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学園編
10:七月十一日
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シーライト学園の寮は早寝早起きで規則正しい生活。
その分だけ食事と食事の間が長く、育ち盛りの子供達も空腹になってしまうので10時と3時にお茶とビスケットなどが出る習慣があった。
ただし今日のリヴィアンとロキは外で済ませる約束。
日曜の昼前、夏を迎えて活気付いた街に出向く。
腹ごなしで歩くには丁度良い距離か。
レースのカーテンを引いたような薄曇りで陽射しが柔らかく、石畳に落ちる影も淡い。
これから毎日嫌になる程の暑さが続くのだ、こうした空を見上げると安心する。
「お店は私が選ぶわね」
学園の外に出ても行動範囲内。
生徒達がよく行く店を幾つか通り過ぎ、少し狭い路地へ。
もしロキが同級生と遭遇したら囃し立てられてクラスで肩身の狭い思いをさせるかもしれないのだし。
中等部はまだまだ子供だけに、つい余計な心配をしてしまう。
実のところ行き先よりも前に服を決めたのだが、お誂え向きの選択だった。
アップルグリーンのワンピースはこの店によく合う。
賑わう表通りから軽く外れて奥に進むと、静かな住宅街に紛れて目的地はあった。
7月の草木は小綺麗な白い店を鮮やかに彩る。
カフェの隣に建つ温室までガラス越しにも溢れる緑。
実に涼やかな佇まいで、ハーブ専門店「ハーバルガーデン」は今日も客達を迎え入れていた。
花や緑は鑑賞するだけでは物足りない。
色々と使い道のあるハーブの方を好み、例のアロマミストの精油を求めてリヴィアンが通っている店だった。
中へ一歩踏み込めば、ドアベルの軽やかな笑い声。
この店はいつ来ても清々しい香りで保たれており、つい深呼吸をしてしまう。
白と木目調を生かした素朴な空間に青々とした葉が繁る鉢、壁にもドライハーブのブーケやリース。
見渡す限りの花や緑で、外から扉を開けたというのに庭へ出たような錯覚。
ここは人々の生活に欠かせない多種多様なハーブが一同に揃う。
それこそ調理用の瓶詰めや茶葉、シャンプーや石鹸、精油や薬用化粧品など口に入る物だけでなく身に付ける物まで。
花屋、薬屋、喫茶店を兼ねており幅広い客が訪れる。
「僕の方がこの街長い筈なのに、こんなところあるのは知らなかったわぁ……」
「それじゃ、座りましょうか。お茶は冷たい方が良いかしら?」
一角にある小さなカウンターに腰を落ち着ける。
好みや効能別でブレンドしてくれるハーブティーが名物だが、お勧めはどれにしようか。
ホットも良いが、今の時期ならアイスが美味い。
さて、夏場に氷を保存する技術の歴史は意外な古さ。
日本でも氷室は奈良時代、カキ氷は平安時代に貴族達が食べていたことが枕草子に記されている。
そこから更に時が流れて冷蔵庫の発明は1800年代。
ここは1900年代初頭のヨーロッパ風世界観。
それでも夏に冷菓などはまだ貴重かつ高価と思いきや、庶民でも手が届く。
氷に関することだけでなく、乙女ゲームという作り物の領域なのでやはり現実とテクノロジーなどの進み方が違うらしい。
もっと後の時代に登場する筈の物が既に存在しているだけでなく、一般家庭にまで行き渡っていたり。
駄目出しは野暮でしかないのだ。
「ん、美味しい……です」
運ばれて来たローズヒップとハイビスカスのハーブティーは夏向けのブレンド。
どちらも酸味があるので、一口啜った瞬間にロキが痺れた表情を見せた。
可愛らしくとも笑ったりするなんて趣味が悪いので、リヴィアンはもう一つのカップをそっと差し出すだけ。
「無理しなくて良いわよ」
「すみません……」
交換したのは甘い香りとリラックス効果の高いカモミール。
飲みやすい味なのでこちらは気に入ったらしく、ロキはようやく安堵する。
ハイビスカスを淹れると、まるでルビーが溶けたように鮮やかな赤になるのだ。
ガラスのティーカップに透けるとそれはもう美しい。
「気になる」というのでロキに味見を許したところ上記の反応である。
