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しおりを挟むローズが聖女に就任してからのクリストファーは変わってしまった。それは誰が見ても明らかであるほどに。
聖女が居を構える大神殿に足しげく通うクリストファー。
時には一緒に神に祈りを捧げ、時には二人で国の未来について語り合ったりと、ローズのことを気にかけ仲睦まじい様子を見ることになる。
ティアナはそんな二人の話を耳にし、心が引き裂かれるような想いを重ねることしかできなかった。
どんなに噂が流れようとも、クリストファーと会う事が叶わなくとも、二人の婚約関係は続いている。
クリストファーと王宮で偶然会ったあの日から、ティアナは夢を見るようになった。
クリストファーと聖女ローズが親しげにする夢を。
ある夜は、薔薇に囲まれた二人が並び語らうだけ、
またある夜は、ともに並び神殿で神に祈りを捧げるだけ、
そしてまたある夜は、女王夫妻とともに楽し気に晩餐を囲んでいる姿を。
何のことはない日常の風景。それがティアナは怖かった。正夢を見ているようで。
昨日、二人は並び薔薇を愛でながら頬を赤らめ、見つめ合っていたのではないか?
今日、神に祈りを捧げるために並ぶ二人の肩が、わずかでも触れ合ったのではないか?
明日、あんなに優しく自分を気にかけてくれていたはずの女王が、クリストファーとともに聖女を家族として迎え入れるための晩餐をしていたのではないか?と。
二人の夢を見た後は眠るのが怖くなる。もう見たくない、見たくないのにと、拒むように眠ることができず、暗く寂しい夜を一人過ごすことになる。
夜が怖い。眠るのが怖くなってしまった現実を受け止めるしかなかった。
妃教育が終わったティアナでも、定期的に王宮に出向き教師から学ぶ時間を用意される。
今日はそんな授業の日。ティアナは王宮の一室で王子妃教育を受けていた。
授業も終わり、一息つくためにお茶を飲みながらの歓談。
「ティアナ様、今日はお顔の色が良くないようですが、ご無理をされているのではないですか?」
「お見苦しい物をお見せして申し訳ありません。侍女が頑張って化粧をしてくれたのですが、それでも隠せないほどとは……」
「いえ、お化粧はちゃんとされていますよ。ただ、殿下の婚約者であるあなたの体調を拝見するのも私の務めですから、色々と細かいところまで目につくのです。気を悪くなさらないでね」
「そんなこと。もっと自己管理をしなくてはいけませんね。気をつけます」
ティアナは恥ずかしそうに俯き、視線を外す。
「よく眠れないのではないですか? 目の下にくまがあるようですが」
ティアナは目の下にそっと手を当て、誤魔化せないと悟ると
「実は、最近よく眠れないのです。眠ってもすぐに目が覚めてしまったり、悪い夢を見たりして、その後は朝まで眠れず過ごすことに……」
教師は心配そうな顔をして、ティアナの手に自分の手を重ねた。
「何か心に憂いがおありなのですか? 話して楽になれるのであれば、お聞きしますよ」
ティアナの心の憂いはわかっている。でも、それを口にすることは立場的に難しい。
それでも、自分が口にしたことを恋しい人の耳に入れるために、敢えて声にだしてみた
「実は、クリストファー殿下のことで少し。聖女ローズ様との噂を耳にいたしまして……」
教師は慈愛に満ちた表情を殺し、無表情のまま淡々と答える。
「ティアナ様、あなたは何も心配することはないのです」
……女王様と同じ。
ティアナは言葉が出てこない。あの時の女王と同じ言葉。
何が大丈夫なのだろう? なぜこの人も同じことを言うのだろう?
