動半径も広がり顔見知りも増えていった。
その中で、要らぬ話を耳に入れて来る者が多いのも事実。銀次は知られていないと思っているが、鈴はかなり幼い頃から知らされていた。
兄である銀次からではなく、全く関係のない者たちに好奇の目で見られながら。
大きな町ではなく、そこそこの規模の町に滞在することを常としていた二人にとって、人波や町の一部として溶け込むには狭すぎたのだろう。
髪結いとは別に、客を取っている事実が広まるにはそう時間はかからなかった。そうして名を売り銭を稼ぐことを、どの町でも悪しく言う者はいなかった。
金を取るか取らないか、大っぴらにするかしないかの違いなだけで、多かれ少なかれそんな行為は日常茶飯事だったから。
だが、似ていない兄妹を面白可笑しく言う者はいた。
だから、鈴は知っていた。
銀次とは血の繋がらない兄妹だということを。
何かに脅え、何かから逃げるように、転々と町を移動していることを。
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