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花街編
42:本音
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「俺さ、本当はお前に優しくしたかったんだよ……」
「まるで好きな子に意地悪してしまった子供みたいなことを仰るんですね」
壮絶な夜もすっかり更けて、ピロートークは反省会となった。
情欲が燃え尽きたらもう疲れ切ってベッドの上。
黒髪の乱れたレピドは冷徹でも凶暴でもなく年相応で無防備な男の顔を晒していた。
打って変わって落ち込み気味。
情交に酔った際の言動というものは思い返すとなかなか恥ずかしいものだが、お互い満たされたので後悔とは言うまい。
それに、理性を飛ばしても安心して快楽だけというのは貴重な相手でもある。
「今日は触り合って、エロい顔見られたら満足するつもりだったんだがな……」
「まぁ……レピド様、思ってたより情熱的でしたね」
「オブラートに包んでくれてどうも……身体、大丈夫か?」
「嫌なことはされてませんし、別に」
流石に動けないものの、頬杖をつくリヴィアンの方は既に元の無表情に戻っていた。
何を考えているか決して読ませない目。
居心地が悪そうに苦笑いをするレピドを可愛らしく思っているなんて、本人には分かるまい。
そもそもの話、どうしてレピドはリヴィアンに興味など持ったのやら。
確かに「魔物」の伝承を知っていたという理由ならそれなりに好奇心は抱くだろうが、ベッドを共にするなんて冒険するにも程があった。
恵まれた体躯の男だけにいざとなれば自力で何とか出来るとでも思っていたのなら、警戒心が薄過ぎる。
ここに居る女は生気を吸うエナジーヴァンパイア。
喰われてしまってもおかしくないというのに。
却って、だからこそというべきか。
「面接中は素っ気無ぇくらい無表情で堅い女かと思ってたら、自白の時に凄ぇそそる顔で笑いやがるから異常にゾクゾクしちまって……ずっと止まんねぇんだ」
これは魔法使い魔女の悪い癖。
朗らかな笑顔よりも仄暗い微笑に魅せられてしまう。
そしてリヴィアンも同じく。
無意識か否か、吐息混じりでそう打ち明けているレピドの方こそ艶やかで思わず息が詰まる。
確かに初めて逢った時から男前だとは思っていた。
それだけでなく、レピドがこの世界の悪役だと感じた瞬間に火が点ったような高揚。
正直あの時から彼自身に惹かれていたのも事実。
とはいえ、これは明かす訳にいかず。
「寒気するなら風邪とかじゃないですかね……」
「惚れてるって言ってんだよ、お前に」
言葉の真意をはっきりさせるのは大事。
この期に及んで茶化そうとしたら、レピドに指を絡め取られて逃げ場を失ってしまう。
流石に認めざるを得なかった。
これは、恋した相手にしか見せない表情だと。
単なる夜伽でないことは途中から気付いていた。
仮に遊び相手でも情交を盛り上げる為に「好き」だの「愛してる」だのリップサービスで吐く場合ならあるので本気になどしなくとも、事が済んで冷静になってから口にするなら意味が変わってくる。
無茶をしたから責任取るとかそういうことなら不要なのだが。
いや、面接の時から興味を持たれていたのなら一晩相手したくらいで情が湧いたとかではないか。
レピドだってこういうこと自体には手慣れている方のようだし、いちいちこんな青臭いことを言っていたらキリがあるまい。
先程の啖呵は追撃、レピドには効果抜群。
あんな状況で一糸纏わず、男に向かって「怖気付くな」と言うなんて良い度胸。
そういうつもりなど無かったが心臓を掴んでしまったようだ。
リヴィアンこそどうなのかと問われれば、嫌ならベッドに誘ったりせず今こんなことになっていない。
そう、嫌ではないから却って困る。
「あらまぁ……それでは、情婦からお願いします」
了承、しかし始めは身体優先と。
レピドは思わず苦笑したが、こんな妙な返事になってしまったのは理由がある。
何しろ相手は伯爵家の後継者。
交際するなら最終的に結婚や世継ぎを視野に入れることになるだろう。
没落したとはいえリヴィアンも元グラス男爵家の令嬢で貴族の血統、仮に結婚相手としてもそこまで悪くない。
