懴悔(さんげ)

蒼あかり

文字の大きさ
上 下
10 / 34

ー10-

しおりを挟む
 町の中心部にある長屋の一室。
 少しばかり広い間取りの長屋だが、兄妹二人で住むには少しばかり手狭ではあった。だが、その妹も二年前に奉公に出てからは、男一人住むには少しばかり持て余し気味だった。
 それが今、その妹が仏様になって帰ってきて、畳敷きの半分を陣取るように布団の上で横になっている。
 そのそばで、源助はただ茫然と見つめていた。

 二年前、十五の歳を迎えると妹の鈴は奉公に出てしまった。
 自分であちこち声を掛け、勝手に奉公先を決めてしまったのだ。
 兄である源助が岡っ引きをしていることをいいことに、あちこちで顔を売り、自分を売り込んでの結果だった。
 聞けば大店の峰屋だ。誰が聞いても奉公先としては申し分がない。
これから先、これ以上の働き口は見つからないかもしれないと思えば、たとえ兄とは言え何も言えなくなってしまった。
 本当はもう少し面倒を見てやりたかったと腹の中では思っていても、そんなことを口にできるような男ではなかった。
 だから、妹の鈴がどう思っていたのかはわからない。
 わからないが、自分のことを嫌がってはいないと、そう思っていたのに。
 奉公に出たとしても、いつか嫁入りする時には自分の元から嫁いで欲しいなどと、そんな幻想を描いていたはずだったのに。


「源さん、大丈夫かねえ?」
「大丈夫なわけがあるかよ。たった一人の妹だ、何にも手につかねえのは仕方がねえさ」
「だからってねえ。昨日から飲まず食わずで、ずっとあのままだよ」
「枕経は大家が唱えてくれたんだ。後は弔うだけさ」
「それにしたってさあ」
「通夜はどうするんだい?」
「昨日から源さんが夜通しそばに居るんだ、仏さんだって迷うこたあねえよ」

 この地では人が亡くなると、火葬にするのが主だった。
 一晩、夜通し蝋燭の灯りを灯し続け、死者があの世への道を迷うことなく進めるように見守る。
 そうして朝を迎えると、辺り近所の者達が手伝い葬儀を行う。
 葬儀と言っても寺の坊主を頼めば金がかかる。正式に寺へと使いを出し、経を唱えてもらえるほどには町人の生活は楽ではなかった。
 大抵は長屋の大家であったり、長く生きながらえた者達が耳で覚えた正しいかどうかもわからない念仏を唱えることが当たり前になっていた。
 そうして徒党を組んで町中を練り歩き、火葬場へと向かう。
 火葬場と言っても火が燃え移らないような町の外れの広場に棺桶を置き、そこに木々や燃えそうな物を山済みにし、野焼きをする。
 そうして一昼夜、燃やし続け仏になった者を弔うのだ。

「源さん、大家さんが来てくれたよ。もうすっかりと陽も上がっちまった。
 念仏を唱えてもらおうよ」

 同じ長屋に住む者が気遣い、声をかけてくれる。
 だが、腑抜けのようになってしまった今の源助には、その声も頭には入ってはこない。

「ああ、そうだな。念仏……そうだな」

 いつもなら岡っ引きとして威勢のいい男なのにと、長屋の者は皆いたたまれない思いでいっぱいだった。
 そんな源助のそばで、なにくれとなく甲斐甲斐しく面倒を見ているのが、源助の子分たちだった。
 一晩中座布団に座りっぱなしの源助に代わり、蝋燭の灯が消えぬようにと世話をしていたのは彼らなのだ。

「兄貴。そろそろ念仏を上げないと。鈴さんも、うかばれませんぜ。
 大家さんにお願いしてもいいっすよね?」

 声のする方へと顔を動かすも、そこには生気のない瞳が揺れているだけだった。

「そうだな。いつまでもこうしてるわけにはいかねえな」

 そう言うと、源助は重い腰を上げ立ち上がり玄関先でたむろっている長屋の皆に声をかけた。

「えらい、心配をおかけしてすいやせんでした。あいつのためにも、そろそろちゃんとしてやらんとだ。すんませんが、大家さんをお願いします」

 心配そうに見守っていた長屋の者に深々と頭を下げると、源助はいつものような口調で話し始めた。だが、その瞳にはいつものような熱がたぎっているはずもなく、ただ粛々と段取りを踏む。それを全うするために動いているにすぎないのだった。
 喪主である源助が声をかければ、後は周りが動いてくれる。それが長屋の掟であり、共に暮らす者の義理でもあった。
 遠い親戚より近場の他人とはよく言ったもので、こうして貧しいながらも手を取り合い人々は生きて来た。
 気が付けばすべて流れるままに念仏は終わり、夕方近くには火葬場へと向かっていた。そうして棺桶を広場の真ん中に置き、源助も一緒になって山と積まれた枝木に火を付けていたのだった。
 火葬の火の番は、専用の人間がいる。仏さんはその者に託し、源助たちは長屋へと戻ると弔いの酒を酌み交わし始めた。
 長屋の女衆が持ち寄った料理をつまみに、皆で飲み明かす。
 源助の家で足りなければ隣や大家の家にまで上がり込み、皆で飲み、語り合う。弔う者達の最後の別れだ。