この程度で済んだが、好奇心は時に危うい。
メインには牛乳と生クリームをゼラチンで固めた真っ白なブランマンジェを二皿。
ラベンダーで風味付けされており滑らかなミルクから仄かに香る。
添えられたラズベリーソースはお好みで。
分け合う為にもう一つ、粉チーズとバジルの塩クッキー。
紅茶やコーヒーも良いがワインによく合いそうな味わいだった。
考えてみれば、こうした小洒落た物など寮の食堂では出ないか。
確かに腹を満たすなら事足りる味と量だが、飽くまでも子供向けかつ大衆向け。
砂糖もミルクも不要な薄いコーヒーが良い例である。
学生のティータイムにしては何とも優雅。
少し背伸びした気分で悠々と時間が過ぎて行く。
二人共お喋りな方ではあらず、会話は途切れがち。
けれど無言は重くならず平穏。
いつもの勉強や読書の時でも同じく感じていることだが、今日はそれだけでなく。
学園に閉じこもる日常から外へ踏み出して、この緑が香る場所での静けさが心地良い。
「ところで、試験結果そろそろ返ってくる頃ね」
穏やかな空気を壊すのは惜しいが、先に口を開いたのはリヴィアンだった。
他に話題など幾らでもあったが、もともと理数を教えるという名目で知り合った仲なので避けて通れず。
それなら間にあるのは勉強だけで良い筈なのに。
今こうして自分の馴染みの店を紹介して、お茶の時間を共にしているという現状。
それくらい同性の友人とでも行くので大したことではないが、別に。
こんなにも長閑なお茶の席で突然試験の話なんてされては嫌な顔の一つもするところだろう、普通ならば。
だというのにロキの反応といえば、小さく吹き出した後で肩を震わせて笑いを堪えていた。
「笑うようなところあったかしら……」
「だって、なぁ……釘刺さんでも答案隠したりしませんって、先輩のお陰で成績上がってるところなのに」
とはいえ、実のところ答案を見せなくてはいけない義務も無い。
勉強を教えているのでリヴィアンは一応ながら先生でもあるが、何となくこのロキの口振りは母親や姉相手のような匂い。
そうしてささくれじみた引っ掛かりを感じたものの、すぐに次の話へ流される。
「それより楽しい話もしたいんですけど。先輩、夏休みってどこか行くん?」
「ちょっとね」
「ほら、勉強会のスケジュールもあるし、僕にもちゃんと教えてほしいなと思いまして」
「ああ、そうね……二週間くらい、山に」
長期休みに入る度、リヴィアンは学園に届け出をして数日間外泊している。
夏休みは長いので今回はゆったりと二週間。
行き先は自然溢れる避暑地の隠れ家。
グラス家で所有していた小さな別荘と庭だけ残し、いずれ成人して寮を出たら必要になる私物一式を置いているのだ。
あの狭い寮の一人部屋ではスペースの問題も勿論あるが、何よりも学園にまで持ち込めない物といえばグラス男爵の形見である猟銃。
ここは山を愛する彼にとって憩いの地だった。
一人娘の身体を乗っ取った上、そんな大事な場所までも奪うなど「悪役」の自覚が無くては出来まい。
と、その辺りは省いてロキに話を続ける。
猟の本番は主に秋からなので、夏は鳥や野ウサギなど小さな獲物ばかり。
ただ、何も狩らなくても肉は食べられる。
麓なので近くの街や村で生活に必要な物ならすぐ手に入るのだ。
「生きる為に自然の物を少しだけ拝借する」という考えに基づくので殺生は必要な時のみ。
そして仕留めたからには決して放置せず、その身を余さず糧とする。
リヴィアンが本当に問題視しているのは腕前。
銃を相棒としてきた役を何度も演じただけに今も技術が落ちることは恐ろしく、射撃の練習に集中して夏を終えたこともあった。
銃は置いといても、一番の目的は心身を緩ませることである。
自分のことを全て自分がやる責任が伴うものの、前から知識と経験もある上にそれなりに設備のある隠れ家での山籠もりは寮で規則正しい集団生活より気楽。
一日中寝巻きで読書だって出来るのだ。
観光ではないので、洒落っ気は捨てることになるが。
ハイキング程度の道だろうと外歩きには夏でも長袖長ズボン。
