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学園編

30:嫉妬

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高等部三年生は卒業試験を終えた2月から自由登校になる。

進路が決まっている生徒は新生活の準備。
寮生も巣立ちの為に自室の片付けや引き継ぎなどを始める頃で、登校しなくてもやることは多い。
去年のリヴィアンとダヤンがそうだったように代表者達も卒業式の練習などもあるので忙しかった。
とはいえ汗と涙の学園生活も残り僅か、もう春を待つだけ。


卒業までに羽目を外したり問題を起こし、その後の進路を棒に振るようなことをしない限りは。

毎年大なり小なり何かあるので教師達がひっそりと不安を抱える季節でもあった。
過去には生徒会長が悪い異性との夜遊びにより補導されたなんて事例まであり、問題児だけでなく真面目な生徒も注意対象となる。

そして今年も、該当者は優等生だった。



春から司書と決まっているリヴィアンはというと、卒業しても学園に残るので生活自体はそんなに変わらずあまり実感無し。
ロキとも放課後などに会えるので離れる訳ではない。
教職員と生徒が交際なんて、明らかになった時それこそ大問題だが。
今だって学生同士でも成人と未成年はグレーである。

せいぜい学生寮から職員寮へ引っ越すくらいか。
今までよりも様々な規律が緩くなり、私服で一日中図書館という日々が待つ。
仕事場となれば読書に耽ってもいられないが、ここは居心地が大変良かった。


「あらまぁ……」
「どうも、ご無沙汰しておりますグラスさん」

そういう訳で、今のうちに読み放題を楽しもうと図書館に入浸りだったある日のこと。
放課後が近付く平日の穏やかな午後。
そんな時にリヴィアンは約一年ぶりの懐かしい青を見つけた。

かつてはここでお馴染みだった瑠璃色の髪。
惜しみながら卒業していった、読書仲間のダヤンである。


この建物は一階が初等部から高等部まで全校生徒が収容出来る広さの講堂。
その上にある図書館は同じだけの広さを持ち、まるで本の森だった。
そこに背の高い棚が幾つも立ち並ぶので迷路じみていて、連れとはぐれてしまうことも多々。

図書館に来ていたとはいえこんなところで顔を合わせたのは何たる偶然、思わぬ再会。

ただ、在学中でもよくこういうことがあった。
というのも好きな本のジャンルがよく似ている所為。
ダヤンとはお勧めや感想の言い合いと話題が尽きないので貴重な友人。


「そういう格好も似合いますね、ダヤン先輩」
「ええ、ありがとうございます」

一年という歳月は人を変える長さ。
線が細く童顔気味なので制服の時はまだ少年らしさのあったダヤンだったが、今は確かに大人。
前髪を上げて、落ち着きのあるブルーグレーのスーツを品良く着こなしている。
顔つきまで涼やかで知的な雰囲気が増したようだ。

嗅覚は記憶との結びつきが強く、変わらない物も。
そういえば、こんな香りのする人だった。
シダーウッドとユーカリで冷たく静かなグリーン系。

実のところリヴィアンが通っている「ハーバルガーデン」を最初に教えてくれたのがダヤンである。
精油の店を探していると言ったら連れて行ってくれた。
お茶くらい友人同士でも行くのでデートなんて称するようなものではないのだが、あの頃は噂好きの同級生達に囃し立てられたものである。
趣味が合うだけでなく、下心やお世辞や嘘が無いので彼と過ごすのは大変気楽なだけでも。
だからこそというか、安心感や信頼を抱けるのだ。
何というか空気感が女性同士の物に近い。


「今日は在校生の子に用がありまして。先生方にもお世話になったご挨拶しておこうと思いまして、正装してきました」
「……ところで、今日は悪の組織お休みですか」
「あぁ、本格的な活動は夜からなので今は自由です」
「そういうのって夜行性なんですね、やっぱり」

華々しい身形かつ完璧に優雅な笑みで流されてしまう。
「冗談」と言われればきっとそれまで。

「お仕事どうですか、楽しい?」
「はい、刺激的でそれなりに」

学生時代も優等生だったダヤンのこと、さぞ立派な仕事で高給取りなのだろうと思わせる。
リヴィアンだけは誤魔化されないが。
「悪の組織」という言葉が初めて聞いた時からどうにも引っ掛かりがあった。