 夕方から始まった火葬は、まだまだ終わらない。
 源助は酒を飲み酔いの回った者達を家に残し、一人火葬場へと向かった。
 すっかり夜も更け、広場は燃え続ける火で赤々と照らされていた。
 火葬と言う名の野焼きだ。肉のついた死人を燃やすのには時間がかかる。
 酒瓶を片手にぶら下げ、捨て材木で組んだ掘っ立て小屋に入り込んだ。
 中には火の番をする者が一人、藁を敷いただけの地べたに座り込んでいた。
 源助はその隣に座り込むと、彼に酒瓶を手渡した。
 
「一緒に弔ってやってくれねえか」

 男は代々世襲でこの火の番をする家の者だ。
 普段から町人たちとは一線を画してきた、無口な男。

「てえへんでしたね」

 男はぽつりと口にすると、黙ってそれを受け取り頭を下げた。そして、酒瓶に直に口を付けあおるように呑み込む。男は口元からこぼれた酒を着物の袖口でふき取ると、源助にそっと返した。源助もまたそれを受け取ると、思い切りよく呑み込んだ。
 大きく傾けた酒は源助の喉を威勢よく流れ込み、大きくむせかえってしまった。涙を溜めて咳き込む源助の背を、男は無言でさするのだった。
 その手が妙に暖かかった。
長屋の者たちや、町の者が心配で声をかけてくれるも、源助の心に響く声はなかったのに。
 何も言わず、ただ無言で背をさするその手が、いやその手だからこそ、今の源助には伝わるものがあったのかもしれない。
 酒にむせた咳はいつしか嗚咽へと代わり、源助は妹、鈴が亡くなってから初めて涙するのだった。
 仕事柄、死人は見慣れている。多くは無いとはいえ、事件も起こる。
 人の生き死にが身近であったとしても、それでも身内の死は慣れるものではない。ましてや、まだ若い娘だ。
 自分の家で寝かされ、仏様になった妹を直に見てもなお、信じられなかった。
 今、目の前で燃える火を見て、やっと理解が追いついた頭に流れ込むのは、鈴と過ごした日々だった。
 もう取り返せない、戻ることの無いそれは、朧になった源助の意識を呼び起こすに十分だった。

「すず……」


 嗚咽の中からこぼれたその名を、隣の男は無言で聞いていた。
 愛する者を亡くした者の声は、何度聞いても心を乱す。
 せめて綺麗に燃えきれるよう。
 逝く者も、残された者も思いを残すことのないように務めようと心に誓った。




※ 土日は朝夕の二話投稿の予定です。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

妻がエロくて死にそうです

菅野鵜野
大衆娯楽
うだつの上がらないサラリーマンの士郎。だが、一つだけ自慢がある。 美しい妻、美佐子だ。同じ会社の上司にして、できる女で、日本人離れしたプロポーションを持つ。 こんな素敵な人が自分のようなフツーの男を選んだのには訳がある。 それは…… 限度を知らない性欲モンスターを妻に持つ男の日常

チャラ孫子―もし孫武さんがちょっとだけチャラ男だったら―

神光寺かをり
歴史・時代
チャラいインテリか。 陽キャのミリオタか。 中国・春秋時代。 歴史にその名を遺す偉大な兵法家・孫子こと孫武さんが、自らの兵法を軽ーくレクチャー! 風林火山って結局なんなの? 呉越同舟ってどういう意味? ちょっとだけ……ほんのちょっとだけ「チャラ男」な孫武さんによる、 軽薄な現代語訳「孫子の兵法」です。 ※直訳ではなく、意訳な雰囲気でお送りいたしております。 ※この作品は、ノベルデイズ、pixiv小説で公開中の同名作に、修正加筆を施した物です。 ※この作品は、ノベルアップ+、小説家になろうでも公開しています。

大伝馬町ふくふく八卦見娘

夕日(夕日凪)
歴史・時代
大伝馬町、木綿問屋街にある葉茶屋三好屋の一人娘『おみつ』は、 他の江戸娘と比べ少しふくふくとした娘である。 『おみつ』がふくふくとする原因は『おみつ』のとある力にあって……。 歌舞伎役者のように美しい藍屋若旦那『一太』からの溺愛に気づかず、 今日も懸命に菓子などを頬張る『おみつ』の少し不思議な日常と恋のお話。 第五回歴史・時代小説大賞で大賞&読者賞を頂きました。応援ありがとうございます。

