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学園編
07:芳香
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借り物の肉体で物語に侵入する役者達は皆、アイデンティティとして身に着ける物をそれぞれ決めている。
今はリヴィアン・グラスとして生きている"彼女"の場合はラベンダーの香り。
勿論手に入らない場合は代用するが、少なくとも自分好みの物を選んで身体と心のバランスを保つ。
ディアマン王国でもラベンダーは特産品の一つであり、美しい紫が畑一面に広がる観光名所も幾つか。
精油も街で得やすく種類が豊富、より好みを求めてブレンドでアロマミストを作ってみても楽しい。
衣類や寝具に吹き付けて使うので、香水よりも軽々と自然に匂い立つ。
リヴィアンお手製のアロマミストはラベンダーをベースとしてレシピは秘密。
甘みを控えて優雅で大人びた雰囲気に、ほろ苦い冷涼感が残る香り。
例えるならリボンで華やかに飾り立てた花束よりも、豪奢な寝室で啜るハーブティーを思わせる。
そうして香りを装っていても、上書きされてしまう時はある。
昼休みの食堂はまだ早い時間ともあって閑散と。
混雑する前に平らげて食後のコーヒーを取りに行ったリヴィアンは、ふとガラスの向こうに見覚えのある髪色を見つけた。
風もない晴れた日には真冬でも開放されているテラス、確かに緑は疎らだが光を浴びて穏やかな庭。
その薄っすらと木陰になっている席に、白い息の人影。
ガラス戸を開けて近付けば分かる、これは寒さによる物でなく煙草の匂い。
吐き出された傍からリヴィアンにも絡み付いてくる。
「よ、グラス」
「こんにちは、お久しぶりですね……ベルンシュタイン先生」
片手が閃めいて挨拶は簡単に。
中等部の理科教師バネッサ・ベルンシュタイン、姓の意味するところは琥珀。
リヴィアンの髪がレモンならベルンシュタインはオレンジと云ったところか。
赤味の濃い金は短めの癖っ毛、涼しい目元に眼鏡。
歳は四十前後の女性で、パンツスタイルと煙草を吸う姿がやたら様になっていて格好良かった。
人柄はといえば、ロキを紹介された件である程度読み取れる通りあまり真面目ではない。
良く言えば大らか、悪く言えば適当。
単にだらしないだけでなく、彼女自身が好む紫煙のように飄々として掴み難いところがある。
ただ、ここはそうした人材が必要な場所でもあった。
孤児院は心を閉ざした子供も多く、攻撃的な刺々しい態度を取られることもあるが物ともしない。
そもそも健全に育っていても多感な年頃は荒れがち。
無理に踏み込まず根気強く寄り添ってくれるので、何だかんだで問題児も彼女にだけは警戒を緩める。
ベルンシュタインといえばコーヒー、本、時々煙草。
その所為か、いつも純喫茶にでも居るような空気を纏っている。
気軽さと心地良さが武器といったところか。
一人きりなのを確認してからリヴィアンもコーヒーを置いた。
同席させてもらっても休み時間はまだ長いのだ。
「ところで、あのメモは何なんでしょうか」
腰を下ろして、まず言いたかったことを一つ。
中等部と高等部では時間割が違うのでなかなか顔を合わせず、次に会ったらと思っていたのだ。
紹介状でなくわざわざ「メモ」と言い表した辺り、こちらの言いたいことは伝わった筈。
問い質されることはベルンシュタインの方も予想はしていただろうに。
曖昧に笑われたがリヴィアンは誤魔化されない、流されない。
それはそれとして一旦は呑み込むことにした。
「ギベオンとはどうよ、うまくやれそう?」
「……良い子だと思いますよ」
この日はというと、ロキと知り合ってから半月。
あの朝は図書館で改めてお互い自己紹介をした。
ロキの出身はここから遠いアルジェント地方。
そういえば、よく聞けば敬語ながら端々に独特の訛りが混じっていた。