葉や枝でも怪我の元、虫刺されも馬鹿に出来ず。
特に猟なんて山に入るので服装や装備の選択を間違えると命取り。
他の狩人から気付かれず撃たれる恐れもある為、派手な色を身に着けることが推奨されている。
こういう時でもなければ鮮やかなオレンジ色のベストなんてリヴィアンは着ない。
ここまで考えてみて、ふと気付いた。
そういえば前から薄っすらと思ってはいたが、今日も今日とてロキは真っ黒な恰好。
薄手とはいえ、またもやフード姿なのがまた暑そうで余計な心配してしまう。
アップルグリーンを纏うリヴィアンと並ぶとどうやっても不釣り合い。
いつもの制服も色味が無いというのに、こういう時ですらロキは差し色がグレーや白なので代わり映えなく地味な印象になる。
悪目立ちする銀髪を隠す為らしいが、思春期に黒ばかり選びがちというのはよくある話か。
ガードが固くなり、クールぶって格好付けたい年頃。
勿体無いと思ってしまうのはお節介。
そう心得ている上で、リヴィアンが提案するならば。
「ロキ君、寒色が似合うと思うのよね……」
「そうなん?僕は着る物そんなに拘り無いから、あんまり分からないんよ」
黒は拘りというより適当なだけかもしれない。
それはそうと独断と偏見でパーソナルカラー診断をさせてもらえば、ロキは確実にブルーベースの夏。
このタイプは上品で控えめ、涼やかな雰囲気。
ちなみにリヴィアンの方はイエローベースの春。
若々しさと明るく優しそうな容姿なので暖色が似合い、笑みを作れば幾らでも愛らしくなれる。
ただ飽くまでも本人にその気さえあればの話だが。
それを承知の上、顔の筋肉を休ませて普段は無表情。
愛想なら必要に応じて最低限。
生前のリヴィアンを知るテクタイト家と離れている間は本性そのままでいようと決めたのだ。
舞台の下でまで演技を続けていれば役者だって狂う。
死に魅せられる異常者の自覚ならあれど、一定のラインで理性や正気も残しておかなければ。
何よりも我が強すぎるので、円滑で広い人間関係よりも一人で過ごす方が快適。
そう思いながら、ロキと過ごしているのだから可笑しな話。
少なくとも無理に笑わずとも彼とは付き合える。
さておき、不意に伸ばした手でリヴィアンがフードの端を摘んだ。
指先に汗ばんだ銀髪の湿気。
そのまま引き上げればロキの面食らった顔が晒される。
急に触れたりしたのは確かに不躾だったが、どうしても気になっていたのだ。
「せめてフードじゃなくて帽子にしたらどうかしらね、暑いでしょ?」
「そんなら、リヴィ先輩に選んでほしいわ」
一息も置かず意外な返答。
あまりに真っ直ぐ言うものだから、軽くだが今度はリヴィアンの方が驚かされてしまった。
ロキ本人からファッションに無頓着とは聞いたばかりだが、任されたりしても良いのだろうか。
ここはセンスを試される場面。
まぁ、構わない。
ハーブティーで喉を潤したら、次の行き先が決まった。
ここまでの道中に小さな帽子屋があった筈。
服のように畳めない帽子のディスプレイとはなかなか難しいようだ。
頭の形を保つには壁一面に掛けたり吊り下げたり、棚が幾つあっても足りず。
それに形から色まで種類が多い中で試着と黙考を重ねて暫く後、銀の頭をすっぽり包み込むキャスケットに決まった。
落陽に見立てて、柔らかな紺藍色の生地に無数の星屑が金糸で散りばめられたデザイン。
ツバの部分に小さな三日月の刺繍が愛らしい。
美しい夜空を切り取ってそのまま帽子に仕立て上げたようで、儚げな雰囲気のロキにはよく似合った。
「あれ、先輩……お会計」
「良いわよ、少し早いけど誕生日プレゼントってことで受け取って」
財布を開きながら、贈り物の言い訳として使わせてもらう。
四日後、ロキは14歳になる。
正直なところ先程思い出したばかりなのだが、偶然にも7月生まれ同士でリヴィアンとも十日違いなので覚えていたこと。
こうやって姉貴分と二人で並ぶなんて今だけだろうから、ほんの思い出の品だ。
少年は成長して男になっていく。
リヴィアンより小さなロキもすぐさま背を追い越して骨張って育つのだろう。