何というか、自称する通り悪党にも見える出で立ち。
この影の濃さは銃でも隠し持っているような。

あまり妄想が過ぎるとダヤン本人に笑われそうなので口を閉じるものの。
仮に叱られずとも失礼極まり無し。
分かっている、悪役女優だけについこんなことを思ってしまうだけ。


「そうそう、図書館に来たらグラスさんに会えそうな気がしていたので渡したい物があったんですよ」

ふと、ダヤンが両手を打ち鳴らす。
手土産があるというので何かと思えば、そうして差し出してきたのは小さな花束だった。
牙が生えたようにギザギザした葉を特徴とする、デンタータラベンダー。

冬越し出来るが寒さには少し弱い種類なので恐らく温室育ち。
ラベンダーといえば香りなのだが精油は取れず園芸向き、この種類は濃い紫の花より葉の方が匂い立つ。
茎を纏めるのは愛らしいピンクのリボン。


「ラベンダーが好きって仰ってたので、これなら受け取ってもらえるかなと」
「あら、わざわざありがとうございます……リボンも集めてるので無駄になる物なくてお得な感じだわ」
「そういえばグラスさんもお洒落になりましたねぇ、リボン可愛いですよ」
「ん、まぁ……どうも……」

ダヤンとしては、この花束は卒業式のやり直しか。
別に鈴蘭でもそれなりに嬉しかったのに。
毒があっても、単に邪魔だった物を押し付けただけでも。

それにしても、不意にリボンのことを指摘されると妙に気恥ずかしくなってしまう。
今日は三つ編みを纏め上げ、幅広で丈夫な赤いベルベットの蝶々。
アレンジを練習したいからとロキに結ばれた。


こうして話し込んでいるうち、鐘が響いて授業を終えた生徒達がこの中央棟の図書館にも増えてきた。
落ち合う約束をしていたというダヤンの待ち人も。
リヴィアンとの会話は飽くまで偶然の時間潰しに過ぎず。

「あぁ、やっと来ましたか……アル君、こっち」

片手を挙げて呼び掛けた相手にはこちらも見覚えがあった。
茶髪に丸い目の男子が一人。
あれは確かロキの友人というアルネブ・ゼノタイムではなかったか。

間違いないだろう、何しろ本人が隣に居る。
銀髪の少年はうっかりミルクを入れずにコーヒーを口にしてしまった時のような顰め面。


「それじゃグラスさん、僕はこれで」
「ええ……私も用が出来てしまったので」

もう少し話していたかったところだが、別れは淡白に。
ダヤンが片手を振って終わり。

もうこちらを振り向かず、他に居る図書館の面々は活字を追うので忙しい。
リヴィアンを視線で刺してくるのはただ一人きり。

向けられた表情に、制服の腕を掴んでくる手。
湿った感情が滲み出て強張っている。

「リヴィ先輩、こっち来て」
「まぁ良いわよ、伺いましょうか……」

内緒話なら人気の無いところでという訳か。
ロキに引き寄せられて、溜息一つ。
拗れる前にリヴィアンも大人しく応じることにした。


後になって思えば「ここで言いなさい」と命令していたらその後の運命は変わっていたろう。
痴話喧嘩なんて人目があれば最小限で済んだのに。

さて、これは誰の後悔なのか。


こんな広い館内ならば普段は誰も居ない所くらいある。
図書館の奥に仕切りのカーテンで年中薄暗く保たれて切り取られた、教室半分ほどの空間。
そこは日焼けや修理不能の古書が山積みの無造作に纏められた本の墓場だった。
あまりに大量では処分するにも労力や時間が掛かる為、長年放置となっているのだ。

壁を埋める棚から溢れた本が床にまで積まれて薄っすらと埃を被っており何とも寂しい。
踏み入れると古い紙の匂いが一際濃かった。
そもそも墓場の外周辺も誰が読むのか分らないような小難しく厚い本の棚で固められており、あまり生徒が立ち入らない。

逢引の場所としては情緒不足。
甘い気分になる必要なんて無いので結構だが。


「疚しいことは何も無いけど、言いたいことあるならお先にどうぞ」

カーペットの床に座り込むリヴィアンは飽くまでも落ち着いた構え。
貸出の本を入れる手提げ袋と一緒に花束は置いてきた。
渡されるところまで見ていたのかは不明でも、持っているだけで火に油だろうと。