亡き両親の趣味により名前はやはり仔犬座から。
彼自身も星が好きなので、天体観測や神話の本を読むのも好きと。
星座占いも参考程度には興味あるそうだ。
その繋がりで誕生日を訊いてみれば7月15日の蟹座、偶然にもリヴィアンはその十日後で獅子座。
蟹座は感傷的で感情的、獅子座は目立ちたがり屋とされがちだったか。
リヴィアンの方も結果で一喜一憂するような夢見る少女でなく参考程度は同じく。
「占いなんて誰でも当て嵌まるバーナム効果」とも言われているが、そうして人が楽しんでいる時に水を差すのは無粋である。
そこから恋占いの話に流れを作ってみたら、どうやら彼の中にヒロインに該当しそうな女性は居ないようだった。
ただし「今のところ」という前提の上だが。
乙女ゲームとしての物語が始まるまでに何年もあり、攻略対象として登場するのは成人してからだろう。
残念ながら何のヒントも得られず。
放課後には本題、前回の試験の答案用紙を拝見。
夢に対して手が届かなくてどうにもならず助けを求めたのかとも思ったが、もともとロキの成績は良い方だった。
更なる上を目指したいのに、伸び悩んでいるといったところか。
こうして放課後に図書館で待ち合わせして勉強は週に二度と話がついた。
とりあえず身近な目標は次の試験、傾向と対策を探るところから。
「えっと先輩、これから宜しくお願いします」
照れたような顔でまたも頭を下げられて、リヴィアンも黙って会釈を返した。
複雑な心境は無表情に隠したまま。
何と言うか、良い子だからこそ困ってしまう。
「そう、良い子ではあるよ……でも何かこう、何事もにこやか穏やかに受け流してて、周りと関わらないから危なっかしい感じあってね」
処世術といえばそれまでのようだが、こうしたタイプは苦しみも溜め込みがち。
何しろシーライト学園の寮は孤児や家庭に問題ある子供の避難所としての面もあるだけに、こうした問題を見逃すと後が怖い。
一見するとダヤンもその傾向はあるが常に堂々としており、自己肯定感などは高いようだ。
加えて、ストレスを溜める前にあの柔らかい物腰のままで毒を吐くこともあるので潰れ難く強か。
そんなロキが「将来の為に勉強もっと頑張りたい」と言うので、ベルンシュタインは好機と取ったそうだ。
誰か一人くらい信用できる相手が要るのではないかと、リヴィアンを紹介したという。
「そういうのって普通は同級生じゃないですか?」
「そりゃ友人作るだけならその方が良いけど、頼れる相手ならずっと上の先輩が良いと思って」
「私がヤダって言ってたら?」
「そこはグラスの判断に任せて、駄目なら他当たったよ。あんたは嫌だったら迷わず断るタイプだし」
大まかな事情は把握した。
とはいえ、頼み事ならせめて口頭で伝えて欲しかったのだが。
メモだけで済ませた理由は面倒臭かっただけか。
そこも想像が付く、こういう人なのだ。
教師と生徒とはいえ砕けた間柄でもあるので、本当に不満なら遠慮なく伝える。
「……ところで、グラスこそ何で受けたの。ダメ元のつもりだったんだけど」
「あらまぁ、先生がそれ言うのね……」
質問を返されて、呆れる口調でリヴィアンもコーヒーを啜った。
ゆっくりと流れ込む苦味と熱、溜息を吐けば香ばしい香りが柔らかく抜ける。
リヴィアンの好みは砂糖もミルクも要らないブラック。
子供向けで薄めになっている食堂のコーヒーだがカフェインを気にせず飲みやすくもあり、身体に熱が沁み入るのも早い気がする。
その実、カップで口を塞いで返答を避けただけ。
まさか攻略対象の疑いが強いので監視目的、なんて言えまい。
もうすぐ高等部三年生、学園で最後の年。
皆それぞれ卒業後の進路や就職で忙しくなるのだが、リヴィアンに関しては今のところ心配要らず。
進路相談で学園の図書館に就職したいことも既に伝えており、成績が良いだけあって問題なく希望通りになりそうだった。
職員はいつでも募集中だけに歓迎。