信長の妹は愛染明王の夢を見るか? 〜お市さん、女子しか乗れない巨大絡繰人形でやりたい放題〜

大海烏(休筆中)
歴史・時代
※雑賀衆の一人「銀」が尾張国に持ち込んだのは、賢者の石と巨大絡繰人形!? それが戦国女子達の運命を変える! ◆あらすじ 秘薬「賢者の石」の効果で、生まれながらにして天才になってしまった、織田信長の妹であるお市。 更に愛染明王そっくりな、女性しか乗れない巨大絡繰人形に彼女が乗り込み、付喪神の三種の神器や戦国時代に生まれた歴史上有名な女性達まで巻き込んで歴史は斜め上の方向に進んでいくのだった。 ◆章紹介 第1章 天文26年 お市0歳(赤子編) 天文28年 お市2歳(上洛編) 天文28年 お市12歳(女学校、愛染学院編) 天正3年 お市?才(九州編) 第二章 天正10年 織田内閣←今ここ! 天正13年 アンジェロ編決着 第三章 ?? ※挿絵ありのページは★マーク(AI画MidJourneyで作成→canvaに変更)

扇屋あやかし活劇

桜こう
歴史・時代
江戸、本所深川。 奉公先を探していた少女すずめは、扇を商う扇屋へたどり着く。 そこで出会う、粗野で横柄な店の主人夢一と、少し不思議なふたりの娘、ましろとはちみつ。 すずめは女中として扇屋で暮らしはじめるが、それは摩訶不思議な扇──霊扇とあやかしを巡る大活劇のはじまりでもあった。 霊扇を描く絵師と、それを操る扇士たちの活躍と人情を描く、笑いと涙の大江戸物語。

春雷のあと

紫乃森統子
歴史・時代
番頭の赤沢太兵衛に嫁して八年。初(はつ)には子が出来ず、婚家で冷遇されていた。夫に愛妾を迎えるよう説得するも、太兵衛は一向に頷かず、自ら離縁を申し出るべきか悩んでいた。 その矢先、領内で野盗による被害が頻発し、藩では太兵衛を筆頭として派兵することを決定する。 太兵衛の不在中、実家の八巻家を訪れた初は、昔馴染みで近習頭取を勤める宗方政之丞と再会するが……

田楽屋のぶの店先日記〜殿ちびちゃん参るの巻〜

皐月なおみ
歴史・時代
わけあり夫婦のところに、わけあり子どもがやってきた!? 冨岡八幡宮の門前町で田楽屋を営む「のぶ」と亭主「安居晃之進」は、奇妙な駆け落ちをして一緒になったわけあり夫婦である。 あれから三年、子ができないこと以外は順調だ。 でもある日、晃之進が見知らぬ幼子「朔太郎」を、連れて帰ってきたからさあ、大変! 『これおかみ、わしに気安くさわるでない』 なんだか殿っぽい喋り方のこの子は何者? もしかして、晃之進の…? 心穏やかではいられないながらも、一生懸命面倒をみるのぶに朔太郎も心を開くようになる。 『うふふ。わし、かかさまの抱っこだいすきじゃ』 そのうちにのぶは彼の尋常じゃない能力に気がついて…? 近所から『殿ちびちゃん』と呼ばれるようになった朔太郎とともに、田楽屋の店先で次々に起こる事件を解決する。 亭主との関係 子どもたちを振り回す理不尽な出来事に対する怒り 友人への複雑な思い たくさんの出来事を乗り越えた先に、のぶが辿り着いた答えは…? ※田楽屋を営む主人公が、わけありで預かることになった朔太郎と、次々と起こる事件を解決する物語です! ※歴史・時代小説コンテストエントリー作品です。もしよろしければ応援よろしくお願いします。

べらぼう旅一座 ~道頓堀てんとうむし江戸下り~

荒雲ニンザ
歴史・時代
【長編第9回歴史・時代小説大賞 笑えて泣ける人情噺賞受賞】 道頓堀生まれ、喜劇の旅一座が江戸にやって来た! まだ『喜劇』というジャンルが日本に生まれていなかった時代、笑う芝居で庶民に元気を与える役者たちと、巻き込まれた不器用な浪人の人情噺。 【あらすじ】 本所の裏長屋に住む馬場寿三郎は万年浪人。 性格的に不器用な寿三郎は仕官先もみつからず、一日食べる分の仕事を探すのにも困る日々。 顔は怖いが気は優しい。 幸い勤勉なので仕事にありつければやってのけるだけの甲斐性はあるが、仏頂面で客商売ができないときた。 ある日、詐欺目当ての浪人に絡まれていた娘てんとうを助けた寿三郎。 道頓堀から下ってきた旅一座の一人であったてんとうは、助けてくれた寿三郎に礼がしたいと、一座の芝居を見る機会を与えてくれる。 まあ色々あってその一座に行くことになるわけだが、これがまた一座の奴らがむちゃくちゃ……べらんめぇな奴ばかりときた。 堺の笑いに容赦なくもみくちゃにされる江戸浪人を、生温かく見守る愛と笑いの人情噺。

処理中です...