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花街編

39:接吻

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ダヤンはここを「悪の組織」と子供っぽい言葉で表していたが、あれは砂糖をまぶして誤魔化しているような物だった。
ライト伯爵家はほぼ裏社会の家である。
夜の匂いがするだけならまだしも、魔法使い魔女を多数抱えている上に武器庫や射撃場まで完備。

この雰囲気は覚えがあるというか、懐かしいくらい。
元、密造人兼狙撃手でしたから。



ある世界、ある国でのこと。
裏社会組織の長へ反逆を企む幹部に飼われ、違法な水鉄砲の密造をしている情婦が居た。
一見するとどこにでもある玩具だが人を殺せる程の威力があり、街に撒かれた品は一般人達の手に渡って世間を恐怖と混乱に陥れる。
そして道具とは使い手次第、その作り手もまた凄まじい射撃の腕も持っていた。

「空を舞う竜すら仕留める」と謳われる狙撃手、リヴァージュ。
偶然にも今生と似た名前を持つ"彼女"の人生の一つ。


思い返せば、あの役が今までで最も楽しかったかもしれない。
製造に費やして寝不足の日もあったが、暇な時は私有地の森で狩りや射撃訓練をしたりと根城の居心地は最高。

そういえば、この時はエナジーヴァンパイアとしての面が裏目に出た。
リヴァージュは性依存症であり、毎日高価な薬を飲んで衝動を抑えなければ普通に暮らすことも出来ず。
精神障害なので病んで疲れ切っていた本物は乗っ取りの場で願ったり叶ったりと成仏していったが、薬が必要な身であることは変わらないので入れ替わってからは生気が欲しくて狂いそうな苦しみも味わった。

そんな時に「何を耐える必要がある?」と見抜いた幹部に拾われ、忠誠を誓って情婦となったのが始まり。
散々ベッドで悪いことをしたものである。

最期は愛する男に喉を喰い千切られて息絶えたが、価値も意義もあったので良い死に様だったと思う。
何より心から惚れていたので血肉になれて光栄、それどころか物凄く興奮した。
ただ一つだけ心残りがあるとするなら、その彼が主役によって討たれる場面に居合わせられなかったこと。
野望半ばにしてどんな顔で命を落とすのか、あのまま最前席で見ていたかったのに。



さて、今生でもまた似たようなルートを辿ることになるのだろうか。
ベッドに誘ったのはリヴィアンの方とはいえ、成り行きでレピドと朝まで過ごすことになった。
騙したり誤解は拗れる元なので、別に生気を得る必要は無いと先に伝えた上で。

今は屋敷を抜け出して、二人で夜の街へ。
護衛も付けずに無防備なことである。


「こういう場で"ボス"はぇなぁ……レピドで良い」
「では、私もリヴィで構いません」

花街の店もそれこそピンからキリまで。
ドレスアップして小綺麗なホテルのバーで飲み、それから上の部屋へという流れ。
サバランで失敗した前例もあり今生は禁酒することにしたのでそこはノンアルコールで済むが、それより格好をどうしたものか。
服が無いだとかシンデレラのような悩みではない。
ついこの間まで学生だったので夜の装いのドレスなど持っておらず、屋敷の衣装部屋から好きな物を一着貸してもらえるのでその点では問題ないとしても。

リヴィアンは黒目がちでそばかすの浮いたベビーフェイスに、胸や尻が目立つグラマーな体型というアンバランスな容姿。
カントリースタイルならよく似合うのだが、反対に大人びたコーデがなかなか難しい。

そんなこんなあってサイズと好みの兼ね合いで選び取ったのは菫色のドレッシーワンピース。
開いたデコルテには交差する黒いベルベットリボン、腰も同じリボンがきゅっと締められて括れを強調しつつ、スカートは黒いシフォン生地を重ねてふわりと広がる。
白いストールを合わせると華やかさが増す。

物々しいスーツ姿で見慣れていたレピドも今日は柔らかい雰囲気。
黒いハイネックとテーパードパンツ、軽やかなジャケットは格子柄のグレー。
シンプルながらも上品な纏め方をしており、随分と威圧感が抜けたものである。


相手の為にお洒落をする時点からデートは始まっている。
どうせ脱がせてしまえば同じなのに。

そう、ただ身体を重ねるだけならそんな手間など要らない。
同じ敷地内なのだし、こちらからベッドを訪ねるだけで済むので最初そう申し出たところ「がっつくな」とレピドに軽く笑われてしまった。
色事の前に会話や酒を共にしてからというのが彼の流儀なのだろうか。
確かに、そこも愉しかったのは事実。
何しろ初めて過ごす夜だ、付き合ってやっても良い。


ドレスに合わせてレモンブロンドは後ろで纏め上げ、首筋が出るスタイル。
髪を結う時、まだ骨張った少年の指を思い出してしまう。
もう雪の頃は過ぎ去って初夏だというのに。

ロキのことを忘れたい訳ではない。
ただ、これはもう終わったのだと身体に言い聞かせる為でもあった。



部屋はバーのすぐ上と、手っ取り早いことで。
風呂なら済ませてきたので扉を開けたらすぐ始めても良いくらい。

薄暗い部屋の広いベッドへ腰掛けたレピドに手を差し出され、引き寄せられたら膝の上。
すっぽりと収まって、まるで大人と子供。
隣り合って歩いていた時から思っていたが、やはり体格差を実感する。