どこまで進むか不明なら、いつ別れても良い関係であった方が気楽。
前の恋人と切れてから長いというのは置いておくとして、後継者にも関わらずレピドに婚約者が居ないのも理由があった。
三人の姉達はそれぞれ種類の違う美女揃いだったので求婚が絶えず騒動の後に嫁いでいったが、国の裏社会に通じる家で「魔獣」の番になるなど深窓のお嬢様ほど乗り越えられず。
最早これはハードルどころか壁と言っても良い。
そして学生時代は散々トラブルが起きたという。
ライト家と繋がりを持ちたくて一方的に婚約を持ちかけてくるそれぞれの家の父親、勝手に怯えてショックを受ける娘、そこから引きこもりやら家出やら。
全てレピド本人は何が何だか置いてけぼりのままで。
令嬢に本命の男が居た場合、これまたとばっちりを受けたものだった。
駆け落ちするならまだ良い方で、騎士になりきり「魔獣などと呼ばれるお前にあの子は渡さない!」と悪役に見立てたレピドへ喧嘩を売ってきた男まで。
ただし熱くなっている相手ほど、怒りを支配する「竜帝」の餌食。
返り討ちにすれば赤ん坊のように憤怒痙攣で倒れて後遺症が残ったり、令嬢への汚らわしい本音まで自白して仲が壊れたり。
玩具として遊ぶだけなら愉快だったが、とても面倒なことが後に残ってしまう。
結局のところ悪評はレピドに付いて回ることだし。
「最初に言っておくとこういうゴタゴタで嫌になってるから結婚願望なんて無ぇし、俺自身が夫や父親に向かねぇと思ってる。
次代は甥か姪が継ぐから問題は無ぇが……それでも荷が重いとか、普通の男と結婚したいのなら、確かに断ってくれても……」
そう気弱なことを言われたところで、リヴィアンが小さく吹き出してしまった。
悪役女優の魔物にそんな願望があるとお思いか。
最初の人生で恋人から「結婚して家庭に入るか、別れて女優を続けるか」という選択肢を迫られたこともあった、よくある話。
勿論、迷わず後者を取ってファンに殺される日まで女優を全うした。
それならこちらも相応の返事をせねば。
「本音だけ言うと、あなたと過ごすのとても楽しそうだと思いますよ……ベッド以外でも」
「ああ、安心したわ……身体目当てと思われてたり、思ってるかもしれねぇなって疑ってた」
リヴィアンが色事を好むのは事実。
嫌な時は言う、特殊プレイも愉しめる、欲望に正直。
それだけでも構わないが、他でも繋がれるのならもっと面白いことに出会えるだろう。
さて、レピドと一緒ならどんな世界が見えるやら。
例えるなら汽車に乗り込んだ気分。
成り行きの気まぐれで始めた旅だが、どこかで降りるかは自由であり汽車が進まなくなることも。
終着駅は知っていても辿り着けるかなんて分からない。
悪役という自覚も忘れておらず。
もしかしたら、唐突に車内で殺人事件が起きる可能性すら。
それはそれで最高に面白いが。
「まぁ、今は構わねぇよ……必ず惚れさせるから」
自信家、そして度量の大きいことで。
こういう告白は人を選ぶ。
不敵なマゼンタの目、こちらを視線で突き刺して笑うレピドにはよく似合っていて密かに見惚れた。
「"俺の女になれ"とかは言わないんですね」
「いや、お前の心身はお前の物だろ。その上で俺に気を許したり身を委ねたりしてくれた方がイイんだよ」
獰猛さは隠し持っているが、決して野蛮でなく力尽くで及ぼうとしない。
触れる時もいちいち許可を求める辺り、妙なところで倫理や価値観が垣間見えた。
レピドライトは古い固定観念を取り除く変革の石。
リヴィアンの意思を尊重し、支配欲は愛でないと理解している。
ああ、とりあえず今夜はもう眠気に勝てず。
心地良い疲労感が瞼を重くする。
レピドの方も欠伸を一つ、呑気な顔が可愛らしい。
寄せ合った体温に安心して深呼吸するとウッディの香水が胸を満たした。
こういう夜は、いつ以来か。
眠りは現実と非現実の境目。
そこを介して世界に侵入する魔物にとっては尚のこと特別なものであった。
本人も忘れているような記憶や深層心理などが作用して、とてもリアルな世界を創り上げる。
リヴィアンの場合、気付けばまた薄暗い空間に来てしまった。
棚だけでなく床まで無造作に山積みにされて崩れた本。
濃く立ち込めた古い紙と埃の匂い。
カーテンの向こう、遠くで微かに人の話し声まで。