そういう訳で次の年はそこそこ余裕、確かに下級生の勉強を見てあげる時間もある。
一方、最後の年だからと浮かれがちな同級生と比べてリヴィアンは今まで以上に注意が必要だった。
腰を落ち着けるなら、当然ながら卒業までも後も学園での問題行動は御法度。
何よりもジェッソの件。
襲われたリヴィアンは間違いなく被害者だが、死人が出てしまった以上はこちらが加害者でもある。
誰にも知られる訳にいかない。
自分で殺した意識を持ちながらも、相変わらず反省も後悔も罪悪感も無かった。
黒に近い暗褐色の目に宿る闇は揺らがず。
今も犯行現場の建物に何食わぬ顔で通い、将来的にはここで働こうなどと狂気の沙汰。
ジェッソが倒れていた階段や純潔を奪われた音楽室に行っても、もうあの日の面影すら既に消え去った後。
「単に卒業までは暇でしたし、これでもう少し内申書が上がるかな……っていう下心ですよ」
「ソレはわざわざ口に出さんでも」
「あら、先生に訊かれたから答えたまでです」
「ごめん、そりゃ先生が悪かったわ」
苦笑いされて、この話は終わり。
コーヒーを飲む間の一呼吸で考えた言い訳だった。
嘘でも親切心だとは思われたくなくて。
全て打算なのは本当でもあるし。
「先輩、ベルンシュタイン先生と会いました?」
今日の勉強会はロキの指摘から入った。
「そうだけど、何かあるのかしら?」
「いえ、ただ匂いがしただけです。先生の煙草、少し独特ですから」
これだけで当てられると流石に驚いてしまう。
煙を思い切り吹き掛けられた訳でもないのに、昼休みから何時間も経っているのに。
そんなにもしぶとく居座っていたのか、実はテラス席の一件を何処からか見ていたかとつい疑いも。
名前通り、ロキは仔犬を思わせる時があった。
というのも匂いに敏感な面だけでなく。
初対面で怖々としていたのは以前の話、もう緊張もすっかり解けてきた。
同じ寮生なので朝や夜も顔を合わせることはある。
そして図書室の待ち合わせ、先程だってリヴィアンを見つけた時の表情。
例えるなら尻尾を振る仔犬である。
目を細めて笑う顔も見せるようになり、意外と犬歯が鋭いことに気付いた。
はて、思春期の距離感はこんなものだったろうか。
仮に女生徒ならよくあることと納得なのだが。
ベルンシュタインの話では「営業スマイルだけで済ませて人と深く関わるのを避けている」といったところだったが、どうも今目の前に居るロキと噛み合わない。
そうした者は警戒心が強い反面、一度懐へ入った相手には甘いということなら分かる。
しかし、何故リヴィアンは気を許されているのか。
教える時とりわけ親身になった覚えも無い。
ヒロインや先の展開に繋がるヒントを探って、それとなく情報を引き出そうとする会話。
その分、こちらのことも知りたがるので参った。
単純に「無害そう」という理由でならば一応納得。
垂れ目に丸めの頬で童顔気味、そばかすと三つ編みでリヴィアンの外見は地味かつ温厚そうな印象。
とはいえ、好感を持たれるとしたら善良な中身が伴っている場合である。
舞台の上でならば必要に応じて百面相を作れる彼女も、愛嬌を振り撒くような性分でもあらず学園では素顔の無表情。
何も知らなければ舐めて掛かって来る者も居たが、鈍そうな印象に反して隙が無いので誰も彼も少なからず痛い目を見る。
その最たる結果、ジェッソは命までも落とした。
むしろ彼女は我儘で欲深き悪い大人と自覚あり。
加えて傲慢故に、そうした己のことを誇りとしていた。
何度も殺し、殺され、悪役としてそれぞれの世界で生きてきたのだ。
「地獄の底まで追い掛けて必ず殺してやる」など情熱的な台詞を浴びたことは何度もある。
その度に心の底から喜びを感じてきたというのに、少年一人にこのザマか。
正直、悪意よりも好意の方が扱いに困る。
何やかんや言っても、ロキはまだ子供。
純真から来るものだとしたら、向ける相手を見誤らないで欲しいのだが。
