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34.鈍い心の痛み

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 カタンと物音がしたのでそちらを見ると、ちょうど朔弥が胡桃の実を取り出し終わって立ち上がったところだった。

「はい、ルーティス君。全部終わったよ。後は頼んで良いのかな?」
「ありがとう、サクヤ。後はやるから大丈夫、助かったよ」
「どういたしまして」

 朔弥から空になったボウルを受け取ると、彼女はひらひらと手を振りながら他の女性陣のほうへと向かっていった。
 皆に声をかけるとそのまま女性陣を連れた朔弥が、叫び声を響かせながら物陰へと逃げ込んでいった沙貴を追いかけた。
 おそらく臨時の更衣室に連れていってくれるんだろう。でもあそこって狭いから順番待ちになるんじゃないかな?

「ふわぁ~…、おはよう。さっきの悲鳴どうしたんだ?」
「おはよ、ケンジ。さっきのは……んー、ちょっと…ね」
「なになに? 意味深な答えだな」
「なんでも無いよ」

 賢士が大きな欠伸をした拍子に目尻に出た涙を拭いながら歩み寄ってきた。

「なんでも無いこと無いだろ? 悲鳴だぞ? ……正直に言ってみろよ、何した?」
「なんにもしてないって」

 ガシッと肩を組まれて顔を寄せて小声で問い詰められるが、「僕」は何も「して」いない。むしろ抱きつかれたので「された」ほうなくらいだ。

「マジか?」
「マジだよ。誓って何もしていない」
「なんだ、つまらないな」
「つまらなくて結構」

 面白い展開を期待されても困るんだよな~。
 肩に組まれた腕をそっと外して、背中を軽く叩き押しやる。

「ケンジも早く顔洗って着替えなよ」
「あぁ」

 賢士が樹のもとへ向かったのを見届けるとフライパンをもう一度、暖炉の火にかけて完全に水分を飛ばすまで手を止めないようにかき混ぜる。

『あの子、声が大きかったね』
『ビックリしたのよ』
「…だね。でも、悪気は無いから許してあげて。ね?」

 今は近くに居ないとはいえ、この子達に話しかけてるのを見られるのは少々困るので、小声でお願いすれば2体とも頷いてくれた。
 5分もすると香ばしい香りがしてきて、しっかり焼き目もついたし、もう良いだろう。
 しまうために《無限収納インベントリ》から小さな布袋を取り出してフライパンから移し、きつく縛ってまた戻しておく。

「よ。本当に一晩中ずっと起きてたのか?」
「そうだよ」
「寝ないで今日大丈夫なのか?」
「慣れてるから1日くらいなら大丈夫」

 拓人が支度を終えて声をかけてきた。
 どうやら僕の体調を心配してくれたようで、気遣ってくれたみたいだ。
 でも野営の時は徹夜や短時間の睡眠は当たり前だから、自然と慣れるものなんだよね。

「慣れても眠気は来るだろ?」
「休憩した時に仮眠するから問題ないよ」
「それで足りるのか?」
「食後の睡眠を15分ほど取ると、頭が冴えて良いんだよ」
「あー、それは聞いたことあるわ。えーっと…午睡ごすい、だっけ?」
「そうそう」

 意図してやっていたわけじゃないけれど、昼食後に仮眠した時は午後も身体が怠くならなかったんだよね。
 その間は従魔に見張りを頼んでいたから安全面でも心配ないし!

「ルーティスがそれで良いってんなら良いけど、お前が俺達にとって唯一の頼りなんだ。無理すんなよ」
「分かってる、大丈夫だよ。ありがとう」
「ん」

 拓人は僕の肩をポンポンと叩くと暖炉の鍋を覗きこんでいる。

「でさ、良い匂いがして目が覚めたんだけど、コレなに?」
「昨日のビッグボアの肉を使ったスープ」
「ん? それって、あのでっかい猪?」
「うん」

 すると拓人は鍋に顔を寄せて深呼吸をするように匂いを嗅いでいた。

「俺のイメージだと猪の肉って臭いと思ってたのに…。ていうか、あんなの食えるのか?」
「血抜きして洗ったから、大丈夫じゃない? あと魔獣の肉はこちらの世界じゃ、普通に食材だよ」
「まぁ、地球でも食べる文化はあるけどな~。俺は経験ないからな」

 なおも鍋の中身を見続けていたら拓人の腹の虫がグゥ~~と鳴り、お互いに顔を見合わせて苦笑した。
 未知の食材への不安よりも食欲のほうが勝ったようだ。

「あぁ~、腹減った」
「ふふ。そういえばタクトは弁当あった?」
「いや無いな。いつもは母さんが作ってくれるんだけど、昨日は無かったんだよ。だから学食に行くつもりだった」
「なら、これしかないね」

 そう言って鍋を指差すと、拓人は肩をすくめて諦めたように短く息を吐いた。

「だな。せめても救いは美味そうな匂いだって事だ」
「お褒め頂きありがとう」

 悪戯を成功させた少年のような顔を珍しく見せた彼に、僕もおどけたように言葉を返す。
 智貴とも拓人とも日本にいた時と同じように言葉を交わせるのが、友人のように過ごせるのが嬉しいと感じている。
 僕は別人として接しているのに、彼らを騙しているようなものなのに、赤の他人として恩人を装っているのに…。
 そう思うと胸の奥がチクッと痛む。まるで小さな棘が刺さったように、鈍く、時に鋭く。
 いったい僕はどうしたんだろう…。昔の僕ならそんなことは無かったのに、よほど日本での暮らしが…いや、彼らと過ごした日々が特別だったと言うことだろう。
 すべてを話せたら解放されるだろうか、楽になるだろうか。その時に彼らはゆるしてくれるだろうか、受け入れてくれるだろうか。
 あやふやな未来に心を揺さぶられ、不安に襲われて胸の辺りの服を掴んでグッと押し当てて痛みを抑え込め、気付かないフリをする。
 視線を感じて顔を上げると拓人が心配そうな顔で僕のことをジッと見つめていた。
 そんな彼にフッと微笑んで、「何でもないから大丈夫だ」と伝えると、不信そうにしていたが問い詰めてくることは無かった。

 そのうち他の皆がゾロゾロと集まってきたから、朝食の時間としましょうか。 
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