知っている、ここは"あの日"の図書室だと。
自分もまた学園の真っ黒な制服姿。
「いらっしゃい、リヴィ先輩」
じゃれつく空気で抱き着いてくる懐かしい腕。
そのまま首を締められるのではないかと恐れ、一歩引いて相手の顔を見た。
間違いようもなく、あの時のロキが仔犬の表情で笑う。
勿論、本物などではない。
幕を閉じた筈の恋が亡霊となり、彼の姿をして語りかけてくるだけ。
これだけリアリティの伴う夢だとしても自分の思い通りに動けない。
またもベルトとリボンで腕を拘束されるがまま。
ボタンを開いたジャンパースカートの制服から手を差し込み、下腹部を擦ってくる。
骨張った長い指、低めの体温、触り方までも本物のロキと変わらない。
「今日は意地で随分と無茶したんねぇ……
リヴィ先輩の"ここ"僕の形になってるんに」
そうして呆れた色の溜息を吐く。
汚い罵倒よりも痛みを伴い、なんと忌々しいことか。
図書館の夢に来てしまう時、いつもリヴィアンは嫌な熱で苦しむ。
欲に呑まれた発情状態。
あの時、身体に残った火傷のようなもの。
それならいっそ掻き毟ってほしい。
ロキの手はショーツの中まで侵しているのに、肝心の部分には決して触れてこないのだ。
「僕が付けてあげた傷、あの人で上書きしようとしたから誘ったくせに」
「どうせ悪役として死ぬ時に全部捨てていくのに、本当に付き合うん?」
「結婚とか世継ぎとか願望無いなんて"今は"の話だし人は変わるんよ、そこまで信じて良いんかな」
本物はこんなこと嫌なことを言わない。
まるでロキの顔をした悪魔である。
ここが現実ならリヴィアンだって黙っていないのに。
背筋を伸ばせ、顔を上げろと。
何故かいつも声を失っており、これでは陸に上がった人魚姫。
折れないでいるのは真っ暗な目だけ。
ふと、ロキに顎を持ち上げられる。
妖艶な濃藍色の目に加虐的な光を宿して。
「黙ってほしいならキスして塞いでよ、リヴィ先輩」
惨めな熱を刻まれた恋は綺麗に終われない。
潮時を感じ取った時、咄嗟に強い大人の振りをした。
本当は手を離したくなんてなかったのに。
悪女の自覚はあれど、レピドと抱き合った後でロキの夢を見るなんてあまりにも酷い。
これだけはいつか奈落に持ち帰らねば。
「まるで好きな子に意地悪してしまった子供みたいなことを仰るんですね」
壮絶な夜もすっかり更けて、ピロートークは反省会となった。
情欲が燃え尽きたらもう疲れ切ってベッドの上。
黒髪の乱れたレピドは冷徹でも凶暴でもなく年相応で無防備な男の顔を晒していた。
打って変わって落ち込み気味。
情交に酔った際の言動というものは思い返すとなかなか恥ずかしいものだが、お互い満たされたので後悔とは言うまい。
それに、理性を飛ばしても安心して快楽だけというのは貴重な相手でもある。
「今日は触り合って、エロい顔見られたら満足するつもりだったんだがな……」
「まぁ……レピド様、思ってたより情熱的でしたね」
「オブラートに包んでくれてどうも……身体、大丈夫か?」
「嫌なことはされてませんし、別に」
流石に動けないものの、頬杖をつくリヴィアンの方は既に元の無表情に戻っていた。
何を考えているか決して読ませない目。
居心地が悪そうに苦笑いをするレピドを可愛らしく思っているなんて、本人には分かるまい。
そもそもの話、どうしてレピドはリヴィアンに興味など持ったのやら。
確かに「魔物」の伝承を知っていたという理由ならそれなりに好奇心は抱くだろうが、ベッドを共にするなんて冒険するにも程があった。
恵まれた体躯の男だけにいざとなれば自力で何とか出来るとでも思っていたのなら、警戒心が薄過ぎる。
ここに居る女は生気を吸うエナジーヴァンパイア。
喰われてしまってもおかしくないというのに。
却って、だからこそというべきか。
「面接中は素っ気無ぇくらい無表情で堅い女かと思ってたら、自白の時に凄ぇそそる顔で笑いやがるから異常にゾクゾクしちまって……ずっと止まんねぇんだ」
これは魔法使い魔女の悪い癖。
朗らかな笑顔よりも仄暗い微笑に魅せられてしまう。
そしてリヴィアンも同じく。
無意識か否か、吐息混じりでそう打ち明けているレピドの方こそ艶やかで思わず息が詰まる。
確かに初めて逢った時から男前だとは思っていた。
