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それって冤罪ですよね? 名誉棄損で訴えさせていただきます!

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 ロッカーを開ければ、一通の手紙。
 蝋印はマヤリスの花を模したベルテ家の紋章。
 それを慎重に剥がして中身を取り出して見れば。
『放課後、裏庭のガゼボでお待ちしております。カトリーヌ・ベルテ』
 筆跡の綺麗さは見事なものだ、とアンヌは他所事のように思った。
 現実逃避したいが、そうもいかない。遂に来てしまったか、と唇を結ぶ。
 正直行きたくないが、上位貴族からの『お誘い』をお断りする訳にはいかない。
 それに上手くいけば『チャンス』になるかもしれないのだから。
「はあ……」
 アンヌは静かに溜息をついて、手紙を元通り封筒に戻した。

 そして時は流れ放課後。
 言われた通りガゼボへと赴けば、一斉に『3つ』の視線が向けられた。
 一人は手紙の差出人である、カトリーヌ・ベルテ。もう二人はその学友であるマリー・ダナ、イザベル・クレマンのものだ。
(やっぱり一人じゃなかったのね……)
 アンヌは内心で顔を顰めたが、平然とその視線を受け止めた。
「あら、私はアンヌ様をお呼びしたのですが……」
 わざわざ『アンヌ様を』を強調したカトリーヌの台詞に「お前が言うな」と言いたいのを堪え、アンヌは口を開いた。
「交流をしたこともない上位貴族の方と一人でお会いするのは心細く思いまして。なので無理を言って私の親しい方たちを同伴させていただきました」
 それを受けて、アンヌの両側にいるカイラ・シェブリエとノエル・クレマンはそれぞれに礼をしてみせた。
「それに私はカトリーヌ様に呼び出されましたので、お一人でいらっしゃるかと思いましたが……違ったのですね」
 言葉に宿る皮肉に気付いたらしく、カトリーヌを始めとした3人の表情が僅かに強張る。が、それを意に介さないフリをして、アンヌは口を開いた。
「それで、どのような御用件でしょうか?」
 促せば、カトリーヌの目が狭められた。
「単刀直入に言いますわ」

「ジャクリーヌ様への嫌がらせをしているのは貴方ですわね?」

「違います」
 アンヌは即座に答える。
「まあ、なんて白々しい……」
「あれだけのことをしておいてよくもまあ……」
 マリーとイザベルの鋭い視線が突き刺さるが、アンヌは平然としたままだ。
「ジャクリーヌ様が何者かに嫌がらせを受けていることは承知しています。しかし、それは私ではありません。コルネ家の名にかけて宣言いたしますわ」
 家名を持ち出して本気の宣言であることを証明し、さらに。
「そもそも、何故私が犯人だと思われたのでしょうか? ご自身でご覧になったのですか? まさかとは思いますが、『誰々が見た』と言っていた、などという信憑性のないお言葉をそのまま信じられたのでしょうか?」
 静かに淡々と告げれば、3人の顔が強張った。やっぱり、とアンヌは内心で溜息をつく。
「では、どなたがそのようなことを仰られていたのですか?」
「そ、それは……」
 顔を見合わせる3人。大方想像は付くけれどとアンヌは思ったがそれは口には出さない。
「ただでさえ私にはよくない噂がありますので。例えば『男漁りが激しい男爵令嬢』などというものですとか……」
「アンヌはそのようなことはしません。私が証言します」
「私もです」
 ノエルとカイラがそう力強く言ってくれるのに、アンヌは「ありがとう」と微笑んだ。そして、何とも言えない顔をしている3人を真っすぐに見据え、口を開く。
「一体どこからそのような噂が流れたのか見当が付きませんわ。私、本当に迷惑しておりますの。もしかして、噂の出所をご存知なのでしょうか?」
「そ、そのような、派手なピンクブロンドなのだから仕方ないでしょう!?」
 マリーがそう叫ぶように言った、瞬間。
 ぴしり
 空気が凍り付いた。
「……なるほど。噂の出所は、あなた方だったのですか」
 アンヌの視線と声は、驚く程に冷たい。
「宰相の子息であるフィリップ様、神官のオリビエ様、騎士団長の子息であるグレゴリー様……いずれもこの国を担うにふさわしく素晴らしい方々ばかりです。なのにその婚約者であられるお三方が、まさか外見で人を判断する方だったとは至極残念です」
 全世界のピンクブロンドの方々に土下座して謝罪しろ、というレベルで酷い言いがかりだ。
「私のこの髪は、母から受け継いだものです。この髪を恥だと思ったことなど、一度もありません」
 母と同じ髪色だということ、この髪を「綺麗だ」「可愛い」と褒めてくれた人たちがいたこと、それらは全てアンヌの中で幸せで嬉しい思い出としていつまでも残っている。
 だというのに、この3人はそれを踏みにじる行為を平然と行った。これを怒らずにいられようか。
「今の発言は私、そして両親に対する侮辱として受け取らせていただきます。さらにジャクリーヌ様に嫌がらせをしているなどというやってもいない罪を着せようとしたことも含めまして」