こうして無防備に懐かれてしまうとどうしたものか。
今だけの話だとしても。
いつか、無かったことにされるとしても。
今はリヴィアン・グラスとして生きている"彼女"の場合はラベンダーの香り。
勿論手に入らない場合は代用するが、少なくとも自分好みの物を選んで身体と心のバランスを保つ。
ディアマン王国でもラベンダーは特産品の一つであり、美しい紫が畑一面に広がる観光名所も幾つか。
精油も街で得やすく種類が豊富、より好みを求めてブレンドでアロマミストを作ってみても楽しい。
衣類や寝具に吹き付けて使うので、香水よりも軽々と自然に匂い立つ。
リヴィアンお手製のアロマミストはラベンダーをベースとしてレシピは秘密。
甘みを控えて優雅で大人びた雰囲気に、ほろ苦い冷涼感が残る香り。
例えるならリボンで華やかに飾り立てた花束よりも、豪奢な寝室で啜るハーブティーを思わせる。
そうして香りを装っていても、上書きされてしまう時はある。
昼休みの食堂はまだ早い時間ともあって閑散と。
混雑する前に平らげて食後のコーヒーを取りに行ったリヴィアンは、ふとガラスの向こうに見覚えのある髪色を見つけた。
風もない晴れた日には真冬でも開放されているテラス、確かに緑は疎らだが光を浴びて穏やかな庭。
その薄っすらと木陰になっている席に、白い息の人影。
ガラス戸を開けて近付けば分かる、これは寒さによる物でなく煙草の匂い。
吐き出された傍からリヴィアンにも絡み付いてくる。
「よ、グラス」
「こんにちは、お久しぶりですね……ベルンシュタイン先生」
片手が閃めいて挨拶は簡単に。
中等部の理科教師バネッサ・ベルンシュタイン、姓の意味するところは琥珀。
リヴィアンの髪がレモンならベルンシュタインはオレンジと云ったところか。
赤味の濃い金は短めの癖っ毛、涼しい目元に眼鏡。
歳は四十前後の女性で、パンツスタイルと煙草を吸う姿がやたら様になっていて格好良かった。
人柄はといえば、ロキを紹介された件である程度読み取れる通りあまり真面目ではない。
良く言えば大らか、悪く言えば適当。
単にだらしないだけでなく、彼女自身が好む紫煙のように飄々として掴み難いところがある。
ただ、ここはそうした人材が必要な場所でもあった。
孤児院は心を閉ざした子供も多く、攻撃的な刺々しい態度を取られることもあるが物ともしない。
そもそも健全に育っていても多感な年頃は荒れがち。
無理に踏み込まず根気強く寄り添ってくれるので、何だかんだで問題児も彼女にだけは警戒を緩める。
ベルンシュタインといえばコーヒー、本、時々煙草。
その所為か、いつも純喫茶にでも居るような空気を纏っている。
気軽さと心地良さが武器といったところか。
一人きりなのを確認してからリヴィアンもコーヒーを置いた。
同席させてもらっても休み時間はまだ長いのだ。
「ところで、あのメモは何なんでしょうか」
腰を下ろして、まず言いたかったことを一つ。
中等部と高等部では時間割が違うのでなかなか顔を合わせず、次に会ったらと思っていたのだ。
紹介状でなくわざわざ「メモ」と言い表した辺り、こちらの言いたいことは伝わった筈。
問い質されることはベルンシュタインの方も予想はしていただろうに。
曖昧に笑われたがリヴィアンは誤魔化されない、流されない。
それはそれとして一旦は呑み込むことにした。
「ギベオンとはどうよ、うまくやれそう?」
「……良い子だと思いますよ」
この日はというと、ロキと知り合ってから半月。
あの朝は図書館で改めてお互い自己紹介をした。
ロキの出身はここから遠いアルジェント地方。
そういえば、よく聞けば敬語ながら端々に独特の訛りが混じっていた。
亡き両親の趣味により名前はやはり仔犬座から。
彼自身も星が好きなので、天体観測や神話の本を読むのも好きと。
星座占いも参考程度には興味あるそうだ。
その繋がりで誕生日を訊いてみれば7月15日の蟹座、偶然にもリヴィアンはその十日後で獅子座。