それだけでなく、レピドがこの世界の悪役だと感じた瞬間に火が点ったような高揚。
正直あの時から彼自身に惹かれていたのも事実。
とはいえ、これは明かす訳にいかず。
「寒気するなら風邪とかじゃないですかね……」
「惚れてるって言ってんだよ、お前に」
言葉の真意をはっきりさせるのは大事。
この期に及んで茶化そうとしたら、レピドに指を絡め取られて逃げ場を失ってしまう。
流石に認めざるを得なかった。
これは、恋した相手にしか見せない表情だと。
単なる夜伽でないことは途中から気付いていた。
仮に遊び相手でも情交を盛り上げる為に「好き」だの「愛してる」だのリップサービスで吐く場合ならあるので本気になどしなくとも、事が済んで冷静になってから口にするなら意味が変わってくる。
無茶をしたから責任取るとかそういうことなら不要なのだが。
いや、面接の時から興味を持たれていたのなら一晩相手したくらいで情が湧いたとかではないか。
レピドだってこういうこと自体には手慣れている方のようだし、いちいちこんな青臭いことを言っていたらキリがあるまい。
先程の啖呵は追撃、レピドには効果抜群。
あんな状況で一糸纏わず、男に向かって「怖気付くな」と言うなんて良い度胸。
そういうつもりなど無かったが心臓を掴んでしまったようだ。
リヴィアンこそどうなのかと問われれば、嫌ならベッドに誘ったりせず今こんなことになっていない。
そう、嫌ではないから却って困る。
「あらまぁ……それでは、情婦からお願いします」
了承、しかし始めは身体優先と。
レピドは思わず苦笑したが、こんな妙な返事になってしまったのは理由がある。
何しろ相手は伯爵家の後継者。
交際するなら最終的に結婚や世継ぎを視野に入れることになるだろう。
没落したとはいえリヴィアンも元グラス男爵家の令嬢で貴族の血統、仮に結婚相手としてもそこまで悪くない。
どこまで進むか不明なら、いつ別れても良い関係であった方が気楽。
前の恋人と切れてから長いというのは置いておくとして、後継者にも関わらずレピドに婚約者が居ないのも理由があった。
三人の姉達はそれぞれ種類の違う美女揃いだったので求婚が絶えず騒動の後に嫁いでいったが、国の裏社会に通じる家で「魔獣」の番になるなど深窓のお嬢様ほど乗り越えられず。
最早これはハードルどころか壁と言っても良い。
そして学生時代は散々トラブルが起きたという。
ライト家と繋がりを持ちたくて一方的に婚約を持ちかけてくるそれぞれの家の父親、勝手に怯えてショックを受ける娘、そこから引きこもりやら家出やら。
全てレピド本人は何が何だか置いてけぼりのままで。
令嬢に本命の男が居た場合、これまたとばっちりを受けたものだった。
駆け落ちするならまだ良い方で、騎士になりきり「魔獣などと呼ばれるお前にあの子は渡さない!」と悪役に見立てたレピドへ喧嘩を売ってきた男まで。
ただし熱くなっている相手ほど、怒りを支配する「竜帝」の餌食。
返り討ちにすれば赤ん坊のように憤怒痙攣で倒れて後遺症が残ったり、令嬢への汚らわしい本音まで自白して仲が壊れたり。
玩具として遊ぶだけなら愉快だったが、とても面倒なことが後に残ってしまう。
結局のところ悪評はレピドに付いて回ることだし。
「最初に言っておくとこういうゴタゴタで嫌になってるから結婚願望なんて無ぇし、俺自身が夫や父親に向かねぇと思ってる。
次代は甥か姪が継ぐから問題は無ぇが……それでも荷が重いとか、普通の男と結婚したいのなら、確かに断ってくれても……」
そう気弱なことを言われたところで、リヴィアンが小さく吹き出してしまった。
悪役女優の魔物にそんな願望があるとお思いか。
最初の人生で恋人から「結婚して家庭に入るか、別れて女優を続けるか」という選択肢を迫られたこともあった、よくある話。
勿論、迷わず後者を取ってファンに殺される日まで女優を全うした。
それならこちらも相応の返事をせねば。
「本音だけ言うと、あなたと過ごすのとても楽しそうだと思いますよ……ベッド以外でも」
「ああ、安心したわ……身体目当てと思われてたり、思ってるかもしれねぇなって疑ってた」
リヴィアンが色事を好むのは事実。
嫌な時は言う、特殊プレイも愉しめる、欲望に正直。
