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29.空白の期間と懐かしい声

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 とりあえず鍋を暖炉の火から少し遠ざけておいたほうがいいだろう。
 ジッと見つめられるのが居心地悪くて、うなじを撫でながら顔を逸らす。
 視線だけ戻して様子をうかがうが同じ状態のままだ。
 何だろ、僕、何かした?

「なに?」

 沈黙に堪えきれずに口を開けば、皆は我に返ったように体がピクッと跳ねた。
 お互いの顔を見合わせてどうしたんだろう?

「表情が柔らかくなったもので…」
「表情?」

 樹に言われて自分の頬を摘まんだり揉んだりしてみるけれど、よく分からない。
 そんな僕の様子を見て「ぷっ」と吹き出すのが聞こえたので視線を向けると、朔弥と剛磨が肩を揺らして笑いをこらえていた。
 楽しそうだね、僕はちっとも楽しくないのにさ。

「…面白い?」
「あぁ、わりわり」
「絶対悪いって思ってないよね」
「そんなことねーよ」
「嘘だね」
「ウソじゃねーよ」
「顔が笑ってる」
「そりゃ面白いからな」

 意地悪く笑みを浮かべて本当に楽しそうだな!
 そっちがその気ならこっちだって考えがあるんだからな。

「ゴウマ、鍛練に付き合えって言ったよね。覚悟しといてね?」
「お、おぅ」

 絶対に鍛練で負かしてやる。
 顔には出さずに心のうちで決意を固めると、何かを察したのか剛磨は若干引き気味で返事をしてきた。
 今更後悔したって遅いからね。

「ルーティス君、自覚ないかい? 今までは作り笑顔だった。笑っていても壁を感じていたんだ。でも今のは本当に笑っているように見えたんだよ」
「…え……?」

 朔弥に距離を取っていたのがバレていたなんて…、簡単には見破られない自信があっただけにショックも大きい。
 いや、それよりも…そんなはず……。
 普通に笑っていた? 僕はいつの間にそこまで心を許していたんだ?
 決めたはずなのに。大切な人は、特別な人は作らないって、誓いを……。

「ルーティス君?」

 傷付きたくなくて、また同じ思いをしたくなくて。
 だから誰にも心を開かず、許さず、心の中に入り込ませない。
 近すぎず遠すぎず、ほどよい距離感を保ちつつ、昔からの親しい相手以外には心を閉ざして上辺うわべだけの付き合いをしてきた。
 そうすれば最悪の事態にも心を痛めずに過ごせる。
 心を切り離してやり過ごせる。

「あの、ルーティス君? どうしたんですか?」

 あれ…でもどうして?

 ドウシテ、ソウ決メタンダッケ?

 そう決心する理由があったはずなのに、頭の中にもやがかかってるようにスッキリしなくて、原因を思い出せない。
 そうまでするなら何か嫌な体験をしたはず、なのに何も思い出せない。
 それはまるで記憶喪失のような、記憶を封印したような。
 すっぽりと抜けてしまった空白の期間があるようだ。

「おいコラ、ルーティス! 無視してんじゃねーよ。ボーッとして立ったまま寝てんのか?」
「いったぁ!? ………え? …あ、いや、起きてる」
「じゃあなんで返事しねーんだよ」
「えっと……声、かけてた?」

 いきなり肩をベシンッと叩かれて擦りながら剛磨を軽く睨むと、逆に睨み返されて胸ぐらを掴まれて顔を寄せられた。
 思わず背中を反って距離を取って周りを見回すと、樹も朔弥も心配そうにしている。
 あ~…、全っ然誰の声も聞こえなかったな~、ははっ。

「名前を呼んでも返事が無いので心配しましたよ」
「寝不足かい? 仮眠したほうが良いんじゃないかな」
「いや、大丈夫。考え事してただけ」
「そうですか?」
「うん。それより、そろそろ着替えてきたら? アイテムボックスに着替えが用意されてたでしょ」
「そうですね」
「ん」
「僕はどこで着替えれば良いかな」
「あー、向こうに台所があったよ。こっち」

 朝食を作ろうとして断念した台所へと案内した。といっても暖炉の奥のほうの狭いスペースだけど。
 でも台所では裏口があるので、裏口と台所の中間にある物置部屋みたいなスペースへと連れていく。
 薪割り用の斧を置く突起と仕切りの柱の間にロープを通してほどけないように結び、そこへ布を洗濯物を干すように被せれば簡易更衣室の出来上がり。

「急拵えで悪いけどこれで我慢してくれる?」
「いや、充分だよ。ありがとう。あっという間に出来るんだね」
「簡単な作りだからね。どういたしまして。先戻ってるね」
「着替えたら行くよ」
「うん」

 暖炉の所まで戻ると2人はまだ着替え中で他の皆は起きていない。
 短い空き時間に考えてしまうのは、ついさっきまで考えてたこと。
 もう一度考えようとしても、やはり靄がかかってダメだった。
 思い出すことを無意識に拒否してるのか、他の誰かによって封じられたのか、記憶を消されたのか…一切分からない。
 そういえば…このチェーンに通してペンダントのように首から下げているペアリング、いつからしてたんだっけ?
 大きいほうは男性用だろう。僕の左手の薬指に合いそうだけど、小さいほうはどう見ても女性用だよな。
 僕にはパートナーが存在したのか?

「恋人、夫婦、相棒…。ん~~、わっかんないなぁ」

 チェーンの部分を摘まんで目の高さまで持ち上げて眺めても思い出せない。
 女性用の指輪に触れた瞬間、目の前がチカチカとフラッシュに包まれた。

 ―――……ティス、聞こ…る? …たし、セレ……―――

「………え? ……」

 涼やかな声が脳に直接聞こえてくる。念話とも違う、思念体のようなものだった。

 ―――ルー……、わた………、ここ………の。気……て―――

 初めて聞いたはずなのに、とても懐かしいと思ってしまう。
 嬉しくて、悲しくて、胸が締め付けられそうになる声は、なぜか心に突き刺さる。

「君は誰?」

 ―――…たし、あな……の、………なの。ごめ…なさ……。きお……した……―――

 声は途切れ途切れでなかなか聞き取れない。
 でもこの声の主を僕は知っているし、とても親しい間柄だと確信できる。

「聞こえない! 君は誰なんだ?」

 ―――……ナ。あな……を、愛………ます―――

 声の主は「セレ」から始まって「ナ」で終わる名前。
 僕と親しくて、なぜか謝っていた。
 情報が少なすぎる、何も分からないままだ。

「聞こえないよ…」

 顔を両手で覆って俯く。
 相変わらず声が鮮明に聞こえることは無い。

 ―――ごめ……さ…。も…時…無い……い。…………ルーナティア!―――

「え!? ~~~っだぁ!? うわっ」

 最後に声の主が僕の本名を叫んだところで酷い頭痛がして、思い切り弾き出された。

 次に目を開けると指輪を触る前と何一つ変わらない光景が目に映る。
 あの指輪には幻覚を見せる効果でもあったのか? まるで白昼夢でも見ていたような気分だ。
 でも未だにズキズキと頭痛がするから現実なんだろうな~。
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