蟹座は感傷的で感情的、獅子座は目立ちたがり屋とされがちだったか。
リヴィアンの方も結果で一喜一憂するような夢見る少女でなく参考程度は同じく。
「占いなんて誰でも当て嵌まるバーナム効果」とも言われているが、そうして人が楽しんでいる時に水を差すのは無粋である。
そこから恋占いの話に流れを作ってみたら、どうやら彼の中にヒロインに該当しそうな女性は居ないようだった。
ただし「今のところ」という前提の上だが。
乙女ゲームとしての物語が始まるまでに何年もあり、攻略対象として登場するのは成人してからだろう。
残念ながら何のヒントも得られず。
放課後には本題、前回の試験の答案用紙を拝見。
夢に対して手が届かなくてどうにもならず助けを求めたのかとも思ったが、もともとロキの成績は良い方だった。
更なる上を目指したいのに、伸び悩んでいるといったところか。
こうして放課後に図書館で待ち合わせして勉強は週に二度と話がついた。
とりあえず身近な目標は次の試験、傾向と対策を探るところから。
「えっと先輩、これから宜しくお願いします」
照れたような顔でまたも頭を下げられて、リヴィアンも黙って会釈を返した。
複雑な心境は無表情に隠したまま。
何と言うか、良い子だからこそ困ってしまう。
「そう、良い子ではあるよ……でも何かこう、何事もにこやか穏やかに受け流してて、周りと関わらないから危なっかしい感じあってね」
処世術といえばそれまでのようだが、こうしたタイプは苦しみも溜め込みがち。
何しろシーライト学園の寮は孤児や家庭に問題ある子供の避難所としての面もあるだけに、こうした問題を見逃すと後が怖い。
一見するとダヤンもその傾向はあるが常に堂々としており、自己肯定感などは高いようだ。
加えて、ストレスを溜める前にあの柔らかい物腰のままで毒を吐くこともあるので潰れ難く強か。
そんなロキが「将来の為に勉強もっと頑張りたい」と言うので、ベルンシュタインは好機と取ったそうだ。
誰か一人くらい信用できる相手が要るのではないかと、リヴィアンを紹介したという。
「そういうのって普通は同級生じゃないですか?」
「そりゃ友人作るだけならその方が良いけど、頼れる相手ならずっと上の先輩が良いと思って」
「私がヤダって言ってたら?」
「そこはグラスの判断に任せて、駄目なら他当たったよ。あんたは嫌だったら迷わず断るタイプだし」
大まかな事情は把握した。
とはいえ、頼み事ならせめて口頭で伝えて欲しかったのだが。
メモだけで済ませた理由は面倒臭かっただけか。
そこも想像が付く、こういう人なのだ。
教師と生徒とはいえ砕けた間柄でもあるので、本当に不満なら遠慮なく伝える。
「……ところで、グラスこそ何で受けたの。ダメ元のつもりだったんだけど」
「あらまぁ、先生がそれ言うのね……」
質問を返されて、呆れる口調でリヴィアンもコーヒーを啜った。
ゆっくりと流れ込む苦味と熱、溜息を吐けば香ばしい香りが柔らかく抜ける。
リヴィアンの好みは砂糖もミルクも要らないブラック。
子供向けで薄めになっている食堂のコーヒーだがカフェインを気にせず飲みやすくもあり、身体に熱が沁み入るのも早い気がする。
その実、カップで口を塞いで返答を避けただけ。
まさか攻略対象の疑いが強いので監視目的、なんて言えまい。
もうすぐ高等部三年生、学園で最後の年。
皆それぞれ卒業後の進路や就職で忙しくなるのだが、リヴィアンに関しては今のところ心配要らず。
進路相談で学園の図書館に就職したいことも既に伝えており、成績が良いだけあって問題なく希望通りになりそうだった。
職員はいつでも募集中だけに歓迎。
そういう訳で次の年はそこそこ余裕、確かに下級生の勉強を見てあげる時間もある。
一方、最後の年だからと浮かれがちな同級生と比べてリヴィアンは今まで以上に注意が必要だった。
腰を落ち着けるなら、当然ながら卒業までも後も学園での問題行動は御法度。
