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~8~
しおりを挟む数日後、クリストファーから文が届く。
中身はこの前王宮の庭園で話していた夜会についてであった。
この前一人で参加したワイマン公爵で行われる夜会に、王子自らローズを伴い出席するためその時間に間に合うように来いと、そのような内容の事が堅苦しい言葉で書かれてあった。
以前は頻繁に文のやり取りもしていたふたり。それがクリストファーの文字でないことくらいすぐにわかる。
側近にでも代筆させたのだろう。彼の名が記されてはいたが、そこには愛情も感謝も込められてはいなかった。
「女王はお許しなったという事?」
女王に可愛がられていると思っていたが、こんな愚行を許すなど自分はすでに見限られているのかもしれないと考えてしまう。
聖女が登場してからというもの、文はもちろん、贈り物の一つも贈られてはこない。
自分から参加するように言ってきたのだ、本来ならドレスの一枚も贈るのが筋であるが、きっと彼の頭の中にはそれすらも忘れさられているのだろう。
今頃は聖女様に贈るドレスを考えることに必死なのかもしれない。
これ見よがしにお揃いの衣装や、彼の色でしつらえたドレスであったならさぞや話題になるのにと考えるだけで、面白すぎて笑いが漏れるようだった。
結局、クリストファーからは、あれから何の連絡もなかった。もちろんドレスや宝石類の贈り物も。
ティアナは今宵の為にドレスを仕立てた。
それは飾りの一切ない物。ただし、布地だけは贅沢な物を使い、一目で上等品とわかる品。
スプリング家の色と言われている『藍色』を使ったそれは、遠目に見れば黒い喪服を連想させるかもしれない。
しかし、自らの家の『色』である。堂々と胸を張って参加し、スプリング侯爵家としての矜持を見せつけるつもりだった。
その夜会には父と母も招待されており、兄にエスコートを頼んだらどうかとも言われたが、ティアナはそれを拒絶した。
「クリストファー様に時間までに来いとだけ言われていますもの。私一人で行くべきだわ」
何も言わなくても両親は気が付いているのだろう。今宵、娘の婚約者は別の娘の手を取り夜会に参加する。エスコートも付けずに一人で参加する自分の娘をさらし者にするためにと。
「心配なさらないで。私は大丈夫です」
気丈に振る舞う娘は王子の婚約者だ。自分たちがどうこうできる立場にはない。
「具合が悪くなったらすぐに言いなさい」
体調不良を理由に退席させるくらいしか、彼らに出来ることはないのだ。
ワイマン公爵家に着くと、クリストファーと聖女はまだ到着していないようだった。
先に入場するのもどうかと思い、休憩室を一部屋借りることにした。
王子が着いたら教えてもらうように頼み、しばらく休ませてもらうことにした。
ソファーに座り背を預けると、使用人が入れてくれたお茶をひと口も飲む間もなくティアナはうたた寝を始めた。
夜、眠れることができずにいた代償がこんなところでおきてしまった。
どのくらい経ったのだろう? 目が覚めると部屋の外からは賑やかな音楽が聞こえてくる。寝過ごしたと思い使用人に確認すると、王子と聖女はすでに会場に入っているらしい。
だが、様子を見に来た両親によって、そのまま休ませるように言われたとのことだった。
『具合が悪くなったらすぐに言いなさい』父の言葉を思い出し、きっと王子には父から上手く話をつけてくれているのだろうと理解する。
だが、このままここにいて良いはずがない。自分には役目がある。それを全うしなければ。
ティアナは使用人に身支度を整えさせると、会場へと足を運んだ。
会場はこの前と同じ。広間の中央ではダンスを踊る者達がいて、その端に探していた人物の姿が視界に入る。
王子と聖女、そしてワイマン公爵を中心に貴族達に囲まれるように談笑をしている二人。
令嬢との橋渡しを頼まれていたが、それも必要ないようだった。
親を取り込めばその子供も自然と縁が繋がるものだ。
少しだけ安心すると、周りの様子がおかしい事に気が付いた。
いつもなら王子の婚約者として周りを囲む人たちが一人としていないことに。
遠巻きにティアナを見てはひそひそと小声で話す声が聞こえる。
(そういうことね。手間が省けたわ)