自分だけを除け者にして、何かが始まろうとしている? そんな気がして不安でたまらない。
「女王様にも同じことを言われました。大丈夫だと。私は何も心配しなくて良いと」
「そうですか、女王様が? では、その通りなのでしょう。ティアナ様は何も心配せずにお過ごしになられればよいと言うことですわ」
求めている答えを貰えるわけではないだろうとは思っていたが、その通りであった。
もう何を言っても、何を聞いても、解決することはないと言うことかと、淑女を装い笑みを浮かべた。
それを見て、教師は満足そうにうなずいた。
~・~・~
「ティアナ、少し会わないうちに痩せたんじゃない? 顔色も悪い。どこが具合でも?」
ティアナの元にアシュトンが会いに来てくれていた。
スプリング家の庭園でのひと時。いつもなら王宮で、クリストファーを交えて行うことが多かった茶会も、今は二人。王宮に呼ばれることはない。
「アシュトン。私なら大丈夫よ。少し疲れているだけだわ」
「君は頑張りすぎるところがあるから、心配だよ」
「ふふふ」
「ん? どうかした?」
「いえ、同じような事を、女王様や妃教育の先生にも言われたの。『あなたは頑張りすぎるところがある』ってね」
「へえ、そんなことが? 僕と同じことを言うってことは、本当だってことだ。だから、くれぐれも無理はしないでおくれ」
「アシュトンは心配しすぎだけれど、うれしいわ。ありがとう」
いつものように穏やかな時間。新聖女が誕生してからのティアナはいつも胸をかきむしられるように心がざわつき、落ち着くことはなかった。
でも、今アシュトンと過ごす時間は、わずかなりにも安心できるものだった。
「今日は報告があって来たんだ」
「報告?」
「うん。しばらくの間、この国を離れることになった。少し離れてこの国を見つめ直そうと思う。そして戻って来た時には、君を守れる男になっていると約束する」
「私を? 可笑しなことを言うのね。私を守ってくださるのはクリストファー様よ。あなたではないわ」
「本当にそう思う? あいつが君を守ると、本気で思っているの?」
「……ええ、本気よ。だって、私は婚約者ですもの」
胸を張り、凛とした姿で訴える彼女は王子妃として申し分ない。あとは、そこに愛があるかどうかだけ。
たとえクリストファーからの愛が得られなくても、女王からの申し出を断ることなどこの国の民にできるわけがない。
無言で過ぎるこの時間に意味はない。話題を変えるべく、ティアナは口を開く。
「ねえ、アシュトンは聖女様にはお会いになった?」
「いや、直接はまだない。ずっとクリストファーが付きっ切りになっているって話だけど。
そろそろ、王宮内でも問題視する声が上がり始めているのも事実だ。公務に支障をきたすようじゃ、危ぶむ声が上がっても仕方ないんじゃないかな?」
「そう」
「ティアナは? もう会ったの?」
「いいえ、まだよ。というか、たぶん会わせてはいただけないんじゃないかしら?
クリストファー様がご寵愛されているようだし、私はもはや婚約者の役目を果たしてはいないもの」
「そんなこと」
「そんなことあるのよ。ねえ、アシュトン。私とクリストファー様との婚約が無くなったら、あなたはどうする?」
「ティアナは僕にどうしてほしい? 君の望む通りにしてあげる。なんでも言ってごらん」
「ふふ、そうね。婚約を解消されれば、次の相手などそう簡単には見つからないでしょうね。
もしかしたら王家が責任を取って、誰か適当な相手を見繕ってくれるのかしら?
それとも病気を名目に領地に閉じ込められるのかしらね?
どちらにしてもそんな生き方、私にはできないわ。そうなったらきっと、私は生きてはいられない。だから、あなたは素敵な方と幸せになって。私の分まで、絶対よ」
「ティアナ、君は何を考えている? だめだ!僕にできることは何でも言ってくれ。頼む」
「大丈夫よ。自分で自分を傷つけるようなことはしないから。安心して。
あなたは何も心配しないで、元気に頑張ってきてね」
口元を上げ、笑みを浮かべるその顔をみて、アシュトンは妙な胸騒ぎを覚えた。
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