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 最後の十一発目の花火の音にかき消され、辰巳の言葉がよく聞き取れなかった和歌は、辰巳に聞き返した。
 そこで返ってきた答えは、和歌の心を凍らせ、そして激しく憤怒させるものだった。


「珠子さんが……、亡くなりました」
「え?」

 和歌はそれ以上の言葉が出てこなかった。母親の死を突然聞かされ驚かない娘などいるだろうか? あまりに急なことで、その言葉をかみ砕き理解するだけの思考が追いついてこない。
 珠子とは自分の最愛の母の名だ。だが、それが同じ名の別人の可能性もあるのでは? いや辰巳がそんな冗談のようなことをするはずがない。だとしたら、珠子とは本当に母なのだろうか?
 和歌の鼓動が早くなり、呼吸も浅くなっていく。仰いでいたはずの団扇は止まり、その手は膝の上に落ちた。
 指先は冷たくなり、首筋と額には熱気によるものではない冷たい汗がつたう。
 背筋に悪寒の様なものを感じ、思わず身震いしてしまった。
 時間を追うごとに少しずつ震えを覚える手。その、両の手を握りしめながら、


「母が?」
「ええ、あなたのお母上の珠子さんです」

「なぜ? いつ?」
「私に一報が入ってからは慌ただしく、こうなるように仕向けられた仇も返し終わり。今日、無事に珠子さんを眠らせてくることができました。
 今日が四十九日です。葬儀はすでに済ませ、お骨は私の乳母が眠る隣に葬ってあります」

 和歌には辰巳の言葉の一つですら理解が出来なかった。
 大分前に亡くなっているのに、一人娘である自分に何の知らせも無かったことも理解出来ないし。ましてやすでに葬儀も納骨も終わり、辰巳の乳母などと言う顔も知らぬ者の隣に葬られたことも許せない。
 こうなるように仕向けられた? 仇を返す? いったい何が起きて、それで母はどうしてこんなことになったのかの説明が全くできてないのだ。

 和歌の父が失踪した後、母珠子の実家に二人は身を寄せ支援を願った。
 だが結局母は、政治の駒としてどこの馬の骨とも知らぬ男の元に嫁がされてしまった。そして自分も父の借金のかたとして、一河に身を落とすことになる。
 それでも、母は生きていると思っていた。以前のような贅沢な暮らしは出来ずとも、人並みの生活はおくらせてもらえていると誰でも考えるだろう。
 華族の出身として、元武家の妻として、その名を欲しい者からしたら十分過ぎるほどに使える手札になるのだから。
 だからこそ、愛などなくとも食うに困らぬ満足な生活は保障されていると、そう確信していたのに。事実は違っていたのだろうか?


「母はなぜ亡くなったのですか?」
「珠子さん、自ら命を絶たれました」

「そ、んな。そんなこと信じません。母は、母はそんな恐ろしいことを考えられるような人間ではありませんでした。虫も殺せぬような人で、他人はおろか自分で自分を傷つけるようなことも、そんなことすら考えられぬ人だったんです」
「ええ、そうでしょうね。そんな珠子さんが、そこまで追い詰められ自決をはかったということです」

「何が。何があったんですか? 母になにがあったんですか?!」

 和歌は握りしめていた団扇を庭に投げつけると、今まで見せたことのないような怒りを辰巳に向け声を荒げた。
 辰巳は盃をゆっくりと卓に戻すと、煙管を取り出しマッチで火を付けた。口をつけひと口大きく吸い込むと、「ふぅー」とそれを拭きだす。

「母の実家に私と身を寄せた後、確かに伯父夫婦から歓迎されていないことはわかっていました。それでも父方に頼れる親戚筋はおらず、仕方なく母と二人で耐えていたんです。そうしたら突然母の婚姻が決まり、あっと言う間に連れ去られてしまって。伯父はこの家の名を使いたいだけの政略だから悪いようにはしないはずだと。贅沢は出来なくても、人並みな生活は保障されていると思っていたのに、違ったのですか?」

 和歌の絞り出すような問いかけを聞き終わると、辰巳は煙管の灰を「タンッ」と灰皿に落とした。

「珠子さんは嫁がれたのではありません。ただの囲い者です」
「かこいもの?」

「あなたのお父上は失踪されたとはいえ、珠子さんとは法的にはまだ夫婦です。
誰とも正式な婚姻は結べません。それに、相手の男にも家庭がありました」
「そんな……。では、母は? 母はどうしていたんですか?」

「相手の男は手広く商いをしていた人間で、この辺りでは良い噂を聞いたことのない男です。政へも口を出し、政治家への賄賂も桁が違った。裏から手を回されれば、誰も手出し出来ないような男です。
 最初は実家である華族の名が欲しかったのでしょう。血筋は金で買えませんからね。珠子さんを連れて歩くことで、色々と便宜を図ってもらえる旨味をよしとしていたようです。ですが、それも段々と効果が無くなり始めると……」

 突然言葉を失ったように、口黙る辰巳。
 下唇を噛みしめ、花火の上がった空を見つめた。何かを思い出すように。

「ここ、最近になって。珠子さんは客を取らされていました」
「っ!!」

 思わず和歌が声にならない声をもらし、両手で口を押えた。
 はあ、はあ。と、大きく息をしながら肩を上下に揺らす。その衝撃は計り知れないほどに、娘の和歌を締め上げる。うまく息が出来ずに、苦しさで涙が滲む。

「珠子さんが相手をさせられた客の数が、十一人でした。ですからその男を一人、一人葬り、珠子さんの魂を浄化させるための花火です。
 今日の花火は、珠子さんへの弔いの花です。明るく照らした空を、あの方も空から見てくれているでしょうか?
 同じ時間に、同じものを見る。なんて幸せなんでしょう」

 辰巳はもうすっかり消え失せた空を見上げる。花火の火花も、煙さえも風に流され跡形もないのに、彼の瞳にはその残像がまだ映っているのだろうか。

「なぜ、なぜお母様がそんな目に合わなければならないの? どうして?
 ねえ、どうして?!」

 それまで大人しく隣で聞いていた和歌が突然、辰巳の肩を掴みゆさぶるように動かした。その瞳からは涙がこぼれ、声は悲鳴にも近い。
 辰巳に言ったところでどうにもならなかったことくらい分かっている。
 それでも、どうしても言わずにいられない。

「どうして助けてくれなかったの? お母様を好きだったんでしょう?
 だったら、だったら助けてくれても良かったじゃない!
 私を買ったみたいにして、お母様を囲って下されば。
 そうすればこんな事には。こんなことに……。」

 辰巳の肩を掴み、叫び続ける和歌の言葉が終わる前に、彼女は縁側の固い木板の床に叩きつけられていた。
 何がおきたのかわからずに、和歌は呆然と辰巳を見上げる。その顔は恐ろしいまでに怒り、そして苦しいほどに切ない顔をしていた。


「俺に触るな! その顔を見せるな!! お前など、お前など。
 なぜあの方ではないんだ。なぜあの方はいない?
 お前など、あの方の代わりにもならんものを!
 いっそ、この手でひと思いに……」


 叫びにも近い声で罵声を和歌に向ける。
 最後の言葉は、憎々し気に低く唸るような声だった。
 辰巳は和歌に視線を向けることも無く、そのまま座敷に入って行った。

 一人縁側に残された和歌は、呆然とするしかなかった。

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