一会のためによきことを

平蕾知初雪

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かめぱんのblog_11月11日の記事

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 僕が23歳になってすぐのこと。さっき確認したらちょうどあの日は11月11日だったので、日付が変わらないうちにサクサク書こう。

 珍しくB太郎から「高3の時のクラスメイトの連絡先を知らないか」と電話がありました。なんと〇〇ちゃんが結婚するから、サプライズパーティーを開催してみんなで祝いたい、と。

 B太郎は非常に優秀な幹事で、すぐにかつてのクラスメイトと担任の先生がリストインされたSNSグループができました。

 なぜ担任の先生まで巻き込んで大掛かりなサプライズパーティーを催したかというと、〇〇ちゃんの結婚相手が「H先生」だったから。

 H先生は高3のときの僕と〇〇ちゃんの副担任です。卒業式の後、みんなで卒業アルバムに何か書いてくれと無茶振りしたら、全員のアルバムに邦楽の歌詞をワンフレーズ書いてくれました。歌詞のチョイスが良い感じだったからそのときは感激しましたが、今思うと結構のらりくらりしていました。
 そして多分、爽やかなラブソングより、やや過激で情熱的な曲が好きなんではないかと思います。ピザ屋の彼女にぶたれたい~みたいな。例えばですけど。

 そんなこんなで、僕はようやく納得しました。そういうことかと。やっぱり〇〇ちゃんには好きな人がいたんです。それが12歳年上の社会人で、みんなが知っている人で、だから言えなかっただけで。

 A太郎たち例の仲良しグループも、〇〇ちゃんに好きな人がいることはずっと知っていたけど、それが誰かを知らされたのは高3の冬。しかも「さっき告白しちゃった」という事後報告だったそう。
 5人で遊んでいるときの〇〇ちゃんは、2組の仲良しカップルから「癒し」を感じ、幸せな気分になれると言っていた、とも聞きました。

 今はもう、どうしてそうなったのかを知るすべはないのですが、〇〇ちゃんはどうも中等部の頃からH先生に片思いをしていたようです。僕らの学校では中等部の生徒が高等部の先生を見かける機会はあまりないはずなんですが、天啓?

 H先生も中等部に〇〇という子がいると認識していて、高等部へ上がったときには「ああ、来たんだな」と思って見ていたそう。ただ、なぜ〇〇ちゃんの顔や名前を知ったかは覚えていない、と。やはり天啓か?

 〇〇ちゃんがH先生に告白するまで約5年。万が一にもH先生に迷惑がかかるのは嫌だからと、律儀に〇〇ちゃんが20歳になる日を待ち、二人は晴れて交際を始めたそうです。〇〇ちゃんは2月生まれなので、恋愛成就までになんと足かけ7年。

 だけど二人が交際について口外することはほとんどなく、もちろんA子やB子たちも言わない。だから僕なんかはB太郎からパーティーの計画を聞かされるまで、二人の関係を知る由もなかったというわけです。

 交際は順調に続き、〇〇ちゃんは大学卒業後、新卒で都内の企業に就職しました。内定が決まったとき、H先生は入籍する気満々だったそうなんですが、〇〇ちゃんは拒否。働いて賞与も貰って、多少貯金してからがいい、と。
 貯蓄額がどうというより「いざというとき自分はH先生を養える」という甲斐性を見せたかったようです。格好いいな。

 最近聞いた話ですが、僕たちの副担任をしていた頃のH先生は非正規雇用で、2年毎に学校から講師の募集が出るのでそのたび契約をする、というかなり不安定なサラリーマンだったそう。学校の先生なんてみんな同じに見えたので、僕はそんなこと全然知りませんでした。

 で、結局〇〇ちゃんの恋が始まり入籍するまで、約10年。僕の好きな人、すごくないですか?

 11月11日のサプライズパーティーの日、最初は状況を呑み込めずにぽかんとしていた二人。流暢なアナウンスで司会を務めたB太郎から「おめでとうございます」と言われて、みんなに拍手をされて、堰を切ったように泣き始めた二人。
 変な言い方ですが、僕は大人の男の人、つまりH先生が滝のような涙を流してあんなに泣いているのを初めて見ました。

 〇〇ちゃんは「オエッ」てなるくらい泣いていても相変わらず天女みたいに綺麗で、僕は「あ、やっぱりまだ〇〇ちゃんのことが一番好きだな」と改めて感じたのを覚えています。

 そして僕もめちゃくちゃ感極まり、当の二人よりも号泣したせいでH先生をドン引きさせたのか、H先生はすぐに落ち着きを取り戻して笑顔で談笑していました。逆に〇〇ちゃんはパーティーの間、何度も涙ぐんでいたと思います。

「ずっと悪いことをしている気がしてたから、みんなにおめでとうって言ってもらえて、安心した」

 〇〇ちゃんは嗚咽しすぎて吐きそうになりながらそう言っていました。
 10年も待ったんだから、罪悪感なんて抱かなくていいのに、と言いたかったけど、確かに後ろめたい気持ちもわからなくはない。H先生だってあんなに泣いていたんです。どんなに愛し合ってても、教師と生徒が、みたいな、奇妙なバツの悪さばかりは二人で慰め合うことができなかったのでしょう。
 あのとき感じたモヤモヤを、僕は未だに胸の中に抱いたままのように思います。


 ここからは〇〇ちゃんではなく僕の話ですが、昔H先生に「かめはパンみたい」と言われたことがありました。
 人の気持ちや涙を吸い取りすぎるから、だそう。

 他人の幸せを自分の幸せのように喜べる僕は、他の人より何十倍も何百倍も幸せに生きられるかもしれないけど、くれぐれも不幸せは背負い過ぎないように、とも言われました。

 僕は優しいとか感受性が豊かとか褒められることはあったけど、その反面の危うさみたいなものを指摘し心配されたのはそれが初めてで、結構ショックでした。今思うと図星を突かれてただ戸惑ったんだと思います。

 少し前の記事で僕は「かめぱん」の「ぱん」に意味はないと書きましたが、無意識下ではパンにただならぬシンパシーを感じているのかもしれません。

 H先生のことをどう書こうか迷っていましたが、先日ご本人から直接許可を頂いたので今日は少し長く書きました。
 H先生曰く、この記事は〇〇ちゃんやH先生とはもはや関係ない、僕だけの心のうちを表現した「かめの作品」だから、僕の好きにしていいそうです。

 僕はブログに〇〇ちゃんのことを書くことで、かえって〇〇ちゃんのことを忘れてしまわないか不安でしたが

「書いても書かなくても毎日少しずつ忘れていくよ。情けないことも恥ずかしいことも覚えてるうちに全部書いとけ」

 とのこと。

 そういうものかな?
 H先生とは来週も会うので、また続きを書きます。

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