乙女ゲームの攻略対象となる頃には、そのヒロインとでなくともどうせ彼女を連れて街を歩いている。
何食わぬ顔で、悪役令嬢のことなど忘れて。
その分だけ食事と食事の間が長く、育ち盛りの子供達も空腹になってしまうので10時と3時にお茶とビスケットなどが出る習慣があった。
ただし今日のリヴィアンとロキは外で済ませる約束。
日曜の昼前、夏を迎えて活気付いた街に出向く。
腹ごなしで歩くには丁度良い距離か。
レースのカーテンを引いたような薄曇りで陽射しが柔らかく、石畳に落ちる影も淡い。
これから毎日嫌になる程の暑さが続くのだ、こうした空を見上げると安心する。
「お店は私が選ぶわね」
学園の外に出ても行動範囲内。
生徒達がよく行く店を幾つか通り過ぎ、少し狭い路地へ。
もしロキが同級生と遭遇したら囃し立てられてクラスで肩身の狭い思いをさせるかもしれないのだし。
中等部はまだまだ子供だけに、つい余計な心配をしてしまう。
実のところ行き先よりも前に服を決めたのだが、お誂え向きの選択だった。
アップルグリーンのワンピースはこの店によく合う。
賑わう表通りから軽く外れて奥に進むと、静かな住宅街に紛れて目的地はあった。
7月の草木は小綺麗な白い店を鮮やかに彩る。
カフェの隣に建つ温室までガラス越しにも溢れる緑。
実に涼やかな佇まいで、ハーブ専門店「ハーバルガーデン」は今日も客達を迎え入れていた。
花や緑は鑑賞するだけでは物足りない。
色々と使い道のあるハーブの方を好み、例のアロマミストの精油を求めてリヴィアンが通っている店だった。
中へ一歩踏み込めば、ドアベルの軽やかな笑い声。
この店はいつ来ても清々しい香りで保たれており、つい深呼吸をしてしまう。
白と木目調を生かした素朴な空間に青々とした葉が繁る鉢、壁にもドライハーブのブーケやリース。
見渡す限りの花や緑で、外から扉を開けたというのに庭へ出たような錯覚。
ここは人々の生活に欠かせない多種多様なハーブが一同に揃う。
それこそ調理用の瓶詰めや茶葉、シャンプーや石鹸、精油や薬用化粧品など口に入る物だけでなく身に付ける物まで。
花屋、薬屋、喫茶店を兼ねており幅広い客が訪れる。
「僕の方がこの街長い筈なのに、こんなところあるのは知らなかったわぁ……」
「それじゃ、座りましょうか。お茶は冷たい方が良いかしら?」
一角にある小さなカウンターに腰を落ち着ける。
好みや効能別でブレンドしてくれるハーブティーが名物だが、お勧めはどれにしようか。
ホットも良いが、今の時期ならアイスが美味い。
さて、夏場に氷を保存する技術の歴史は意外な古さ。
日本でも氷室は奈良時代、カキ氷は平安時代に貴族達が食べていたことが枕草子に記されている。
そこから更に時が流れて冷蔵庫の発明は1800年代。
ここは1900年代初頭のヨーロッパ風世界観。
それでも夏に冷菓などはまだ貴重かつ高価と思いきや、庶民でも手が届く。
氷に関することだけでなく、乙女ゲームという作り物の領域なのでやはり現実とテクノロジーなどの進み方が違うらしい。
もっと後の時代に登場する筈の物が既に存在しているだけでなく、一般家庭にまで行き渡っていたり。
駄目出しは野暮でしかないのだ。
「ん、美味しい……です」
運ばれて来たローズヒップとハイビスカスのハーブティーは夏向けのブレンド。
どちらも酸味があるので、一口啜った瞬間にロキが痺れた表情を見せた。
可愛らしくとも笑ったりするなんて趣味が悪いので、リヴィアンはもう一つのカップをそっと差し出すだけ。
「無理しなくて良いわよ」
「すみません……」
交換したのは甘い香りとリラックス効果の高いカモミール。
飲みやすい味なのでこちらは気に入ったらしく、ロキはようやく安堵する。
ハイビスカスを淹れると、まるでルビーが溶けたように鮮やかな赤になるのだ。
ガラスのティーカップに透けるとそれはもう美しい。
「気になる」というのでロキに味見を許したところ上記の反応である。
この程度で済んだが、好奇心は時に危うい。
メインには牛乳と生クリームをゼラチンで固めた真っ白なブランマンジェを二皿。
ラベンダーで風味付けされており滑らかなミルクから仄かに香る。