それだけでも構わないが、他でも繋がれるのならもっと面白いことに出会えるだろう。
さて、レピドと一緒ならどんな世界が見えるやら。
例えるなら汽車に乗り込んだ気分。
成り行きの気まぐれで始めた旅だが、どこかで降りるかは自由であり汽車が進まなくなることも。
終着駅は知っていても辿り着けるかなんて分からない。
悪役という自覚も忘れておらず。
もしかしたら、唐突に車内で殺人事件が起きる可能性すら。
それはそれで最高に面白いが。
「まぁ、今は構わねぇよ……必ず惚れさせるから」
自信家、そして度量の大きいことで。
こういう告白は人を選ぶ。
不敵なマゼンタの目、こちらを視線で突き刺して笑うレピドにはよく似合っていて密かに見惚れた。
「"俺の女になれ"とかは言わないんですね」
「いや、お前の心身はお前の物だろ。その上で俺に気を許したり身を委ねたりしてくれた方がイイんだよ」
獰猛さは隠し持っているが、決して野蛮でなく力尽くで及ぼうとしない。
触れる時もいちいち許可を求める辺り、妙なところで倫理や価値観が垣間見えた。
レピドライトは古い固定観念を取り除く変革の石。
リヴィアンの意思を尊重し、支配欲は愛でないと理解している。
ああ、とりあえず今夜はもう眠気に勝てず。
心地良い疲労感が瞼を重くする。
レピドの方も欠伸を一つ、呑気な顔が可愛らしい。
寄せ合った体温に安心して深呼吸するとウッディの香水が胸を満たした。
こういう夜は、いつ以来か。
眠りは現実と非現実の境目。
そこを介して世界に侵入する魔物にとっては尚のこと特別なものであった。
本人も忘れているような記憶や深層心理などが作用して、とてもリアルな世界を創り上げる。
リヴィアンの場合、気付けばまた薄暗い空間に来てしまった。
棚だけでなく床まで無造作に山積みにされて崩れた本。
濃く立ち込めた古い紙と埃の匂い。
カーテンの向こう、遠くで微かに人の話し声まで。
知っている、ここは"あの日"の図書室だと。
自分もまた学園の真っ黒な制服姿。
「いらっしゃい、リヴィ先輩」
じゃれつく空気で抱き着いてくる懐かしい腕。
そのまま首を締められるのではないかと恐れ、一歩引いて相手の顔を見た。
間違いようもなく、あの時のロキが仔犬の表情で笑う。
勿論、本物などではない。
幕を閉じた筈の恋が亡霊となり、彼の姿をして語りかけてくるだけ。
これだけリアリティの伴う夢だとしても自分の思い通りに動けない。
またもベルトとリボンで腕を拘束されるがまま。
ボタンを開いたジャンパースカートの制服から手を差し込み、下腹部を擦ってくる。
骨張った長い指、低めの体温、触り方までも本物のロキと変わらない。
「今日は意地で随分と無茶したんねぇ……
リヴィ先輩の"ここ"僕の形になってるんに」
そうして呆れた色の溜息を吐く。
汚い罵倒よりも痛みを伴い、なんと忌々しいことか。
図書館の夢に来てしまう時、いつもリヴィアンは嫌な熱で苦しむ。
欲に呑まれた発情状態。
あの時、身体に残った火傷のようなもの。
それならいっそ掻き毟ってほしい。
ロキの手はショーツの中まで侵しているのに、肝心の部分には決して触れてこないのだ。
「僕が付けてあげた傷、あの人で上書きしようとしたから誘ったくせに」
「どうせ悪役として死ぬ時に全部捨てていくのに、本当に付き合うん?」
「結婚とか世継ぎとか願望無いなんて"今は"の話だし人は変わるんよ、そこまで信じて良いんかな」
本物はこんなこと嫌なことを言わない。
まるでロキの顔をした悪魔である。
ここが現実ならリヴィアンだって黙っていないのに。
背筋を伸ばせ、顔を上げろと。
何故かいつも声を失っており、これでは陸に上がった人魚姫。
折れないでいるのは真っ暗な目だけ。
ふと、ロキに顎を持ち上げられる。
妖艶な濃藍色の目に加虐的な光を宿して。
「黙ってほしいならキスして塞いでよ、リヴィ先輩」
惨めな熱を刻まれた恋は綺麗に終われない。
潮時を感じ取った時、咄嗟に強い大人の振りをした。
本当は手を離したくなんてなかったのに。
悪女の自覚はあれど、レピドと抱き合った後でロキの夢を見るなんてあまりにも酷い。
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