「名誉棄損で訴えさせていただきます」

 3人の顔が一気に蒼白になった。
「なっ……!?」
「そ、そのようなこと、許されると思っているの!?」
「許されますよ、法の下では身分など関係ありません。ノエル、カイラ、証言をしてもらうことになるけれど……」
「私は構わない」
「もちろん、私も」
 2人ともが頷いてくれたことに、アンヌは内心で安堵する。そして。
「一応断言させていただきますが、私は男漁りなどというはしたない行為など致しません。それ以前に、必要がありませんので」
「どういう、ことですの?」
 カトリーヌが慎重になったのか、それだけを尋ねた。それに何ら特別に反応を示すことなく、アンヌは答えた。
「私には既に婚約者がおります」
 それに続いてノエルが口を開く。
「私がアンヌの婚約者です」
 一瞬の沈黙。
「な、なんでそれを言わなかったのよ!?」
「聞かれませんでしたし、言いふらす必要もありませんから」
 イザベルに叫ぶように言われるも、アンヌはさらりと流し、そして。
「そして今までの会話も録音させていただきました。これも重要な証拠として提出いたします。準備ができ次第『ご実家宛』にお手紙を送らせていただきますので、よろしくお願いいたします」
 失礼いたします、とカーテシーをして背を向けようとすると。
「ま、待って……待ってちょうだい!」
「……まだ、何か?」
 聞き返せば、蒼白な顔のままカトリーヌが口を開いた。
「違うの……。言われたの、ジャクリーヌ様に」