何よりもジェッソの件。
襲われたリヴィアンは間違いなく被害者だが、死人が出てしまった以上はこちらが加害者でもある。
誰にも知られる訳にいかない。
自分で殺した意識を持ちながらも、相変わらず反省も後悔も罪悪感も無かった。
黒に近い暗褐色の目に宿る闇は揺らがず。
今も犯行現場の建物に何食わぬ顔で通い、将来的にはここで働こうなどと狂気の沙汰。
ジェッソが倒れていた階段や純潔を奪われた音楽室に行っても、もうあの日の面影すら既に消え去った後。
「単に卒業までは暇でしたし、これでもう少し内申書が上がるかな……っていう下心ですよ」
「ソレはわざわざ口に出さんでも」
「あら、先生に訊かれたから答えたまでです」
「ごめん、そりゃ先生が悪かったわ」
苦笑いされて、この話は終わり。
コーヒーを飲む間の一呼吸で考えた言い訳だった。
嘘でも親切心だとは思われたくなくて。
全て打算なのは本当でもあるし。
「先輩、ベルンシュタイン先生と会いました?」
今日の勉強会はロキの指摘から入った。
「そうだけど、何かあるのかしら?」
「いえ、ただ匂いがしただけです。先生の煙草、少し独特ですから」
これだけで当てられると流石に驚いてしまう。
煙を思い切り吹き掛けられた訳でもないのに、昼休みから何時間も経っているのに。
そんなにもしぶとく居座っていたのか、実はテラス席の一件を何処からか見ていたかとつい疑いも。
名前通り、ロキは仔犬を思わせる時があった。
というのも匂いに敏感な面だけでなく。
初対面で怖々としていたのは以前の話、もう緊張もすっかり解けてきた。
同じ寮生なので朝や夜も顔を合わせることはある。
そして図書室の待ち合わせ、先程だってリヴィアンを見つけた時の表情。
例えるなら尻尾を振る仔犬である。
目を細めて笑う顔も見せるようになり、意外と犬歯が鋭いことに気付いた。
はて、思春期の距離感はこんなものだったろうか。
仮に女生徒ならよくあることと納得なのだが。
ベルンシュタインの話では「営業スマイルだけで済ませて人と深く関わるのを避けている」といったところだったが、どうも今目の前に居るロキと噛み合わない。
そうした者は警戒心が強い反面、一度懐へ入った相手には甘いということなら分かる。
しかし、何故リヴィアンは気を許されているのか。
教える時とりわけ親身になった覚えも無い。
ヒロインや先の展開に繋がるヒントを探って、それとなく情報を引き出そうとする会話。
その分、こちらのことも知りたがるので参った。
単純に「無害そう」という理由でならば一応納得。
垂れ目に丸めの頬で童顔気味、そばかすと三つ編みでリヴィアンの外見は地味かつ温厚そうな印象。
とはいえ、好感を持たれるとしたら善良な中身が伴っている場合である。
舞台の上でならば必要に応じて百面相を作れる彼女も、愛嬌を振り撒くような性分でもあらず学園では素顔の無表情。
何も知らなければ舐めて掛かって来る者も居たが、鈍そうな印象に反して隙が無いので誰も彼も少なからず痛い目を見る。
その最たる結果、ジェッソは命までも落とした。
むしろ彼女は我儘で欲深き悪い大人と自覚あり。
加えて傲慢故に、そうした己のことを誇りとしていた。
何度も殺し、殺され、悪役としてそれぞれの世界で生きてきたのだ。
「地獄の底まで追い掛けて必ず殺してやる」など情熱的な台詞を浴びたことは何度もある。
その度に心の底から喜びを感じてきたというのに、少年一人にこのザマか。
正直、悪意よりも好意の方が扱いに困る。
何やかんや言っても、ロキはまだ子供。
純真から来るものだとしたら、向ける相手を見誤らないで欲しいのだが。
こうして無防備に懐かれてしまうとどうしたものか。
今だけの話だとしても。
いつか、無かったことにされるとしても。
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