添えられたラズベリーソースはお好みで。
分け合う為にもう一つ、粉チーズとバジルの塩クッキー。
紅茶やコーヒーも良いがワインによく合いそうな味わいだった。
考えてみれば、こうした小洒落た物など寮の食堂では出ないか。
確かに腹を満たすなら事足りる味と量だが、飽くまでも子供向けかつ大衆向け。
砂糖もミルクも不要な薄いコーヒーが良い例である。
学生のティータイムにしては何とも優雅。
少し背伸びした気分で悠々と時間が過ぎて行く。
二人共お喋りな方ではあらず、会話は途切れがち。
けれど無言は重くならず平穏。
いつもの勉強や読書の時でも同じく感じていることだが、今日はそれだけでなく。
学園に閉じこもる日常から外へ踏み出して、この緑が香る場所での静けさが心地良い。
「ところで、試験結果そろそろ返ってくる頃ね」
穏やかな空気を壊すのは惜しいが、先に口を開いたのはリヴィアンだった。
他に話題など幾らでもあったが、もともと理数を教えるという名目で知り合った仲なので避けて通れず。
それなら間にあるのは勉強だけで良い筈なのに。
今こうして自分の馴染みの店を紹介して、お茶の時間を共にしているという現状。
それくらい同性の友人とでも行くので大したことではないが、別に。
こんなにも長閑なお茶の席で突然試験の話なんてされては嫌な顔の一つもするところだろう、普通ならば。
だというのにロキの反応といえば、小さく吹き出した後で肩を震わせて笑いを堪えていた。
「笑うようなところあったかしら……」
「だって、なぁ……釘刺さんでも答案隠したりしませんって、先輩のお陰で成績上がってるところなのに」
とはいえ、実のところ答案を見せなくてはいけない義務も無い。
勉強を教えているのでリヴィアンは一応ながら先生でもあるが、何となくこのロキの口振りは母親や姉相手のような匂い。
そうしてささくれじみた引っ掛かりを感じたものの、すぐに次の話へ流される。
「それより楽しい話もしたいんですけど。先輩、夏休みってどこか行くん?」
「ちょっとね」
「ほら、勉強会のスケジュールもあるし、僕にもちゃんと教えてほしいなと思いまして」
「ああ、そうね……二週間くらい、山に」
長期休みに入る度、リヴィアンは学園に届け出をして数日間外泊している。
夏休みは長いので今回はゆったりと二週間。
行き先は自然溢れる避暑地の隠れ家。
グラス家で所有していた小さな別荘と庭だけ残し、いずれ成人して寮を出たら必要になる私物一式を置いているのだ。
あの狭い寮の一人部屋ではスペースの問題も勿論あるが、何よりも学園にまで持ち込めない物といえばグラス男爵の形見である猟銃。
ここは山を愛する彼にとって憩いの地だった。
一人娘の身体を乗っ取った上、そんな大事な場所までも奪うなど「悪役」の自覚が無くては出来まい。
と、その辺りは省いてロキに話を続ける。
猟の本番は主に秋からなので、夏は鳥や野ウサギなど小さな獲物ばかり。
ただ、何も狩らなくても肉は食べられる。
麓なので近くの街や村で生活に必要な物ならすぐ手に入るのだ。
「生きる為に自然の物を少しだけ拝借する」という考えに基づくので殺生は必要な時のみ。
そして仕留めたからには決して放置せず、その身を余さず糧とする。
リヴィアンが本当に問題視しているのは腕前。
銃を相棒としてきた役を何度も演じただけに今も技術が落ちることは恐ろしく、射撃の練習に集中して夏を終えたこともあった。
銃は置いといても、一番の目的は心身を緩ませることである。
自分のことを全て自分がやる責任が伴うものの、前から知識と経験もある上にそれなりに設備のある隠れ家での山籠もりは寮で規則正しい集団生活より気楽。
一日中寝巻きで読書だって出来るのだ。
観光ではないので、洒落っ気は捨てることになるが。
ハイキング程度の道だろうと外歩きには夏でも長袖長ズボン。
葉や枝でも怪我の元、虫刺されも馬鹿に出来ず。
特に猟なんて山に入るので服装や装備の選択を間違えると命取り。
他の狩人から気付かれず撃たれる恐れもある為、派手な色を身に着けることが推奨されている。