「『アンヌ様は二コラ様と親しくされているようですし、もしかしたら……』と」

 二コラ様……ニコラ・フェドリゴは、この国の第一王子であり、ジャクリーヌの婚約者。アンヌは溜息をまた付きたくなるのを堪え、答えた。
「私の身分で二コラ様と親しくなどありえません」
 というか恐れ多すぎてそんな勇気など無い。奇跡的にお話をしたことがあるにはあるが……。
「入学の時に貴方がハンカチを落としたのをきっかけにと!」
「ええ、それは事実です」
 そう、入学式の会場である講堂に向かう途中、何故か分からないがポケットにしっかりと入れておいた筈のハンカチが落ちてしまったのだ。それをたまたま後ろを歩いていた二コラが拾って手渡してくれた。
 その時、かろうじてお礼は言えたことは覚えている。というか震えて噛みまくって言葉になっていなかった。なのに二コラは優しく微笑んで「気にしないで」と言ってくれた。その場を颯爽と立ち去る後ろ姿すらカッコよくて、見えなくなるまでボーッと見送ったことも覚えている。
 しかし。
「ニコラ様とお話……いえ、お言葉を交わしたのは、その一回だけです」
「う、嘘よ!」
「嘘など吐きません。先程、この会話を録音させていただいている、と言いましたがもうお忘れですか?」
 その言葉に、イザベルはぐっと唇を噛みしめた。
「私に問いただす前に、あなた方の婚約者を通じて二コラ様に確認を取る、ということも出来た筈ですが、それすらも怠るとは……。いえ、それ以前に二コラ様が婚約者を蔑ろにするような方だと思っていらっしゃるのですか? これは立派な不敬罪ですねぇ」
 しかも王族に対してとなれば、ただでは済まない。降格だけで済めば良いが、下手をすれば一家取り潰しの可能性もある。
 いや、可能性どころか。
「私に対する名誉棄損が重なるので、一家取り潰しは免れないでしょうねぇ。ご自身の発言には気を付けるべきですよ。今更言っても仕方のないことですが」
「そ、んなっ……!」
「ね、ねえ、何でもするから、二コラ様のお耳には入れないでっ……!」
「何でも?」
 アンヌは、すう、と目を狭めた。
「それなら、ノエル。貴方の口からお話してくださる?」
 それを受けてノエルは「ああ」と頷いて、口を開いた。
「ジャクリーヌ様から頻繁に呼び出しを受け、アンヌとの婚約を解消するように言われているのですが」
「なっ……!」
 3人は絶句した。無理もないわ、とアンヌは息をそっと吐く。
「その際過度な肌の接触も受けております。相手は第一王子の婚約者であり伯爵令嬢である以上、無碍に振り払うこともできず……いや、正直に言いましょう、非常に困っております」
「その時の音声もございます。……どうぞ、お聞きください」
 カイラが録音石に魔力を込めた。キィン……! と澄んだ音をたてて石が光り輝き、音声が再生される。
『ねえ、ノエル様。アンヌ様との婚約は解消なさった方がいいですわ』
 媚びたような甘ったるい声に吐き気がした。3人もまさかジャクリーヌ様が、と驚愕の表情を浮かべている。それを他所に容赦なく再生は続けられた。
『いえ、私はそのようなことは考えておりません』
 これはノエルの声だ。冷静に返しているようだが、困惑した様子が伝わって来る。
『聞いたことによりますと、アンヌ様は異性との距離を勘違いなさっているご様子。あのような方より、ノエル様にはふさわしい女性がいらっしゃいますわ。そう、例えば……目の前にいる、私、ですとか』
 とんでもない発言に、息を飲む音が聞こえた。これでは第一王子との婚約を解消し、ノエルに乗り換える、と言っているようなものだ。
 その後のやり取りも、どう聞いてもジャクリーヌがノエルに言い寄っている、という内容が流れ。最終的にノエルが会話を少々強引に切り上げるところで録音は終了した。
 呆然としている3人に、ノエルは口を開く。
「今お聞きいただいた通りです。皆様から進言していただくことは、可能でしょうか?」
 その時だった。
「君たちがする必要はないよ」
 別の声が聞こえる方に顔を向ければ、そこにいたのは。
「二コラ様……!」
 そう、第一王子である二コラが、穏やかな笑みを浮かべていた。全員揃って、静かに最上位の礼をする。二コラは軽く手を前にやることで顔を上げさせ、口を開いた。
「盗み聞きをしたようですまないね。ジャクリーヌが何者かに嫌がらせを受けている、という情報は私の耳にも入っていた。その犯人がアンヌ嬢ではないか、ということも。しかし、アンヌ嬢がジャクリーヌに嫌がらせを行う理由が何一つないことから、おかしいとは思っていたんだ」
 ああ、この方はよく見て、よく分かっておられる。やはり次期国王となられるお方は違う、とアンヌは尊敬の念で胸が熱くなるのを感じた。
「……勿体ないお言葉です」
 声が震えそうになるのを堪えてそう言えば、二コラは「気にしないで」と目を細める。そして続けて口を開いた。
「ジャクリーヌが何を望んでいるのかがよく分かったよ。どうやら私との婚約を解消し、ノエル殿との婚約を望んでいるようだね」
「……不敬ですが、その通りかと思われます」
 ノエルが目を伏せながら答える。
「アンヌ嬢達には大変な心労と迷惑をかけてしまったね。これも私が至らないばかりに申し訳ない。心からお詫びするよ」
 深々と頭を下げられ、アンヌ達は慌てた。
「そ、そんな……お顔を上げてください」
「ニコラ様が謝ることなど何もありません!」
 そう口々に言えば、ニコラは顔を上げた。その表情は、どこか寂しそうで、悲しそうで。
「この件は私の方で処理させてもらってもいいだろうか? その録音石を貰えるとありがたいのだが」
「承知いたしました。……どうぞ」
 カイラが録音石を手渡すと、二コラは「ありがとう」と礼を言って受け取った。
 そして。
「本当に……不満があるのなら口に出してくれれば良いのに」
 その声は僅かに震えていて。
「二コラ様……」
 ああ、この方は本当にジャクリーヌ様を大切に想っていたのだ、と実感するには充分過ぎた。
「すまない、王族としてふさわしくない言動だった。今のは忘れてくれ」
 では失礼するよ、と二コラは背を向けて立ち去っていく。
 その後ろ姿を見送り、アンヌは思い出していた。

 無残に破かれ、水浸しになった教科書とノート。
 それを前に、愕然とした表情を浮かべるジャクリーヌ。
『そんなっ……、誰が一体このようなことを……』
 随分と芝居がかった口調だと思った。両手を組んで涙ぐんだその横顔は、酷く庇護欲をそそられる。その美しく華憐な容貌を最大限に生かしたそれは、まるでスポットライトでも浴びているような光景だった。
 カトリーヌ達が駆け寄って慰めの言葉をかけつつ、こちらに向ける非難めいた視線が痛かった。

 あの時『芝居がかった』と思ったのは、余りにも整い過ぎていたからだ。恐らくは頭の中で台本でも用意しているのだろうが。
 見事に騙されてワリをくったカトリーヌ達はお気の毒、という他はない。
「何が不満なのでしょうね、ジャクリーヌ様は……」
 ぽつり、と零れたカイラの呟きに、アンヌは「分からないわ」と目を伏せた。


