懴悔(さんげ)

蒼あかり

文字の大きさ
上 下
5 / 34

ー5-

しおりを挟む
「鈴。今日はちょっと遅くなるかもしれねえから、晩飯はいいや。戸締りしっかりして、用心するんだぞ。何かあったら大家さんのとこに行け」
「お兄ちゃんたら。大丈夫よ、もう子供って年でもないんだから」
「子供じゃねえから心配なんだよ。いいな? わかったな」
「はいはい、わかりました。それより、そんなに遅くなるの?」
「いや、そこまでにはならねえと思うけどな。なるべく早く帰るようにする」
「それなら大丈夫よ。お兄ちゃんも気をつけてね」
「ああ。じゃあ、行ってくるわ」

 肩越しに片手で手を振りながら出て行こうとする銀次。だが、すぐに振り返り、「いいな。くれぐれも気をつけろよ」そう言って鈴を指さしてみせた。
「もう、お兄ちゃんたら心配性なんだから」
 口うるさい兄の言葉にも、満更でもなく嬉しそうに微笑む鈴だった。


 次の日、銀次は夕方に家を出て弥吉と落ち合った。
 翌日にはもうこの町を出ると言う弥吉から、話を聞くためだ。
 弥吉の借りている部屋で酒を酌み交わす二人。
 つまみを宿に頼み、酒は壺酒を銀次が持ち込んだ。
 

「親父は元気か?」
「ああ、点々としながら店を続けてる。今は西の峠付近で飯屋をやってるよ」
「そうか。皆は? 他は皆どうしてる?」
「上の二人は親父のそばで何かしらやってるし、俺はこれから北に上って七之助に会いに行く。次に戻るのは数か月先だな」
「おめえも大変だな」
「なんてことねえよ。昔に比べりゃ、気が休まるさ」
「そうだな……」

 銀次と弥吉は兄弟分として盃を交わした仲だ。掟に従って。手順を踏んで。
 たとえ同じ血が流れていなくとも、その関係は生涯切れることはない。
 まだ世の中の事もわからぬ頃に拾われた二人は、ただ生きる為に、その為だけに盃を交わし生かしてもらっていた。
 言われるままに、乞われるままに、善悪の判断すらもさせてもらえぬ世界へと足を突っ込んでしまったのだった。



 ガマの油売りの弥吉と銀次は、近況を報告し合いながら酒を飲んだ。
 時に笑いを含みながら飲み交わすのは、久しぶりに旨い酒だった。
 銀次が与市に拾われた後、少しして弥吉も拾われてきた。
 歳も近そうなことから自然と仲が良くなるのは当たり前のことだったのだろう。だが、大人たちの思惑はそうではなかった。
 近しい歳の者を競わせ、そして見張りに据える。逃げないように、反旗を翻さないように。互いをけん制し合うように仕向け、逃げ道をふさぐ。
 だが、この二人はそんな目論見をたやすく見抜き、陰で仲を深めていたのだ。
 大人の目を欺いているような感覚が、さらに二人の仲を強固にしていった。
 そして、仲間の元を離れた今も、こうして膝を突き合わせて酒を酌み交わしている。

 弥吉はいま、親父と呼ぶ男からの預かり物を渡す旅を続けている。
 どこに居ても、どこに住処を変えても見つけるその情報網に恐れを感じつつも、二度と離れることの出来ない契りを今更ながら認識させられる。


「江戸で今、騒ぎを起こしている賊がいる。女、子供にも容赦のない様子から『黒狼くろおおかみ』と呼ばれ、恐れられてる奴らだ」
「……、それがどうした?」
「親父は疑ってる」
「……、まさか。俺たちの誰かだと?」
「違うと信じたいが、手口があまりにも親父のそれに近い。おかみも親父を疑ってる。だが、親父じゃない。それは誓って言える」
「じゃあ、兄者たちの誰かが?」
「そう、としか考えられない。俺は太一さんを疑ってる。他に考えられないだろう? 太一さんは親父を恨んで去っていった人だ。他に誰がいる?」
「いや、しかし。あれは仕方がなかっただろう? 太一さんがしたことを責めることは出来ないだろうが」
「親父は血を見ることだけは許さなかった『命は取るな』っていうのが誓いの言葉だったじゃないか。忘れたのか?」
「忘れない。忘れるはずがない。俺だってそれだけが矜持だったんだから。
 だがあの日、顔を見られたからには仕方がないって、だから刃物を使うしか。
 そうだろう? 違うんか?」
「だからって、あれはむご過ぎる。おめえは、そうは思わんのか?」

 弥吉は盃の酒を飲み干すと、膳の上にタンッと音を立てて置いた。
 怒りに満ちた顔は沈み、うつむいている。
 銀次はそれを視界の端に映しながら、膝の上に置かれた手の中にある盃の揺れを黙って見つめていた。

「口止めされてたが、実は……。権八さんが襲われた。怪我は大したことはねえ。本人は脅しだって言ってる。本気で狙ったわけじゃねえって。
 だが、もう親父の身を守れるだけの力はねえと思う」

 銀次は弥吉の言葉に息をのむ。

「だって、親父は。じゃあ、誰がそばに? 長松さんか?」
「うん。今は長松さんが親父と権八さんのそばにいる」
「それは……。大丈夫なんか?」
「大丈夫かどうかは、俺にはわからん。だが、なんとかやってるみたいだ。
 俺には手伝えることはねえから、お前と違ってな」
「何言ってんだよ? 俺にだってやることはねえよ」

 気安い雰囲気の二人だからこその会話。遠く離れた身だからこそ、かつての仲間の安否が気になる。


「黒狼も仕事場を動かし続けてる。おめえも気をつけろ」

 銀次は弥吉の言葉を噛み締め、家で待つ妹を思いながら遠い昔を思い出していた。

しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

【架空戦記】蒲生の忠

糸冬
歴史・時代
天正十年六月二日、本能寺にて織田信長、死す――。 明智光秀は、腹心の明智秀満の進言を受けて決起当初の腹案を変更し、ごく少勢による奇襲により信長の命を狙う策を敢行する。 その結果、本能寺の信長、そして妙覚寺の織田信忠は、抵抗の暇もなく首級を挙げられる。 両名の首級を四条河原にさらした光秀は、織田政権の崩壊を満天下に明らかとし、畿内にて急速に地歩を固めていく。 一方、近江国日野の所領にいた蒲生賦秀(のちの氏郷)は、信長の悲報を知るや、亡き信長の家族を伊勢国松ヶ島城の織田信雄の元に送り届けるべく安土城に迎えに走る。 だが、瀬田の唐橋を無傷で確保した明智秀満の軍勢が安土城に急速に迫ったため、女子供を連れての逃避行は不可能となる。 かくなる上は、戦うより他に道はなし。 信長の遺した安土城を舞台に、若き闘将・蒲生賦秀の活躍が始まる。

【架空戦記】炎立つ真珠湾

糸冬
歴史・時代
一九四一年十二月八日。 日本海軍による真珠湾攻撃は成功裡に終わった。 さらなる戦果を求めて第二次攻撃を求める声に対し、南雲忠一司令は、歴史を覆す決断を下す。 「吉と出れば天啓、凶と出れば悪魔のささやき」と内心で呟きつつ……。

【完結】ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

処理中です...