ガラス、シリウス、沼の底〜ベテラン悪役女優は知らない乙女ゲームで道を探している〜

タケミヤタツミ

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花街編

50:驢馬耳(アリサ視点)

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ライト伯爵家の魔女の一人、アリサ・ルベリッタはいつもと変わり映えのない日を終える筈だった。

普通に仕事や訓練を終えて、食事を済ませて迎えた平和な夜。
早いところ部屋に戻って今取り掛かっている夏物を縫ってしまおうと思っていた時、厨房で働いている兄からふと呼び止められた。
今日は食堂を締めた後でアップルパイを焼くので、一切れ食べるかと。


季節は初夏、林檎なんて市場にも出回ってない。
パイの中身は秋にどっさりと作っておいた保存食、瓶詰めにした林檎のシナモンバター煮。
兄が作るアップルパイは絶品、かつアリサも好物。
二つ返事で頷いて焼き上がる時間に厨房へ行ってみたところ、お使いを頼まれた。
自分は後片付けがあるので、とある部屋の前へ届けてほしいと。

二人分のお茶のセットをワゴンに載せて、ちょっと運ぶだけの楽な仕事。
アップルパイは報酬のつもりなのかもしれないが、別にそれくらいは何でもないので引き受けた。

まさか友人の部屋だとは思わなかったが。

事務的にワゴンだけ置いて退散しようとしたところ、背後で扉が開いてしまった。
部屋の主は、湯上がりで濡れたレモンブロンドにシャツ一枚のリヴィアン。
日頃はスーツ姿なので太腿まで見える格好なんて無防備過ぎる。
何より首筋や胸元に散っていた、鮮やかな接吻の痕。
如何にも情事の後で、あの赤が目に焼き付いてしまった。



「お帰り、どうしたんさ?」
「えらいものを見ちまったわよ……」

逃げ帰るように厨房へ駆け込んで一息吐くと、いっぱいに満ちたシナモンバターと林檎の匂い。
ここだけ甘酸っぱい秋の空気。
リヴィアンは涼やかなラベンダーを纏っていたもので、嗅覚の記憶を上書きすると言いようのない安堵を感じる。

魔法使い魔女達の住居から厨房までは確かにそこそこの距離があるのでずっと小走りでは少し疲れたが、それより精神的な衝撃が静かに重い。
大袈裟ながら肩で息をしていたら、コップの水を渡してくれたので素直に受け取っておいた。


整髪剤で少し癖を付けた短めの髪はアリサと同じワインレッド、腕捲くりしたコックコート姿。
長身で細めの筋肉質、切れ長の目で鼻筋が通った兄のトーヤ。
対する妹は小柄で華奢、大きいツリ目で鼻梁に幼さが残っており、二卵性の双子なので似ているとしても普通の兄妹程度である。


「ノックして部屋の前に置いとくだけで良いって言ったんべな」
「そしたら出てきちゃったんだから仕方なくない?」
「んじゃ真っ最中見ちまった訳じゃなし、そんなオロオロせんでも良えがね」
「だって、あんな格好でとは……」

山間部の田舎で生まれ育った点は同じでも、祖父母にべったりしていたトーヤは強い訛り。
黙っていればクールで大人っぽいと評判が良いのに。
ただし女性からの人気など彼にとって不要だが。

「いやでも最低限パンツくらい穿いてたべ」
「そこはあんまり言いたくないっていうか、勝手にベラベラ言っちゃダメでしょ……」
「まぁ、幾らボス・レピドでも裸で出たりはしないと思うけどよ」
「えっ」
「あっ、これ言ったらダメなやつだった」
「……遅いわよ」

今は厨房に二人きりでまだ良かった、この会話も秘密。


アリサとて花街に携わるライト伯爵家に仕える一人。
うっかり他人の性生活に触れてしまう覚悟くらいはしていたし、赤の他人なら別にどうということもないと思っていたのに。

何というか、友人のそういう姿はとても生々しい。
見てはいけないものを見てしまった実感。

アリサから見たリヴィアンは頭一つ分ほど背が高くグラマーな容姿に、しっとりした物腰で大人びている印象。
銃や接近戦の訓練中ですら余裕を崩さず手慣れた雰囲気すら感じるので、ここに来るまで何かやっていたのかもしれない。
同い年の筈でも人生の密度なんてそれぞれ。
他人の過去を探ったりするのは不躾なので、敢えて触れずにいた。

なんて思っていたところに、こんな面を知ってしまうとは。
スキャンダルにも程があるだろう。

レピドがリヴィアンの首筋に噛み付いている姿が浮かび上がりそうになって、打ち消す為に思わず太腿を叩いた。
正確には悪いことを思い出してしまった時の対処法だが。


「いや彼氏作るにしても、ボスって、えぇ……?」
「男色じゃなかったんね、あの人」

一方のレピドはよく分からない。
ただでさえ成人女性として小柄なアリサからするとまるで巨人である。
見上げるには首が痛いので、そういえばまともに目を合わせたことも少ない。
ルベリッタ兄妹は中等部の頃からライト伯爵家の世話になっているので彼とも数年の付き合いになるが、上司として接する以外は知っていることなんて数える程度か。

酒も呑むものの甘い物の方が好きなのでトーヤに時々お菓子を焼いてくれと頼んでいるだとか。
この数年で恋人らしき相手は何人か居たが、ほとんど男性ばかりだとか。
作戦によってはわざと相手を怒らせて殴られたりする役目を負うので怪我が多いだとか。
アリサの能力上、よく救護班に回るので見慣れている。


「まぁ、これでも食べな」

厨房いっぱい広がった焼き菓子の匂いに慣れてしまった鼻先、新たに気付いたのは紅茶の香りだった。
流線型を描いてカップに満たされる琥珀色。
そして良く焼けた網目模様のアップルパイが二切れ。

約束の品、或いは賄賂。
口止めされなくても喋るつもりなんて、別に。

「私の口が軽かったら、とっくにトーヤとユウキの仲も知れ渡ってるわよ」
「それもそうだんべねぇ」


ふと、入口の方で靴音一つ。
来る頃だとは思っていたのであまり意外でもない。

「……何だ、アリサか」

随分な言い草だが、これは安堵。
厨房に居るのが兄妹のみと知って、ようやく足を踏み入れた。
褐色の髪に、こちらを伺う大きめのツリ目。
東洋人は小柄で幼く見られがちというが、ユウキ・スギイシは男性の中でも殊更に小柄で華奢だった。

一見すれば相棒のアリサとの方がお似合い。
その実、恋人は同性のトーヤなのだが。


「ユウお疲れ、パイ食べなね」
「食べるけどさ……アップルパイだけは僕の為だけに作ってほしかったよ」
「お邪魔なら帰って良いかな、私?」

トレーに手早く載せるのは自分の皿とカップだけ。
後ろ頭で結んだワインレッドの尻尾を翻し、アリサは退散を決め込んだ。
今日は何だか勝手に振り回されて疲れてしまった。


王様の耳は驢馬の耳。
ドーナツならば秘密は穴に叫んで終わり。

アップダウン、幸運も不運もパイの網目模様。
それなら全部包んで食べてしまえ。
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