こういう時でもなければ鮮やかなオレンジ色のベストなんてリヴィアンは着ない。
ここまで考えてみて、ふと気付いた。
そういえば前から薄っすらと思ってはいたが、今日も今日とてロキは真っ黒な恰好。
薄手とはいえ、またもやフード姿なのがまた暑そうで余計な心配してしまう。
アップルグリーンを纏うリヴィアンと並ぶとどうやっても不釣り合い。
いつもの制服も色味が無いというのに、こういう時ですらロキは差し色がグレーや白なので代わり映えなく地味な印象になる。
悪目立ちする銀髪を隠す為らしいが、思春期に黒ばかり選びがちというのはよくある話か。
ガードが固くなり、クールぶって格好付けたい年頃。
勿体無いと思ってしまうのはお節介。
そう心得ている上で、リヴィアンが提案するならば。
「ロキ君、寒色が似合うと思うのよね……」
「そうなん?僕は着る物そんなに拘り無いから、あんまり分からないんよ」
黒は拘りというより適当なだけかもしれない。
それはそうと独断と偏見でパーソナルカラー診断をさせてもらえば、ロキは確実にブルーベースの夏。
このタイプは上品で控えめ、涼やかな雰囲気。
ちなみにリヴィアンの方はイエローベースの春。
若々しさと明るく優しそうな容姿なので暖色が似合い、笑みを作れば幾らでも愛らしくなれる。
ただ飽くまでも本人にその気さえあればの話だが。
それを承知の上、顔の筋肉を休ませて普段は無表情。
愛想なら必要に応じて最低限。
生前のリヴィアンを知るテクタイト家と離れている間は本性そのままでいようと決めたのだ。
舞台の下でまで演技を続けていれば役者だって狂う。
死に魅せられる異常者の自覚ならあれど、一定のラインで理性や正気も残しておかなければ。
何よりも我が強すぎるので、円滑で広い人間関係よりも一人で過ごす方が快適。
そう思いながら、ロキと過ごしているのだから可笑しな話。
少なくとも無理に笑わずとも彼とは付き合える。
さておき、不意に伸ばした手でリヴィアンがフードの端を摘んだ。
指先に汗ばんだ銀髪の湿気。
そのまま引き上げればロキの面食らった顔が晒される。
急に触れたりしたのは確かに不躾だったが、どうしても気になっていたのだ。
「せめてフードじゃなくて帽子にしたらどうかしらね、暑いでしょ?」
「そんなら、リヴィ先輩に選んでほしいわ」
一息も置かず意外な返答。
あまりに真っ直ぐ言うものだから、軽くだが今度はリヴィアンの方が驚かされてしまった。
ロキ本人からファッションに無頓着とは聞いたばかりだが、任されたりしても良いのだろうか。
ここはセンスを試される場面。
まぁ、構わない。
ハーブティーで喉を潤したら、次の行き先が決まった。
ここまでの道中に小さな帽子屋があった筈。
服のように畳めない帽子のディスプレイとはなかなか難しいようだ。
頭の形を保つには壁一面に掛けたり吊り下げたり、棚が幾つあっても足りず。
それに形から色まで種類が多い中で試着と黙考を重ねて暫く後、銀の頭をすっぽり包み込むキャスケットに決まった。
落陽に見立てて、柔らかな紺藍色の生地に無数の星屑が金糸で散りばめられたデザイン。
ツバの部分に小さな三日月の刺繍が愛らしい。
美しい夜空を切り取ってそのまま帽子に仕立て上げたようで、儚げな雰囲気のロキにはよく似合った。
「あれ、先輩……お会計」
「良いわよ、少し早いけど誕生日プレゼントってことで受け取って」
財布を開きながら、贈り物の言い訳として使わせてもらう。
四日後、ロキは14歳になる。
正直なところ先程思い出したばかりなのだが、偶然にも7月生まれ同士でリヴィアンとも十日違いなので覚えていたこと。
こうやって姉貴分と二人で並ぶなんて今だけだろうから、ほんの思い出の品だ。
少年は成長して男になっていく。
リヴィアンより小さなロキもすぐさま背を追い越して骨張って育つのだろう。
乙女ゲームの攻略対象となる頃には、そのヒロインとでなくともどうせ彼女を連れて街を歩いている。
何食わぬ顔で、悪役令嬢のことなど忘れて。
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