 その後。
 結局、二コラとジャクリーヌは婚約を解消。
 一応当事者だから、と話を聞いたところによれば、ジャクリーヌは浮気(?)と嫌がらせの自作自演をあっさりと認めた。
 曰く『ノエル様の方が将来有望ですので』と。
 何故そんなことを言い出したのか見当が付かないどころか、第一王子に対する不敬極まりない発言にその場にいた全員が頭を抱えたという。
 その後幾度も話し合いを重ねたが、次第にジャクリーヌの言動がおかしくなっていった。
『二コラ様がアンヌ様と浮気をするのは分かっているの』
『卒業パーティで私に婚約破棄を突きつけるのでしょう?』
 そんな事実は無いし、そのような予定(?)はない、と何度言っても彼女の様子は変わらないどころか、ますます酷くなる一方で。
『安心なさってください。私はその断罪を快く受け入れますわ』
『そのための下準備も進めていたところですのに、とんだ邪魔が入りましたわね』
 それがあの浮気とも取れる発言及び自作自演ということ……らしい。
 考え直すようにと説得されても、ジャクリーヌは己の考え……いや妄言というべきか……を曲げることはなく。
 しまいには。

『悪役令嬢だって幸せになる権利はあるでしょう!? 邪魔しないで!!』

 悪役令嬢? 何それ? いや誰がそんなこと言ったよ、と突っ込みたくなる台詞を叫んで、発狂に近い状態になったらしい。
 このような妄想を抱いている人物を第一王子の婚約者にする訳にはいかない、と解消の運びになり、ジャクリーヌは実家であるマルシャル家が治める辺境地へ『療養』することになった。
 「本当に申し訳ない」と疲れを隠せない表情で再び頭を下げた二コラの姿を、アンヌは生涯忘れることはないだろう。少しでも早く彼の心の傷が癒えれば良い、と願うだけだ。
 そしてアンヌを呼び出した3人は、婚約解消こそされなかったものの、厳しい監視の下、『再教育』を受けることとなった。ジャクリーヌに影響されてしまったのかもしれないが、曲がった性根を直すのは当然だろうとも思う。
 そのため、アンヌから名誉棄損で訴えることはしなかった。『訴える』と言ってしまったら脅迫罪にあたってしまうが、二コラが上手くとりなしてくれたようで、特にお咎めはなかった。本当に感謝の念しかない。
(本当に何がしたかったのかしら?)
 なんてことを、アンヌは考える。ノエルの方が好みだったから? いやいやそんなことで? などとあれこれ思案を巡らせていると。
 コンコン
 ノックの音に答えれば、「失礼いたします」とお付きのメイドが頭を下げた。
「ノエル様がお見えになっております」
 いつもは連絡があるのに随分と急ね、と思いながら、アンヌは「分かったわ」と頷いた。


「やあ、アンヌ。すまない、急に来て」
「ううん、いいのよ。何の用事かしら?」
 そう尋ねると、ノエルは静かに口を開いた。
「我が領地に鉱山があるのは知っているだろう?」
「ええ。石炭が採れるのでしょう?」
 それが何か……? とさらに尋ねれば、ノエルは嬉しそうに微笑んだ。
「そこからさらに、プラチナが採れることが分かったんだ!」
 まあ! とアンヌは目を見開く。
 レアメタル(希少金属)の一つ、プラチナ。装飾品だけではなく、魔道具によって起きた穢れを浄化できる触媒として幅広く利用される金属だ。ただ『希少』と名の付く通り、市場での使用や流通が少なく非常に貴重なもの。
 それがまさか、こんな近くに! と思わず感動してしまう。
「まだどれだけの量が採れるのか探索中だけど、これから忙しくなると思う。学園を卒業してもしばらくは息を吐く暇もないくらいには。……アンヌ、君にも負担をかけることになるかもしれないけど、付いて来てくれるかい?」
 不安そうな瞳に、アンヌは困ったように微笑む。
 もう答えなんて決まっている。
 幼い頃、婚約者として紹介されたあの瞬間から間違いなく。

 恋に落ちているのだから。

「もちろんよ、ノエル。私は貴方の婚約者なのだから」

 婚約破棄なんてお断りよ、というとノエルは困ったように笑った。
 それに微笑み返しながら、ジャクリーヌ様はまさかこのことを? と一瞬頭を過ぎった。が。
(……まさかね)
 アンヌは早々にその考えを頭から消して、紅茶に口を付けた。

(終)
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