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しおりを挟む騎士隊での婚約破棄騒動があった後、レイモンドは毎朝アリシアに花を届けに訪れていた。朝、騎士隊に向かう前のほんのわずかな時間、バルジット家の執事に花を託して去って行く。先触れも出さず朝早いこともあり、家人との対顔は望まない。
ただ、少しでも心の癒しになればと思っての行動だった。
最初は執事や使用人たちも訝しく思ったが、彼が本心からアリシアを心配してのことだと知ると労いの言葉をかけ、少しずつ世間話もするようになっていった。
毎日少しではあるが、アリシアの近況を知ることが出来る。単に元気で過ごしているとか、昨日は庭でゆっくりと過ごしていたようだとか、些細な事にもレイモンドは安堵し、胸の高鳴りを止めることが出来なかった。
レイモンドとアリシアの出会いは、アリシアがアーサーの婚約者に決まり、護衛としてそばに付くようになってからのこと。
公私を問わず第二王子であるアーサーとアリシアが行動を共にする時には、アーサーの他にその婚約者の護衛も加わる。
王族の人間からしたら彼らは空気のような存在であり、特段気に掛けるような者たちではない。朝に夕にずっとそばにいても、彼らに声をかけることも、ましてや労いの言葉ひとつかけてくれぬ者の方が多い。
しかし、アリシアはまだ王家に嫁いだわけではないからかもしれないが、いつも優しくほほ笑み声をかけてくれる。たとえそれがどんな状況の時であっても。
凍てつく寒さの日も、焼けるような暑さの日も、どんな時間帯でも労いの言葉を口にし、百合のように微笑む彼女の護衛につけることは騎士隊の中でも『当たり』と言われるほど競争率が高かった。
そしてレイモンドもまた、そんな彼女に憧れる男の一人であった。
ある日たまたま護衛に着いた時、石段に足を取られバランスを崩し、木の茂みに倒れそうになったアリシアを咄嗟に庇い手を傷つけたことがあった。
そんな傷など日常茶飯事であり、剣の訓練で付ける傷にくらべれば何てことはなく、レイモンド自身全く気にしていなかった。
だが、レイモンドの手から滲み出る血を見て自らのハンカチで縛り手当をしてくれた。
「私のために申し訳ありません。このようにご迷惑をおかけすることがないよう、気を付けてまいりますので」
「バルジット侯爵令嬢様。このようなこと、私なら大丈夫です。このくらいの怪我は訓練では日常茶飯事ですから。どうぞ、お気になさらないでください」
「それでも、それでもです。ご自身が鍛錬のためにつけた怪我と、他人がつけた物では意味が違います。私がもっと気を付けていれば傷つかずに済んだのですから」
そう言いながら、彼女自らがレイモンドの手を取り刺繍の入った白いハンカチで手のひらを包むようにしばってくれた。
思わぬ近さに要らぬ緊張をし身を固くしていると、彼女の方から優しい香りが漂ってくる。白銀の滑らかな髪の匂いなのか?それとも遠慮がちにつけている香水の類なのか?
辺境伯爵家の息子として産まれ、騎士になるべく教育を施され男社会で生きてきた彼にとって、その身をこれほどまでに近づけることのできる存在は唯一アリシアくらいのものだった。
彼がアリシアに対し憧れ以上の感情を持つのは、ある種当然の結果だったのかもしれない。あの日からずっと彼女への想いを胸にしまい込んだまま過ごしてきた。
アリシアが包んでくれたそのハンカチは、今もレイモンドの宝物として大事に保管してある。何かあるたびに取り出しては眺め、アリシアへの想いを募らせる。
恋をこじらせた男の、知られたくない姿である。
その彼女が今、自分の行いのために窮地に立たされている。
そして、ついに婚約解消の宣言が王家から発表された。
ついにこの日が来てしまったと、レイモンドは騎士隊本部の自分のデスクで拳を握りながら伝令を聞いた。
騎士隊施設内で起こり箝口令が敷かれていたが、それももう過去の事。
騎士隊隊長デリックとともに執務室で知ったレイモンドは、深いため息を吐いた。
「ま、いつかこうなる事はわかってた事だろう? なにせ、不仲で有名なお二人だ。早かれ遅かれこうなってたんだよ。お前が一人で背負うような問題じゃない」
デリックに言われたことは、バルジット侯爵にも言われたこと。
世間から見たらそう見えるのかもしれない。でも、でもとレイモンドは自分を責めた。
婚約の解消を聞いた日、レイモンドはたまらず騎士隊の終業後、バルジット家へその日二度目の訪問をしていた。
彼は王都にある辺境伯家の別邸で寝泊まりしている。
そこにある小さな庭園の花壇から自ら花を切り、紐で結んで作った物をアリシアに渡していたのだ。花の事など何も知らぬ無骨な男が作ったそれは、お世辞にも贈り物とは言えない物だった。
しかし、二度目の訪問時には別邸には戻らず、町の花屋で花束を用意した。
店の店主が気を利かせ、リボンまでつけてくれた。いつもなら単一の花なのに、今の花束は何種類かの花が混じり色とりどりで華やかだった。
先触れ無しで来たことをいつものように門番に謝り、執事への取次ぎを願う。
いつもならすぐに執事か使用人頭が現れ花を持って行ってくれるが、その日はなぜか敷地内に誘導され、玄関ホールで待機していた執事に応接室まで案内された。
「私は先触れも無しに来た不躾な人間です。いつものように花だけ渡していただければそれで……」
「騎士隊副隊長様。我が主が今までのお礼をと、申しております」
「え? 侯爵が?」
執事はこくりと頷くと、そのまま部屋を後にした。
レイモンドはまさかこんなことになるとは思ってもおらず、どうしたものかと考えた。
侯爵はお礼と言っていたらしい、ならば頭ごなしに否定されることはないのか?と思い、改めて詫びを入れ許しを請おうと腹をくくった。
しばらくして現れた侯爵……の後ろにはアリシアの姿もあり、レイモンドは驚きのあまり花束を握り潰すところだった。
「副隊長殿。いつぞやは大変ご無礼をいたしました。それに、毎日娘に花を届けて下さったとか、私からも礼を言います」
「いえ、先触れもなしに毎日押しかけ、こちらこそご迷惑を。迷惑ついでにまたお持ちしました。よろしかったら、どうぞ」
レイモンドが差し出した花束を見て、バルジット侯爵は娘アリシアの方を見て頷き笑ってみせた。
アリシアも頷き返すとレイモンドに近寄り、その花束を両手で受け取った。
「副隊長様、いつも綺麗なお花をありがとうございます。でも、今回の花は副隊長様の物ではありませんのね?」
「え? なぜそれを?」
驚くレイモンドに、アリシアはくすっと笑うと、
「いつもの花はお世辞にも手慣れた者が作る品ではありませんでしたから。今日の花はどちらかのお店でご用意いただいたのでしょうか?」
「はぁ。申し訳ありません、その通りです。今日は急いでいたので邸には戻らず、町の花屋で用意しました」
「リボンも付けていただいて、とても綺麗。ありがとうございます。このような綺麗な物はいつ貰っても嬉しいものですね。
でも、いつもいただくお花も純朴で、純粋で、違った魅力で毎日心を温かくさせていただいておりました」
「え? 本当ですか?」
「ええ、副隊長様自らご用意くださったのでしょう? 本当に嬉しく思っておりました」
「んん~、こほん。親の前だと忘れておるのか?その辺にしておきなさい」
思わずレイモンドとアリシアは目を合わせると、頬を赤らめ俯き目を反らした。
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