「……凄ぇ良い匂いすんのな、リヴィ」

緩く抱き寄せられると胸板に乳房を押し当ててしまう形。
髪を整えるラベンダーの精油を嗅ぎ取って、レピドが耳元で吐息混じりに囁く。

呼吸が乱れてリヴィアンの胸も男の匂いで満ちる。
喫煙者なので絡むのは煙草だけかと思いきや、レピドの方も素肌に香水も忍ばせていた。
スモーキーなウッディに、仄かなアンバーで甘い後味。


指の長さも厚みも全く違う大きな男の手に上を向かされて、リヴィアンは僅かに目を細めた。
今日は手袋をしていないレピドの体温が夜風で冷えた頬にじわりと広がる。

「駄目な時は言えよ、言い難かったら片手挙げるなり叩くなりしろ」
「あらまぁ、歯医者さんみたいなこと仰るんですね」

嫌がることはしないと宣告。
初めて逢った時に獰猛さを秘めていた、切れ長の鋭い目。
こちらを見据えるマゼンタ色は情欲を抑えつつも意外なくらい優しい。

ただでさえ周りの男より頭一つ分は突き出る巨漢。
こうした家なら尚更の話で、怖がられるのは慣れているのだろう。


「良いですか……これは私がレピド様をいやらしい目で見ていた結果ですので、そうした気遣いは不要です」

一方、リヴィアンは相変わらず魔力を持った暗褐色の目。
悠々と強気な態度を崩さずに笑う。
誑し込んだのは飽くまでもこちらの方であると。

そもそもの話「魔物」を自称する女の誘いに乗るなんて狂気の沙汰。
魔法使い魔女とは何と命知らずな生き物か。
いずれレピドも色地獄の花街の長となるのだ、軽率な性行為は破滅の元と知らない訳ではあるまいに。


「レピド様こそ応じたりして良かったんですか?それこそハニートラップかもしれませんよ」
「あー……俺は口説いてるつもりだったんだかな」
「わざわざ面倒な手順踏まなくても、別に最初から乗り気でしたのに」
「情緒が無ぇこと言うのな。お前に興味あるし、俺にも興味持って欲しかっただけだ」

顔が近いまま、リヴィアンに真っ直ぐ突き付けてくる。
決して一方通行などではないのだと。
こうも堂々と言われると、何だかこちらが照れてしまいそうだ。


「俺のこと意識して服選んだり、悶々としながら夜待ってたか?だったら、何かイイな……」

少し意地悪に不敵に、今度はレピドが笑う番。

ああ、やはり身支度の時点で思惑通りだった。
とはいえそこはお互い様。
厳ついスーツを脱いだ今のレピドは「魔獣」でなく、ただリヴィアンを欲しがる男。


「なぁ、そろそろキスして良いか?」

柔らかい頬に当てた大きな手は親指で唇に触れる。
ローズピンクの口紅を軽く拭い、お喋りはそろそろ終わり。

わざわざ問い掛けたりするのか。

唇は心に繋がっている場所。
だからこそ娼婦でも拒否することがある。
同意を求めるのは優しいようで、却っていやらしい。
或いは「キスしてほしい」とリヴィアンに言わせたいのだろう。


直接重ねるのはまだ惜しい気がして無骨な親指を舐めた。
舌先でくすぐるように、愛しむように。
リヴィアンの方はもう少しだけこの駆け引きを楽しみたいところ。

流石に思いもよらなかったらしく、レピドは余裕が一瞬揺らいだ。
むず痒さに奥歯を噛む気配が伝わる。

「……そっちじゃねぇよ」

その呆れの溜息から熱を察して、リヴィアンも笑った。
女優という魔物としてでなく素顔で。


こうして、ようやく呼吸を重ね合わせた。
形の良い薄い唇は意外な柔らかさ。

目を閉じた闇の中では感覚が鋭くなってくるもの。
何度か触れるだけで次第に荒くなる息遣い。
舌を差し込んだ奥、大きくて尖った八重歯四本はやはり牙のようだった。
レピドの口腔に残る酒の後味。
リヴィアンは呑んでいないのだが、唾液だけで酔いそうだ。


「ところで、私が上で良いんですか?」
「いや、俺が乗ったら潰れるだろ」
「今日は私、筋肉で圧死するくらいの覚悟で来てるんですけど」
「いきなりそんな激しいことしねぇよ……」

リヴィアンの背中を支えていた大きな手がゆっくりと下へ。
腰を締めるは黒いベルベットリボンの蝶々結び。
捕らえるように掴まれ、不意に胸が痛んだ。


「あっ、やだ、待って……自分で脱ぎますから……」

これだけは駄目だ、まだ駄目だ。
少し摘むだけで儚く命を散らす黒い蝶々。
妙に切なくなる理由なんて、そんなの。

ああ、傷に蓋をしていたことを痛感してしまった。

リヴィアンのリボンを結ぶも解くも一人だったのに。
キスならまだしも、こんなタイミングで浮かび上がってくるなんて。
もう居ない仔犬を懐かしんで泣きたくなった。
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