扇子で口元を隠しクリストファーから視線をずらすと、壁際に移動しこれからどうするか考えようと思ったのだが、ティアナにはそれすらも許されてはいないようだった。
音楽が変わると会場中が沸き立つように歓声を上げる。
会場の中央にはクリストファーと手を引かれた聖女ローズが向かい合い、今まさにダンスを踊り始める瞬間だった。
練習の甲斐があったのだろう、ローズはなんとかダンスを踊っている。
クリストファーと見つめ合うその瞳は輝き、薄っすらと薔薇色に染めた頬が一層彼女を輝かせていた。握り合う手すらも嬉しそうに見える。
彼女が着ているドレス。その色はクリストファーの瞳と同じ深い緑色。
そしてクリストファーの胸元には薔薇の花が一輪。
まるで恋人や婚約者のようだ。きっとこの会場の皆が胸に思ったことだろう。
ティアナが心を無にしたまま、ぼんやりと二人を見つめていると
「ティアナ様。よろしいのですか? あのように好き勝手をさせておいて。これではティアナ様のお立場が……」
そっと横に視線を反らすと、普段からティアナの周りで機嫌を取っている令嬢達の姿があった。
未だに婚約者としての力があるとでも勘違いをしている彼女たちが哀れで、ティアナはわざと弱気な声をだした。
「良いも悪いも、目に映る物が全てですわ。誰が見ても同じことをお思いになるのでは?
あのお二人の姿が真実ですもの」
「そんなこと。あなた様がその気になればいくらでもどうにかなりますのに」
「ふふ。そうかしら? 手遅れだと皆が思っているのでしょう? こうなっては誰も止められないでしょうに。もう、私のそばにいても何の恩恵も得られませんわよ。これからは他の方のおそばに居られた方が賢いかと。今まで私のような者と仲良くしていただいて感謝いたします」
そう言って寂しそうに微笑んでみせた。
ティアナの言葉に周りの令嬢は顔を見合わせると、静かにその場を離れて行った。
貴族の付き合いなど利があってこそ。それが無くなれば自然と周りは静かになるものだ。
それを今、身を持って感じたティアナは自分自身の情けなさに笑いが込み上げそうになる。王子の婚約者だからこそのティアナだったのだ。そんなことわかっているつもりだったが、こうして目の当たりにされるとやはり心は傷つくものだ。
広く大きな会場に一人ポツンと佇むティアナ。
そのそばに父と母がそっと近づき、彼女の肩に手をおいた。
「お父様、お母様」
「具合は大丈夫か?」
「ええ、ご心配をおかけしました。私は大丈夫です」
王子教育で授かった王子妃の笑みで返す。
ダンスが終わり、二人が端に寄ると彼の側近がそっと近づき耳打ちをする。
神殿でティアナに声をかけてきた彼だ。視線がゆっくりとこちらに向けられる。だが、その瞳に情愛は一切感じない。今更だとでも思っているのだろう。
役に立たない婚約者のことなど捨ておいてくれて良いのにと思いながら、視線が合ってしまっては無視もできず、静かに礼をした。
聖女ローズの手を取りゆっくりと近づいてくる二人に、ティアナは完璧なまでのカーテシーで迎えた。
「具合が悪かったと聞いたが、もう大丈夫なのか?」
「はい、申し訳ございませんでした。もう大丈夫でございます」
「そうか、それなら良かった。君に頼んでおいたことだが、心配はいらなかったよ。ローズはちゃんと自分で皆と上手く関わることが出来ていた。さすが聖女というべきだな」
「いえ、私など何もしておりません。クリストファー様が助けていただいたからです。ありがとうございます」
エスコートと言う名目で手を繋ぎ、愛おしそうに見つめ合う姿が眩しくて、ティアナは顔を上げることができなかった。
彼は無意識にティアナが役立たずだと公の場で口にしてしまった
そして、聖女ローズは貴族社会でも十分に通用する人間なのだと王子の口から発することで、社交界が認めざるを得なくなってしまったのだ。
彼にそんな意図があるとは思えない。きっと無意識なのだろう。それとも先ほどの側近が入れ知恵でもしたのだろうか?
今のティアナにとってはもはや、どうでも良いことだが。
早くこの苦行のような時間が終わることを、ただ願い続けた。
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