「……随分仲良さそうなんね」
「そりゃ、友人だもの」
「リヴィ先輩のこと図書館で見かける時……あの人と話ししてるだけで、いつも僕は凄く嫌だったんよ」
「付き合う前のことまで言われても、どうしろってのよ……」

そういえば以前「紹介される前からリヴィアンのことが気になっていた」とロキから言われた。
知らないところから見られていたようで、その頃からとなると思いのほか根深い。

勿論女子の友人も居るが、確かに男子ではダヤンが一番親しかったと思う。
彼自身が首席かつ華のある容姿なので自然と目立ち、それこそ付き合っているのかとからかわれるくらいには。
周囲だって飽くまで冗談、本当にお互い何も無い。


「どうしろと」というリヴィアンの返事は当然の物。
かといって、ロキ自身も幼い嫉妬をどうして良いのか分からないのだろう。
ただでさえ不安定な年頃、ましてや色恋沙汰は感情制限出来ず思考が狂いがち。
ある意味お気の毒、それでも同情はせず。

全く、なんて厄介なことか。

至って真剣なので軽く笑い飛ばすのは逆効果。
とはいえこの場合リヴィアンの方にも非が無いので、謝るのも妙な話。
いっそ癇癪を起こして大声を出したり物に当たったりするなら、面倒なことにはなるがロキの胸に燻る物は発散出来たろう。

とりあえずその立ち込める煙を消さねば何も見えまい。
腕を広げて、宥めるつもりで抱擁を求めたところ。


「また子供扱いするん?」

いつものように飛び付いてきてはくれない。
それと本棚を背にして床に座り込んでいたのは間違いだった。

向かい合わせでロキに距離を詰められ、落ちる濃い影。
挟み込まれて腕を取られたらもう動けず。
細いようでも男の力。
多少鍛えていても女では振り解けない。

薄暗い中、差し込む夕陽を背にする少年の姿。
酷く傷付いた目をして告げてくる。

「リヴィ先輩、あの人の匂いする」

鼻が利くのも良し悪し。
気付かなければ、こんな痛みも知らずに済んだろうに。


ああ、どうやら選択肢を誤った。

リヴィアン本人が知らない間にロキからの好感度は高くなってしまっていた。
パラメーター画面なんて物を見なくても分かるくらいに。
だからこそこんなことで嫉妬に火が点く。
愛は生き物であり、歪んで育てば執着となるのだ。


「えっ……あ、ンン……っ、ふ、うぅ……」

不意のキスで噛み付かれて、流石に少し動揺。
荒々しく牙を立てられる痛み。
口腔に侵入してきた舌で唾液が混じり合う。

気を取られている間にリヴィアンの後頭部を包んでくる片手。
唇を逸らされない為でもあったが、もう一つ。

綺麗に纏め上げていたレモンブロンドの大きく掻き回して乱し、首の後ろに結ばれたリボンを解いた。
今朝その手で結んだ赤い蝶々。
支えを失って、三つ編みが肩に落ちてくる。

これは一体、何のつもりか。


床に引き倒されてからは圧倒的に劣勢。
馬乗りで押さえ付けながらロキがベルトを外して制服から引き抜いた。
リヴィアンの腕に拘束具を施す為。
肘には腰から引き抜いたベルト、手首にリボンで二重の固定。

毎日愛情を持って髪を編んで、仕上げに「可愛い」と結ぶリボンで。
同じ手で殺した蝶々をそんなふうに使うのか。

まさか、ここで?


「……リヴィ先輩、僕のものってこと分かってないみたいなんね」

銀髪の影から濃藍の目に見下ろされる。
冷たい火が燃え滾るような激情。

この仄暗さにはとても馴染みがあった。

どこの世界でも、こういう時の人間の目はいつも同じ。
血走り、ギラつき、加虐の暴走。
情欲なんて易々と飛び越えて、支配欲の攻撃性は限りなく殺意に近い。


ロキもそんな目をするのか。

いや違う、片鱗は以前からあった。
仔犬が時に狼となることを本当は知っていたのに。
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